09/06/07 21:46:28
>>234-235
資料だしてくれたら助かる。
237:無名武将@お腹せっぷく
09/06/07 22:29:28
某書からの受け売りだが文帝紀と「トラが語る中国史」
文帝紀には曹丕が淮河から長江に入る際に水道が凍ってて船が通れなかったという記述がある
現代の中国ではこのあたりの河が凍るのは考えられないらしい
後者の方には中国の各時代の平均気温が載ってる表がある
それによると後漢末期から南北朝の終わりまで比較的に寒い時代が続くらしい
特に後漢末期から三国時代のあたりは低い
238:無名武将@お腹せっぷく
09/06/08 22:27:31
>>234 , >>237
気候変動はあまり考えなくていいと思う。
一に、気候変動に伴う地表温度の変化は緯度が高くなるほど顕れる。
中低緯度の気温の変化は小さい。
二に、気候変動に伴う気温差は夏期よりも冬季に大きく出る。
つまり、年平均気温が高い年というのは“冬暖かく”、低い年は“冬寒い”。
夏期の偏差は比較的小さい。
それに温暖期や寒冷期といっても、平均気温の差は1~2℃も違わない。
文帝紀の「是歳大寒,水道冰,舟不得入江」
淮河だから寿春あたり。現・安徽省。
調べると、近年の安徽省の1月の平均気温は -1~4℃ らしい。今でも冬は結構寒そうだ。
「是歳大寒」とあるのだから、その年は当時の感覚でも特別に寒かったということ。
冬季の遠征の計画を立てて頓挫したのだから、
水路が凍るというのは当時としても珍しかったんじゃないかな。
今より平均的に寒かっただろうけど、「寒冷期」「水路が凍る」という言葉から受ける印象ほど
気温が常に大変低いということはないと思う。
正直、考察するとき20世紀以降の地球温暖化の影響など気候の違いはどうだったんだろうかと
頭を過ぎることは過ぎった。
が、夏暑かったと決を下したのは演義の夷陵の戦いのことが頭に浮かんだから。
演義に於ける夷陵の戦いは、快進撃を続けた劉備軍が夏になり暑くなったので平野から山林に陣を移した。
これが敗因となった。
原文
先鋒馮習奏曰:「即今天氣炎熱,軍屯於赤火之中,取水深為不便。」
「天気炎熱、軍は真っ赤な火の中にいるよう」
すごく暑そうだ。
夷陵は長江沿岸。七大火炉のライン上に位置している。
演義は創作だけど演義が出来たのは1370年頃で「小氷期」にあたる。
その中での発想だから昔から長江沿岸の夏は暑かったと考えられる。
239:無名武将@お腹せっぷく
09/06/08 22:28:20
>>234
>人間、日常的には熱いのは耐えられても寒いのは耐えられないとも言うぞ
熱中症なめてたらこわいよ。普通に死ぬぞ。
240:無名武将@お腹せっぷく
09/06/08 22:39:52
>>238
他人の考察の否定をするのはいいけど
君の推測の根拠となる明確な記述は正史の中にあるの?
別に赤壁じゃなくていいけど「熱い季節を避けて戦闘を行った」、という記述がさ
241:無名武将@お腹せっぷく
09/06/08 22:56:36
>>235
今の9月ということは当時の7月。「秋七月~に出兵」なんて記述を正史でよく見かける。
秋は戦シーズン。今より幾らか気温が低くても極寒はないでしょ。
>兵の疲労云々
これも考えたけど、一応、諸葛亮伝と周瑜伝を基にした。
夏の疲労
年に限らず、所に限らず、職に限らず、皆夏を経る。
夏の疲労というものがあるとしても遠征する人間だけが疲れているわけじゃない。
秋の遠征は成功率が低いという説も特にないのでは。
戦争の疲労
戦争の疲労は、
社会観も倫理観も志向も民度も教育も生きる厳しさもメンタルタフネスも異なる現代日本人には
ちょっと想像できない。
現代人の間でも殺人のストレスの感じ具合は人によって異なるでしょ? ひと殺して平気な奴もいる。
社会観や倫理観が大きく異なる時代の人間のストレスはとてもじゃないが量れないよ。
平気で人の首を刎ねる人間、喜んで略奪する人間、人肉を食べれる人間が沢山いる時代の兵士たちが
勝利の戦争の中にストレスを抱えていたか どうだったんだろう。
食べるための鶏を殺したことすらない人間には、彼らとその感覚を共有するのは難しい。
積年の疲労
曹操はそれこそ連年遠征している。
204年 袁譚 征伐
205年 袁尚 〃
206年 高幹・管承 〃
207年 烏丸 〃
208年 劉表 〃 (荊州平定)
ただ、考えてみると曹操が率いている将は遠征毎に違っている。
烏丸征伐の記載がある将は、前後の「高幹・管承征伐」「荊州平定」に従軍した記録がない。
曹操は将を隔年で遠征に従わせている。将が変わるということは兵も変わるということ。
おそらくこの隔年従軍は意図的なもので、やはり蓄積疲労を考慮したものではないだろうか。
この配慮は見えない将兵(記録に残らない無名の将とその兵)にも及んでいるはず。
この事から見ても、曹操はきちんと疲労のことを考えた軍事計画をしていたと
考えていいんじゃないかな。
242:無名武将@お腹せっぷく
09/06/08 22:58:26
>>240
あったら考察とは言わないよ。
243:無名武将@お腹せっぷく
09/06/08 23:02:48
>>242
意味不明です
「別に赤壁じゃなくていいけど」とわざわざ書いてるのに
244:無名武将@お腹せっぷく
09/06/08 23:07:30
>>243
>「熱い季節を避けて戦闘を行った」
これも考察対象です。
245:無名武将@お腹せっぷく
09/06/08 23:10:26
>>244
ごめん、俺読解力ないからもっと分かりやすく言って
246:無名武将@お腹せっぷく
09/06/08 23:41:30
>>245
じゃちょっと書き直す。
>>243
「熱い季節を避けて戦闘を行った」 これも込み。
夏戦争が少ないのは暑い季節を避けて戦闘を行った
というのも1つの考察対象になる。
もしかして夏の暑さを知らない北国の人かな?
一般的に真夏に運動会やる学校はないでしょ。これは常識になっている。
ハイキングも遠足も普通真夏にはやらない。秋か初夏。
なぜ真夏にやらないか?なんて常識的なことを一々文字に起こすかな。
医学的なサイトでもない限り、或いは余程おしゃべりで蘊蓄語りの好きな人のブログでもない限り
多分、書かれてない。
同様に夏期の遠征を計画しない理由なんてわざわざ書かないはずだよ。
247:無名武将@お腹せっぷく
09/06/09 00:03:06
>>243
「熱い季節を避けて戦闘を行った」 これも>>242は込み。
「夏戦争が少ない」というのも1つの考察対象となる。
考察すれば
「暑い季節を避けた」というのは、夏戦争が少ない理由の1つに挙がる。
248:無名武将@お腹せっぷく
09/06/09 00:04:42
>>247は246の書き直し。 (名前欄に打ち込むの忘れた)
249:無名武将@お腹せっぷく
09/06/09 20:58:18
春は耕作、秋は収穫じゃないのか?
つまり秋の戦争は収穫の横取りでもある
250:無名武将@お腹せっぷく
09/06/10 00:15:17
>>249
中国は主食が南北で小麦と米に分かれる。イメージ的には新野辺りが境。
気候の違う三国時代にはもしかしたら境界線はもっと南だったかも。
三国志で言うところの「中国」は小麦地帯で、小麦の収穫時期は今の5~6月。
四季のうち、夏の戦だけ少ない。
春秋冬どれも同じくらい戦があるように見える。
これはどうしてだろう?
251:無名武将@お腹せっぷく
09/06/10 00:23:09
もちろん、北が小麦、南が米。
252:無名武将@お腹せっぷく
09/06/16 00:18:44
あげ
253:無名武将@お腹せっぷく
09/06/16 00:50:53
真夏の陣で敗戦といえば劉備vs陸遜。
254:無名武将@お腹せっぷく
09/06/16 01:22:04
元冦みたいな感じでしょ
水上戦うんぬんの前に慣れない風土で疫病がまん延して自滅したって感じ
戦いなんてろくにしないでさっさと撤退したみたいな
255:無名武将@お腹せっぷく
09/06/16 09:02:38
うむ
256:無名武将@お腹せっぷく
09/06/16 10:25:36
あの映画、マジ下らねえ