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『性交を認めながら「レイプでなかった」とする根拠に乏しいジャーナリスト・山口敬之と擁護派の主張』
2017.11.15 WEZZY(ウェジー)
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多くの人が、あちこちでこの事案についての記事を読んでいるはずなので「またか」との印象を与えるかもしれないが、加害者やその支援者は、この件を皆が忘れてくれるのを何より待望している。ならば、繰り返し言及するしかない。
ジャーナリスト・山口敬之がジャーナリスト・伊藤詩織をレイプした事件は、検察審査会で不起訴相当となったが、複数の疑問点が放置、あるいは隠蔽されたままである。ホテルに連れ込む防犯カメラの映像やタクシー運転手の証言等をもとに請求された山口への逮捕状が、逮捕に踏み切る直前、かつて菅官房長官の秘書官だった警視庁・中村格刑事部長(当時)の判断で止められた。このことは、中村自身も認めている。
山口のこれまでの著作を読むと、安倍晋三首相から「山ちゃん、ちょうどいいからさ、麻生さんが今何を考えているかちょっと聞いてきてよ」(山口敬之『総理』)と、麻生太郎への言付けを頼まれてホテルの部屋を訪ねていくなど、ジャーナリストというより伝書鳩と思える仕事っぷりだが、安倍政権を力の限りで持ち上げ続けてきた山口は、この事件の後でも、権力中枢との至近距離を保っている。そのポジションが生む余裕があるからなのか、雲隠れから復帰したネット番組『報道特注』で、「(事件のことを)もし、知らない方がいたら、ネットなど検索しないでおいていただけると!」と漏らして収録スタジオの爆笑を呼び込む、なんてことが出来てしまう。
被害者の伊藤詩織は、手記『Black Box』を刊行した。その手記を受けて、山口も手記を発表した。発表媒体は、自分の身をいつまでも守ってくれる『月刊Hanada』で、そのタイトルは「私を訴えた伊藤詩織さんへ」とある。この山口の手記を読んだ伊藤は、「私が声を上げたのは、彼と闘うためではなく、沈黙したら、同じような被害者がまた出てしまう。性暴力をオープンに話せる社会にし、司法や捜査システムを改善したいため」なのに、「『私を訴えた伊藤詩織さんへ』と手紙風になっていたことにはびっくりしました」(『AERA』2017年11月13 日号)と答えている。自分に向けられる非道な声や視線に耐えながらも、事実を淡々と記した執念の1冊に対し、山口の手紙風手記、つまり感情(と権力)で事実を踏み潰そうとするその手記の方法は、後述するけれど、彼の支援者にも共通する暴力性である。
双方の手記が発表された後、山口はFacebookで実父が入院したことを報告し、父が体調を崩したのは、今件を問題視する発言や記事を書いた「自称ジャーナリスト」達のせいだと責め立て、「私は父の内蔵から出た、大量の鮮血の色を一生忘れません」と記している。山口の実父の体調が回復することを祈念するが、伊藤がただただ事実の解明を求めているのにもかかわらず、そこで投げられた問いに答えず、記者会見にも応じず、一方的に感情を垂れ流す手記を記した上で、実父の体調不良をジャーナリストのせいにするのは、あまりにも説得力に欠ける。
山口のFacebookの投稿によれば、彼の父は、息子が根も葉もない言い分に苦しめられていると感じているようだが、根や葉のそれぞれを理論的に否定せずに放っておくからこのような状況におかれているわけである。手紙風の感情論で無罪を主張する彼は、たとえば、レイプされた後に彼女から送られてきた業務報告メールについて、「これが、被害者がレイプ犯に送る文面でしょうか?」と分析しているが、レイプの被害者が必死に平静を装い、強姦された事実を自身の記憶から抹消しようと試みることを知らないのだろうか。
説明不足の点はたくさんあるのだが、彼の手記、そして、彼の弁明の機会を与えた『月刊Hanada』の動画を見て、突っ込むべきところをいくつかに絞って列記する。