14/07/11 19:31:34.53 GbKxjOYX0 BE:204160824-BRZ(11010)
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一撃講和論とか夢物語に逃げてないで近衛上奏文の時点で和平を決断してれば
原爆も沖縄戦も満州の悲劇も無かったんだよなぁ…分かる?この罪の重さ
戦争末期に日本の敗戦は不可避であったというのは事実であるが、実際に降伏を決意するかどうかはまた別問題である。
不可避ということを言うならば、すでに1942年後半以降にそうなっていたと考えることはできるし、
1945年2月14日に近衛文麿が天皇に降伏を勧めたが、天皇はその時点では同意しなかった。
「一撃講和論」、つまり相手にもう一度打撃を与えることにより有利な条件で戦争を終結したいとの考えをもっていたからである。
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