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平成 時代への道標
森永卓郎さん「とてつもない大転落」
※中略 WEBにて確認を
最も印象に残った出来事は?
―先ほどライブドア事件というのが出ましたけれども、平成の時代で最も印象に残っている出来事というのは森永さんの中で、これは経済にかぎらずでもいいんですが、いちばん印象に残った出来事はなんでしょうか?
私の中でいちばん大きいのは不良債権処理なんですね。実は2001年に米同時多発テロが起こって、小泉首相がすぐホワイトハウスにブッシュ大統領を訪ねたんです。その時の小泉首相はですね、アメリカのテロとの戦いに日本は自衛隊を派遣してでも手伝うって言ったら、ブッシュ大統領がいや小泉さん、日本は一日も早い不良債権処理を進めてくれたまえって答えた。
何の事か当時、すぐにはわからなかったんですけれども、1年後ですね。ニューヨークの 外交問題評議会ってところを小泉首相が訪ねるんですね。そこでアメリカのネオコン(※6)の人たちに向かって、小泉総理の演説がこうだったんですね。
(※6)ネオコン=アメリカにおける新保守主義者のこと。保守強硬派。
首相をやって1年数か月、専門家の意見を聞けば聞くほどわからなくなったと、失業や倒産を増やすので不良債権処理はよくないという意見がある一方で、失業や倒産をおそれずに断行すべしという意見もあると、これを決断できるのは私しかいない、私は決断したと、不良債権処理の断行だって、国民に言う前にアメリカに言った、これが私は最大の事件だったんだろうなって思います。
―その意味といいますか、それがその後の平成にどう影響したのでしょうか?
その後、すぐにですね、金融担当大臣を竹中平蔵さんにして、竹中さんが木村剛さんていう人を連れてきて金融再生プログラムっていうのを作って、短期間で不良債権を半減させると言って。そこから大手30社問題(※7)ってのがすごくクローズアップされたんですけれども、今振り返るとあの大手30社の9割は経常黒字かつ営業黒字だったんです。
(※7)大手30社問題=経営が悪化した流通やゼネコンなど、大手30社への貸し出しが不良債権問題の中心だとした主張。
つまり、黒字で何の問題もない会社を不良債権処理の名のもとに、バンバン潰して、それを二束三文で片っ端から外資に売り飛ばすという事が現実に行われたんですね。私はその時にずっと反対したんです。そんな事したら日本はやられてしまう、経済がボロボロになるぞって言ったんですけれども、そういう事を言うと銀行の味方だとか、抵抗勢力だとか、いろいろ言われて、誰も言う事聞いてくれなかったですね。
日本は世界で最大の対外債権保有国、つまり外国に対して債権を持っているお金持ちの国なのに、何で日本がその財政赤字、経常収支赤字で、経済がボロボロになった途上国のように、全部ハゲタカにさらわれないといけないのかっていうのは、誰も考えないで、むしろそれが構造改革で正しい道なんだっていうね。その結果、日本経済が大転落を起こしたんだと私は思う。
―それが一番印象に残ってらっしゃるのは、アメリカの大統領に先に言ったという出来事なのか、小泉総理が不良債権処理を進めてきた一連の動きでしょうか?
いちばん最初のショックはそう言ったってのがすごくショックだったんですけど、その後の竹中金融改革、不良債権処理、金融再生プログラムの間は、私はもう特に木村剛君とかは全面戦争をしていたので、結論から言うと、私はその時の彼との戦争に敗れたんです。
大手30社問題が最初にクローズアップされたのは、自民党の経済産業部会っていうところに彼が講師として呼ばれた時だったんですよ。彼は大手30社を処理すれば、不良債権はパイプの中のゴミで、パイプがスッと通るようになって日本経済は鮮やかな回復をするんだと。それを聞いていた自民党の国会議員何人かに話を聞いたんですけど、もう木村さんは後光がさして神様のように思えたと。
だけど今、振り返ったら、なんで30社だけ潰したら日本経済がよくなるかなんていう理論的な説明は絶対できないんですよ。ただ、明らかなことは流通・建設・不動産の大手30社が駅前一等地に貴重な不動産を山のように持っている企業だった。それが不良債権処理されたあと、その資産がどうなったかっていうのを見れば、それも壮絶なんですね。マグロの解体ショーのようにハゲタカが二束三文で食いまくっていた。だから、私は自分なりには頑張ってたんですけれども、世間を先導する力っていうのは、全然なかったっていう。だから説得力はなかったんでしょうね。
2につづく
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