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マッスル北村のほうが凄い
そのボディビルへの熱情のために、大学の授業には全く出席せず、最終的に東京大学を中退している。「東大の近くまでは行くんだけど、ある道を右に曲がれば東大で、まっすぐ行けば公園なのね。でも僕はまっすぐ行っちゃうの。公園でトレーニングしちゃうのね」と語っている。
その後、「自分はどうあるべきか。僕は人の役に立ちたい」とまた一念発起し、昔、使った参考書を引っ張り出してきて猛勉強を開始。「全部忘れてたから、また一からやったのね」。
東京医科歯科大医学部に一発合格、入学するも、「やはり僕はボディビルを極めたい。ボディビルで人の心をワクワクさせて、癒したい」という目標に辿り着き、ボディビル一本に集中して取り組む為に中退。
「入学式で親と写真を撮ったんだけど、これ以降、父の笑った顔を見たことがない」と本人も語っており、父親との関係は衝突の連続であった。
ボディビルの初期の段階では、家族と一緒にとる「普通の食事」以外に、卵を20-30個、牛乳を2-3リットル、さらに鯖の缶詰を3缶、加えてプロテインの粉末300gを毎日摂取した。また、このような食事を消化吸収するために、消化剤を大量に摂取した。
さらに筋肉のサイズアップに効果があるとして、鶏肉をミキサーにかけペースト状にしたものを大量に摂取した。その結果、ボディビルを始めて僅か10か月で40kgの体重増加に成功する。
2000年8月3日、ボディビルの世界選手権に参加するべく脂肪を極限まで落とすために20kgの減量を行った結果、異常な低血糖状態となり、急性心不全を引き起こして亡くなった。享年39。亡くなる数日前にも倒れて救急車で運ばれており、この時は処置が間に合い助かっていた。
身を心配した実妹が「めまいがしたらアメをなめて、アメでいいから」と懇願するも、「僕はそんなカロリーすら摂取したくない」と断る徹底ぶりであった。が、この熱情が結果的に北村の命を奪った。死亡時の体脂肪率は3%を下回っていたと言われている
URLリンク(ja.wikipedia.org)マッスル北村