18/01/31 20:51:11.18 CAP_USER9.net
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)
「朝日と購読者は日本の敵」発言
少し前のことになるが、かねてより朝日新聞批判を展開している作家の百田尚樹氏が怒りをあらわにした。
“〈これは首を賭けてもいい。もし、中国と日本が軍事衝突をすれば、朝日新聞は100パーセント、中国の肩を持つ。朝日新聞は日本の敵だが、そんな売国新聞を支えている朝日の読者も日本の敵だ。〉”
年明け早々の1月11日、中国の潜水艦と軍艦が尖閣の接続水域に侵入した件の紙面での扱いがあまりにも小さかったことに対しての怒りだったのだが、これが朝日新聞広報部のツイッターアカウントの目に留まると、朝日側はこう返した。
“〈「朝日の読者も日本の敵だ」と作家の百田尚樹さんが発信していますが、特定の新聞の読者を敵視するような差別的な発言に強く抗議します。私たちはこれからも建設的で多様な言論を尊重し、読者とともにつくる新聞をめざします。〉”
これだけみれば実に美しき姿勢だが、「お前が言うな」の反応が多くあった。「これからも」という以上、今までも「多様な言論を尊重し」てきたと言いたいのだろうが、チャンチャラおかしいとはこのことだ。
(略)
朝日が敵視してきた人たち
朝日新聞は戦後、いわゆる「(朝日から見て)右寄りの言説」を一貫して「敵視」してきた。朝日新聞的基準で、少しでも「戦前回帰」「軍国主義」に繋がりそうな言説、風潮については神経を尖らせてきた。その様はまるで、日本の危険分子を取り締まる役目を負った「戦勝国の特高警察」(URLリンク(asread.info))そのものである。
朝日新聞が「建設的で多様な言論を尊重」という美辞麗句の一方で、特定の言論を敵視し、(本当の意味での)反知性主義的反発の高まりを招いた自覚はないのか。いわゆる「嫌韓・反中本」ブームを取り上げた朝日の論調はどうだったか。少数の意見を尊重すべきと言いながら、改憲賛成派がまだ過半数にも届かなかった頃、その意見を紙面で護憲派の意見と同様に扱ったことがあったろうか。
自らが被害を受けた赤報隊事件を「風化させない」ことには熱心でも、朝日の記者がかかわった朝霞自衛官殺害事件についてはどうなのか。「加害の歴史を直視せよ」とあれだけ言っているのに。同じテロでも、「愛国」を掲げたものはダメ、「革命」ならよしとしてきた風潮が、朝日人士たちのなかになかったと言い切れるだろうか。
折に触れて引用したい一文がある。朝日新聞は2017年7月13日付紙面の〈フェイクニュースの台頭〉という「報道と人権委員会」の鼎談記事で、委員の一人のこんな言葉を載せている。
“「ネット上では繰り返し、それも特定のメディアを批判する人たちが存在する。だが、いつか我が国の市民層が、メディア情報の真偽を見分ける力を備えた市民として再構築される中で、淘汰されると思う」”
この文言に、「繰り返し朝日を批判するネットの連中は淘汰されてしまえばいいのに」という願望がこもってはいないか。少なくとも「市民」と「ネット民」を区別していることは確かだ。市民層がメディア情報の真偽を見分ける力を備えた結果、朝日批判が高まっている可能性について全く考えていないのだとしたら驚くべきことだ。
朝日が取るべき道は、二つに一つ
朝日新聞は部数凋落と「敵認定」を支持する声を目の当たりにして初めて、戦後、「朝日的でない言論」を唱えてきた人たちが、どんな思いで自らの意見を展開してきたか、ようやく身を以て知り得る状況になったのかもしれない。
それでも筆者は、「敵だ!」「死ね!」という言葉が飛び交う言論空間をよしとはしない。何より筆者は「朝日のような思想取締り機関気取りの新聞があって、不偏不党・自由な言論と言いながら朝日の論調に沿わないものにはレッテルを貼ってきた」状況をこそ憎んでいるからだ。
当然のことながら、「ブーメラン」と呼ばれる自業自得的言説はリベラル勢にのみ発生するものではない。いわゆる「反マスコミ側」にも、突っ込まれると言を左右するような態度を見せる人がいる。「偏向報道、印象操作反対」と言いながら、その手法を使っているのではとみられる人もいる。ただ、少なくともその人たちは「不偏不党」を謳ってはいない(だからと言ってすべて許されるものではないが)。
朝日新聞をはじめとするリベラル勢が、「きれいごと」を言いながら一方で自分とは異なる意見を「排除」する姿勢を続けるならば、「敵」などの言葉が飛び交う状況は改善されないだろう。不偏不党の建前を捨てるか、あくまで「多様な意見」の掲載に努めるか。どちらかしかない。そうでないと延々と朝日は「ブーメラン」と言われ続けることになる。