08/10/02 23:01:50
魏延は名将で主君にとっても良き武人だという結論に達したな
357:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 00:44:33
魏延は猛将だけど空気の読めない困ったちゃんという結論に達したな
358:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 01:36:42
しかし、魏延は比較的諸葛亮の指令には従っていたほうだと思うがね
独断専行や命令違反はよくあることだしなぁ、
関羽の独断はソレこそシャレにならなかったし、
馬謖も命令違反の上、報告の遅れが事態を悪化させている。
そんななか、魏延の独断は、
戦場での先駆けの抜け駆けとか、そういうレベルで収まっていた。
少なくとも諸葛亮の生前は。
戦略面の対立もあったし、そりが合わなかったとはいえ、
諸葛亮も魏延を戦力としては当てにしていたわけだし、
魏延も諸葛亮の指令は着実にこなしている。
魏延の破滅はむしろ諸葛亮の死後であるし、
諸葛亮死後の事の経緯も、
生きて帰ってきた楊儀、費イ、姜維らの報告に基づくものだろうから、
むしろ、何か別に裏があるんじゃないかとかんぐってしまう。
・・・もちろん、裏づけが永遠に出てくるはずのない妄想だが。
359:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 06:25:04
逆
言っとくが基本的にどの時代も軍法違反はもれなく死刑だぞ
よって関羽の軍事行動は命令下のものであると考えた方が自然
馬謖は敗戦の責任を負っただけで軍法違反による刑死ではない
360:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 09:05:31
よくある、といえば言葉が過ぎるが
ちょくちょくあるからこそ
刑が定められたんだろうが
加えて、いわゆる抜け駆けのようなことは
毎度毎度ではないにしろ、起こりうることだ。
また、
関羽が命令で動いたというのは超解釈
361:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 13:16:37
魏延の独断って演義の話じゃね?
正史魏延は文句は言ってるが背いた事はないと思うが
362:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 15:07:55
>>359
だから諸葛亮に処刑されなかった魏延さんは軍法違反なんかしていないんだよ。
不満はあっても蜀のため、大義のために指示通り動く…漢じゃないか。
363:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 18:58:26
魏延は諸葛亮の部下ではあり続けた
あるいは、諸葛亮こそが、
劉備の死後、魏延の寄りどころだったのか
いずれにしても、魏延の非業の死は、
同僚との対立と人望の欠落によるもので
諸葛亮の死こそが引き金であったわけで
364:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 20:07:40
>>360
だから軍法はそれを防ぐために作られたわけで違反は規模と身分と状況によりけりだが司令官なら普通殺されるんだって
官位の高い人間が軍法違反したらまず確実に処罰受けるし歴史書にも確実に書かれるから
抜け駆けというのがどの戦闘のどの段階で程度の規模の物を指すのかは知らんが
独断で軍を動かすのは反逆と全くの同義。そんなことがちょくちょく起こると本気でおもっとるの?
また関羽に対外への軍事行動を起こす権力は無く単独の軍事行動であるという方がよほど超解釈
365:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 20:37:11
>>362
当時指揮権がどちらにあったのか知らんし、その後の経過もわかりかねるけど
結果的に魏延が自身の指揮下の前部部隊を率いて元諸葛亮の軍勢の後退を妨害したのだから、
これはさすがに軍法違反ではないというのは無理があるんじゃ
ただ役職パッと見楊儀が魏延を差し置いて指揮を告ぐというのは不自然に思う
俺も詳しくないからよくわからんが
366:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:04:11
>言っとくが基本的にどの時代も軍法違反はもれなく死刑だぞ
>よって関羽の軍事行動は命令下のものであると考えた方が自然
「よって」、という接続詞の用法を間違えてないか?
前後の文に因果関係はないんだが。
大体、関羽は軍律云々以前に「敗死」してるしなぁ。
問責しようにも、「関羽は既に死んでいる」からなあ。
367:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:05:29
>また関羽に対外への軍事行動を起こす権力は無く単独の軍事行動であるという方がよほど超解釈
軍を動かせと、劉備なり諸葛亮なりが指令した、という史料がどこかにあるならいざ知らず、
なんのソースもなしに、
「こう考えたらオレの中では辻褄が合うので、これが自然だ」というのは超解釈以外の何物でもない。
そして、状況証拠で言うなら、
関羽の独断であった、関羽に北上の指令なんか、まったくなかった
というほうがより「自然」だ。
第一には、同僚の士仁、麋芳や孟達の関羽北上時の反応だ。
もし、北上指令が関羽に下っていたのであれば、
同様の指令あるいは北上に協力する旨の指令が荊州諸将に下っていなければ、ずいぶんと中途半端な指令である。
そして、指令があったにもかかわらず、彼らが関羽の支援をサボタージュしたなら、
ソレこそ重大な命令違反であり、史書に残らないわけがない。
だが、そんな記述はどこにも「ない」
つまり、麋芳や孟達はあるいは裏切り、あるいは関羽を見捨てたが、
「関羽の北上を支援しろという命令を破ることだけはできなかった。なぜならそんな命令はなかったから。」
ということだ。
となると、関羽に北上命令が出ていれば、
ソレは、他の荊州諸武将を動員しない、という、ずいぶんと中途半端でいい加減なものであったということだ。
それは「自然」なことだろうか?
第二に、益州から荊州への支援、増援の記録がない。
漢中との連携も取れておらず、バラバラの軍事行動である。
そもそも、三分の計の一番の要は、益州・漢中方面と、荊州との連携による、二面作戦である。
しかし、関羽が北上したのは、定軍山で曹操が釘付けにされていたとき「ではない」。
そのため、于禁らの援軍の派遣が可能であった。
魏の援軍が水害にあったのは僥倖でしかなく、このような綱渡りが「天下三分の計に基づく益荊の連携」だとしたらあまりにお粗末である。
つまり、関羽の北上は蜀の本来の戦略から真っ向反している。
そんな指令があったという解釈が「自然」といえるだろうか。
ま、これらとて、所詮状況証拠に過ぎないが。
368:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:06:50
長文の上に魏延スレでスレチ、
しかも、sage忘れてageちまった。
丞相閣下に処断されてくる。
369:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:30:51
関羽は荊州の軍政権を一任されてたと考えた方が自然じゃない?
当時の交通状況を考慮すれば関羽の行動が一々本営の指示を受けていた
と考えるのは荒唐無稽に過ぎると思うが。
北上はあくまで荊州内での話で、本来の関羽の所轄内だし
魏との敵対は規定路線だから別に関羽が曹操との敵対を決めた訳でもない
普通に方面軍司令官の権限内での軍事行動だと思うがね
370:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:33:18
しかし結局のところ蜀は劉備と諸葛亮
という二つの巨星で成り立ってたんだなあ
371:無名武将@お腹せっぷく
08/10/04 18:20:34
>>365
ちょいとおまいさん、それは諸葛亮死後の撤退の時の話かえ?
あっしのは「諸葛亮に処刑されなかった」ってとおり、諸葛亮存命中の話。
その後の話はしてないよ。
372:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 12:32:47
確かにある程度の権限はあっただろうし、
「瑣末なこと」なら自由裁量の範囲だろう。
まあ、小競り合い、あるいは急襲を受けての防衛戦ならば。
しかし作戦行動の規模からして、天下三分綱領としては、
少なくとも蜀本国と(この時点でどっちが本国かというと微妙だが)
連携をとって進めるべき性質のものだし、
裁可を逐一仰がなくてもいい場合でさえ、少なくとも事実経緯を逐次報告する必要はある
さすがに呉の急襲を報告しろというのは難しかったろうが(そのへんは呉の手際が見事だった)
半畳責めは蜀にいる劉備、孔明に通知してあってしかるべきだ。
蜀のほうで関羽の行動をどの程度把握していたかはわからないが、
関羽に増援を送っていないのならば、「その必要は無い」と判断していたからだろう。
その判断が、関羽の軍事行動を承認してのもの(関羽になら援軍は必要ないだろうという意識)なのか、
そもそも関羽の動きの報告を受けておらず行動を把握できていなかったということなのか。
前者なら、孔明の現状認識が非常に甘いものであったといえる。
(関羽の北上自体の進捗が順調であればなおさら防衛網が薄くなるため、増援がいらないはずが無い)
後者ならば、やはり関羽の独断、あるいは報告義務の過怠による自滅である。
いずれにせよ、本来の天下三分の計からすれば、
呉の侵攻の可能性を考慮しないで魏への攻勢に転じたという判断自体が誤りで荊州失陥の根本原因。
関羽の手勢だけではできることではないをやろうというのだから。
373:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 18:48:11
スレ違いじゃないかなぁ。
374:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 19:12:49
魏延の五丈原での最期だが
つまりは撤収派と戦闘続行派の対立だろ
そして、北伐推進派の巨魁である孔明の陣中での突然死の後
撤収派によって魏延は亡きものにされた
なにか陰謀があったかもしれない
と妄想してみる
375:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 19:17:41
>>329の注釈は歴史に残してもいいw
376:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 19:27:23
>>374
実際あったかどうかはともかく、あったかもしれないと思わせる状況は
色々と妄想をかき立ててくれて、大変面白い
377:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 20:30:10
>>375
なにげに読んでいて気づかなかったwww
378:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 20:31:57
惜しむらくは戦闘続行派が、派閥ではなく魏延のみだったところだな。
そのくらい諸葛亮の遺言は影響力を持ってたわけだし、
撤収派というより諸葛亮の陰対魏延という構図じゃない?
諸葛亮の遺言が戦闘続行だったら状況は逆転したと思う。
379:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 22:06:08
違うよ。全然違うよ。
遠征を継続するかどうかで揉めてんじゃなくて、
だれが丞相軍の指揮権を継承するかで揉めてんだよ。
380:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 22:19:54
揉めるっていっても権限を委譲されたのは楊儀達だから、
諸葛亮の遺言に逆らった魏延には正当性がないし、
諸将も味方には付かないって話。
もし戦闘続行が遺言だったら魏延側に諸将が付いたろうに。
381:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 22:52:09
陰謀を妄想するなら
そもそも
諸葛亮に後事を託されなかった楊儀が
五丈原からの撤収の指揮を任されて
しかも、その後、不遇の内に死んだ
という伝に
なにか怪しさを感じる。
382:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 01:01:20
主席幕僚だから
383:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 01:18:12
幕僚クラスの人間が、外部に出ている上官を差し置いて、最高権力者の遺言を称して最高権力者の権力を独占する
構図は始皇帝の死後に趙高が権力握ったりしたのと同じパターン
384:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 03:35:32
>>383
なんか壮大な誤解をしてるんじゃないかなぁ。
魏延は位階が高いだけで、べつに楊儀の上司なんかじゃないよ。
楊儀は長史(丞相補佐、代理)なので、諸葛亮が死んで後を仕切るのは普通のこと。
魏延は丞相府の人間じゃないから、外部から口出ししちゃいけないんだよ本来は。
ただ、魏延が考えたのは多分、漢中軍の指揮権をもつ諸葛亮が死んだ以上、
指揮権は軍部最高位の征西大将軍府に移されるべき、ってことだと思うよ。
簡単にいうと、諸葛亮が統括していたあの軍のことを、
楊儀は、丞相軍だと思ってて(だから丞相長史が仕切るのが当然)、
魏延は、漢中軍だと思ってた(だから指揮権が委譲されるのが当然)ってこと。
385:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 07:27:03
魏延って中村紀洋みたいなイメージがあるな
ノリと違って魏延は殺されたけどな
386:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 11:30:10
でも魏延は征西大将軍でも開幕はしてないはずじゃ?
確か幕府を開いてたのは、諸葛亮とごねた李厳だけだったはず。
だから一旦帰国して新たに皇帝の裁可を仰がないと、
軍権掌握に正当性はない気がする。
387:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 11:33:46
それと諸葛亮が漢中に丞相府を移した時点で
魏延は督漢中ではなくなってるはず。
だから厳密には漢中軍の指揮権も魏延にはない。
388:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 12:13:42
指揮官が没したからとりあえず撤退しましょうや、という意見が大多数だったんだろうね。
間を取ってとりあえず漢中に魏延を指揮官とする一軍を配しておくとかできなかったのかな。
ま、楊儀と魏延の仲を考えると無理な話だけど。
389:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 12:44:43
漢中までの撤退自体を反対した感じだし
どこまでいっても魏延は軍人であって
政治的な正当性とか分からなかったんだろうなぁ
教養は無さそうだし
390:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 13:09:25
教養は知らないが、軍を率いる将なんだから頭が悪いわけではない、と思うのだが
391:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 20:09:24
>>389
軍務の事しか知らない可能性は大きいね。
漢中時代も政治的な功績はないみたいだし。
392:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 23:30:19
魏延に対する陳寿の評価がすべて、という気もするなぁ。
と、言ってしまうと実も蓋も無いんだけれど。
いびり殺されたのには確かに魏延の人格や人望にも問題はあったんだろうが、
謀反人の汚名を着せられたのは不本意だったろう。
ましてや少し後で、楊儀こそが
「こんなことなら魏に降っておけば」なんて発言をして処罰されるわけだから、
魏延の謀反は無実だろうし、
ひょっとすると撤退の妨害工作も事実ではないかも、と申そう
393:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 23:37:54
魏の方ではこの時のことを魏延が後事を託された、と言ってるんだよね
394:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 00:07:23
魏延VS楊儀というレベルに集約すればそうだけど
もし本当に事実に反するならその場の人間全てが嘘に加担したことになる。
それは流石に妄想が先走りし過ぎだろう。
裴松之も言ってるが本伝と敵国での風聞なら問題にならないし
謀反人の汚名も自ら招いたことだから
ここを無理に擁護するのはどうかと思う。
魏延の軍事手腕と魏延が謀反人かどうかは関係がないし。
まあ、魏延厨としてはある意味正しい姿勢なのかもしれないが・・・
395:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 01:03:40
楊儀との不仲で謀られた魏延がかわいそうだって彼女が言ってた。
396:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 02:49:05
最近過大評価気味ですね。
397:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 08:03:21
それはわかっているんだよ。
比較的同情的な正史でさえ、
魏延配下の兵士は魏延の下から逃げ出したという記述があるわけで、
魏延は相応に人望に欠けていたのは確かなこと
けれども、そうは言っても、
嵌められたということも確かなわけで、
魏延ファンとしては
もともと決して十分な資料があるわけではないところから、
いかに話を膨らませるか、ということなんじゃない?
398:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 11:15:50
いや謀反人の話はいくら膨らませても軍事的手腕とは関係ないんじゃ?
399:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 12:19:53
謀略説を膨らませよう
と言ってるんじゃないの
400:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 12:48:28
魏延の憂鬱
401:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 12:51:09
さあみんなで魏延の軍功を語ろうZE☆
402:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 16:46:34
兵力7,000位で子午谷進軍させても良かったよなあ。
陳式もくっ付けて。
失敗してみないとわからないタイプだろう。
以後はちゃんと言う事聞くようになるさ。
403:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 16:58:31
夷陵では水軍を任され、北伐では一軍の総大将を任され、
諸葛亮の指示通りに武都・陰平を攻略した忠実な将ですがなにか?
404:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 19:09:46
確かに陳式は忠実な武将だよなあ
405:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 19:51:40
以下妄想なんで
前からでもウシロからでもツッコんでくれ
孔明にとって重要なのは
北伐の意志を明確に示しつつ
兵や国力の損耗をさけることではなかったか
子午谷進軍を却下したのは
事の成否に関わらず、それは不都合だったのかもしれない
いわば、北伐とは
蜀の存在意義のアピールとして、
あるいは国論の統一のための、
内外への示威行動であり、
(国力に大きな負担をかけない程度に)膠着した戦線で睨み合いを続けるのが、
諸葛亮にとってはベストだったのかもしれない。
そして、その判断はたぶん間違いではない
406:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 21:28:51
確かに北伐が諸葛亮でも魏延でも不可能に近いって事は
後世の事実を知ってる人間からすれば一目瞭然なんだけどね。
そもそも国力でも地の利(攻勢かける上での)でも
相対的優位といえる呉が、全くといっていいほど成功してないんだから
407:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 02:06:41
つまり、北伐で本気で魏を打倒するつもりだったのは、
魏延一人だったのかもしれない。
度重なる北伐を繰り返しながら、積極的後世を極力避けた諸葛亮や、
諸葛亮の死後、魏の幕僚のほとんどが撤退論に傾いたのも、
その本心は魏と対陣することであって、魏と交戦するところには無かったとしたら・・・
一人本気だった魏延はとんだ道化である。
だが、そんな魏延が大好きだ
408:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 07:53:48
飛躍しすぎ
409:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 08:32:37
魏延一人という言葉は大袈裟に過ぎる
が、出撃前の出師の表の積極性とは裏腹に
前線では慎重を通り越して消極的な孔明の采配は
適性に問題がないなら、本気じゃなかった、ということかもしれないけれどね
410:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 12:58:28
>>397
面倒見は良かったとも言われるのにな
北伐関係は全部碌な結果にならず滅びてるの考えれば
イチバチでも勝算すくなくてもやってみりゃ良かったのにって気はする
結果論だけどね
411:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:18:00
仮に成功して一時的に長安制圧できたとしても、維持できないと判断したんじゃねーのかな?
その場合、退路を絶たれて、魏延を含む蜀の最強野戦部隊が壊滅。
それは、蜀軍にとっては、致命的な損失になるからね。
412:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:29:39
魏延案の基本戦略は
俺 最☆強ww夏侯楙なんて戦わずに逃げますよJKwwwバッチ任して!
という自意識過剰なところに根ざしてるからね。
まともな指揮官なら
ちょっwwwオマwwwそれ兵法じゃねえwwwうぇwwwうぇwww
って答えても不思議はない。
413:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:37:50
でも実際オンナスキーの無能だったんだろ
長いこと漢中仕切ってたんだから
それを知って判断基準にしてるって考える方が自然だろ
名指しだしな
414:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:41:18
自分を韓信に比してたり、長安近辺なんて見た事もないだろうに
簡単に1万程度の兵で占拠・保持できると判断したり
自分を過大に相手を過小に評価する性格的欠陥が滲み出てるな
まあ、そんなところが魏延らしさなんだけど
415:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:57:50
夏侯ボウは武略はないといわれたけど無能ではないからね
野戦ならともかく、長安に籠もってたったの数日耐えたら
逆に蜀軍終了のお知らせが届いたろうけど
416:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 15:22:02
長安の守将を解かれた後も中央で尚書になっているくらいだから、
演義等で描かれているほど酷くはなかったんだろうね。
単純に貴族化した2世ってのが実状だったのかもね。
417:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 20:28:26
魏とまともに戦うなら
普通に戦えば魏を打倒する前に
蜀の国力が尽きる
だが、寄り合い所帯の蜀が打倒魏の旗を下ろしてしまえば内部崩壊してしまう
諸葛亮の北伐はそうした観点に基づいたものなら
そもそも子午谷から長安を強攻する意味はない
だが同時に、そのような出師はいわばその場しのぎの欺瞞であり
いずれは国力か戦意が尽きて蜀が崩壊してしまうのは避けられない
あくまで敗北の先延ばしに過ぎない
だからこそ、国力がまだ多少なりとも残っているうちに
乾坤一擲の勝負にでて
魏の内部に衝撃と混乱をもたらすほどの
派手な戦果を挙げるしか
蜀には勝利の目はなかっただろう
関羽の北伐による動揺さえ収拾した司馬尉をして
立て直しが効かないほどの戦果として
長安占拠ではまだ不十分な気もするけれど
418:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 21:00:40
逆に考えればいきなり大博打を打つより
順当に国境を荒らして人員や国土を収奪して
少しでも国力差をなくしたほうが正解といえる。
そのための北伐と考えれば魏の主力との戦いは
出来るだけ相手の首都から遠く蜀の国境には近い地域を選択すべきで
あらゆる観点から考えても長安強攻は全くの無意味でしかない。
長安が魏の首都機能を有しており
これを陥落させることが魏を揺るがす事になるなら
一国を賭ける意味もあるけど残念ながらそれほどの価値はない。
419:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 21:27:23
そうかなあ
魏の周りうろうろしててマジギレされたら潰されるだけじゃね?
時間が経てば経つほど国力の差は開くだろうし
そもそも国土の陣取りも失敗気味だったけどな
420:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 21:53:51
成功したかどうかは結果論で
戦略的に順当かどうかの話とは別問題
魏打倒を標榜している以上はマジギレとか関係なく潰されるし
上でも他の人が書いてるが
蜀が打倒を果たせる可能性はもともと高くないけど
少なくとも長安に玉砕特攻をかけるより遥かにマシ
特攻相手がもう少し値の高い相手なら良いけど
長安じゃ完全にハイリスク・ローリターン
421:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 22:20:18
そこで荊州失陥が重くのしかかるわけだ
司隷強襲も関中方面との連携も可能な荊州を保ちさえしていれば
対魏戦争の勝ち筋も僅かながらまだあったのだろうが
漢中から関中に進軍ルートが限られた以上、
もう蜀は詰んでいた。
あとはローリスクノーリターン(やや粘れる)か
ハイリスクノーリターン(奇跡が重なれば生だかほぼ確実に死)か
あるいは
政治家視点か現場監督視点か
それだけの違いでしかなかっただろう
どちらが正しいからもう一方かが間違い、
なんてことはなく、
お互いの立場上どちらも最善を尽くした戦略だったんじゃないか?
422:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 22:22:28
× ハイリスクノーリターン
○ ハイリスクレアリターン
たいしてかわらないなんて言わないで
423:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 23:37:58
う~ん、というより相手の選定が悪いという問題だからなあ
もっと前の時代や、もっと後の時代なら長安には政治的な意味合いも含めて
重要拠点であったり副首都的な意味合いがあったりしたが
この当時は寂れた一地方都市でしかなかったんだよね
前漢の首都であったというノスタルジックな感傷を除けば
長安には掛けをするだけの価値がない
奇跡が重なれば、という前提なら長安を的にしなくても
諸葛亮案で十分で、街亭で奇跡的勝利を収めていれば
長安周辺だけでなく関中以西が手に入るので
こちらの方が勝ったときのリターンも大きい
当時の長安に政治的・軍事的重要性がもっとあれば評価も変わるんだけど・・・
424:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 00:48:27
>>421
荊州失陥は手痛いがそれよりも夷陵がトドメだと思うのだが
425:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 01:57:45
荊州を関羽が堅守していれば
そもそも夷陵自体がないな
426:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 10:06:02
結局桃園トリオが自らの手で国を立ち行かなくしてしまい、
残された者はその後始末と幻影に振り回されたということか。
427:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 12:49:12
仮に街亭で魏軍を撃退したとして
魏の防衛ラインが下がるまでのこと
ようやく関中でマトモに勝負ができるというまでのことで
ただちに関中を制圧できるわけでもないだろう
さりげなく馬超の死も政略・戦略面でショックが大きかったかも
428:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 14:06:54
街亭で勝ったころにゃ諸葛亮が隴右の制圧終わらしてるだろ
長安陥落させてもその後の展望がないのに較べりゃ比較にならない
429:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 14:20:08
まぁ街亭守りきれば長安を取れる可能性は高かった。後ろに憂いがない分だけかなり面白い戦況になっていただろうな
あとの北伐3回はノーチャンス
430:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 14:26:24
孟達で失敗馬謖で失敗
陣中もごたごたでそううまく行くとは思えんけどな
431:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 16:44:44
そんなに言うほど高いとはおもわない
ようやく条件が五分に近くなる程度じゃね?
敵地への遠征という立場の不利を抑えられるようにはなるだろうが
根本的に不利な要因がなくなるわけではないし
「普通の勝ち方」をコツコツ積み上げても
とうてい埋まる戦力差ではないだろう
官渡の数倍の戦力差をひっくり返すだけの強みが蜀にあっただろうか
あるいはそれだけの弱みが魏にあっただろうか
官途でさえ、奇跡であり、しかも、決定打にはなりえなかったのだ
北伐の蜀軍は官途の曹操陣営にまさるとは言えないのに対して、
魏軍の戦力は官途の遠紹軍をゆうに上回り、
しかも攻守の利は逆だ。
ならば、攻める側の強みをフル活用したかと言えば
似たような漸進と緩攻の繰り返しで
見せ球さえない
これで西方をどうやって魏から切り取れるだろう?
432:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 17:41:40
演義では、司馬懿も、もし俺なら、子午谷から攻める。
と言っている。あながち魏延の献策も、的外れではないようだ。
ただ、司馬懿に出来るから、魏延にも出来るとは言えないが・・・
433:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 19:01:12
街亭で勝ったということは東方からの数万の増援を撃破し
しかも当時では随一の戦歴を誇る宿将・張?を破る事になる
これは長安を陥落させるのより魏の衝撃は大きいよ。
張?に比肩するほどの戦歴と勇名を持った武将は魏でも他にいない。
しかも祁山西方の平定が済めば先鋒だけじゃなく
諸葛亮の主力本隊が長安側へ出張ってくるわけで
涼州と雍州の西半分を後方策源地にして長安に相対できる。
これは子午谷経由の博打攻撃より比較にならないほど有利だよ。
結果論から言えばこの時明帝は長安に親征してるから
これで長安を下すのは結構大変かもしれない
それでも魏の西方国境地帯を切り取れただけで大戦果。
また逆にここで長安軍を撃破すれば魏は一気に傾く可能性がある。
しかも、この後には呉側からの侵攻も始まるしね。
ただ、これは当時の諸葛亮達は知らない情報だから別問題だけど。
>>432
正史でも司馬懿は子午道ではないけど似たような事いってるね。
この時のプランは褒斜道から武功を経由して長安を狙うというものだから
魏延の言う子午道を通るほど無茶な考えでもない。
434:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 19:01:39
蜀は長安急襲すべきだったという結論に達したな
435:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 19:22:10
街亭で勝てればって話だけど本当にそんな勝って当然の戦だったんかね
実際は山の上に居なけりゃ勝てましたってもんでもないだろ
これに限らんが手堅くやって勝ち目がある相手だとは思えんのだよな
436:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 19:39:55
それをいうなら魏延が長安を落せるかどうかも問題だな
涼州・雍州の軍団相手に一万の兵で勝てるわけないじゃん
437:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 19:45:48
魏延の方は常にハイリスクって言われてるからな
それは否定してない
街亭の方が演義の演出に引きずられすぎなんじゃないかと言っただけだよ
438:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 20:33:36
蜀の北伐軍全軍なら魏の西方軍と対等だったかさえ怪しい
また、そもそも街亭で期待しうる蜀の勝利とは
街亭の地を死守することであって
魏軍を撃破することでは必要ではない
そもそもそんなことは不可能だし、
馬ショクの失態こそが、まさにそこのところを履き違えた必然的結果だ
蜀が街亭を守りきったとして
そのことで魏が直接的になんら打撃をうけるものではない
というか、街亭の戦いとはそういう決戦では断じてなく、
仮に馬謖が一度任務を全うしていても
その後も街亭の攻防は断続的に繰り返されただろう
439:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 20:48:16
自分は魏延が奇跡的に上手く長安を占拠した場合と、
街亭戦が上手くいった場合の比較を述べてるわけで。
それに対して、片方についてのみ上手く行くかどうか?
を問題にされたんじゃ話のすり替えだよ。
魏延案は長安戦に勝ってもその後も奇跡が必要だが、
街亭の方は一度勝てばあとは奇跡じゃなくても大戦果。
演義の演出とはいうけど、砦を捨てたとか、水道を断たれた、
山に布陣するのを諌められた、軍令に背いた、
というのは正史にも出てる話だしね。
王平も居たんだから、普通に砦を堅守してれば負けなかったと思うよ。
一方、負けた場合の被害を比較すると、
魏延案はあくまで諸葛亮本隊が西方の平定よりも、
急進して合流するのを基本軸にしてるから、
魏延の戦死や精鋭一万の消失のみならず、
場合によっては退路のない蜀の野戦軍全てが捕捉撃滅される可能性もある。
街亭戦は史実の通り、退路が確保されてるから本隊に損害なし。
リスクとリターンを較べれば、
大戦略としてどちらが良いかって話。
別に諸葛亮も司馬懿に天下の奇才と賞される逸材だし、
魏延が国家戦略で諸葛亮に劣るのも止む無しだと思うけどね。
魏延の真骨頂は壮大な大戦略を立てることではなく、
戦場での勇猛果敢な用兵の方にあると思うな。
多分、一万単位の部隊を率いて戦えば、
張郃にも負けなかったんじゃないかと。
440:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 20:56:21
>>468
まさにその通り。
街亭はもともと奇跡を求めた勝利ではなく、諸葛亮の主力部隊が西方、
つまり涼州と雍州の西側を鎮撫する時間を稼げば良かっただけの戦い。
これが終われば蜀の諸葛亮本隊が防衛ラインを引き直すので、
西方の確保は確実視しても良い所だね。
一回の勝利で1州以上の戦果が手に入る。
後方策源地の不備に泣かされた北伐も大分様相が変わったろうね。
また、これが一歩進んで先に述べたような張郃軍を破るような
奇跡的な勝利であったなら北伐が成功する可能性もかなり上昇するね。
441:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 20:57:12
>>468は>>438の間違い
ゴメン
442:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 21:15:53
街亭は戦果になる戦場ではない
と言う
戦闘自体は
蜀の街亭守備隊と魏の街亭攻略別働隊の局地戦にすぎない
仮に魏の攻撃軍の半数を返り討ちにしようと
張コウを三回ほど殺そうと
街亭を失えばなんら意味はない
また、そこまでの被害がでるほと慌てて街亭を無理攻めする必要は魏軍にはない
じっくりと着実に街亭を包囲すればよかったわけで
事実、百戦錬磨の張コウは無理なく馬謖を追い詰めた
蜀軍の本隊は街亭から遠く、報告連絡相談の過怠のため、
街亭を失うまで諸葛亮は何も知らされなかった
つまり街亭での戦闘には馬謖や王平ら街亭守備隊しか参加していない
街亭で魏軍に甚大な損害を与えるには
街亭守備隊しか蜀軍の戦力はいない
奇跡の入り込む隙間が見つからないし
その奇跡が街亭の地の利と引き換えなら 全く意味がない
443:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 21:23:44
>その奇跡が街亭の地の利と引き換えなら
別に奇跡が起きたら街亭を失うというわけでもあるまいに。
街亭に進軍した魏軍は張郃の部隊しかいない。
張郃の部隊が撃滅されたのに誰が街亭を奪うの?
444:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 21:24:01
そして、街亭を守りきったとして
それは諸葛亮の西方経営の成功を意味しない
むしろようやく魏軍と関中で綱引きが成立するにすぎない
またその後も蜀軍の急所たる街亭の危機が終わるわけではない
445:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 21:54:20
結局何が言いたいのか分からん
446:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 21:58:21
街亭守るの大変な割にあんまり意味ないし展望開けないよね
VS
俺はとにかく魏延案と比べてるんだよ
447:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:01:41
曹操「結論の用意されていない経過報告など要らん!」
448:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:10:18
両者の聞いてたら諸葛亮策の方が良さそうだけど
魏延の作戦だとそんなに完璧な勝利が手に入るの?
そこのところが重要なんじゃないの?
449:翠 ◆58MRGtOpy2
08/10/09 22:10:27
孔明はバショクが軍律を破ると知っててあえてバショクに街亭を任せた。
さほど重要ではない地点を重要だと言い、任せた。
結果計画どおりにことは運び、バショクを自然な形で殺すことに成功した。
腹黒い孔明ならやりかねる。
450:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:14:34
長持ちするけど絶対勝てないか
普通に考えて壊滅するけど奇跡が起これば目があるかもしれないか
451:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:19:33
街亭の部隊が壊滅あるいは敗走するまでに涼州を切り取れれば諸葛亮の勝ち
涼州方面は中央に伝統的に反抗的なので、ある程度の時間があれば涼州はイケたかもしれない
452:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:19:48
長安を落としたって西方経営の成功にはならないよ。
だからその点はどちらも同じ。
ただ街亭を守りきれば西方平定は完了するけどね。
要はどっちが可能性が高いかって話だね。
魏延案では関中軍との綱引きにすらならないけど、
諸葛亮案なら綱引きに持ち込めればその時点で大戦果。
街亭は一度守れば次は防衛拠点としてだけじゃなく、
攻撃発起点としても機能するから急所どころか前進基地だよ。
453:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:24:55
かたや奇跡を前提に話を進め
かたや戦略の順当性を語るか
とりあえず、魏延の軍事能力を語るなら
奇跡云々はおいて話し合うべきじゃないのかい?
454:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:30:09
分かってないね
奇跡込みじゃないと魏延のプランは駄目だってみんな分かってんだよ
魏延好きなら奇跡の勝利を積み重ねて
寡兵で関中軍と魏の主力軍を蹴散らす魏延を夢想しなきゃ
455:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:35:13
蒼天関羽が思い浮かんだw
うん?でも待てよ
魏延がそんな強いんだったら
街亭に勝った後で長安に突っ込ませても
結局は勝てるんじゃないか?
456:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:41:42
俺は長安攻め夢想するより
街亭を死守できるかと涼州の切り取りが可能かの方が気になるなあ
こっちも奇跡とはいかないまでもかなり厳しいんじゃないかと思うんだが
457:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:53:08
関中軍は曹真が率いて陽動に引っかかってるから、
涼州・雍州は主力のいない状態。
しかも三郡がすぐに靡いたように涼州制圧は時間の問題。
街亭は馬謖は失敗したが順当に守れば時間稼ぎくらいできる。
それも出来ないような地形なら砦なんか作られてない。
後の蜀軍が野戦で度々魏軍を打ち破ってることを考えれば、
街亭以後の戦闘すら有利だと考えても良いくらいだと思うね。
関中軍団と増援を合わせた大軍と正面から戦って、
実際の戦闘では一度も負けたことがないわけだし。
458:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:55:01
司馬懿と張コウってどっちが戦上手かな?
459:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 22:57:06
たしかに孔明は野戦の局地戦ではなんだかんだいってほとんど不敗だからな
460:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 23:21:00
それより魏延無双を夢想しようZE☆
461:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 01:54:06
>>456
大いに同感
>>452
>ただ街亭を守りきれば西方平定は完了するけどね
その前提は到底納得いかないなぁ
どこにそんなことを言い切れるだけの根拠があるのかさっぱりわからないよ
だって、魏だって、そのだいぶ前から、当該地域の経営に着手して、
当地の漢民族や異民族の人心収攬に成功してるんだぜ?
昨日今日来たような蜀軍が
そう簡単に関中を抑えられる気はしないんだが。
撞関の戦いから何年たっていると思う?
その間、どれだけ魏が関中平定に腐心してきた?
462:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 02:14:12
>後の蜀軍が野戦で度々魏軍を打ち破ってることを考えれば
実際には姜維がたびたび兵を損耗したりで、痛し痒しだったわけだが。
463:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 02:24:55
>しかも三郡がすぐに靡いたように涼州制圧は時間の問題
もともと風見鶏な地域。
逆に言えば、その三郡以外はなびいていないし、
その三郡さえも蜀軍が撤退しはじめると結局また手のひらを返している。
言うほど簡単に涼州が制圧できたとは思えないし、
大変なのはそのあとだ。
益州南部の経営さえ度重なる反乱で徴税さえままならなかったのに、
涼州をうまく統治できるだろうか。
むしろ、お荷物を抱え込むことにならないか?
仮にうまく経営が軌道に乗ったとして、
それから先の国力の差はまだ依然として歴然としているのだが。
まあ、この問題は孔明の堅実案でも魏延の急戦案でも解決しないんだが。
464:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 02:25:15
また痛いのが引っかかってるなあ・・・
みんな魏延と諸葛亮のこと語ってるのに
一人だけ姜維がとかいっちゃってるよw
なにをそんなに必死になってるのかねぇ
465:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 02:31:29
>姜維がたびたび兵を損耗したりで
孔明自身が陳倉を落とせなかったのも忘れるな
つか、街亭以降で多少なりとも成果を上げたといえるのは
陳式の武威攻略以外になにかあるの?
ひょっとしたら北伐に展望が開けるかも、みたいな
第四時北伐で張コウを討ち取っているけれど、それさえ決定打になってないよね?
466:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 02:32:32
確かに一人イタイのが紛れ込んでるねw
というかこのスレまだやってたのかよ
>益州南部の経営さえ度重なる反乱で徴税さえままならなかったのに
南征の後に軍需物資が出て国が豊かになった書いてるのに
正史くらい読んでから書き込もうなw
467:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 02:40:08
なんか諸葛亮の北伐に泥付けたいだけみたいだね
ぜんぜん魏延の話が出てないし
あとsage進行で
468:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 08:07:50
南部益州で反乱が起きて徴税できなかったのも事実史実
なんぼか収益をあげるには時間が必要だろう
人心が落ち着かず課税できない
→課税開始
→反乱(ここまでは史書にある)
→平定
→長年の努力継続
→国庫が潤う(これも史実)
つまり、益州南部さえすぐには成果があがらないのに
擁州経営が一朝一夕でうまくいくのか?
しかも主戦場だし
と逐一説明させるから、
なかなか魏延が話に出せない
魏延の評価は子午谷ルートにかかっている
となれば、それをボツにして諸葛亮が実行した戦略が
はたしてどれだけ有意義だったのかは
つめる意味があるわけ
おわかり?
469:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 08:15:53
>>468
まるで長安経営は一朝一夕でうまくいくような言いぶりだが
なんの根拠?
軍需物資が出て国が豊かになるのと
経営が上手く言って利益をあげるのと
随分意味が違わないか?
で、諸葛亮の戦略がすべて間違ったとして
魏延の評価が相対的にあがるの?
両方だめってオチにならない理由(魏延すげー)を
詳しく
470:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 10:47:29
魏延は正史だと魏延(笑)
だけど反骨の相が出ると魏延さんと呼びたくなる戦績を残す不思議
471:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 12:37:03
魏延贔屓になるとどうしてもなのか子午谷経路の作戦に肩入れしたく
なるのかもしれんね
472:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 12:50:12
もう超解釈を持ち出し始めてる時点でダメだろ
正史に国庫が豊かになりました
って書いてあるのに対して
「いや、自分の脳内シミュではそんなことはない」だからなw
必死すぎる姿が逆に滑稽だw
473:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 12:53:33
>>469
>まるで長安(ry
逆だ
「長安を制圧したところで
魏と抗争しながらという益南より悪い条件で
うまくいくわけがない」
474:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 12:55:11
ここはもともと「魏延さんを称えるスレ」として
半分ネタっぽく代々やってきたところだから、
あまりカリカリしない方がいいと思うよ。
475:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 12:57:48
おかわり?
476:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 13:05:02
くそう少し笑っちゃったw
477:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 13:07:05
両者の聞いてたら魏延策の方が良さそうだけど
諸葛亮の作戦だとそんなに完璧な勝利が手に入るか疑問だな
478:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 13:09:41
たぶん食い下がってるやつの目論見は諸葛亮を貶めて
「結局どっちも上手くいかないよね だから魏延も諸葛亮も同じだよ」
としてドローに持って行きたいのだと見た
479:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 13:13:06
魏延策はハイリスク・ノーリターンのダメ戦略という結論が出たな
480:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 13:14:17
以下、魏延さんの自画自賛レスが続きます↓
481:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 14:18:34
魏延「ブッチャケ何やっても魏に勝てねぇ~でFA?」
482:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 15:42:31
魏延「俺なら勝てたね。俺最強伝説ktkr」
483:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 17:50:07
魏延「ジョーショーはチキン!」
484:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 18:22:25
>>478
でも実際諸葛亮のやり方じゃ無理だろ
485:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 19:16:11
>>484
そうとも言えない。
蜀は一敗すれば即死する程度。
無理しても呉の勢力伸張の為の捨石になりかねない。
そもそも諸葛亮はそこまで無理して遠征を成功させる気があったとは思えない。
陳寿は応変之将略に疑問を呈していたが、彼は節制之師については知らなかったようだ。
486:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 19:22:50
>>484
魏延おつ
487:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 19:28:04
政治的デモンストレーションあるいは
積極的防衛。
それが北伐の目的であり
またそれ以上は望むべくもない情勢だった。
ならば、虎の子の国防戦力で乾坤一擲のバクチはうてないし、その必要もない。
488:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 19:30:03
諸葛亮の策を採用 → ローリスク・ローリターン
魏延の策を採用 → ハイリスク・ノーリターン
どっちが良いかなんて一目瞭然
でもそんなのは認めない
それが魏延厨というものなのだよ
489:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 19:33:58
>>487
この推論の出所ってさ
あの孔明が本気で北伐成功なんて夢を見るわけがない
っての以外に何かあるの?
490:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 20:20:49
>>468
正直いって呆れたわ・・・
益南で徴税ができなかったとか、
正史のどこに書いてあるのか書き出してみなよ。
反乱が起きても李恢がすぐに鎮圧して逆に貢物を納入させたため、
経費に不自由はなかったと書いてあるんだが・・・
西方平定が失敗する理由も具体的に挙げてみなよ。
関中の総戦力が曹真とともに進発したと書いてある。
これは陽動に引っかかって全く別方向に行ってる。
つまり諸葛亮本隊に対抗できる兵力は皆無なわけだ。
しかも涼州の半分は戦わずに帰服してるし、
この連中は諸葛亮の撤退した後も魏に背いたまま籠城して抵抗したが、
関中軍の本隊まで来て包囲するに及んでようやく降伏してる。
一体どういった人間が抵抗して制圧が失敗するの?
>>488
一緒にしないで欲しいね。
自分は魏延は蜀随一の勇将だったと思ってるが、
大戦略で諸葛亮に及ばなかったのは認めてる。
魏延は戦場での勇猛な戦闘指揮に真価があったというだけ。
ここは譲れない、実際に郭淮とか打ち破ってるし。
あれやこれやとケチを付けて認めてないのは一人だけでしょ。
491:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 20:22:05
そもそもどっちも積極戦略。
諸葛亮の策(積極戦略A)を採用 → ハイリスク・ハイリターン
魏延の策(積極戦略B)を採用 → ウルトラハイリスク・ハイリターン
蜀の戦力で抑えられる土地は限られている。
長安を押さえれば関中以西が全部靡くなんて前提が楽観的すぎる。
各個撃破を食らう可能性の方が高いだろ。
裏切り者の孟達を捨石に出来る状況ならともかく
魏延が捨石になりかねない作戦はリスキーすぎる。
諸葛亮の計画は街亭の人事以外パーフェクト。
492:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 22:32:21
なるほど
魏延の案の方が成功しそうだよな
493:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 22:36:55
諸葛亮にしてみれば、涼州刺史の徐バクや隴西太守の游楚の抵抗は
計算外だったのかもしれんな
斜谷は別物と勘定するにしても、上ケイに隴西に街亭にと軍を分散させた状況では
街亭以外は早々に埒があかなきゃジリジリと不利になるもの
序盤で帰順した雍州の三郡だって風向き次第でどうなるかもわからんのだし
494:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 23:18:49
残念ながら游楚に抵抗は元々すぐに関中軍が来るという前提のもので、
街亭で増援が防がれた場合は降伏せざるを得ない。
これは游楚自身が宣言してる事だね。
また徐邈はこの時着任して日が浅く揮下の部隊を集めていない。
曹真伝や張郃伝を読めば分かるが、
南安が平定されたのも関中軍が西方に戻ってきてからの事。
どちらも街亭で時間稼ぎさえすれば解決する問題なんだよね。
495:無名武将@お腹せっぷく
08/10/10 23:44:43
いや、というより徐バクは曹真と一緒でしょ
関中軍にはヨウ州も涼州も含まれるし
実際にヨウ州刺史の郭淮は曹真に随行してるんだから
496:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 00:06:33
>>495
確かに関右の諸軍を率いたと書かれてるから、
その可能性は高いんだけど確信が持てなかったから。
497:Jominian ◆Henri9gNlM
08/10/11 00:10:58
「一緒」の意味がよく分からないけど、徐邈は南安の攻撃に金城の軍を派遣しているし、
諸葛亮の侵攻時に涼州にいたのなら、距離が離れすぎているので曹真と合流した可能性は低いと思うよ。
曹真伝の「三郡平定」の記述が、徐邈の行動も含んで曹真の手柄になっている、というのなら否定はしないけど。
498:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 00:41:59
>>497
自分もそこが気になったんだけどいくつかの点を勘案すると、
あながち間違いとも断定できないんだよね。
まず明帝紀に曹真が諸軍を率いて一斉に進発したとあり、
諸葛亮伝の記述を見れば、
曹真が向かった部隊は箕谷の陽動部隊なのが分かる。
そして曹真が動いた後に諸葛亮が祁山に進軍し、
これに呼応して三郡が反乱を起こすという流れ。
つまり曹真の関右諸軍が進発した後に諸葛亮本隊が姿を表してる。
この後に慌てて明帝が長安にやって来て張郃を派遣。
街亭において馬謖を破り、諸葛亮は撤退を開始する。
「魏略」によると、游楚が守りを固めてまもなく南安の兵が表れ、
その後10日で諸葛亮は撤退してることになってる。
これを見ていくと南安平定は街亭戦が終わり、
曹真が戻った後だと考えた方がしっくりくるし、
この当時の金城太守が誰かは不明だけど、
単独で諸葛亮軍を打ち破って南安攻撃に向かったとは考え難い。
そうすると徐邈は元々曹真の軍に参加していた、
と考えるのもおかしくないと思ったんだよ。
ただ、確信は持てなかったから書かなかったけど。
499:Jominian ◆Henri9gNlM
08/10/11 00:56:34
>>498
「絶対」と言い切れるものは無いが、やはり可能性は低いと思う。
郭淮は諸葛亮の雍州侵入を知った時に巡察中だったので、
郭淮より遥かに遠方にいたであろう徐邈が、諸葛亮の侵入前に曹真と合流したとは考えにくい。
趙雲らが郿に着いたのと、諸葛亮らが祁山に着いたのは、そう変わらない時期だと思うよ。
500:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 01:24:30
>>499
>郭淮は諸葛亮の雍州侵入を知った時に巡察中だったので
ゴメン、これ知らないや。どこの記述?
>郭淮より遥かに遠方にいたであろう徐邈が、諸葛亮の侵入前に曹真と合流したとは考えにくい。
そもそも曹真は諸葛亮侵攻の報(宣伝)があって派遣されているんだよね。
そして関右の諸軍を統率したとあり、しかもこれは大軍だったと記述がある。
少なくとも曹真は箕谷の蜀軍が本隊だと誤認していたわけだから、
それに対抗し得るだけの兵力は確実に集めていたと考えられる。
という事は少なくとも雍州・涼州の軍兵を招集してたのは間違いない。
問題はここに徐邈自身も参じていたかどうか。
ここは確実な記述がないから自分も「絶対」とはいえない。
自分的には五分五分くらいだと思うね。
>趙雲らが郿に着いたのと、諸葛亮らが祁山に着いたのは、そう変わらない時期だと思うよ。
自分も何十日も違うとは思わないけど、
陽動である以上、曹真の動きを確認するだろうから、
一週間くらいはずれると思うけどどうかな?
あー、なんか魏延と関係ない話を長々続けて申し訳ありませんね。
501:Jominian ◆Henri9gNlM
08/10/11 01:37:06
>>500
姜維伝の注に引く魏略だね。
あと、趙雲と諸葛亮の動きが一週間空いていたとしても、
少なくとも涼州の兵を招集する事は不可能だと思う。
涼州と雍州の境界にある金城からでも、郿までは直線で450kmあり、
実際に行軍するとなると最低でも700km以上はあると思う。
日に20~25kmの強行軍でも休みなしで1ヶ月くらいはかかる。
502:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 02:18:35
>>501
違う違う、そこのずれは関係ないよ。
曹真は実際に趙雲が箕谷に布陣する前に、
諸葛亮が郿を狙うという宣伝を流した時点で対応してる。
もし布陣が済んでから対応を開始してたんなら、
実際に出陣するまでには相当な日数が必要なはずで、
逆に諸葛亮の祁山侵攻に気付いてないとおかしいと思うよ。
503:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 02:27:06
それと距離をいうなら洛陽から郿までは直線距離で650kmだから、
実際には1000km近く移動してくる事になる。
涼州・雍州の軍兵に先に召集命令は出しといて合流するのに、
不都合はないんじゃないかな?
曹真は蜀の侵攻があるのを知って派遣されたんだから、
先に召集命令を出していないほうが不可解だと思わない?
504:Jominian ◆Henri9gNlM
08/10/11 02:44:45
>>502-503
陽動の喧伝も、早くとも12月に入ってからの事だろう。
孟達の挙兵する半月以上前から自身の侵攻を喧伝するとも思えんし。
なので、曹真は少数で替え馬なりを使って一気に長安まで行き、
現地の兵を郿に移動させたと考えた方が良いと思う。
曹操は洛陽から長安まで進むのに2ヶ月かかってるし、
実際、漢中から祁山に出るだけでも1ヶ月くらいはかかるので、
諸葛亮も12月には動き出してただろうからね。
秦代の伝馬で日に170km程度らしいので、洛陽が諸葛亮の動きを知ってから涼州に伝令を飛ばし、
それを徐邈が受け取るまで10日、更にそこから軍を整えて進発すると、
洛陽に諸葛亮北上の報が入ってから徐邈が軍を率いて郿に来るまで1ヵ月半から2ヶ月はかかる、相当な落伍者を出してね。
祁山に着いた諸葛亮と遭遇するようなタイミングで上邽周辺に来る事はあっても、
それ以前に曹真に合流したとは考えにくい。
箕谷の出口を押さえれば、敵が大軍でも抑えられる。
長安に駐屯していた1万や2万程度の軍勢を全て率いただけであっても、
「衆を挙げて」とか「諸軍を率いて」とか「兵を並べて進んだ」とかと矛盾しない。
これらの三つの記述は、雍・涼州の軍勢を合流させた明確な根拠にならないし、
第一、そんな召集がかかってるのに郭淮や馬遵が呑気に巡察などしていないだろうから。
505:Jominian ◆Henri9gNlM
08/10/11 02:53:10
あと、晋書司馬孚伝を見ると、諸葛亮が侵攻してた頃の辺境の兵では敵を制する事ができないので、
歩騎二万を関中諸軍に加えると共に、上邽に屯田兵5千を送った事が書かれているのが分かる。
果たして第一次北伐は、掻き集めても大した兵力にならなかったであろう隴右の軍を、
無理な強行軍をさせてまで郿に集めなければならなかった状況であったのか?
大して合流のタイミングは変わらないのだから、隴右は動かさず洛陽からの援軍を待つ方が合理的に思える。
506:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 09:33:15
それはおかしいよ。
実際に「関右の諸軍を率いて」とか、
「総勢をあげて」とか「大軍だった」という記述に矛盾してる。
また実際に洛陽の軍を率いて明帝が2月半ばには長安に到着してる。
そして4月には洛陽に戻っているわけだから、
実際に曹真が直下の兵を率いて進軍したとしてもおかしくはない。
というか替え馬で曹真だけが向かったというのはどこにも記述がない。
自分も涼州の兵を根こそぎ集めたとは言わないが、
金城や涼州東部の兵を招集したというのは、
無理な考えではないと思うよ。
300kmの差は伝令の早馬が駆けて行けば、
曹真と涼州軍が郿に至るのに丁度良いタイミングってところ。
涼州兵の半分で数千~1万・雍州兵で1万~2万、直卒で数千、
という風に考えて合計すると3万~4万の「大軍」になり、
しかも「関右の諸軍」という記述にも合致する。
まあ、どこまでいっても徐邈がいたかどうかは謎だね。
可能性は五分五分としたけど、
Jominianさんの意見を取り入れて3~4分ってとこかな。
これは話し続けても結論でないだろうし、
魏延と関係ないはなしになっちゃってるので、
以降自重します。
507:Jominian ◆Henri9gNlM
08/10/11 09:53:15
>>506
「大将軍曹真を派遣して関右を都督させ」ってのは、関右を曹真の麾下に置いたってだけだと思うがね。
「『衆を挙げて』が関中から涼州まで全ての軍を率いた証拠だ」と言うのは良いが、
涼州刺史だけ呼ばれて、涼州刺史より先に召集すべき雍州刺史が呼ばれてない事と矛盾している事の説明は無い。
曹真が軍を率いて洛陽から郿まで2ヶ月以上かけて悠長に向ってたら、
敵軍に関中まで押し出て来られる危険性が高いし、長安と、そこから郿までの郡県の守備兵だけとした方が良いと思うが、
納得できないのならそれはそれで良いや。
508:Jominian ◆Henri9gNlM
08/10/11 10:01:41
あぁ、言い忘れたが、洛陽と郿って直線距離で650kmもないでしょ。
直線で結ぶと500kmくらいだし、潼関以西は行軍困難な地形ではないし、
行軍する道路と両所を結ぶ直線は大きくは乖離しない。
涼州の方は、直線と実際に行軍する道路は、直角三角形の斜辺と他の二辺くらい離れるし、
「涼州からの方が早い」って事はないと思う。
蛇足申し訳ない。
509:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 10:15:37
だから刺史がいたかどうかは謎っていってんじゃないの?
第一あんたらそれが魏延と何の関係があるの?
510:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 10:35:14
そうかい?自分は結構見てて面白かったけど
確かにちょっと長すぎるかもね
除バクさんの話は置くとして魏延の事については語ってほしいな
511:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 11:39:04
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512:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 14:20:08
煽りあいや過疎よりはいいよ
513:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 18:53:36
魏延かっけ~!
514:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 18:55:42
司馬懿は
「自分なら子午谷ルートで進軍するが、諸葛亮はそうしないだろう。
だから伏兵は子午谷に回さないでよい。」
と発言しているから、
司馬懿となら魏延はうまくいったかもしれないね。
515:無名武将@お腹せっぷく
08/10/11 21:56:52
演義ではそんな事いってるの?
516:無名武将@お腹せっぷく
08/10/12 09:14:39
横光ではいってたよ
517:無名武将@お腹せっぷく
08/10/12 18:07:02
横光かよ
518:無名武将@お腹せっぷく
08/10/12 18:16:46
演義にもあるね
中文版サイトにもそれっぽい記述はある
横光オリジナルではないみたいだね
正史ではどうか知らんけどww
519:無名武将@お腹せっぷく
08/10/12 19:03:09
>>518
>>432
>>433
520:無名武将@お腹せっぷく
08/10/12 20:56:29
褒斜道って確か孔明も通ったよね
子午谷ルートとは全然違うんじゃないの?
誰か詳しい人教えて
521:無名武将@お腹せっぷく
08/10/12 21:11:39
これは晋書宣帝紀にある話だけど、
「もし諸葛亮が勇者なら武功に出て東に向かうだろう。
だが西に出て五丈原に行けば、慌てることはない」
というヤツだね。
子午谷と同じか、と聞かれれば全く違う。
522:無名武将@お腹せっぷく
08/10/13 15:57:23
北伐には5つのルートがあり、子午谷ルートは最短ではないよ。
523:無名武将@お腹せっぷく
08/10/13 20:34:01
それで?
524:無名武将@お腹せっぷく
08/10/13 20:43:05
馬代だろ
525:無名武将@お腹せっぷく
08/10/13 21:38:58
たまには進軍ルートを変えるとか別働隊を動かしてもよかったと思うんだ
野球の配球と一緒にするのもなんだが
同じコースに同じ球種と見切られてちゃ
攻略されて当然
そして別働隊を率いて生還できる剛の者といえば・・・
526:無名武将@お腹せっぷく
08/10/13 21:48:45
毎回進軍ルートが同じだと思ってる無知ぶりは笑える
527:無名武将@お腹せっぷく
08/10/13 22:13:53
陳倉攻めてみたことがあったりとか、結構毎回ルート違うのな。
よく確認しようぜ?
それはそれとしてsageてもいいと思うんだ
528:無名武将@お腹せっぷく
08/10/13 22:32:49
確かに進軍ルートは毎回違うね。
参考までに北伐5回の進軍ルートを書き出すよ。
第一次 建威から祁山を経て隴西へ
第二次 散関を経て陳倉へ
第三次 別働軍として陳式を武都・陰平へ派遣
第四次 前回に略取した武都から祁山へ出て上邽へ
第五次 斜谷から五丈原へ
というような感じかな。
ちなみに別働軍を出したいというのは魏側でも張郃が何度か進言してるが、
全て司馬懿によって却下されているね。
529:無名武将@お腹せっぷく
08/10/14 00:51:20
>>525
実績からして陳式の他におるまい
530:無名武将@お腹せっぷく
08/10/14 10:05:34
同感
劉備も陳式をよく別動隊として使ってたし実績十分だ
531:無名武将@お腹せっぷく
08/10/14 10:06:04
やばageちゃった
スマソ
532:無名武将@お腹せっぷく
08/10/14 13:40:09
age
533:無名武将@お腹せっぷく
08/10/14 17:54:49
蜀、随一の名将は陳式という結論が出たな
534:無名武将@お腹せっぷく
08/10/14 19:31:39
陳式の演義での扱いの酷さは異常。
535:無名武将@お腹せっぷく
08/10/15 00:28:14
魏延のせいで・・・陳式カワイソス
536:無名武将@お腹せっぷく
08/10/15 10:56:08
いや、そこは魏延のせいなんか?
537:無名武将@お腹せっぷく
08/10/15 14:31:16
たしかにそうだな、羅貫中のせいというならわかるがw
538:無名武将@お腹せっぷく
08/10/15 16:33:17
陳式「魏延様の命令で…」
539:無名武将@お腹せっぷく
08/10/15 18:35:54
魏延「丞相が自分の策を用いていれば・・・」
540:無名武将@お腹せっぷく
08/10/15 20:28:42
馬岱「用いていればどうなったんですか?」
魏延「ま、魏にボロ負けしたやろうな」
馬岱「わかっとんのやないかい!」
541:無名武将@お腹せっぷく
08/10/15 21:10:24
法正なら、どうしたかな・・・
542:無名武将@お腹せっぷく
08/10/15 22:35:39
法正なら積極策を立案してかつ成功させたような希ガス
543:無名武将@お腹せっぷく
08/10/16 00:00:14
法正がいたら街亭に勝ったんじゃない
544:無名武将@お腹せっぷく
08/10/16 00:42:55
法正もわりとオーソドックな作戦しかたてないよ
545:無名武将@お腹せっぷく
08/10/16 01:31:05
黄権の進言にしたがって劉備が先陣に出張り続けなければ、
負けるにしてもあそこまでの大被害は食らわなかっただろう。
546:無名武将@お腹せっぷく
08/10/27 15:06:44
法正は中原なんか目指してないようなイメージだ
547:無名武将@お腹せっぷく
08/11/02 10:48:12
魏延の本性
hスレリンク(chinahero板:82番)
548:無名武将@お腹せっぷく
08/11/02 11:38:11
関中の民が魏の政治に心服してる段階で誰が指揮しても無理
549:無名武将@お腹せっぷく
08/11/02 21:42:18
心服してないから諸葛亮の侵入で大騒動になったわけだが。
550:コドッキー中佐 ◆E3Fo.t2xw6
08/11/02 22:30:01
毛沢東「楊(尚昆)は魏延だ」
楊(俺そんな武力高くないけどな)
551:無名武将@お腹せっぷく
08/11/02 23:00:06
そりゃ魏の統治下で平穏に活きていた所でいきなり侵略されれば騒動にもなる罠
552:無名武将@お腹せっぷく
08/11/03 21:39:21
そりゃ道理だ
騒動といったって、どういう騒動だったのかによるよな
正直、諸葛亮歓迎ムード一色とは思えない
魏延ねぇ・・・
事件の経過を追えばほかに言いようはないんだが、
当人たちの自覚は別として
諸葛亮が魏延の生命線だったんだよなぁ
553:無名武将@お腹せっぷく
08/11/04 00:31:39
>>552
むしろ、侵略のはずなのに一部でも歓迎ムードがあったとすれば、その方が重要だな
魏の支配が反感持たれていたということになる
554:無名武将@お腹せっぷく
08/11/04 16:34:28
そりゃあ両方いるだろ
当たり前だがw
555:無名武将@お腹せっぷく
08/11/04 18:26:32
諸葛亮の北伐で安定、天水、南安の三郡が一斉呼応したってみんな知らないの?
556:無名武将@お腹せっぷく
08/11/04 20:26:53
>>555
ああ、考えてみたら一部どころじゃないな
557:無名武将@お腹せっぷく
08/11/05 07:46:18
バショクが街亭を守り切ったらどう展開したかなぁ?
558:無名武将@お腹せっぷく
08/11/05 12:47:18
あくまで魏に対する反旗というつもりだろう
諸葛亮に呼応というよりはむしろ
便乗した
というほうがしっくりくるような
それ以降は当てにならないと見限られたのかね?
五丈原の対陣中は三郡はどうなっていたんだ?
559:無名武将@お腹せっぷく
08/11/05 12:57:34
>>557
口だけ男だから守り切れるという選択肢が無駄
560:無名武将@お腹せっぷく
08/11/05 13:57:13
三群が呼応したのもそれまでに蜀と内通してたんだろう
561:無名武将@お腹せっぷく
08/11/05 14:10:59
コウメイは無能だからな
敵がそっくり寝返ってくれでもしない限り
勝てるわけがないよ
562:無名武将@お腹せっぷく
08/11/05 22:13:07
>>560
にしては安定先走りしすぎじゃね。
隴関の向こう側だもん。各個撃破されるのが落ち。
諸葛亮の進軍速度を大きく見積もりすぎてフライングしたっぽ。
ちなみに安定の楊条ってたぶん楊秋の親戚だろね。
563:無名武将@お腹せっぷく
08/11/05 22:22:05
>>562
多分そのあたりなんかは当時でも曹操、夏侯淵による関中軍閥征服を恨んでたんだろうな
そういう潜在的な火薬庫状態だったわけだ、北伐開始時期のその近辺は
564:無名武将@お腹せっぷく
08/11/06 00:53:51
馬超が蜀に組したという事実も大きいと思う
565:無名武将@お腹せっぷく
08/11/22 11:58:14
ま そりゃそうだ。
566:無名武将@お腹せっぷく
08/11/23 19:03:46
>>562-563
ここでスレタイに戻るんだが、
魏延の長安襲撃案が採用されてたら楊条は負けずに済んだんだよな。
楊条もそのつもりで挙兵したら、実際には遥か後ろから蜀軍が出てきたんで、
話が違うじゃねえか、諸葛亮に裏切られたぜーとか思ったかも知れんね。
さらに想像を逞しくすると、楊条に内応の約束を取り付けたのが魏延だったかも知れん。
小説ネタみたいで恐縮だが。
567:無名武将@お腹せっぷく
08/11/23 19:21:04
(・ω●)GUARD!
568:無名武将@お腹せっぷく
08/11/24 13:31:52
長安急襲案を採用すべきという結論に達したな
569:無名武将@お腹せっぷく
08/11/24 13:41:02
>>566
面白い想像だが、万一魏延が反乱にも噛んでいたならそのことを絡めて諸葛亮を説得しているはず
魏略収録の長安攻め計画にそういった要素が見当たらないから、内応についてはちょっと言えないかな
ただ、関中周辺の反魏的な空気というのは諸葛亮や魏延の戦略を考える上でキーになるような気はする
魏延も例の計画の中で「散民の穀」で兵糧を賄おうと言ってる
拠出が期待できると踏んでいるわけだ
570:無名武将@お腹せっぷく
08/11/25 18:13:21
>>569
ショウ周の仇国論がまさにそういうこと言ってるんだよな。
つまり、「いまはあっちが落ち着いてるから駄目だ」と。
571:無名武将@お腹せっぷく
08/11/30 22:07:29
魏略でいう「散民」は長安の事だから安定は関係ないけどね
第一、諸葛亮の進軍後に呼応したんだから予想外ってのもおかしい
楊条が先走りすぎちゃっただけだろ
572:無名武将@お腹せっぷく
08/11/30 22:30:14
>>571
うん、安定は関係ない
長安近辺にも反魏親漢的な民がけっこういたんだろう、という意味だ
573:無名武将@お腹せっぷく
08/11/30 23:40:55
逃げ出した後の物資を収奪するのと拠出では全然意味が違うと思うが
574:無名武将@お腹せっぷく
08/12/01 00:13:39
>>573
逃げ出した後の収奪=邸閣
拠出=散民の穀
全然意味が違うのはその通りだが、魏延は両方を言ってるんだ
575:無名武将@お腹せっぷく
08/12/01 01:32:31
拠出は自分たちから出してくれることだよ
逃げ散った民の食を収奪するのを拠出とは言わない
魏延は収奪の事しかいってない
576:無名武将@お腹せっぷく
08/12/01 21:53:32
根拠があるときは出さないとオレ解釈だと思われちゃうよ。
577:無名武将@お腹せっぷく
08/12/01 22:45:30
確かに長安近辺の民が食料を拠出してくれるという根拠は必要かもね。
578:無名武将@お腹せっぷく
08/12/02 02:30:13
結局、初手の三郡のやや時期尚早気味な呼応をのぞくと、
おおむね魏のコントロールが勝っていた、ということだね。
三郡の呼応にしても、むしろうまく行き過ぎたがために手が広がりすぎて、
後の展開が苦しくなった、というところだったんじゃないの?
それほど動員兵力もなければ、食糧の備蓄が多いわけでもなく、即戦力としては期待できないのに、
かえって支援のために軍を割く必要さえありうるわけで。
蜀にしてみれば、寝返ってくるならもうちょっと後のタイミングのほうがよかった、と思うのだが。
その辺で無理をせざるを得なくなったことが、
街亭で経験不足の馬鹿を起用せざるを得なくなった袁胤ではあるまいか?
579:無名武将@お腹せっぷく
08/12/02 19:33:18
普通、勝手に呼応した勢力に支援はしないよ。
明らかに自軍を有利にする場合はもちろん支援するが、
あなたの言うように足手まといになるような惜しみなく見捨てる。
メリットもないのにわざわざ軍兵を割くような無駄な真似はしない。
関羽のときの侯音とか孫狼とかがそうだよな。
580:無名武将@お腹せっぷく
08/12/02 19:39:09
軍事的にはともかく政治的には切り捨てるなんて出来ないけどね。
581:無名武将@お腹せっぷく
08/12/03 01:13:36
その辺諸葛亮は結局どうしたんだっけ?
582:無名武将@お腹せっぷく
08/12/03 03:09:39
馬謖が大敗したあと、
楊条が「曹真さまがお出ましになったのでさっさと降服しますよ」と自首したので、
孔明が見捨てる見捨てないは関係なくなってるよ。
まあ、孔明に呼応した天水、南安、安定の他の連中は全員処刑されただろうけど。
583:無名武将@お腹せっぷく
08/12/03 13:58:58
つまり三郡がバタバタしたのは
諸葛亮の預かり知らぬところで起きて
そのまま収束した事件だったわけね
584:無名武将@お腹せっぷく
08/12/03 17:10:14
SLGのような俯瞰視点でも持ってなければまぁ、そんなもんだろうな。
585:無名武将@お腹せっぷく
08/12/03 20:48:03
>>583
孔明が三郡の呼応にどこまで関与してたかは不明だよ。
ただ助けてやる義務はないって感じ。
助けてやりたくても、馬謖がしくじったから助けられなかったし。
586:無名武将@お腹せっぷく
08/12/03 20:54:13
>>582
三郡の住民は撤退時に一緒に漢中に移住させたんではなかった?
587:Jominian ◆Henri9gNlM
08/12/03 23:18:42
>>586
撤退時に移住させたのは西県の住民千余家だよ。
588:無名武将@お腹せっぷく
08/12/04 09:20:12
一応、姜維や梁緒の家族も連れ帰ってんだろうけど、
ボリュームとしては西県の何十分の一くらいとかだろうなぁ。
こいつらが故郷を捨てたのは、たぶん天水の反乱の首謀者だったからだ。
589:無名武将@お腹せっぷく
08/12/04 12:55:45
姜維の母親は魏に残った
そして息子に手紙を送って魏に帰参するよう説得している
これに対して姜維は、
蜀で立身出世するのが望みだ、といって
拒絶している
現代風にいえばこうなる。
↓
息子が業界最大手の地元企業に就職して一安心。
仕事も順調のようだし、あとはこのまま無事に務めあげてくれれば、
と思っていた矢先に、
当の息子がヘッドハンティングされて転職。
しかも転職先は、元の会社と対決姿勢満々の、異境の中小企業。
母親としては心配して
「あんた、そんな会社におるんやったら、元の会社に復職したほうがええんとちゃうの」と言えば
息子は「オカンはそう言うやろけど、今の会社の方が待遇ええし、オレ出世したいねん」
と言う
590:無名武将@お腹せっぷく
08/12/04 20:00:07
とんだ親不孝もんだな。
591:無名武将@お腹せっぷく
08/12/04 21:47:34
晩年のハブられっぷりと末路を見るとママンのが正解だったようだね
592:無名武将@お腹せっぷく
08/12/04 22:24:21
正史には名前が残らなかった可能性はあるね
593:無名武将@お腹せっぷく
08/12/05 01:47:08
人生は二度生きられないからなぁ・・・
後で「あっちの道を進んでいれば」と言ってみても詮無いことよ
まあ、どっちがよかったなんて、わかるものじゃないさ
ふー
594:無名武将@お腹せっぷく
08/12/05 03:39:28
ママンは息子に幸せになってほしかった。
息子は幸せになる幸福より、負け犬・愚図のままで終わる事を恐れた。
595:無名武将@お腹せっぷく
08/12/05 04:15:40
じょしょにあやまれ!
596:無名武将@お腹せっぷく
08/12/05 18:39:02
何者にも成れずして一生を終わるむなしさよりも亡国の悲運の名将たる方が男子の本望であるぞ、うんうん。。
597:無名武将@お腹せっぷく
08/12/05 22:27:45
>>591
ジュンイクも袁紹につくのが正解だったな
ジュンイクが曹操につかなければ曹操は勝てなかったから、勝者袁紹の部下でいられたし悪目立ちしないから粛清もされなかっただろうし
598:無名武将@お腹せっぷく
08/12/06 17:32:55
だが、漢を滅ぼした大悪人の一人として名を挙げられてしまっただろう
599:無名武将@お腹せっぷく
08/12/06 21:19:38
袁紹についても途中で田豊あたりと対立して凶刃に倒れるだろうさ
600:無名武将@お腹せっぷく
08/12/06 23:26:58
なんで田豊と対立するんだ?
601:無名武将@お腹せっぷく
08/12/07 14:52:04
>「オカンはそう言うやろけど、今の会社の方が待遇ええし、オレ出世したいねん」
孝行ウンヌン以前に、一個の独立した人格としては当然の欲求じゃね?
道学的な忠孝一筋の虚像よりは、野心家として評価される姜維のほうが
まっとうな人間くささを感じてスキだな
602:無名武将@お腹せっぷく
08/12/08 18:29:48
魏延て、名前が縁起悪いよな
「魏」が「延」びる
だもんな
その変も演義で悪役にされた原因か?
603:無名武将@お腹せっぷく
08/12/08 19:04:09
王経のことはどう?
母親は王経が宮仕えして出世してゆくのを危ぶんだ。
「出世なんかすると権力争いにまきこまれるからこわいよ。」と。
母の心配したとおり王経は権力争いの巻き添えをくって一族ともども死罪になった。
魏帝曹ボウが司馬昭誅殺のクーデターを彼に打ち明けていたのに対して、そんなことやめておけと忠告したが司馬昭に密告しなかったからだった。
刑場に引き出された王経は母に詫びた。
「まさに母上のご心配されていた通りにしてしまいました。親不孝を許してください。。」と。
そして、彼の母はこういった。
「いいえ。私は正しく生きたお前を誇りに思って死んでゆくのですから。」と。
すごいな。
どんな時代にも、まっとうな人々はいるんだな。。
604:無名武将@お腹せっぷく
08/12/08 20:09:04
母の洞察力には感服だけど、まっとうかどうかは……。
どっちかっていうと倒錯の部類に入ってくるような感じがするよな。
605:無名武将@お腹せっぷく
08/12/08 20:18:56
子への最後の母の愛情でしょ。
606:無名武将@お腹せっぷく
08/12/08 20:42:59
>>602
劉延のことも忘れないでください
607:無名武将@お腹せっぷく
08/12/09 15:52:12
>>603
なんで倒錯だと感じたか分かった。
原文には「お前を誇りに思って死ぬ」って文言がないんだよ。
このせりふは当時の中国人の感情としてありえない。
誇りって概念がポジティブに評価されるのは近代以降だからね。
608:無名武将@お腹せっぷく
08/12/09 17:31:19
恥、はネガティブな意味だったのにね
しかしじゃあポジティブじゃないってどんなん?
パッと思いつくのは
傲岸不遜に近いイメージかな、と
609:無名武将@お腹せっぷく
08/12/09 19:17:56
うーん、それは近代以前のポジティブな用法を探す方が早いんじゃないかな。
でも、だいたい誇りとか奢りとか言ったら、中国でも、日本でもそうだけど、
身を滅ぼす悪癖くらいにしか考えられてないと思うよ。
人名でも慎とか恭というのはあっても誇っていう名の人は思いつかないな。
あ、あと恥はネガティブと言い切れないと思う。
610:無名武将@お腹せっぷく
08/12/10 23:57:26
>魏延が好きだと言うとドン引きされます。
URLリンク(girls3gks.gouketu.com)
うむ、まあそれは仕方ない。
611:無名武将@お腹せっぷく
09/02/26 02:00:42
カリスマキャラ孔明に嫌われ、取り巻き文官達が増長して邪魔な武官トップを嵌めたでFA?
612:無名武将@お腹せっぷく
09/02/27 00:42:52
文武というより、丞相府の内外って気がする。
孔明は丞相時代、かつての曹操みたいに、有力な人物を丞相府に招いていたので、
朝廷も将軍府も人材が枯渇してたんじゃないかと思う。
丞相府を中心とするメインストリームの派閥と、その外側の人間の争いでは。
613:無名武将@お腹せっぷく
09/02/28 11:11:44
>>611
問題ナシです
614:無名武将@お腹せっぷく
09/02/28 20:00:51
>>611
未だにこんな頭の悪い考えしてる奴いるんだ
615:無名武将@お腹せっぷく
09/02/28 20:28:41
>>614
おー知性溢れる発言乙。
616:無名武将@お腹せっぷく
09/03/01 01:29:11
未だにこんな頭の悪い発言してる奴いるんだw
617:無名武将@お腹せっぷく
09/03/01 01:29:56
>>611=615でFA?
618:無名武将@お腹せっぷく
09/03/02 03:09:02
いや、615は612だよ。俺のだから。
619:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 03:24:02
URLリンク(www.tf-travel.com)
620:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 05:21:20
正史をどう斜め読みしても、増長したのは魏延だよなぁ
惜しい事に
621:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 08:46:22
魏延が死んだ頃って陳寿はまだ生まれていない。
残された資料から真実を読み取るのは難しいんじゃないかな。
622:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 09:02:10
魏延死亡時の状況
(丞相府)
丞相__:諸葛亮
録尚書事:諸葛亮
長史__:楊儀
中軍師_:楊儀
前軍師_:魏延
後軍師_:費示韋
軍師祭酒:尹黙
主簿__:董厥、楊儀
参軍__:杜示其、王平、胡シ齊、女兆仲、馬齊、ハン?習
623:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 09:02:33
(成都留府)
尚書令_:蒋王苑
留府長史:蒋王苑、馬忠
尚書僕射:李福
主書令史:李言巽
侍中__:董允
太常__:杜瓊
衛士__:陳震
中領軍_:向寵
624:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 09:03:23
ミスった主簿は楊戯
625:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 09:07:04
征西大将軍:魏延
征西将軍_:姜維
益州牧__:諸葛亮
漢中都督_:なし
江州都督_:李豊
来降都督_:馬忠
626:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 09:13:57
魏延死亡後(235年)の状況
大将軍_:蒋王苑
録尚書事:蒋王苑
尚書令_:費示韋
尚書僕射:李福
尚書__:張翼
主書令史:李言巽
侍中__:董允
黄門侍郎:霍弋
中都護_:蒋王苑
中領軍_:向寵
驃騎将軍:呉班
車騎将軍:呉懿
益州刺史:蒋王苑
漢中都督:呉懿
江州都督:鄧芝
来降都督:馬忠
627:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 09:15:36
官職を見る限り、魏延死亡で一番トクをしたのは誰なのか?を考えると怪しい人物がいる。
そして、なぜか、伝が伝わらない。んなわけないだろう。
628:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 11:18:06
そう言えば、高定の首を晒した結果、南方でしょっちゅう反乱が起こったって記述が
確かどこかにあったかな。しかもその時、高定ルートで進軍してたのって諸葛亮本軍
だった記憶が・・・心を攻めてねえエエエエエエ、とちょっと思った。
そう言う意味では南方経営がうまく言ってた、と言うことには少々疑問がある。北伐
で西涼方面を伺うことが多かったことも、南蛮遠征の成果があまり上がらないから、
そちらの穴埋めをする為に北方異民族に目を向けた、と言うのも理由の一つとしては
考えられますな。
ちなみに魏延って死亡した時は祠とか建てて祭られるぐらい地域住民から親しまれて
いたらしいね。しかも後に蒋エンに無実と認められ盛大に祭られた、と言う話もある。
これについては軍部を抑えるために魏延を許すしかなかった、と言う話もあるぐらい
なので、そう言う意味では軍部全体は相当魏延を信頼し認めていたことになる。
もしかしたら魏延に使持節が与えられたのって軍部に対する魏延の影響力が大き過ぎ
ることを慮ってのことかもしれませんね。特に劉備生存中は魏延が漢中にいた訳なの
で、こいつを従えないと北伐軍全体を統括するのは困難と判断した、とまで言ったら
言い過ぎか。
629:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 14:50:30
だから、その権限を自分の力と過信して増長した結果と
陳寿も言ってるじゃないか。
諸葛亮が居た頃は、増長もコントロールされて
武勇として愛されたけど、庇護者が消えて抹殺された。
当然の報いと。
630:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 15:18:05
>>629
これが成都の益州派閥の言い分なんだろうな。
631:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 15:23:49
>>630
魏延を葬ったのはそのくくりで言うと明らかに荊州派閥だよ
632:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 15:28:55
やはり魏延には味方はいなかったのかね
633:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 15:32:50
>>632
理由はともかく味方だと思ってた人たちに裏切られてるからね
634:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 15:53:59
>>631
たしかに
魏延(義陽)
楊儀(襄陽)
王平(巴西)
馬岱(扶風?)
呉懿(陳留)
呉班(陳留?)
費イ(江夏)
蒋エン(零陵)
姜維(天水)
635:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 15:56:41
その言い分では、兵士達も裏切ってるな
裏切りってよりも明らかに自業自得。
他国の孫権にも品格は下と見られている人物だし。
手柄にあかせて傍若無人
中村ノリみたいなもんだ
636:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 15:56:55
でもさ、俺はぶっちゃけ主犯は呉懿と呉班だと思っているからさ、
荊州派閥じゃなくて、降将の馬岱と王平を抱きこんじゃないかと思うわけよ。
呉懿も呉班もよそものだけど、妹が劉備の嫁だったからさ。穆皇后。
こいつが曲者なんだよ。
637:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 16:00:57
みんな陳寿が嫌いなんだねぇ
638:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 16:02:23
>>636
皇后の親族でも無いし戦功も無いのに呉壱・呉班より上位に行った奴のほうがずっと怪しいだろ、それなら
639:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 16:09:28
>>637
そもそも陳寿はそれを知る立場にない。というか生まれてない。
20年くらい後にショウシュウあたりから真実を聞いたんだろう。
今の世の中だって20年前の出来事なんていくらでも生きてる者の都合よく
解釈するんだから、この時代ならなおさらだろう。
640:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 16:21:44
蜀の場合、史官が置かれてない時代があったからね
諸葛亮の命で、だからいくらでも歴史をでっち上げることができる
641:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 20:13:01
ということは諸葛亮は自分が生きている頃には既に蜀漢が崩壊しかかっているということを認識はしていたわけだ。
642:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 20:15:22
兵の場合は言うても蜀と言う国に雇われているようなものだから、魏延に加担
する訳にもいかないでしょう。少なくとも先回りして陣を敷いた段階で彼配下
の兵が離反したようには見受けられないし、離反したのは明らかに反逆者扱い
された後。
史書は勝者の記録でもあるから、魏延の配下は非は魏延にあるから、等と言う
記述はあまりあてにはならないね。もしその程度の人物だったら死後祭られた
り、蒋エンが軍部の不満を抑えるために魏延の罪を取り消したりはしないので
はないかな。
実際魏延って増長してたんでしょうかね。相手が楊儀でなければちょっと言葉
を選んでなだめすかせばすぐに同意してくれたようにも思うのですが。
643:無名武将@お腹せっぷく
09/03/22 20:27:17
街亭に関しては張コウの戦術眼だけでなく戦略眼も相当光るからねぇ。
当時三郡が寝返ったのは魏側にも情報流れていただろうし、時間がかか
ればそれこそ隴西がどうなるか分からん状況。
魏としても速攻で街亭を陥としたい所で敢えて包囲、水道を絶つと言う
遅攻を行なう。馬ショクも時間稼ぎで良いのだから山上に布陣し、魏軍
が山に攻めてくれば上から撃退、と言う絵を描いてたんじゃないのかな。
そこを山上に攻め込むのは兵法的にも不利と睨んで、相手の意図しない
包囲を行なった段階で蜀勝利の目はなくなったと言えるでしょうね。
644:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 00:44:06
>>369
さらに我々はそれを知る立場に無い
陳寿の伝え聞いた事で陳寿を否定している
つまり陳寿の分析への否定
645:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 00:49:47
>>642
増長は諸葛亮への暴言でもわかる。
諸葛亮は武勇を愛するが故に黙認している。
また孫権の言動からもわかる。
彼がはめられたとしたならば
如何に能力が高くとも、軍部トップにおくべき人物ではないと思われたからだろう。
敵が多くある事からも増長した言動が多く恨みをかっていたことがわかる
庇護者諸葛亮(劉備)が居て、初めて組織で生きる人物だった事がわかる
646:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 01:07:21
つまり諸葛亮が居ない今
死んだ魏延は英雄たりえるが、生きた魏延は有害だった
647:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 07:08:57
>>645
諸葛亮への暴言ってなんだ?
648:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 07:48:53
でも大人気なんなんだぜ
649:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 08:59:35
陳寿が取材したら「魏延は諸葛亮が臆病だから自分の実力が発揮できないと思っていた」
という証言、記録が取れる程度には、魏延は不平不満を表していたのだろう。
(証言に反逆者補正があるにしても)
650:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 12:36:40
同僚との仲の悪さからいったら張遼のほうが遥かに上。
傲慢な態度からいったら関羽のほうが遥かに上。
なのに上の二人と違って評価が低いよな魏延。
651:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 14:34:53
>>650
同僚に剣をつきつけて半泣きにさせる魏延のほうが
仲の悪さでも傲慢さでも上だろう。
652:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 15:44:52
>>651
楊儀は同僚というには格が下すぎるだろう。李厳は罷免され、車騎将軍の劉エンは
この年、処刑され、丞相の次は魏延で、並ぶものはいない官職にあったんだから。
そういや、楊儀が中軍師という閑職に追いやられて、
ショウエンが大将軍、ヒイが尚書令に位が上がったとき
楊儀は中軍師という閑職に追いやられて、不満を持ったという話がある。
ここで言ったのが「こんなことになるのなら魏についていればよかった。」
これを聞いた費イは皇帝に密告し楊儀は配流される。
しかしそれでも楊儀は他人を誹謗する過激な内容を上書を送り続けたために、
ついに処刑される。妻子は成都に戻った。
ポイントは2つ
配流された楊儀が誹謗した相手とは一体誰なのか?
そして内容は伝わらないけれども、それに真実が含まれているのでは無いのか?
つまり、ずばり魏延を殺したのに加担した人間が本当は誰であったのかを言ったため
殺されたということだ。
もうひとつは楊儀のいった「魏に寝返っていればよかった」という台詞。
これは、本当は魏じゃないのでは無いのか?ということ。
これが本当だとすると、この点からみても楊儀は魏延謀殺の主犯には成りえず、
他の誰かの計画に加担しただけだと思える。
一体魏延暗殺の首謀者は誰だったのか?
653:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 15:46:04
一応書いておくけど、楊儀の言った「魏」とは魏延のことね。
654:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 15:51:19
いづれにせよ、俺たちは楊儀と魏延が犬猿の仲だということを意識しすぎだと思う。
費イ伝の逸話だけに目を奪われて真実を見落としているような気がする。
費イはこの後も、蒋エンの失脚に影響を及ぼしているし謎が多い人物だ。
しかし、僕には費イが首謀者だとは思えないんだよな。
655:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 15:56:01
ちなみに車騎将軍の劉エンが死んだ理由の下をたどれば、劉エンが魏延に罵詈雑言を吐いたため。
それで、諸葛亮が激怒して、劉エンを中軍師から外して成都へ戻した。
656:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 17:05:40
同格で無いなら剣突きつけて脅しても良いと。
さすが魏延信者は違う。
657:無名武将@お腹せっぷく
09/03/23 18:25:17
信者っつーか、呉懿が黒幕って言いたい人じゃないかと。
658:Jominian ◆Henri9gNlM
09/03/24 23:51:41
>>642
ちょっと分からんのだが、「蒋エンが軍部の不満を抑えるために魏延の罪を取り消した」って何の話だ?
659:無名武将@お腹せっぷく
09/03/25 15:24:06
>>658
本人も断定的に言ってるわけじゃないし、推論のひとつってことだろ
660:無名武将@お腹せっぷく
09/03/25 20:17:51
>>658
私もネットであちこち見てたら、たまたま発見したものです。
URLリンク(www.chinatrip.jp)
まだ学者の推測でしかないようなのですが、こう言う話は非常に興味深いです。
史書からは読み取れませんがおそらく地元にずっと言い伝えられていた話なの
ではないでしょうか。今後の検証結果を聞きたいところでありますね。
これが真実だ、と言い張るつもりはありませんが、これが真実魏延の墓である
とすれば、魏延死後の蜀国内における彼の評価等が少し見えるようになるかも
しれませんね。
まま、こう言う話もありますよ程度に聞き流してくだされ。
661:Jominian ◆Henri9gNlM
09/03/25 22:28:23
>>660
魏延の墓が発見されたってのは喜ばしい事だと思う。
が、発見から3年以上経ってるのにろくに話が入ってこないのはどうしてだろうか?
朱然の時にどうだったのはかは分からんが、外国の考古学的発見ってのは、
それが重大なものじゃない限りはそんなもんなのかもしれないけど。
まぁ、詳細が分からんとなんとも言えないね。
似たようなサイトの
URLリンク(www.tf-travel.com)
とかも、どこから拾ってきた話か分からんものが多数ある。
どうでもいいが、三国志人物の紹介にWikipedia丸写しはともかく、
画像に関して他の人物には三国志11の画像を使ってるのに
URLリンク(www.chinatrip.jp)
の関羽とか、
URLリンク(www.chinatrip.jp)
の姜維とかってどうなんだろ。趙雲も改変されてるし。
662:無名武将@お腹せっぷく
09/03/25 22:36:37
魏延信者ってこーゆー連中ばっかだよね。
URLリンク(news.www.infoseek.co.jp)
【運が良い日本-たった4カ国に勝って優勝】
韓国最大のポータルサイト「NAVER」は、WBCの「ダブルエリミネーション」制度を取り上げ、≪韓国は第1回大会に続き、第2回大会でも不合理な試合方式の犠牲になった。
日本は変な方式で再び最大の受恵者になった≫と批判。ただし、同制度がなければ、アジア予選で日本にコールド負けした韓国が本戦に出られなかったことには触れていない。
663:無名武将@お腹せっぷく
09/03/25 22:39:38
>>661
「蜀丞相蒋ワン」って言っちゃってるので信憑性ガタ落ち
ワンはまあ単なる読みの問題だけど、史実では丞相にはなってないからね
664:Jominian ◆Henri9gNlM
09/03/25 22:56:08
>>663
URLリンク(www.tf-travel.com)
こっちだと、基本的な部分は同一の文章だが、蒋琬が大丞相とかってのになってるな。
あと、こっちのが最後の部分が多少詳しくて、墓の規模、壁面の精美な彫刻が、
この墓を魏延のものとする根拠になっているようだ。
この文章は中国語で書かれたものを翻訳したような感じだから、
丞相とかってのも、その辺りの時のミスと考えられなくもないとは思う。
665:無名武将@お腹せっぷく
09/03/25 23:22:54
旅行会社が三国志ツアーって事で三国志の人物や出来事を紹介してる程度で、
信憑性を期待するのは酷だな。
666:無名武将@お腹せっぷく
09/03/26 04:18:10
まぁでも魏延に対する見方ってのが少し伺えるだけでもおおきいかなと思いま
すね。一方的に悪く言われないのは、相手の楊儀とかの態度とかがさすがに幾
ら何でもちょっとなあ、て感じの意識が根底にはあったのかもね。
信憑性の方は朱然の墓みたいに、本人の名刺とか出てこれば凄いことになるん
でしょうねえ。遺物の年代測定とかできたらまた違うのでしょうけどねえ。
667:無名武将@お腹せっぷく
09/03/26 04:34:40
そもそもあっちでの魏延の評価が芳しくないどころじゃないから
予算も下りず資金も足らずでまともな発掘はされそうもないんだが
668:無名武将@お腹せっぷく
09/03/26 14:26:50
>>667
たしか鉄道建設のために魏延の廟を壊しっぱなしにしたんだっけ?
壊しっぱにするほど嫌われていると採るべきかその時代まで廟があったからそれほど嫌わなかったとすべきか…
669:無名武将@お腹せっぷく
09/03/26 23:14:55
道路やら鉄道やらを引っぱってくるために史跡を破壊するってのは、
日本でもよくあるからなぁ…。清洲城とか。
それだけでは何とも…。
670:無名武将@お腹せっぷく
09/03/29 10:15:37
魏延ってゲームなんかじゃ不当な扱い多いけど
意外なことに三國無双の魏延は無類の劉備厨として描かれてて謀反の意志はなしとなっててなんか嬉しいわ
671:無名武将@お腹せっぷく
09/03/29 13:03:56
魏延は野心家なんだけど、それって董卓みたいに自分が皇帝に取って代わるとか、
侯景みたいに諸勢力を渡り歩いて自分を高く売るとか、そういう感じじゃないんだよな。
ある意味スケールが小さくて、為政者には使いやすい面もあったんじゃないかと。
672:無名武将@お腹せっぷく
09/03/29 13:35:22
京劇で赤ら顔なんだし忠義の人って扱いだよな
673:無名武将@お腹せっぷく
09/04/13 01:18:47
>>662
ああ、いうこと分かるわ。
都合の悪い部分は陳寿は後世の人物だから記録の信頼性が云々・・・という話をしておきながら、
自分の主張に都合の良い話だと勝手に「当時の評価が伺える」という結論になっちゃう。
コレ明らかなダブルスタンダードだけど当人は気付いてないんだろうねえ。
674:無名武将@お腹せっぷく
09/04/14 04:23:50
なにか悲しいできごとに遭遇しちゃってんだろな。
そっとしといてやろうぜ……。
675:無名武将@お腹せっぷく
09/04/20 22:49:54
>>653
だな。Wikipediaは間違ってるよね。
676:無名武将@お腹せっぷく
09/05/04 12:58:50
自分が筆頭武人であるということにケチをつけるものが許せない、
そういう意味じゃ器は小さいけど、決して外道じゃないって感じ?
677:無名武将@お腹せっぷく
09/05/07 19:14:05
劉備的な評価では魏延=孟達。
つまり孟達は忠義の士。
678:無名武将@お腹せっぷく
09/05/08 23:38:11
Wiki読んだけど、董允と蒋エンに疑われるわ、王平に一喝されて兵士に見離されるわで
絶望的に人望がなかったんだな。口論で刃物出すDQNが好かれる訳ないけど。
ゲームでもうまく立ち回るには味方作っておくもんなのに、それが出来なかった魏延が
撤退命令に背き、橋を焼き、それで「楊儀が謀反起こしました」なんて言っても子供でも信用しない。
679:無名武将@お腹せっぷく
09/05/09 03:52:31
魏延って日本で言えば源義経に似てると思う
強い、調子こいてる、政治や人間関係の機微が読めない、最後は元味方に排除される
義経も頼朝との反目後、お御家人連中にはほとんど味方してもらえなかったみたいだしな
680:無名武将@お腹せっぷく
09/05/09 17:32:43
強いってのもそこまでじゃないけどね
681:無名武将@お腹せっぷく
09/05/15 17:31:15
思ったんだが
中国人に嫌われる武将と言うのは逆に正しい事をしているのではなかろうか
682:無名武将@お腹せっぷく
09/05/15 17:58:11
>>681
劉備なんかは中国の英雄像である決断の遅さが人気の一つなんだっけ?
でもまぁどの要素で評価されるかによるんだろうね。
部下を扱いきれなかったトップの原因かもしれないし
683:無名武将@お腹せっぷく
09/05/15 18:28:07
魏延が義経並の将だったなら北伐で魏を滅ぼしてたろうな
その後の末路は義経と同じになったろうが
684:無名武将@お腹せっぷく
09/05/15 18:41:28
>>678
魏延自身がガキなんだよな。
列伝読むと、そうとしか思えん。
カクワイいわしたったり・・・実力はあるんだけどな。
685:無名武将@お腹せっぷく
09/05/17 02:30:28
>>684
で、そこがいいんだよな。
686:無名武将@お腹せっぷく
09/05/17 13:34:07
講談や京劇では魏延は結構人気キャラなんだよな
最期のあたりはアレだけど
叩き上げの侍大将という経歴と、暴れっぷりが人気の秘密、らしい
687:無名武将@お腹せっぷく
09/05/17 22:23:16
孫悟空とお師匠さんって感じではあるよな
688:無名武将@お腹せっぷく
09/05/31 07:15:06
ギエンは人望があったから、劉備に信任されて、破格の出世といわれる漢中太守に任じられたわけ
それを、楊儀だの費いだの、功の無い文官が嫉妬して反乱するまで落とし入れただけ
結局、楊儀はショウエンやヒイに嫉妬して迫害される
ヒイは、キョウイの北伐で手柄を立てさせないために兵を与えないように画策したわけだし。
文官はネラーみたいに他人の足を引っ張ることしかできない
ギエンやキョウイは自分で堂々と動くリア充タイプ
それだけの話だ
689: ◆t7YTR6c.a2
09/05/31 07:17:04
急進国だった蜀漢は武人を貴族に仕立て上げねばならなかった。
魏延は文官に吊るされた被害者だろう。
690:無名武将@お腹せっぷく
09/05/31 07:45:13
費イは、ぎ延・楊儀・ショウエン・キョウ維ら中心人物を次々に裏切るわ失脚させるわしていった可能性が高いわけね
出世上手ですな
黄皓ら宦官が成都でのさばれるようになったのも費イがいたおかげだろうね。
やりすぎたバチがあたったのか、カクジュンに惨めな殺されかたしたけどw
691:無名武将@お腹せっぷく
09/05/31 10:32:40
>>690
キミはどこかおかしいと日頃いわれていないか?
692:無名武将@お腹せっぷく
09/06/01 12:43:07
狂人晒しage
693:無名武将@お腹せっぷく
09/06/04 01:54:40
─誰敢殺我─ 『魏延の最期』
URLリンク(www.nicovideo.jp)
ニコニコだがこれは泣ける。魏延好きの人はいっぺん見てみてほしい
694:無名武将@お腹せっぷく
09/06/04 09:40:06
全部は見なかったが、孔明ひいきの演義があるように、
魏延ひいきの話があっても悪くはないな。
演義同様、えこひいきが強すぎるように思うがね。
695:無名武将@お腹せっぷく
09/06/04 11:07:52
結局、善玉が劉備・孔明から魏延に、悪玉が曹操・司馬懿から楊儀に変わっただけ。
魏延は好きだが、あからさまな悲劇のヒーロー視は却って気持ち悪いし、
コメを見るとにわかが増殖してそうで空恐ろしさすら感じる。
696:無名武将@お腹せっぷく
09/06/04 11:39:21
本質はただの一指揮官の記録
一部マニアを除けば興味持たないから大丈夫
697:無名武将@お腹せっぷく
09/06/06 20:34:35
(・∀・)ギエーン
698:無名武将@お腹せっぷく
09/06/11 14:32:38
魏延投降時の諌言、孔明死後の魏延離反は孔明の偉大さを示すエピソードだから孔明人気を魏延人気が上回らないとにわかには増殖しないだろうな。
孔明以上に脚色で盛り上がる存在は三国志に曹操ぐらいしかいないのでまぁ大丈夫。
699:氷堂 空也
09/06/13 20:20:03
蜀の名将といえば、まず大将軍関羽。
次に武勇の極み、趙雲。
魏延はその次。
700:無名武将@お腹せっぷく
09/06/13 21:12:40
張飛じゃなくて?
701:無名武将@お腹せっぷく
09/06/13 21:15:05
>>700
セイラさん?
702:無名武将@お腹せっぷく
09/06/14 04:34:10
張飛は劉巴クンに口利いてもらえなくて
孔明先生に泣きついたぐらいお茶目なお方。
703:無名武将@お腹せっぷく
09/06/17 09:22:34
魏延さえいれば・・・惜しい人物
704:無名武将@お腹せっぷく
09/06/18 02:38:20
>>699
つまりその二人亡き後は蜀、随一の名将は魏延ってことに・・・
705:無名武将@お腹せっぷく
09/06/18 16:48:27
諸葛亮のもとで魏延が果たしてきた役割はあるわけで、
魏延の粛正をやむなしとしても、
ならばその穴をどうやって埋めるかが問題だったはず。
706:無名武将@お腹せっぷく
09/07/26 19:13:47
今時、趙雲が名将とかどこの馬鹿の書き込みだよ・・・
707:無名武将@お腹せっぷく
09/07/26 19:44:43
そもそも魏延が漢中太守に抜擢される以前までの魏延の大功は全然孔明関係ない
魏延が敵将を次々と破ったのと、玄徳の信任が厚かったからであるし、
正史では魏延に反骨の相があるなんて孔明も誰も言ってない
魏延が謀叛したとも書かれていない。
孔明死後、わずかな部下と共に漢中に戻ったらいきなり勝手に殺されただけ
この話出尽くしてないか?
楊ギが勝手に暴走しただけ。さらにナンバー2の魏延がいなくなった以上、孔明の後継ぎは自分しかいないと思ってたが、
後継ぎが自分でないと分かった楊ギは不平不満をはきちらして平民に落とされた
漫画とかでは「楊ギはこの事を恥るあまり噴死した」とかでたらめ書いて、孔明が重用した楊ギをかばって描かれてるけど、
正史みれば分かるように、楊ギは全然羞恥心なんてない無節操な人物だから、
平民になった後も何度もしつこく不満の上奏文を出し続け、結局処刑されて殺されたわけ
孔明が特に可愛がって特別に重用したのが馬ショクと楊ギというアホ
そりゃ、こんな奴じゃ北伐は失敗するわな
馬鹿孔明の代わりにホウ統か法正がいきてれば、まだ北伐が成功してた可能性あるけどな
708:無名武将@お腹せっぷく
09/07/26 19:46:35
>>707
なんか十箇所くらいデタラメがあるんだが
709:無名武将@お腹せっぷく
09/07/26 20:17:48
>>708
具体的には?
それともただの脊髄反骨レス?
710:無名武将@お腹せっぷく
09/07/26 20:30:17
いや、あまりにめんどくさいので、708の一言で引き下がってくれればいいなあと思ったんだけど
711:無名武将@お腹せっぷく
09/07/26 20:42:27
>>710
正史に書いてあることを書き込んだだけだからねぇ・・・
まあ、『馬鹿孔明』だけは、史実に反するから訂正しておくわ。
712:無名武将@お腹せっぷく
09/07/26 20:53:23
めんどくさいけど仕方が無い
>そもそも魏延が漢中太守に抜擢される以前までの魏延の大功は全然孔明関係ない
>魏延が敵将を次々と破ったのと、玄徳の信任が厚かったからであるし、
>正史では魏延に反骨の相があるなんて孔明も誰も言ってない
ここはおk
>魏延が謀叛したとも書かれていない。
書いてある。楊儀の上奏が認められたので、蜀漢の正式記録では、最後まで魏延は反逆者。だから三族皆殺しになった。
陳寿がそれを庇って、魏延は楊儀と権力争いをしただけであり
その真意は皇帝と朝廷に反逆するものではなかったのだ、と私見を述べている。
>孔明死後、わずかな部下と共に漢中に戻ったらいきなり勝手に殺されただけ
全然違う。丞相府軍が魏延に断り無く撤収を始めたので、魏延が怒って楊儀の隊が
退く前に先回りして帰路の橋を落とした。
これだけで重罪に当たるだろうが、魏延と楊儀は情勢を有利に運び、かつ攻撃の名分を得るために
互いを謀反だと上奏した上で交戦した。その戦闘で魏延が敗れて漢中に戻った時に謀反のかどで誅殺された。
>楊ギが勝手に暴走しただけ。
費イ、姜維ら幹部の大方が楊儀と連携したことを指して勝手に暴走とは言えない。