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集団的自衛権:レイテ沖海戦体験「メンツで国民を戦場に」
毎日新聞 2014年06月30日 23時55分(最終更新 07月01日 06時52分)
第二次世界大戦中、レイテ沖海戦に参加し米軍の爆撃で左腕を失った中井寿夫さん=滋賀県甲賀市で2014年6月30日午前11時25分、川平愛撮影
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◇ひた走る安倍政権に「急ぎ過ぎている」
太平洋戦争でレイテ沖海戦に加わり、左腕を失った滋賀県甲賀市の中井寿夫さん(94)の目に、
集団的自衛権容認へひた走る安倍政権は、一人前の国になろうと急ぎ過ぎているように映る。
「指導者のメンツのために危険な前線に駆り出されるのは国民だ。国民の幸せを考えれば、もっと違うやり方があるはずでは」と問いかける。
中井さんは戦後、地元の町役場職員や町議を務め、妻(91)も健在でひ孫もいる。
以前は「米占領下で作られた憲法を自分たちの手で改正すべきだ」と考えていたが、最近の動きには危うさを感じている。そこには自身の苛烈な体験がある。
18歳で海軍に志願し、駆逐艦「岸波」の下士官として南方へ出撃した。1944年10月のレイテ沖海戦。
米軍の圧倒的な攻撃で日本の戦艦は次々炎上し、重油の浮く海を乗組員が泳いで逃げ惑い、敵機が容赦なく機銃掃射を浴びせた。「まさに地獄の光景でした」
近くで炸裂(さくれつ)した爆弾の破片が左腕を貫き、隣にいた部下の腹をえぐった。部下は即死。戦闘がやんだ後に艦内の医務室で左腕を切断され、帰国した。
太平洋戦争の全容を知れば知るほど、「日本のような小国が世界を相手に勝てるはずがなかった。指導者が無謀な戦争に国民を巻き込んだ」と感じる。
「あのおっちゃん、手が片方あらへんで」と近所の子供にからかわれたこともある。それでも「けがをしていなければ生き残れなかった」と感じてきた。
いま思う。
「変化の激しい国際社会の中で日本は平和を守ってきた。大国と同じような振る舞いをせんでも、上手に世渡りしていけばいいんとちゃいますか」
【遠藤孝康】
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