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まず「歴史」である。大前提としてドイツには長いサッカーの歴史があり、肥沃な土壌がある。
DFB、ドイツサッカー協会が発行する守備の戦術書をめくれば、1800年代後半からのフォーメーションの移り変わりが記載されている。
昨季のブンデスリーガ2部、フォルトナ・デュッセルドルフ対1.FCケルンという伝統のライン・ダービーが行なわれた日には、駅前で
ユニフォームを着た人たちを見た初老の女性が、「ああ、今日はフォルトナ対ケルンね」とつぶやいた。
他に例を挙げれば枚挙に暇がないが、広く深いサッカーの母体がドイツにはある。
ここで重要なことは、その「歴史」が、「移民」にとってサッカーを始めるきっかけになる、ということだ。
現ドイツ代表における移民(強引ではあるが、ここでは2世、3世全てひっくるめて移民とする)の存在は、良く知られた話ではあるが、
そもそもドイツ国内には、エジルやケディラになることはできなかった無数の名もなき移民がいて、今もいるのである。
昨年の夏、かつてブンデスリーガ1部ブレーメンの下部組織に所属したアフガニスタン人と話をする機会を持てた。
下部組織時代には、エジルと試合をしたこともあったという。
25歳の青年は、生まれはアフガニスタンだが、いわゆる9.11を引き金とする戦争が母国で勃発したことで、親に連れられてドイツへと
やってきた。青年はドイツに来て初めてサッカーに出会う。アフガニスタンには、サッカーはなかった。
10歳のときに家の近くで友達とボールを蹴り始めて、その1年後に近所のクラブチームに入った彼は、12歳のときにDFBポカール
(ドイツカップ)少年の部に出場する。
するとある試合で、5得点3アシストと目覚ましい活躍を見せた。叩きのめした相手は、ブレーメンだった。すると、その日のうちに
ブレーメンからオファーが来たという。
2000年の欧州選手権での惨敗を受けて、DFBは育成改革に着手し始める。各クラブにはユースの育成システムが作られるように
指示されて、多くの子供に目を配れるようにと全国が細かく区分された。
そしてこの「改革」で着目すべきところは、エジルやケディラ、そして件のアフガニスタン人の青年のように、「移民」も網に引っ掛けられた、
ということだろう。