19/05/21 20:51:25.55 PJ+Vu6EH0.net
リュック・ベッソンがmetoo問題やらかしたときに、これはフランス国家の問題だとか
フランス人の男全員の良識が問われてるのだ!なんてことは、ここの詩織擁護派や
フェミ活動家を含め誰もいわなかった
ジミーサビルが性犯罪をは何百件もやらかしたということが死後に判明したときも
イギリス男の良識問題だとか英国政府の男性優位政策の問題だとか誰も言わなかった
心の底では、”こいつら個人だけが鬼畜でもイギリス人全体やフランス人全体は
決して鬼畜ではなく、優しい人間だからなー”と弁護していたからである
だが、じゃあなぜそれを今回の詩織山口の問題にはあてはめないのか?数千万人
いる日本の男はけっして山口のようには鬼畜じゃあない、あくまであいつ一人の問題だ。
個人をおとしめてそれをもってして日本人全体をおとしめるやりかたは詭弁だ!と
どうして主張しなかったのだ?
答えは明快だ。この事件が最初からそれを目的として仕組まれたものだったからである
そうでなければ、ベッソンとサビルの件と同様、個人の問題であり日本全体の問題にあらず
という論が左派の中からも出たはずだからである。
もっとわかりやすいようにたとえてみよう。ピエール瀧が薬物逮捕されたとき
坂本龍一や米津玄氏はじめ日本のミュージシャン全員があんなふうに悪いやつなんだと
もし誰かが言ったとしたら、おそらく人権派やフェミの人たち全員が猛烈に批判を返しただろう
たかが一人のミュージシャンが悪いことしたからといってミュージシャン全員がわるいかの
ような錯覚を人に与えるな!それは全体主義的な危険思想だ!・・・・と
じゃあなぜこの人達はこれと同じ理屈を山口敬之と日本の男全体に対して使わないのか?