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昔、この地域の荘園領主の豊島清光は子供に恵まれず、熊野権現
の神々に祈願して、やっと一人の姫を授かります。成人して足立
少輔に嫁がせましたが、心ない仕打ちを受けた姫は入間川(=荒
川)に身を投げました。そして、十二人の侍女も姫を追って身を
沈めたという話が六阿弥陀伝承の中にあります。十二天とは、こ
の十二人の侍女をさすと同時に帝釈天をはじめとする神々をいい
ます。これを密教では、世の中を守る神々として非業の死をとげ
た人々を鎮魂するため、塚などの祭壇にまつりました。密教と深
く結びついた熊野信仰もまた、十二所権現・十二社・熊野権現・
王子宮・若宮と呼ぶ分霊が、平安時代末期から室町時代にかけて
全国各地にまつられましたが、熊野信仰が盛んだった荒川流域の
村々では悲しい侍女達の地域伝承と密教の十二天や熊野信仰と結
びつき、船方村の十二天社として奉られたものとも言えます。
(以下略)