14/05/21 21:09:53.34 A0ChKC0O0 BE:535050937-2BP(1000)
sssp://img.2ch.net/ico/u_01.gif
CD売れず知名度も…ASKAが覚醒剤で埋めた“プライド”
■CDセールス絶不調
ヒットを連発した90年代とは潮目が変わり、2000年代は楽曲も話題にならず、CDセールスは絶不調。
01年にユニバーサルに移籍後の初アルバム「NOT AT ALL」(01年)こそ10万枚を売り上げたが、
その後はベスト盤の発売が中心で、07年の「DOUBLE」は5.5万枚。
ASKAのソロアルバムは「君の知らない君の歌」(10年=2.4万枚)、「BOOKEND」(11年=1.5万枚)、
「SCRAMBLE」(12年=2.8万枚)……。
「新曲だけではまったく儲けにならないため、過去のライブ映像をブルーレイに焼き直して販売もしました。
ところが、これもほとんど売れず。過去のアルバムを焼き直したベスト盤はセールスが1000枚以下のものもあった」(レコード会社関係者)
■20代若者の知名度ゼロ
ヒット曲がなければ新たなファンの獲得もできず若者の知名度となるとほぼゼロに等しかった。
「名前は知ってますけど実際に歌っているのは映像で見たことがない。
捕まってもツイッターで特別騒いでる人はいません」(慶大2年)、
「小学生の頃に見ていた『学校に行こう!』というバラエティー番組で『チゲ&カルビ』という2人が
『YAH YAH YAH』のモノマネしていたので曲は知ってますが、本人たちの顔はわかりません」(早大3年)……。
時代の空気を先取りし、普遍的な歌詞をメロディーに乗せてきた自負のあるシンガー・ソングライターにとっては
屈辱的な数字であり、若者の言葉は目を背けたい現実そのものだろう。
それでもASKAにはカラオケや有線などの莫大な印税収入があった。
楽曲のほとんどはASKAの作詞作曲なので印税だけでも年間で1億円以上といわれている。
だが、「時間とカネを持て余している芸能人はヤクの売人にとって上客中の上客です」(事件ライター)。
URLリンク(nikkan-gendai.com)