08/08/07 00:27:18
俺の場合は、この作戦は不可能だから提案した事に他の理由がある、と考えるよりは、
この話を伝えている魏略、すなわち、魚豢が、何処まで真実を伝えているのか、を考えた方が良いと思ってる。
三国志の本文には、1万で別働隊を指揮して潼関で落ち合う、としか書かれてない。
単純に、この本文の内容だけで考えた方が良いんじゃないかと思ってる。
101:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 00:28:56
そもそも無理ゲーだから、魏延が本当にそんな作戦を提唱したかどうか妖しい。
ってのもアリってことかな?
102:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/07 00:32:34
>>101
魏略の内容に関して言えば、俺は本来はそういうスタンスだね。
「別の道を通って潼関で落ち合う」という本文の内容は、
無理かどうかも分からないから、書いてある以上は、
そういう提案はした、とは思ってるけど。
103:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 00:53:31
「魚豢が妖しい」と言われれば、否定する材料は無いな。
104:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/07 01:02:26
魏略(典略)は、「内容が雑多で何でも載せようとする」という批判もあるようだしね。
ただまぁ、実際にその記述が間違ってるかあってるかなんて分からない。
どれだけ確からしいか、ってのは他の史料とつき合わせて求められるかもしれないけどね。
だから、この作戦が提案されたと考えるのも自由だし、
そこから何かを導き出そうというのも自由だろう。
要は、自分の考えが、周囲の人間にどれだけ受け入れられるか、って事だと思う。
ところで、真面目に魏延を名将と証明するには、どんな事をすれば良いんだろうか?
105:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 01:06:32
魏略って、魏延が諸葛亮に死後の軍を任せられてて、楊儀が陥れた、と言ってるんだね
106:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/07 01:21:12
言ってるね。裴松之君に完全に否定されてるけどね。
107:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 01:23:02
魏延と諸葛亮よりも柔軟な蒋エンのコンビは見て見たかったなぁ
108:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 01:29:32
>>107
ショウエンは柔軟には思えない
あんだけ総反対食らってやっと自分の策を取りやめる、強情者のイメージだ
109:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/07 02:07:39
蒋琬は頑固ってか、あまり考えを曲げない人ではあるかもね。
茂才にしろ益州刺史にしろ、固く辞退して、周囲がどれだけ薦めても結局考えを変えなかった。
茂才の時は、諸葛亮に諭されても尚受けなかったし。
110:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 05:15:19
しかし漢水を下って上庸を攻めるというのは
結構面白い作戦だと思う。
魏延と同じように、ショウエンも孔明の存命時から
毎回成果のあがらない北伐に苛ついてたんではないだろうか。
111:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 08:59:43
どうかな
上庸攻めは諸葛亮が上手くいかなかったのを見て考えた
とされてるし、結局反対にあって涼州主攻に切替えてるし
あまり成果はあがらなかったんじゃないかな?
112:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 10:33:21
どげんかせんといかん!
…という意識はここで論じられている人物が皆持っていたんだろうけど、
足並みは揃わない、人材は足りない、補給ライン確保は困難etc.…ではねぇ。
大変だわ。
113:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 21:21:25
迷将。謎将。
114:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/07 21:32:54
241年に呉が襄陽を攻めているから、それとタイミングを合わせる事ができれば、
結構な期間、敵の増援を気にしないで二郡(三郡)の攻略に傾注できるとは思う。
115:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 23:11:09
>>104
>真面目に魏延を名将と証明するには、どんな事をすれば良いんだろうか?
無理ではないかと。すくなくともここでは。
真面目に議論しようとしても,むじんみたいな陰険釣師が妙な揚げ足取りで邪魔するし。
116:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/07 23:34:07
>>115
陰険釣師って…、蜀将スレの事が尾を引いてんのかい?
まぁ、ともかく、個人的には、どこでやろうと誰がいようと、
魏延を名将と胸を張って主張するに足るものを引き出すのは難しいように思う。
北伐の際に彼の提案した作戦、陽谿で呉懿と共に郭淮・費曜を破った事、
第四次北伐での働き(漢晋春秋)、蜀攻めでの働きとか、この辺りをどう考えるかだと思うんだけど、
これらから論拠を引き出すには、相当調べたり考えたりが必要だと思う。
117:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 23:36:08
>>104
劉備と諸葛亮に信頼された将なわけだから、「名将劉備・諸葛亮が見込んだ男」となればいい
つまり劉備と諸葛亮が名将であると証明すればよい
118:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 23:37:28
とても優秀な部隊長というイメージなんだよね。
気の合う優秀な副官がいればとてつもなく威力を発揮するみたいな。
119:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 23:38:14
>>116
尾を引いてるって,何を大した事じゃなかったみたいに言ってるの?
むじん自身,やばいことやったって自覚があるから自サイトのやばい書き込み即効削除したンでしょ。
120:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 23:43:08
とりあえず、むじんとやらが一部住民が本気で涙目になるほど釣り上げたことがあるのは良く分かった
121:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 23:47:31
釣り上げたという意味では確かにそう。
教えてクン的な書き込みにスレ住人が親切に説明してあげてるのに
妙な粘着質問を繰り返し,いい加減スレ内で真面目に相手するの馬鹿らしい雰囲気になったら
自分のサイトでスレ住人を馬鹿にして
それを批判されたら即効削除した,って話。
親切なスレ住人が可哀想だった。
122:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/07 23:49:49
>>117
そういうのも一つの手ではあるけど、多くの人に受け入れられるだろうか?
例えばハスドルバルやネイは名将に信頼されていたが、
彼らを名将と呼ぶに相応しいか否かは、評価の分かれるところだろう。
>>119
その削除した部分ってのを知らんのよね、俺は。
あの時の議論は見てたけど、魏延が有能だって事に疑問を呈してた方がむじんさんだって知ったのは、
スレでそれが明かされてからだから、今ブログに残ってる部分の記事しか知らない。
ってか、この話はスレと関係ないんで、あまり続けない方が良いと思う。
123:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 23:49:58
>>121
親切なスレ住人乙
124:無名武将@お腹せっぷく
08/08/07 23:53:36
>>122
>この話はスレと関係ないんで、あまり続けない方が良いと思う。
貴方が「大した話じゃなかったじゃん」的な書き方をしているので説明したまで。
つか,当時の議論を見てて,そういう感想をもてるとは大した大人だね。
まぁ,続けるつもりはないので,この話はこれまで。
125:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 00:48:33
未だに引きずってる人が子供すぎるんだと思う
まぁ,続けるつもりはないので,この話はこれまで。
126:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 00:59:39
魏延は名将にはなれない勇将
敵味方を超えて信望厚くなければ名将とは呼ばれない
せめて恐怖でも強権でも陰謀でもいいんだけど
部下を統率できないと駄目だな
同僚にも人気が無さ過ぎる
127:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 01:21:46
>>126
確かに魏延は名将とは言えないと思う。
正史の記述からじゃ魏延の知略についても判断できないし。
(まぁ,蜀書からじゃ誰も判断できないけど)
いいとこ言って「忠臣」じゃないか?
出師の表の本気で実行しようと思えば,玉砕覚悟しかないのは明らかだし。
諸葛亮への「延常謂亮為怯」ってのも
出師の表でカッコいい事言っておいて,実際にはそんな気がないことを非難していたと考えれば納得もいくし。
蜀(劉備)を思うあまり諸葛亮の出師の表に感動して
本気で実現しようとして
諸葛亮初め諸将は誰も本気じゃないと知って
「嘆恨己才用之不盡」って感じでは。
128:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 04:12:08
>>127
事の是非はともかく
魏延がそう思っていたのは間違いではないかもしれんな
でも正史を普通に読めば
自分の積極策を取らない事への憤り、不満だな
つまり我侭だ
普通は不敬罪だが、諸葛亮は不問としてるぐらいだから
随分とかわいがられてるのはわかる
129:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 16:07:59
五虎大将亡き今、俺がやらんで誰がやる!ってな自負が裏目に出たかな?
130:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 18:04:53
魏延は今でいうちょっとKYだったということね
自分の最大の後見人が不満をぶちまける相手の諸葛亮であって、
これがいなくなるとみんなにハブられちゃう事が読めなかったと
131:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 18:12:49
KYを排除していった結果が、滅亡だよ!
132:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 18:57:25
排除されたKYって楊義?
133:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 19:20:14
楊義はKYというよりスネ夫な感じ
チクリ魔かつ、上司の虎の威を借り、自分の実力と勘違いして排除された印象がある
俺としては一番KYだったの姜維な気がするなぁ
KYを排除しなくても滅亡ですぜ!
134:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 19:38:40
楊儀はスネ夫というより……かな。
偉大なる丞相閣下の片腕であった事から、自分が一番諸葛亮を理解していると勘違いしていた。
権限も無いのに「遺臣は自分が率いるものだ」と思い込み、そのように行動した。
当然のように上官達から総スカンを食らうのだが、何でそうなったのかを理解しない。
パワーゲームに敗れ、閑職に追いやられてもなお、自分は嵌められたと不平不満をもらすばかり。
挙句の果てには謀叛を口にし、舌禍から処刑。
魏延以上に誇大妄想家で、魏延以上に思い込みが激しく、魏延以上に偏執病。
135:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 20:23:38
最後の一行が何より雄弁に心情を物語っているな
そんなに楊儀が嫌いかw
136:134
08/08/08 20:28:51
>>135
うむ。
魏延に謀叛の嫌疑をかけておきながら、イザ自分がその立場になると、
「謀叛しておけばよかった。後悔先に立たずとはこのことだ」
とか無茶苦茶やん。
137:無名武将@お腹せっぷく
08/08/08 23:40:26
嫌疑というより魏延は実際にやってるけどな
138:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 01:15:51
魏略の諸葛亮死後の件は、松の字は否定しているが、少し真剣に検討する余地のある内容じゃないかと俺は思うんだがな
それを抜きにしても、ショウエンが次席に入った流れはどうも胡散臭さを感じて仕方ない
139:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 01:32:58
兵権のある魏延、兵権のない楊儀。
組しやすいのはどちらか?
といわれれば、後者だよな。
>>137
陳寿も松の字も否定してると思うが。
140:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 03:38:29
魏延の性格が性格なので、魏延が暴発したで皆納得してしまうんだが、検討してみる余地は確かにありそうだよな
あの辺りは色んな要素が絡んでいて、色々な可能性があるように思う
141:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 09:13:53
>>137
いまだにこんな馬鹿いるんだ。
後主伝嫁
ありゃ政争だ。
142:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 09:22:14
魏延の献策を趙雲はどう評価していたのだろうか?
143:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 09:57:59
>>140
なんか妙な世論誘導しようとしているのがいるな。
漢中を10年も専守した律儀者が暴発するなんてのには皆納得しないよ。
正史をしらない人間か,孔明オタくらいだろ。
正史を普通に読めば,魏延は慎重策の孔明の態度に不満は見せても,命令に逆らったことはないのが判る。
謀反なんて話も,魏延と敵対した楊儀や王平らの伝にしかないしな。
何を検討したいんだ?
144:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 10:04:34
横山版の趙雲は魏延にはタメ口。仲がよかったのか。
145:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 10:25:05
>>142
何で趙雲が出てくるのか知らんが献策したころにはもう死んでんじゃねえの?
146:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 10:35:54
>>143
つまり、仮説として
諸葛亮死後に楊儀、王平、ヒイ、ショウエンらによる暫定トップの魏延下ろしの陰謀があって、更にそのグループ内で楊儀潰しが行われた、
という凄く陰湿な政争の可能性を考える
魏延が咲きにやりました、魏延と楊儀が悪いんです、と二人に責任を被せられるのが他の者には大変都合がよかったように見えるんだよな
147:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 10:53:08
そして李厳は
「諸葛亮が死ぬ前に釈放してくれないと後釜の奴らが釈放してくれるはずがない」
とガックリ
関係ないが短文も読めない>>143は頭悪いだろ
148:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 12:21:54
魏延ヲタの嫌われる原因を見たな
魏延は悲劇の主人公ってバイアスが掛かりすぎてる
兵乱を起こしたのもそれを鎮圧されたのも事実
その原因が政争であれ、何であれな
149:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 12:32:41
>>148
俺はショウエン、ヒイが胡散臭く感じるだけでそんな魏延ヲタってつもりはないけどな
150:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 13:09:39
>>148
俺も魏延を擁護しようとはあんまり思ってない
ただ、孔明の遺言聞いた奴らの行動の胡散臭さは結構なものだとは思ってる
この辺りはあまり検討されていない所だから考えてみるのも面白いかもね、くらいのつもり
151:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 14:54:46
>>148
コーエーバイアス懸かりすぎじゃねぇか?
兵権持たない楊儀が勝手に兵を動かしたから
節持ちの魏延が鎮圧しようとしただけだろ。
成都に信じて貰えなかったのは笑えるがな。
152:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 16:37:06
>>149-150
いやあんたらにじゃない
一人だけ突っ切った馬鹿が居るでしょ
>>151
節は兵権じゃねぇw
第一、もし魏延の方が正当な指揮権を持ってたなら
なんで諸将が"全て"楊儀側に付いたんだよ
そんなに徹底的に魏延は嫌われ者だったのか?
153:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 17:28:22
>>152
兵権持たずに勝手に兵を動かした者を罰するのを節持ちがやらんでどうするよ。
諸将が全て楊儀についたとは初耳だけど?
成都が誤判断したために逃げ散った諸将の名は伝わって無いけどな。
ちゃんと正史読んでるか?
154:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 17:37:29
>>145
第一次北伐の頃なら趙雲生きてたんじゃね?
155:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 18:03:43
魏延の最期って大まかに言えば、
楊儀が「コーメー遺言で国帰るぞ!」
と、諸将を統制して撤退。
魏延が「てめえの言うこと聞くかボケ!」
と、楊儀と対陣
王平が「何がやりたいんだ!コーメーが死んだばかりで!何がやりたいんだ!なあ?」
と、一喝すると魏延の兵は塵じりに
魏延が「覚えてろよ!」
と、ベタな事言って(塵じりになった兵に紛れたのか?)逃亡。馬岱に追いつかれてキルされる。
楊儀が「先の遺恨覚えたか!」
と、魏延さんの首を踏みつぶす。
(中略)
楊儀自殺
こんな流れだっけ?
156:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 19:39:05
>>155
大事な事柄を省いてる意図は判らないが
書いてあることの時系列は合ってる。
157:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 19:51:47
軍法違反という点では明らかに楊儀が黒なんだが、
他が何で楊儀に従ったのかが分からんのでサッパリだ。
>>155
1:孔明死亡
2:枕元遺言?(?を付けたのは、魏延伝以外にはその記述が無いため)を知らされたのは、
楊儀、費イ、姜維(この中では楊儀が最も位が高い)。
魏延が殿となるよう指示を出し、従わなければ置いて行くように、とも。
指名された後継者はショウエンだが、諸葛亮は楊儀にそれを秘していた←ここポイント。
3:楊儀が費イを派遣し、魏延に“自分の命令に従うかどうか”の意思確認をさせる。
魏延ブチ切れ、楊儀に従う事を拒否する。
4:費イ、魏延を騙して楊儀の元に逃げ帰る。魏延は慌てて費イを追いかけさせるが、間に合わず。
5:費イは魏延の反意を楊儀にチクり、楊儀は魏延を置いて出発する。
6:魏延、楊儀の行動を妨害しようと、先回りして橋を落す。
7:楊儀と魏延、互いに相手を誹謗中傷する上奏文を出し、董允とショウエンは楊儀に組する。
8:魏延、さらに直接的な妨害にで、先回りして陣を敷く。
9:王平、ぶち切れて魏延を「お前は何をやっているんだ」と一活。一戦して魏延を打ち破る。
10:馬岱が追撃をかけ、魏延を斬る。
11:楊儀、魏延の首を踏みつけ、罵る。魏延の三族は皆殺しにされる。
12:後継者はショウエン、楊儀は閑職に追いやられるm9(^Д^)プギャーーーッ
13:楊儀、慰問に訪れた費イに「丞相が死んだ時に謀叛すればよかった。後の祭りだ」と言う。
14:費イ、後主にちくり、楊儀左遷される。
15:何を思ったのか、楊儀はお上を誹謗中傷する上奏文を書き、逮捕されて獄中死。
158:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 19:58:51
>>153
すげえ吹いたw
どんだけ魏延に都合が良い解釈してんだよ
だから節にそんな権限はねぇってw
お前「節」の意味分かってるか?
お前正史読んだことないだろ?
楊儀の撤退が孔明の指示だった事も、諸将がそれに賛同し従ったことも
諸将が魏延の指示はシカトこいて従わなかったのも、
全て本伝に記載があるが?w
159:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 20:07:33
>>157
そもそも楊儀が撤退を指揮したのを軍法違反と考えるからおかしくなる
北伐はあくまで丞相府の主導でやってるから、
孔明が死んでも幕外の魏延が繰り上がり当選で指揮官にはならない←ここポイント
だから諸将が丞相府の参謀連中が"連名"で布告した命令に従うのは当然
だからあの時点で魏延の指令は単なる我が儘で、行動は兵乱とされてしまうわけ
一旦帰国してから手順を踏んで軍権を掌握すれば、みんな魏延に従ったろうにね
タイミングが悪かった事もあるがその辺が読めてないのがKYだね
160:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 20:12:48
>>159
普通なら単なる尚書(令ではない)の楊儀じゃなくて、率いるべきは姜維または魏延じゃねぇの?
魏延が命令を聞かないかもしれないから、と彼を外した事が、孔明の第一の間違い。
後継者をショウエンと表明しておかなかった事が第二の間違い。
撤退の際に「誰が率いるか」を記しておかなかった事が第三の間違い。
だから、楊儀が勘違いして増長し、魏延が反発したのだと思うが。
161:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 20:17:12
しかし、この一件に関する費イの行動に関しては、弁護しようもないな。
162:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 20:24:24
結局確実なのは
蜀最強のツッコミ担当の王平が
また男を上げたということ
163:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 20:42:45
>>160
この場合、位階は関係ないんだよ
丞相府の参謀(これ便宜的表現ね)が”連名”で”孔明の指示”を布告してんだから
またこの時の魏延は将軍としての位階が高くても
丞相府内での指揮権限は与えられてないから北伐作戦が終了するまでは
指揮官に”推戴”される可能性はあっても勝手に魏延が指揮官になる事はない。
また張コウの時みたいに楊儀らが魏延を推戴したなら話は別だけど
今回はみんながシカトしちゃったからNG
まあ、突発的な事態じゃなく”表向き”前指揮官の指示があるわけだから
それに背いた命令に諸将が同意しないのは当然なんだけど。
だから一旦帰国してから再度北伐を行った場合は
魏延が総大将になる可能性もあったのに残念だね
実際に自分も楊儀や費イ連中に黒いとこはあるんで、
考察の余地有りというのは大いに同意
でも魏延が兵乱を起したのは事実だし、まるでなんの罪もない魏延が
無理矢理謀殺されたとでも言う主張は魏延びいきのバイアスが過ぎるな
164:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/09 20:50:38
>>160
細かい事だが、楊儀は領丞相長史・綏軍将軍だから、尚書じゃないよ。
あと、この時の姜維は行護軍・征南将軍だから、そこまで位階は高くない。
丞相府内で見ても、それ以外で見ても、鄧芝とか費禕のが上だね。
165:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 20:50:58
>>160
ちなみに撤退時に楊儀は長史、費イは司馬、姜維は護軍だから
この三人が結託したら他の諸将は従うしかなかったというのもある。
166:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 21:18:28
>>163>>164>>165
言いたい事が有るのは分かるんだが、立て続けてこられてもなぁ。
で、全面的に同意するしかない。
楊儀伝の「自らは尚書であり、費イは尚書朗であったことから」という記述だけだと、
不正確だったのね。
楊儀と費イが何をやったか?までは記述に無いのでどーしょーもないっすね。
費イはその後の行動を見ると、楊儀に対しても義理立てしてないように思えるが。
167:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 21:21:57
なんでおまえらの口調ってこんなに気持ち悪いの?
168:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 21:23:54
形は違えど、魏延をこよなく愛するキモオタだからさ。
オタが熱く語るとキモイだろ?それと同じ事さ。
だから、キモイと思うなら、目に触れないようにそっと立ち去るんだ。
169:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 21:31:11
口調が気持ち悪いって言ってる
熱く語るとかそういうのは関係ない
170:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 21:34:28
個性
171:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/09 21:35:04
>>166
それは、蒋琬が楊儀より出世した時、それを不満に思った楊儀について述べた文だね。
劉備の時代に、楊儀は尚書、蒋琬はその下の尚書郎だったってやつ。
楊儀伝を最初から読んでいけば分かるけど、楊儀は尚書令の劉巴と不仲になって、
弘農太守(遙任)に左遷された後、諸葛亮が幕府を開くとその参軍に辟召され、
その後に長史に遷り、綏軍将軍を加えられてる。
172:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 21:36:32
>>171
thx。もう少し注意深く読み進めていくべきだった。
173:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 21:40:45
>>166
自分は費イは絶対確信犯だったと思う
魏延の時も楊儀の時も
恐らく毎回、毎回いざこざ起されちゃ仲介役で間に挟まれて
実は二人の事大嫌いだったんじゃないかな?
だから、この際、魏延を暴発させて楊儀に始末させ
その後にスッパリ楊儀を切り捨てたと
174:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 21:55:14
「確信犯」 (呵責などなく)正しいと信じて(結果として犯罪を)行う事
175:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 21:57:24
>>173
でも、陳寿の評だと「費イは寛容で、人を分け隔てなく愛した」なんだよなぁ。
陳震が蜀臣全ての評を残していてくれれば、事欠かずにすんだのにねw
176:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 22:00:30
>>175
>>蜀臣全ての評
そこで季漢輔臣賛なんじゃないの?
177:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 22:03:43
裴注に引く魏略では諸葛亮の異名を受けたのは実は魏延のほうであり
これを怖れた楊儀が、魏延が魏に奔ろうとしているとでっちあげたとの異説があるな
178:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 22:05:09
×異名
○遺命
間違えた上にあげてしまった
179:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 22:08:45
無責任な異説としては面白いんだけど
さすがに苦しいよね。何故わざわざ魏延にだけ遺命を伝えたのか、
そしてどうしてみな疑いも無く楊儀に従ったのか、という点で。
180:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 22:17:09
>>175
聖人でもなけりゃあらゆる人間を愛すとはいかないんじゃない?w
>>179
松の字も否定してるように
ちょっと苦しすぎるよね
181:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 22:17:51
魏略に関しては、記述を引いた裴松之自身が否定してるんだよな。
>>176
残念ながら季漢輔臣賛には費イの賛はない。
あればまた、費イという人物に与えた、同時代人物の評が増えたのに。
>>180
褒めすぎという事かw
182:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 22:19:16
魏延が諸葛亮に対して不満をもってたから
誰も魏延に諸葛亮から遺命を受けたといっても信じてはもらえないってのはどう?
183:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 22:49:13
どう、っていわれても。
勿論、そういうような「ありき」で考えれば
いくらでも出てくるとは思うよ。
でも普通に考えると説得力に欠ける、それだけのことだよ。
184:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 23:03:17
魏延の性質と周囲の反応に関する記事として魏延伝に、性矜高 當時皆避下之
とあるくらいだから、誰しも魏延の勇猛さと軍事的才幹は認めていても
まともにつきあえる型の人間とは思っていなかったんじゃないかな
この手の性質の人間は不必要に敵を作りやすいうえ、利害損得が絡む状況が
生じたときは見限られやすいだろうし
185:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 23:12:24
石田三成みたいなタイプか
186:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 23:18:48
>>184
もう一つ、諸葛亮が魏延に後を任せたかどうかに関係なく、諸将が従わなかった理由の一つが、楊儀が言った「庸奴」という言葉に集約されてると思う
劉巴と張飛のエピソードにも見えるように、荊州の名士として鳴らした連中の「兵子」への差別感情は相当なものがあったようだ
彼ら荊州名士連は、自分たちの同類か、さもなくば諸葛亮のような他地方の名士にでもなければ風下には立たないんだろう
劉備や姜維は他地方の名士に該当するが、魏延は彼らから見れば同郷であっても「兵子」
どっちに正当性があろうが、どっちが有能だろうが、従いたくはないんだろうな
187:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 23:28:28
楊儀が魏延の首を踏みつけ罵ったぐらいだから兵子として常々馬鹿にしてたんだろうな
188:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 23:32:12
そう思うと、諸葛亮は魏延をかなり優遇していたんだと思う
当時の「兵子」相手としてはね
189:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 23:41:04
魏延が楊儀を嫌ったのもそういう露骨な差別とかもあったんだろうね
190:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 23:45:16
>>143
なんで諸葛亮オタが引き合いに
191:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 23:45:27
そうだとすると諸葛亮が死んだ時点で魏延の行末も見えてたって事か
192:無名武将@お腹せっぷく
08/08/09 23:52:02
>>189
踊る大捜査線の現場と会議室、あるいは湾岸署と本庁みたいな関係だったと思う
階級だけなら年齢や功績のあるノンキャリの方が上でも、実際には本庁から送り込まれてくる若手が指揮を執り、署長でさえもぺこぺこしている
キャリア組の方は署の人間を高卒や三流大卒のブルーカラーと蔑んでるし、署のノンキャリはキャリア組に反発したり頭でっかちと批判したりする
そんな関係の中では、魏延=青島にとって諸葛亮は室井のようなとてつもなく理解あるキャリア
193:無名武将@お腹せっぷく
08/08/10 00:04:37
劉備「あのー、ね、今回の曹操追撃なんだけどさ、孫呉さんのほう、根回しできてんの?ん?」
関羽「はっ、そのあたりは、張飛くんにすっかり一任してございます」
張飛「え?それは関兄がやるってハナシじゃござぁせんで?」
関羽「何を言っておるんだねキミは。私は、先方とは恩義があるから、その辺理解してくれたまえよ」
劉備「えー、まぁいいからさ、とにかくやっといて頂戴よー困るよー」
関羽「そういうことだから」
張飛「これだもんなぁー」
194:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/10 00:08:19
魏延の出自がどうのって以前に、使持節って時点で優遇の度が過ぎてる感はある。
使持節なんて、諸葛亮以外では、諸葛亮の死に際して印綬を贈る役を仰せつかった杜瓊(多分臨時)、
ライ降都督の李恢、そして魏延の三人しかいない。
杜瓊の場合は役目の重大さから、李恢の場合は不穏な南中を制する為、と分かるが、
魏延が使持節である必要性が俺には分からない。
195:無名武将@お腹せっぷく
08/08/10 00:26:50
逆にというか比較対象として妥当かはわからないが、仮節ですらないという趙雲…
196:無名武将@お腹せっぷく
08/08/10 00:28:15
魏延は仮節じゃなかった?
197:無名武将@お腹せっぷく
08/08/10 00:34:26
諸葛亮も仮節じゃない?
あと李厳が仮節を与えられてる
198:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/10 00:42:29
>>195
仮節もそんなにはいないからねぇ。
関羽、張飛、馬超、李厳、呉懿、呉班、蒋琬、費禕、姜維、張翼、廖化、胡済くらいか?
華陽国志見ればもうちょいいるかもしれんけど。
>>196-197
後主伝と穆皇后伝に諸葛亮の、李厳伝の注に引く李厳弾劾の上表に魏延の事がそれぞれ載ってる。
諸葛亮の方は、ケースとしては杜瓊と同じだけど、
その後に魏延が使持節を貰ってるのに、諸葛亮が仮節ってのは変だから、使持節のままだろう。
199:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/10 00:43:51
そういや、鄧芝も仮節だったわ。
200:無名武将@お腹せっぷく
08/08/10 00:50:40
劉備死後、魏延が破格の待遇を受けるに到った所以となる功績。
魏延伝には、それに類する記述は見当たらないな。
確かにイミフ
201:無名武将@お腹せっぷく
08/08/10 00:59:21
諸葛亮のは本伝の、しかも二箇所の記載だから可能性は高いけど
魏延のは仮節の間違いなんじゃないかな?
その前年に郭淮撃破で昇進して仮節を受けたばかりで
第四次の軍功といっても、李厳の弾劾は帰国後すぐのはずだし
どう考えても使持節になる時間も要因もないと思う
202:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/10 01:17:18
>>201
確かに間違ってるって可能性もあると思うよ。
正史の本文ですら、姜維の中監軍・征西将軍のように、
就任していないと思われる官が書かれているし。
仮にどちらかの記載が間違っているとして、どっちが間違ってると思うか問われれば、
不自然な使持節の方と答えはするね。
203:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/11 00:07:14
そもそも、蜀における使持節、持節、仮節が何を意味するものなのかが分からない。
宋書百官志に拠れば、晋の世における使持節、持節、仮節はそれぞれ、
二千石以下、無位無官、軍令違反者を処刑する権限となっている。
同様の内容が、晋書や通典にもあるが、恐らくは宋書をもとにしているのだろう。
晋の都督制が魏の都督制をおおよそ踏襲しているとすれば、
魏の節についても、この晋のものとほぼ同様だろう。
しかし蜀までもがそれに則っていたかは分からない。
漢書や後漢書からは、節の権限についての記述を今の所見つけられない。
ただし、詔勅を奉じ、皇帝の使者としての役目を仰せつかった者は、
基本的に使持節、少なくとも持節として任務についている。
蜀書においては、注釈の李厳弾劾の上表と李恢伝の記述を除き、
使持節は全てそういったケース。
これらを誤記としてしまえば、蜀における司令官は仮節のみとする事もできるが、
魏延の例はともかく、李恢の方は積極的に否定する根拠に乏しい。
この辺りを明快にする考え方は無いのだろうか?
204:無名武将@お腹せっぷく
08/08/11 00:11:25
>>203
そもそも蜀では区別していなかった可能性を否定できない
使持節は「使いして節を持つ」、持節は「節を持つ」、仮節は「節を仮す」
状態の違いを表している語だが、権限や階級が違うという確かな証拠は無いんじゃないか
魏晋以降で区別されているのは確かなんだが、漢制を基本としている蜀で晋のような区別があったという証拠は無いと思う
205:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/11 00:20:31
>>204
確かにそういった考えでいる方がいいのかもしれない。
仮されているか、持しているかはともかく、
節を手元に有して皇帝の権限を分与されている状態にあるかどうかの方が重要なのかもしれない。
やはり、蜀における節を考えるには、後漢や前漢における節の意義を考えなければなさそうだ。
206:無名武将@お腹せっぷく
08/08/11 00:25:51
>>205
そいつについては漢書諸葛豊伝に面白い例がある
諸葛豊は弾劾相手に自分が持っていた節を掲げて「詔」を出しているんだ
つまり節の元に下す命令は皇帝の命令そのものなんだ
少なくとも当時はね
207:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/11 00:30:07
>>206
ありがとう。確認した。
「豊駐車挙節詔章曰」ってのだね。
持節や使持節なら、ある程度調べられる範囲だが、節が出てくる文章となると量が多く、
まともに漢文の読めない身には調査し難いので、こういう話は助かる。
208:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/11 00:46:30
そういや、例え魏延が使持節でなくとも、諸葛亮の時代に節を仮されたのは李厳と魏延だけなので、
やはり魏延に対する厚遇は他の追随を許してないと思う。
劉琰なんかは位階だけだし、実が伴ってるという点では李厳に次ぐ厚遇じゃないか?
性格と能力だけで、そこまで配慮するものだろうか?
209:無名武将@お腹せっぷく
08/08/11 03:42:09
どうもよく分からんな。
仮に、諸葛亮の漢中幕府が、政治的には中央に対して優越し、既に半独立状態だったとする。
でもって、中央の李厳に対抗する軍権を持つ将軍を欲し、そこに宛がわれたのが魏延というオチだったら笑う。
210:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/11 21:43:12
>>209
魏延厚遇の理由は、推測するしかないからねぇ。
李厳も魏延も、誇り高く能力もある、という点では一致してるね。
上下皆が李厳に対する厚遇を怪しんでいた、という諸葛亮の話もあるし、
魏延が孤立したのに、この魏延に対する厚遇も影響してたのかもしれん。
211:無名武将@お腹せっぷく
08/08/11 21:52:54
>>209
逆の可能性の方があるんじゃないか
つまり独裁権者諸葛亮を抑える意味合いで、匹敵する地位と権限を劉禅の成都政府側が魏延に与えた、と
そうなると、魏延と楊儀の軋轢と争いも諸葛亮シンパと成都政府側の代理戦争のようなものだったことになる
(そして諸葛亮側が勝利し、ずっと自派から最高権力者を輩出することとなった)
212:無名武将@お腹せっぷく
08/08/11 23:18:02
三戦に考察スレなど不要じゃ
213:無名武将@お腹せっぷく
08/08/11 23:21:40
荒らすな
214:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/12 00:06:19
李邈が獄に下され処刑された逸話を見るに、劉禅自体は諸葛亮の独裁を危険視してなかった。
仮に諸葛亮を掣肘する為の存在として魏延が選ばれたとしたら、一体黒幕は誰なんだろうか?
そういった存在によって、諸葛亮の意に沿わないまま魏延が出世したなら、
諸葛亮に匹敵とは言わないまでも、相当な影響力を有さなければならないように思える。
なかなか難しいものだ。
215:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 00:08:02
荊州閥と益州閥の争い?
216:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 00:14:07
>>214
いや、それは楊儀、ヒイらの諸葛亮チルドレンが勝利し、劉禅側が送り込んだ魏延が死亡したことを受けてのこととも解釈できないこともない
危険視していないのではなく、今なお危険だから口をつぐむしかなかったということだ
>>215
多分そこまで単純化は出来ない
魏延も荊州人ではあるし
217:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/12 00:15:12
荊州閥対益州閥、のような単純な構造に落とし込む前に、
色々と考えていった方がいいとは思う。
218:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/12 00:26:03
>>216
諸葛亮に対立する存在が劉禅、というのは主張するのが難しいのではないだろうか?
単純な記述を、あまりに複雑に解釈してしまうのも気が引けるものだし。
こういう独裁者に対抗する手段としては、宦官や外戚を使ったりするものとすれば、
張飛の一族や呉懿の一族の方が、魏延よりも諸葛亮に対抗しやすいように思える。
よく分からんなぁ。
諸葛亮が、こういう理由で魏延を厚遇した、と実際に述べてくれれば良いんだが。
219:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 01:00:36
案外、諸葛亮は魏延ラヴなとこがあったのかもね。
実際に魏延の勇猛さを頼りにしてたという記述は残ってるわけだし、
他に武官で諸葛亮が能力を大きく評価したのって李厳と姜維、王平くらいじゃない?
220:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 07:35:28
>>216
それだと魏延を失脚させようとする動きに
諸葛亮が庇ってやる理由が無いないな
221:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 09:06:33
そもそも諸葛亮の対抗馬が魏延じゃ力量不足も良いとこだね
使うなら李厳の方でしょ
地位・名声・実力ともに李厳を抜かして他ってのは考えられない
222:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 09:08:17
法正が生きていれば…
223:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 09:45:41
妙な荒らしが寄りつくからageるな
224:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 10:25:12
そもそも外戚なのに呉一族が立伝されてないってのも不自然たぁ不自然だな。
225:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 10:50:42
そう?
魏だって、例えば甄氏の一族は「文昭甄皇后伝」などで記されてるし。
蜀で呉懿(壱)や呉班が「穆皇后伝」などの記載でまかなわれているのは、
バランス的にはおかしくないんじゃないかな。
226:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 11:23:03
魏延は諸葛亮が死んだから居場所がなくなったでFA?
227:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 14:15:38
>>225
単なる外戚じゃなくて軍の重鎮だし…
228:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 14:31:29
もちろんそれはわかってる。
ただ、陳寿のまとめ方のパターンとして、
単純に考えた方が良いのかな、とも思う。
229:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 14:53:16
陳の字が「オイラ的にはあまり重要じゃないネ」と判断しただけだったりしてw
230:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 16:10:11
孫堅の嫁さんの弟呉景も軍の重鎮だけど立伝されてないよ。
231:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 19:38:44
>>226
そうだね
能力というより人格的な問題で
232:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 20:56:38
魏延の位階が極端に高かったのは諸葛亮が宥めるためだったんじゃない?
作戦は採用出来ないけど不満をぶちまけて不和を大きくされても困る
でも人材として前線から引き抜くのも惜しいし、やる気をなくされても困る
それで実権は与えないけど名誉を与えて自尊心を満足させてやり
いわば飼い殺しにしたと考えればどうだろう?
233:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 21:20:55
そういう方向性の考えかたはありだけど、
飼い殺しというにはさすがにどうかな。
むしろ充分に活用していると思うんだが。
アレ以上はもはや専断権を与えるしかなくなる。
234:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 21:30:04
そうれもそうか
じゃあ飼い殺しは撤回
どちらにしろ魏延のゴネ得という事で
毎回ゴネてたらしいし
235:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 21:34:32
なんか急に魏延がツンデレキャラに思えて来たw
文句は言うけど命令には忠実だし
「あんたがしっかりしないからアタシまで迷惑してんだからね!」とか
「任務だから仕方なくで、別にあんたの為に戦ってるんじゃないんだからね!」
ダメだ俺w逝ってくる
236:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 21:42:02
そのあたりを物凄く好意的に見るならば
張昭や程昱のように組織のためにあえて直言を恐れず、
といったところだろうか。
237:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 22:55:20
「直言を恐れず」と「個人的不満を漏らす」を同一視したら
流石に張昭とかが怒るんじゃないかな?
238:無名武将@お腹せっぷく
08/08/12 23:14:46
うん。だから物凄く好意的に、という話ね。
さすがに「怯」とは言わないもんね。
「拙者は先帝の恩顧に報いんとウンヌン!」
と血の涙流すくらいでないとなぁ。
239:無名武将@お腹せっぷく
08/08/13 19:22:34
魏延は名将だという結論に達したな
240:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/13 23:29:53
確かに諸葛亮は魏延を厚遇したと言って良いと思う。
だが、よく考えてみよう。
劉禅が即位する以前から、魏延は鎮北将軍だった。
この上には四方将軍、四征、四鎮大将軍、鎮軍大将軍、驃騎将軍、車騎将軍、衛将軍、大将軍だけ。
郭淮らを破った後、呉懿と共に昇進したが、その時、
魏延が征西大将軍、呉懿が左将軍で、将軍位では魏延が上になっているが、
そもそも呉懿は討逆将軍なので、討逆→左将軍と見れば、
出世の度合いは鎮北→征西大将軍の魏延より上なのではないだろうか?
魏延が諸葛亮麾下で第一位の将軍に納まったのは、劉備の代でほぼ決まってた事なのではないだろうか?
真に重要なのは将軍位ではなく、やはり節を仮された事だと思う。
241:無名武将@お腹せっぷく
08/08/13 23:53:03
>>240
うん、劉備時代、関・張の後釜となる人物として劉備は諸葛亮と魏延を選んでいたんじゃないか、と言えるかもしれない
その二人に割り込んだ形なのが李厳だが、李厳は先に失脚し、結局実質NO2は魏延のままで変わらない
官位やその背景としてある経緯からは、諸葛亮死後は魏延が蜀を背負って立つようになってしかるべきな訳だ
しかし実際には(事実かどうかはともかく)諸葛亮死後の撤退の指揮は楊儀が行ったとされ、後継者にはショウエンを大抜擢していたとされている
ここで重要なのは、この順番を信じれば魏延が殺される前から魏延外しが行われていたということ
劉備が敷いていたレールはここで荊州閥が敷いたレールに切り替えられたということになる
242:無名武将@お腹せっぷく
08/08/13 23:58:12
諸葛亮の魏延に対する厚遇は、魏延が生前劉備から信任が厚く、
生き残った最後の「劉備派」有力者ということもあったのかねぇ。
魏延がある種、かつての劉備集団を象徴する存在になっていたとか。
諸葛亮と魏延の間には先主劉備という共通の核が存在したが
諸葛亮チルドレンには諸葛亮という核しか存在しなかったのか
とかセンチメンタルな想像をしてみたり。
243:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 00:11:12
>>242
松っちゃんが力いっぱい否定してたあの魏略の記事って、つまり敵国から見たら、
「劉備から特に目を掛けられていた魏延が同行していたんだから、諸葛亮死後の指揮は魏延がするのが当然だろうJK」と感じる、
ということだと思うんだよね
しかし実際には諸葛亮チルドレンが(魏延がいたにも関わらず)魏延の代わりを務め、魏延死後は呉壱ら官位・軍歴で明らかに上位にいる者を押しのけてチルドレンが最高権力者の地位を寡占した
内外誰から見ても楊儀・ショウエン・ヒイらの動きは相当怪しく見えたと思うんだよな
244:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/14 00:17:49
>>241
荊州閥という話には、俺自身は懐疑的な見方をやめてないので、
その劉備から荊州閥へ、という話には、議論の余地があると思う。
ただ、劉備の魏延に対する期待は本物だろう。
魏延が鎮北将軍になった時、車騎に張飛、驃騎に馬超がいたが、
四方の名は見られず、恐らく空位だった事を考えれば、将軍としてはそれに次する形になる。
四鎮の名も魏延の他には見られないしね。
そういや、李厳もよく分からんな。
それまでは雑号将軍+郡太守だったのに、突然の尚書令抜擢。
以後は、劉備の遺詔を受けて中都護にもなったり、一気に諸葛亮に次する位になってる。
245:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 00:20:03
あれって本当に孔明の指示だったのかなぁ
孔明と魏延って「劉備派」の最後の二人なんだよねぇ・・・
246:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 00:26:45
>>244
尚書令になる前は輔漢将軍だし、輔漢将軍になる時には劉備留守の南中反乱を抑えるという功績があったから、よくよく考えればありえない出世でもない
魏延同様、劉備が実力と自分の死後の首脳陣として期待したということだろう
諸葛亮と魏延の間に割り込むのは、それはやはり士大夫の壁じゃないかと思う
247:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 00:49:13
そう考えると、「劉備派」であって、「諸葛亮派」ではない存在というのは
諸葛亮チルドレンが主導権を握った状況では、すこぶる目の上のたんこぶ
というのは想像に難くない。
李厳の諸葛亮の死に対する絶望も、その文脈を踏まえたものなのかも
しれないねぇ。
248:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/14 00:51:46
>>244
そういや輔漢将軍だったわ。
ただまぁ、尚書令抜擢はどうなんかな、と。
李厳が抜擢されたのは、恐らくは仰るとおりで、劉備に認められたからだろうとは思う。
ちょっと思ったのは、劉備が蜀を平定した後、各郡の太守や、県の長や令を任命したが、
これに、今後の政権運営で抜擢すべき人材を見定める意味を持たせたのかもしれない、という事。
この益州平定後の人事で、劉璋の下にいた人材が多数太守とかになってれば、
そういう考えも補強されるかもしれんが、調べてもそうでもないから、あまり自身は無いが。
249:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/14 01:12:38
李厳弾劾の上表を眺めてたんだが、これの署名を見ると、当時の軍の重鎮、
すなわち、魏延、呉懿、袁綝、高翔、呉班の5人の内、節を仮されてるのは魏延のみ、
また、諸葛亮の幕府に入っていたのも魏延のみだという事が分かる。
この辺を突き詰めて考えると、何か分かるかもしれない。
個人的に、魏延に節を仮したのは、この後、つまり第四次北伐中か、或いはその後の北伐において、
彼にある程度の裁量を許す別働隊を任せての作戦を実行するつもりだったのではないか、と思う。
250:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 02:04:56
お笑いスレかと思って覗いて見たら、
お前ら、スゲ~~ナ~~w
251:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 10:27:33
将軍位ってどうなんかな。
魏延だと鎮→征で昇進になってるが、趙雲だと征→鎮で昇進になってる。
李厳は劉備に帰服前も後も政務・軍務の両面で手腕があるし、
あの当時の蜀では順当な人選だと見て良いのじゃないかな?
魏延の場合、実は劉備に信頼を受けたといいつつも、
北伐が始まるまで彼の功績は蜀平定の時しかないわけだから。
劉備は魏延に武官として期待はしてても、
政道を委ねようとは思ってなかったと思う。
252:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 13:47:45
>>251
確かに劉備も魏延を蜀全体の指導者にするつもりはなかったかもしれないな
でも、北伐中に諸葛亮が死亡してから撤退するまでの間というのはほぼ純粋に軍事の事だ
そこで魏延をあからさまに外すというのは、劉備の遺志を無視したものと言えるのではないだろうか
諸葛亮の決定だとしたら、諸葛亮が主劉備の遺志を無視したことになる
253:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/14 18:55:37
>>251
魏延は鎮西将軍から征西将軍への昇進ではなく、鎮西将軍から四征「大」将軍への昇進。
蜀では四鎮から四征への昇進の例は無かったはず。
史書による昇進の例から分かる蜀の将軍位の序列は、
四征<鎮軍・輔漢<四鎮<四方<四征大<鎮軍・輔漢大<四鎮大<衛将軍etc
だな。閻宇の右大将軍を四方大将軍とするならば、四鎮大将軍と衛将軍の間にそれが入る。
254:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 19:17:47
>>252
どこを立て読み?
>>253
蜀の将軍位って名前ばっかりって気がするね。
征・鎮の将軍になっても全然、軍権がついてないし
職掌として与えられた官職の方が実態に近いよね。
255:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 19:34:32
縦読みとか、つまらん煽りを何でしたがるのかね
256:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 19:50:46
独裁チックな蜀の丞相の位が全て悪い。
撤退時は楊儀が丞相の可能性もあった筈だから魏延は相当焦ったんじゃないかな
257:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 20:04:41
楊儀が丞相って、それ蜀にとって何て罰ゲーム?って感じだしな。
258:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 20:07:01
それはそれでちょっと想像してみたいイフではあるね。
秦檜のようになるのかどうか。
259:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 21:28:09
>>255
別に煽りでもなんでもなく、話が飛び過ぎてイミフってだけ。
劉備は魏延を軍事の統括者に指名してたの?
260:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 22:11:44
そういえば楊儀についた軍人は王平と姜維辺りだったと思うけど、魏延の反乱時はこいつら、蜀軍にとって主流派だったのかな?
寝返り組だから軍の核、中心人物になるのは困難な気もするんだが
もし非主流派だったら魏延の失脚を画策したように見えてやな感じ
と、ふと思ったことを徒然と書いてみる
261:無名武将@お腹せっぷく
08/08/14 22:55:30
ふたりとも諸葛亮によって引き上げられたって点なら共通してなくもない
262:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/14 23:44:09
姜維とか、別に諸葛亮の死の直後に軍の中心になったわけではないよ。
姜維は征西(征南?)将軍から輔漢将軍と、将軍位は上がったし、
諸軍を統率した、とは書かれてるけど、一人ではなく、鄧芝や張翼と共に行ってる。
王平にしても、諸葛亮死後、車騎将軍に昇進し督漢中として漢中を統括した呉懿の副官。
王平は名前が無いけど、李厳弾劾の上表を見る限り、姜維は、
呉懿ら軍の重鎮、鄧芝や劉邕らの一世代上の奴らに次ぐ辺りに名前があるので、
若手のホープ的な位置だろう。
劉敏の位置を考えると、王平も姜維とほぼ同じ辺りだろう。
次代の軍を担う存在として、彼らが重要な位置に置かれても、さほどおかしくは無い。
263:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 00:53:47
>>362
姜維が諸葛亮の死の直後に軍の中心になった、とはいくらなんでも思ってなかったさー
もしそうだったら姜維が真っ黒すぎるし、疑う人だっているだろう
この件は寝返り組がこの後、蜀軍の中核を担って行くのに少し違和感を持ったっつーはなし
魏延の件が関わっていたら面白いなー、と
こいつらが重要な位置にいることがおかしくないなら何も問題はない
264:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/15 01:22:14
王平は、街亭では致命的な大敗に至るのを防ぎ、祁山では張郃を退け、
丞相参軍・討寇将軍ではあるけど、青羌からなる五部を統率する実力者だから、
その能力を買われて呉懿の副官というのは、ありうると思うよ。諸葛亮にも高く評価されてるし。
姜維に関しては、魏延の件と言うよりも、諸葛亮、蒋琬と、
どちらの宰相にも高く評価された事が何よりだと思う。
鎮西大将軍になった頃とかは、まるっきり、諸葛亮にとっての魏延のような位置だと思う。
まぁ、魏延と違い、この時点では孤立する事はなかったけど。
単純に比較はできないが、諸葛亮没後の姜維は、
「魏延が周囲と上手くやれていたら」というのを考える上で参考になるかもしれない。
265:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 01:22:44
結局、劉備から諸葛亮ラインにおいて格別引き立てられたにも関わらず
魏延が軍の主流派になれなかったのは、彼の人格のせいだろうね。
又性矜高,當時皆避下之
という一文が示すように、魏延は対人関係に難のあるところが伺える。
もし魏延にもう少し周囲と上手く付き合ったり
人の心理を読んだり、場の空気を読んだりというスキルがあれば
将の将として、軍を統括することも出来たかもしれないね。
266:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/15 01:35:21
そもそも、諸葛亮の遺命は撤退に関する処置のみで、その後の人事に関してではないだろう。
それ以前から、諸葛亮は密かに上表し、後継者が蒋琬である事を劉禅に伝えてたのだから、
諸葛亮死後に行われた人事は、そっちの上表に沿ったものだと思う。
仮に遺命がでっち上げだったとしても、その後の人事の方針が大きく変わる事は無いだろうね。
魏延を排除した事で変わったとすれば、その上表にけちをつける輩が一人いなくなる、という事だろう。
>>265
確かに、彼に協調性があれば、また違った結果になったと思う。
267:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 08:22:48
楊儀に忍耐力があり、魏延に協調性が有ったなら…
268:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 09:57:20
楊儀の場合、協調性もやや難ありだよな
季漢輔臣賛とか本来なら全員褒めるべきところに
わざわざ欠点を書いたりもしてる
元々一言多い奴だったと思う
そのくせ魏延に絡まれると涙目だし
269:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 15:07:52
鬼の形相で剣を突きつける魏延
子供の様に泣きじゃくる楊儀
その様子を苦々しく見守る孔明
劉封を危険視して処刑しさせてる割に孔明がなんか手緩いよな
270:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 15:19:25
お前が楊儀が嫌いなのは分かったが季漢輔臣賛はだすな
これだと魏延が節義もなく反乱を起したと書かれてる
271:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 17:13:04
軍事の魏延に事務の楊戯
どっちも外せなかったくらいに能力はあったんだろう
272:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 20:42:04
>>268
楊儀が現代の日本にタイムスリップしたら
案外しっくり来るかもね。粘着うぜーとか言われて
憤慨して自作自演とかしそう。
273:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 22:08:23
孔明には馬謖などを使ったりと、
人を見る目がないやつだから、
魏延を用いなかったのは孔明の目の悪さ。
これを孔明が楊義に伝言したから魏延がキレた。
悪いのは孔明
274:無名武将@お腹せっぷく
08/08/15 22:56:37
おいループすんな。
275:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/16 00:14:44
ループするな、とは言わんが、ログと空気はある程度読んで欲しいね。
劉備が魏延をどのように見ていたか、というのは難しいところだな。
魏延が守った漢中と並んで重要な拠点である江州とライ降の都督は、
劉備の時代には、江州が費観、ライ降が李恢だな。
費観と李恢、それに魏延を比べると、将軍位は魏延が最も高く、
権限は李恢が最も与えられていた。費観は両者に待遇が劣る。
魏延の鎮北将軍は、黄権が魏に降った結果だし、
多分、黄権に対する期待の方が魏延より大きかったのだろう。
その前の鎮遠将軍の核は分からんが、劉備を漢中王に推挙する際、
征西将軍黄忠に次ぐ位置で鎮遠将軍頼恭の名があり、その次が揚武将軍法正なので、
雑号よりは上だから、やはり将軍位は費観、李恢より上だな。
馮習や張南とかよりは上なんかな?
276:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 00:28:29
馮習や張南のほうが記録にのこっとらんので何とも…
277:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/16 00:44:13
そうなんだよねぇ。
馮習は南郡出身で、よく分からんが夷陵の時に呉班と並んで左領軍となり、
陸遜伝に拠れば大督だから、夷陵の指揮官連中では抜けた位置にはいる。
呉班クラスとすれば、諸葛亮の時代で言えば魏延の方が少し上かと思うが、
劉備がどう見てたかまでは分からないからなぁ。
個人的には、「劉備は魏延に軍事を委ねようと思っていた」というのは飛躍しすぎかな、とは思う。
後の蜀を支えるべき有力な将軍の一人、とは思ってただろうけど。
278:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 01:32:07
馮習は季漢輔~でも、「彼の判断の誤りが夷陵敗北をもたらした」というような内容で書かれるくらいだから、
前線指揮官の中で最も権限があったんだろうね。
劉備は、自身の生きている間は「常に自分が前線の最高指揮官である」と思ってたんじゃないかなぁ。
人に任せると言う発想自体が無かったんじゃないかと。
279:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 01:40:09
強いて言うなら「張飛」を頼んでたろうね。
優秀な指揮官だし、漢中に充てなかったのも張飛自身の性質はもとより、
彼を大将軍のような立場にして中央に置くと考えれば、さほど不自然ではない。
年嵩の自分よりも張飛が先に死ぬとは思わなかったろうしなぁ。
280:278、279
08/08/16 01:41:09
ごめん、連投になるけど、張飛は何より「外戚である」ってのを書き忘れてた。
281:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 02:24:09
なんだか変なのが住み着いたのー・・・
ここは楊儀が立てたスレとはいえ魏延さんスレであろ。
知識をひけらかしたいのであれば他に相応しい板があるだろうに・・・
貴方の好きな政治家諸葛亮でもそのくらいの空気は読める、
見習うべし。
そろそろ勘弁して下さい・・・orz
そして魏延さん名将!
282:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 02:29:22
魏延一人の事を調べるのにも、結局は蜀全体を調べてかなきゃ何も分からんってのが現状だけどな。
283:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 02:30:07
こういうレス見るとマジで空気は読んで欲しいと思う
284:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 02:40:22
何だかんだで一次資料が不足し過ぎてるんだ。蜀は…
285:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 02:44:34
そうだな
どんだけ調べても推測が混じっちまう当たり厳しいよな
ただでさえ資料の正確性が分からんのにさ
286:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/16 03:07:05
史料に関してはどうしようもないからねぇ。
現存する、自分の触れられる史料で考えていくしかない。
287:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 08:28:32
if多すぎ
288:無名武将@お腹せっぷく
08/08/16 15:42:41
ifを全く認めないなら「史書に目を通せ」で終わっちまうのが蜀なんだよなw
289:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/17 01:48:52
多すぎって言うほどif話をしてたかね?そうは感じないが。
将軍位がどうの、官職がどうのって話には、皆飽きてきているかもしれないが。
他に話す事と言うと、第一次北伐の魏延の作戦とか、呉懿と共に羌中まで前進した時の事とかか?
290:無名武将@お腹せっぷく
08/08/17 21:11:29
北伐の別働軍の話は突き詰めれば詰めるほどドリームな感じの評価になるしなぁ
羌中戦でも考察するかな?
魏延の武功で具体的なのってこれだけだし
291:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/18 23:45:26
あれもよく分からんのだけどね。
羌中まで前進して、陽谿で郭淮と費曜を撃破した事しか書かれてないし。
スレリンク(warhis板:260-261番)
ここでも少し言及したが、あれは、羌中まで前進した後、
陽谿で郭淮と費曜を撃破し、そのまま祁山で諸葛亮に合流したんじゃないかと思ってる。
292:Jominian ◆Henri9gNlM
08/08/19 22:47:24
誰も語らんようなので、気付いた事を少し述べる。まだ考えがまとまってないが。
羌中への前進は、魏延と呉懿の二人で行ったと考えられているし、華陽国志ではそうなっている。
しかし三国志を読むと、「羌中」とあるのは魏延伝だけで、あとは、
魏延が陽谿で費瑤と郭淮を破った、という記述のみ。
因みに、資治通鑑にはこの戦いの記述自体無い。
そして、季漢輔臣賛に付されている呉懿の伝を見ると、ただ、
「魏延と南安の郡境に入り、魏の将軍費瑤を破った(与魏延入南安界、破魏将費瑤)」とあるだけ。
この呉懿の記述だけ読むと、南安の郡境(恐らくは襄武西北の陽谿)までしか前進していないように見える。
もちろん、呉懿は魏延と同道して羌中まで行き、この記述がその帰途の事を指していると考える事もできる。
だが、別の可能性も考えられる。
つまり、魏延と呉懿は、別々のタイミングで、別々のルートを通り、
陽谿にて合流した、という可能性である。「入南安界」が「会南安界」だったら決定的なのだが。
この場合、魏延は真っ先に出て羌中まで前進し、郭淮らを西方へと引きつける。
その隙に呉懿が南安まで出て郭淮らの連絡線を遮断して、これを東西両面から攻撃する、という形だろう。
ただそうすると、第四次北伐まで含めた諸葛亮の戦略の意図を考えるのが難しくなる。
293:無名武将@お腹せっぷく
08/08/23 03:02:28
自分の中で魏延さんのイメージは
UFOのCMのドン・フライ。
アホっぽいけど強くて的確。
294:無名武将@お腹せっぷく
08/09/04 01:04:09
羌中戦の話の最中申し訳ないんだか一つだけ教えていただきたい。
魏延は他人からはばかられたとあるが、他にもチョウギやトウシなど
様々な人のところにもそういった記述がある。
しかし魏書や呉書には見かけないのですがそれはなぜでしょう?
蜀の人だけが対人能力に不備があるとは思えないのですが
295:Jominian ◆Henri9gNlM
08/09/04 01:46:49
>>294
羌中の話は終わったようなものだから気にしなくていいよ。
例えば、有名な所だと、鄧艾なんかは「同僚と協調できなかった」とはっきり書かれてる。
性格の悪さを表すわけではないけど、魯粛も郷里で「狂児」と呼ばれていた。
甘寧とか潘璋とかの呉の連中には、法は守らないは人は殺すわって奴もいるし。
誇り高い人間が高位につけば、皆遜るものだから、蜀ではそういう例があったってのと、
性格から身の破滅を招いた人間を纏めて立伝しているから、蜀で多いように見えるだけだと思う。
296:無名武将@お腹せっぷく
08/09/04 12:56:52
やはり関羽のかわりに魏延を送るべきだった。
297:無名武将@お腹せっぷく
08/09/04 15:59:11
というか、諸葛亮自身も親しまれていなかったよね。
厳しくて公平なんだから、心服、尊敬はされていたけど。
298:無名武将@お腹せっぷく
08/09/04 16:39:00
敬され遠ざけられてたな。
299:無名武将@お腹せっぷく
08/09/04 19:22:30
孟達とどっこいどっこいだろ
300:無名武将@お腹せっぷく
08/09/04 22:42:00
寒門出身者の武将には結構多いんですね。張飛も劉巴に相手にされていなかったし
名士じゃない人と名士は上手く行きにくいものなんでしょうか?
比較的田舎な呉も周泰は苦労しているし。
鄧芝は十分にいい家柄なはずだけど・・・
301:無名武将@お腹せっぷく
08/09/04 22:46:23
>>300
鄧芝に魏延と楊儀や張飛と劉巴のような差別エピソードあったか?
302:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 00:44:06
子午谷を使い漢中から長安に攻め入った例はあるのか?
303:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 03:08:05
あ、鄧芝は他人から避けられたって奴です。いい家柄でも、
避けられる奴っているんだな~と思って。
304:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 07:41:59
魯粛と同タイプじゃね?>鄧芝
才能はあっても変わり者だと思われれば、保守的な連中は離れていくだろうし。
305:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 12:55:06
それよりオレの携帯のことなんだが
漢字変換で
張巍の「巍」の字はあるのに
ギ延さんの「ギ」の字がないんだ。
コイツをどう思う?
306:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 13:47:28
>>297
陳舜臣はエッセイで、諸葛亮は人好きのするタイプじゃないかと言ってる。
孫権の甥から貢がれていたり、関羽を手紙で「ヒゲ」呼ばわりしたり、帳簿を
めくっていて部下に「それはアンタの仕事じゃない」と注意されたり、本質的
に諸葛亮はあまり堅苦しい性格じゃなさそうだと思う。
307:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 21:11:34
諸葛亮=キャゼルヌ先輩
308:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 21:23:35
>>305
すごく・・・マニアックです
309:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 22:15:41
>>306
恐れて之を愛すだからね。
真面目で公の事には厳正だけど、憎めない人柄だったんだろう。
厳しいだけなら人は離れていくし、敬愛の情をもたれる事はないからね。
魏延もそういう厳しいけど、親しみやすい性格なら良かったのにね。
310:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 22:20:45
古代中国の戦争はどうにも洗練されていない感じがするね
紀元前後のギリシャとかアレクサンドロスでもハンニバルでもいいが戦術として完成されつつあるが
中国はそうだとは思えない
311:無名武将@お腹せっぷく
08/09/05 23:00:39
それを論じるほど記録が無いw
312:無名武将@お腹せっぷく
08/09/06 08:48:17
確かに、ギリシャのファランクスみたいな「古代中国といえばこれ」的な
戦術・戦法は伝わってないね。
武よりも文を重んじる社会ゆえに、「戦争の記録なんていらねー」てな感じで
割愛されたのかもね。
313:無名武将@お腹せっぷく
08/09/06 09:01:35
まさにそうだろうな。
何でもかんでも一つ普遍的な価値観があってそれ以外が否定されるような社会ってのは、
歴史すら失うという証左だな。
314:無名武将@お腹せっぷく
08/09/06 16:23:32
西洋の場合、異民族同士の争いが多いということもあって、
如何に会戦で敵を葬るかの具体的な手順に対する関心が強かったのだろう。
翻って、中国の場合も確かに異民族との争いは多かったのだが、
それにしてもその多くは、城市を巡る攻防であり、
野戦においても「狄兵数千を斬る」という描写も史書に見られることもあるが、
基本的には討伐より宣撫を上策とし、
討伐の際も殲滅にこだわらず、追い払って済ますようなところがあった。
(特に機動力に勝る遊牧民相手だと、殲滅しようとしても振り切られる、という側面もあっただろうが)
孫子の兵法もそうだが、
戦争そのものよりも、「何のために戦争をするのか」という戦争目的の達成を重視し、
「戦わずして勝つが上策」とされた。
故にこそ、戦術論も、
西洋のような具体的な各論ではなく、
基本原則を解析した概論・総論であるがため、
西洋の軍記物のような華やかさには欠けるが、
戦術論としての汎用性には優れている。
「兵に常勢無く、水に常形無し」というやつだ。
315:無名武将@お腹せっぷく
08/09/06 21:18:09
八陣図は?
316:無名武将@お腹せっぷく
08/09/06 21:49:00
>>315
どんな物だったか今もって不明。
317:無名武将@お腹せっぷく
08/09/06 23:15:49
ファランクス戦術は、「兵に常勢無し」の典型
確かに、一時は地中海およびヘレニズム世界最強の戦術ではあったが
孫子や呉子などの兵法家は、
「戦場でファランクスを如何に破るか」ではなく、
「ファランクスを無力化する10の方法」を重視したわけで。
「そもそも敵対しないで、うまく味方として使おう」
「敵になりそうなら、戦場で出会わないようにスルーして進軍してしまおう」
「会戦が避けられない?事前に部隊長の何人かに調略を仕掛けていますが?」
「調略が失敗?しかたない、相手の英気が衰えるまで戦場を引きずりまわしましょう。」
「じゃ、身動きとりにくいところに釣れたことだし、そろそろ伏兵と迂回軍と連携して攻勢にでましょうか」
ここまでのうち、たいていは早い段階で「戦」を終わらせてしまう。
魏延の危うさは、あくまで決戦至上主義であったことであり、
ゆえに無類の強さを誇りながらも、蜀軍で人望を得られず、小人に粛清されてしまった。
同時代の西洋なら間違いなく無類の名将だ。
アレキサンダーの部下で言えば、エウメネウスの最期に近いところがある。
318:無名武将@お腹せっぷく
08/09/07 07:29:53
世界史板から見たら失笑買いそうなスレだな
319:無名武将@お腹せっぷく
08/09/07 12:28:05
実際どうなんだろね
優劣の問題ではなく、西洋と東洋の関心の対象が違うんだと思う
確かに古代中国では
敵を撃破すること以上に恭順させることを重視していたところがあって、
時代は違うけど
韓信が高祖に進言した関中平定策も、
李左車が韓信に進言した燕攻略も、
戦場での実践的戦術論ではなく、戦略または政略論だった。
これを大局的と見る向きもあるが、
むしろ、古代から近世に至るまで中国知識人を蝕んだ実学軽視の表れ
といえなくもない。
(まさにそれゆえに近世までのリードを生かせないまま近代化で遅れをとったのだが)
とはいえ、韓信が本来は戦略家以前に優れた戦術家であったのは、井陘の戦いの描写からもわかる。
韓信の事跡の記録を見ても、中国では古来、戦術論にはむしろ無関心ですらあったことがうかがえる。
また、西洋では具体的戦術論が重視された反面
敵を恭順させるということが軽視されていたところは
確かにあったのではないか。
時代は大きく下るが、ナポレオンの凋落はここに端を発しているといえたのではないか。
軍事的征服はともかくとして、統治、特にスペインにおいてナポレオンの大陸支配は当初から瓦解しつつあったわけで。
>>318
笑うなら笑え。
オレ自身、もう少しちゃんとしたものが書けたらと思うが、
それができるくらいならしかるべき道に進んでいたさ。
320:無名武将@お腹せっぷく
08/09/07 12:49:40
古代中国は「ごめんなさい」言ったら、その時点で戦争やめちゃうからな。
まじめに異民族対策やってた連中が閑職に回ったりして…
321:無名武将@お腹せっぷく
08/09/08 01:33:32
具体的な記録が皆無なのに西洋では無類の名将とか
その辺の結論付けが笑えるということでは?
322:無名武将@お腹せっぷく
08/09/08 01:39:49
三国時代では、
公孫瓚と劉虞の対鮮卑戦略の違いという例もあるね
323:無名武将@お腹せっぷく
08/09/08 12:59:10
あ、
あれはココが「ギエンスレ」なので勢いで垂れ流したリップサービス。
正直オーバー過ぎたし本気であんなこといえないし、そもそもあれを結論だなどと思われることはちょっとだけ遺憾。
ギエンが出てこないハナシに無理矢理オチをつけようとしてしくじった。
とはいえ軽忽のなせる業なので
存分に失笑していただきたく
324:無名武将@お腹せっぷく
08/09/08 15:10:05
まあまあ、俺は魏延好きなんで名将と言われてて嬉しかったよ
もちろん、「名将」は言い過ぎなんだけどさ
325:無名武将@お腹せっぷく
08/09/08 15:24:06
魏延をうまく操縦できるだけの器を持っていたのは、
先帝と共に苦労を分かち合った世代だけだったということだな。
諸葛亮の死により彼にとって一目置ける人物がいなくなっちゃったのが不幸。
劉備軍団から蜀漢王朝への変換期において適応力不足で犠牲になった個性的な勇将。
名将かと言われるとどうかなとは思うが。
326:無名武将@お腹せっぷく
08/09/08 16:27:19
孔明との子午谷論争以外で戦略に絡むエピソードがあればよかったんだが
民政上の事績もとくにないしなあ
どうしても叩き上げの猛将というイメージが強すぎるよね
327:無名武将@お腹せっぷく
08/09/08 23:10:34
結局ループだが、
「史料が少なすぎる」ということなんだよな。
敗者の側である蜀に関する史料からして少ないし、
魏延はその蜀の中でもさらに権力闘争の敗者だもんな。
加えて、陳寿の記述はあまりに簡潔すぎるし。
しかし、陳寿があんなにシンプルな、
およそ必要だろうというような注釈や説明すらも省いて「三国志」を著したのは、
ひょっとしていたら想定していた読み手があまりにもゆとりだったからかもな。
ちょっとでも長文を書いたら
「この漢文のどこを縦読みしたらいいんだよ」
なんて言いやがるもんだから、
キレたんじゃね?
328:無名武将@お腹せっぷく
08/09/08 23:17:55
>>327
信憑性の薄いものはできるかぎり排除したんだ
だから三国志の史的価値は非常に高いわけだ
ハイショウシ注も出典を明記してるし、十分に広がりがある
329:無名武将@お腹せっぷく
08/09/09 01:21:50
>「この漢文のどこを縦読みしたらいいんだよ」
というジョークです
330:無名武将@お腹せっぷく
08/09/09 10:41:05
魏延は魏でいうと張コウに匹敵するか、一歩及ばないってくらいかな?
さすがに張コウ以上とはいえんけど、そのくらいはある気ガス
331:無名武将@お腹せっぷく
08/09/09 12:44:33
>>325
演義準拠で言えばだけど、李厳はそれを自覚していたけど、
魏延はそれを認識できなかったんだろうね。
二人とも末路に恵まれなかったけど、どちらがまだ幸せだったと言えるんだろうか。
332:無名武将@お腹せっぷく
08/09/10 21:47:24
関羽に推挙され、黄忠と組んで西川攻略、張飛と組んで張コウを撃破、
劉備に漢中太守に抜擢され、南蛮攻めでは趙雲と組む人気者
問題は孔明にあるな
333:無名武将@お腹せっぷく
08/09/10 21:53:12
前段が何一つ結論を導いていないようだが。
334:無名武将@お腹せっぷく
08/09/10 22:02:09
同意
頭がおかしい人なのかな?
335:無名武将@お腹せっぷく
08/09/10 23:06:06
徐庶に推挙され、魯粛と組んで曹操攻略、張飛と組んで蜀撃破、
劉備に丞相に抜擢され、北伐では姜維を見出した人気者
問題は魏延にあるな
336:無名武将@お腹せっぷく
08/09/10 23:56:49
前段が何一つ結論を導いていないようだが(笑)
337:無名武将@お腹せっぷく
08/09/11 00:25:52
同意
頭がおかしい人なのかな? (笑)
338:無名武将@お腹せっぷく
08/09/11 10:29:47
なに、このひどい自演
339:無名武将@お腹せっぷく
08/09/21 15:55:35
>>314
呉子、六韜ともに部隊編成からと具体的に書いてるぞ
340:涼宮不二
08/09/25 22:30:40
僕の見方は
魏延 確かに 武力 90 智力 79 以上の人物だ
諸かく亮 より 統帥の力が低くて 貧乏でず
三国の中に 命が永い人あっての 歴史の進展の継く可能性があります
さあ 始めるぞ
英雄の彼 不死の伝説
僕は チャイナー
341:無名武将@お腹せっぷく
08/09/25 22:58:00
昔、鉄道建設かなにかの予定地に
魏延さんの廟があったんだが
躊躇なく取り壊して再建されないままらしいんだ
わかってないヤツが多いよな
342:無名武将@お腹せっぷく
08/09/25 23:15:09
>>341
その祟りで四川大地震
343:無名武将@お腹せっぷく
08/09/25 23:31:46
>>340
魏延が反逆してなければ、もっと詳しい伝記が残されたかもね。
>>342
それはネタにしても笑えないわ。
344:涼宮不二
08/09/26 17:18:09
僕の意見は
四川 その地震 全国人までお金お募集していた
寄付の活動が それぞれに 起こっています
再び 紹介します
僕が中國人 先祖は関羽の故郷 東北地方のシンヨー
朝鮮血統 名前 スズミヤ と 参上
345:無名武将@お腹せっぷく
08/09/29 20:44:58
雑劇だと魏延の臉譜は赤色(または紫色)なんだよな。関羽と同じで。
一時期、民間では魏延を今みたいな裏切り者扱いをしてなかったんじゃないかな。
346:無名武将@お腹せっぷく
08/09/30 20:42:46
素人目には京劇の関羽と魏延は区別つかないな
どちらも赤と黒が基調で
意味は
赤が忠節、黒が勇猛、だっけ?
347:無名武将@お腹せっぷく
08/09/30 22:30:10
まぁ、どちらも勇猛で、劉備にだけは忠節一途だったな。
348:無名武将@お腹せっぷく
08/10/01 00:33:35
三国志平話だと、演義とは比べもんにならんくらい強かったような記憶が。
349:無名武将@お腹せっぷく
08/10/01 17:27:16
魏延て特別劉備に忠節だったかなあ
関さんは正史にも有名なエピソードあるけど
魏延が特別忠義者だったってのは妄想の部類じゃない?
350:無名武将@お腹せっぷく
08/10/01 20:45:52
妄想というと表現が悪いが、
まあ言わんとすることは分かる。
確かに魏延だけが忠義者だったエピソードはないからね。
351:無名武将@お腹せっぷく
08/10/02 01:16:24
演義だと信仰心のレベルだが、アレは忠義じゃないよな。
352:無名武将@お腹せっぷく
08/10/02 01:41:57
文句いいつつも、諸葛亮の指示に従う魏延
諸葛亮を絶賛しつつ、指示に従わない馬謖
353:無名武将@お腹せっぷく
08/10/02 17:06:48
文句も言わず、諸葛亮の指示に従うその他
どうみても他の人の方が忠義者だよな
354:無名武将@お腹せっぷく
08/10/02 19:08:47
>文句も言わず、諸葛亮の指示に従うその他
これって間違いだと思っても、反論せずに従う人も入るよね
一歩間違うと妄信、狂信になるんで、一概に忠義者というのは微妙
355:無名武将@お腹せっぷく
08/10/02 21:03:43
例外はなんにでもあるさ
だからといって魏延が忠義者とはいえない事に変わりはない
356:無名武将@お腹せっぷく
08/10/02 23:01:50
魏延は名将で主君にとっても良き武人だという結論に達したな
357:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 00:44:33
魏延は猛将だけど空気の読めない困ったちゃんという結論に達したな
358:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 01:36:42
しかし、魏延は比較的諸葛亮の指令には従っていたほうだと思うがね
独断専行や命令違反はよくあることだしなぁ、
関羽の独断はソレこそシャレにならなかったし、
馬謖も命令違反の上、報告の遅れが事態を悪化させている。
そんななか、魏延の独断は、
戦場での先駆けの抜け駆けとか、そういうレベルで収まっていた。
少なくとも諸葛亮の生前は。
戦略面の対立もあったし、そりが合わなかったとはいえ、
諸葛亮も魏延を戦力としては当てにしていたわけだし、
魏延も諸葛亮の指令は着実にこなしている。
魏延の破滅はむしろ諸葛亮の死後であるし、
諸葛亮死後の事の経緯も、
生きて帰ってきた楊儀、費イ、姜維らの報告に基づくものだろうから、
むしろ、何か別に裏があるんじゃないかとかんぐってしまう。
・・・もちろん、裏づけが永遠に出てくるはずのない妄想だが。
359:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 06:25:04
逆
言っとくが基本的にどの時代も軍法違反はもれなく死刑だぞ
よって関羽の軍事行動は命令下のものであると考えた方が自然
馬謖は敗戦の責任を負っただけで軍法違反による刑死ではない
360:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 09:05:31
よくある、といえば言葉が過ぎるが
ちょくちょくあるからこそ
刑が定められたんだろうが
加えて、いわゆる抜け駆けのようなことは
毎度毎度ではないにしろ、起こりうることだ。
また、
関羽が命令で動いたというのは超解釈
361:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 13:16:37
魏延の独断って演義の話じゃね?
正史魏延は文句は言ってるが背いた事はないと思うが
362:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 15:07:55
>>359
だから諸葛亮に処刑されなかった魏延さんは軍法違反なんかしていないんだよ。
不満はあっても蜀のため、大義のために指示通り動く…漢じゃないか。
363:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 18:58:26
魏延は諸葛亮の部下ではあり続けた
あるいは、諸葛亮こそが、
劉備の死後、魏延の寄りどころだったのか
いずれにしても、魏延の非業の死は、
同僚との対立と人望の欠落によるもので
諸葛亮の死こそが引き金であったわけで
364:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 20:07:40
>>360
だから軍法はそれを防ぐために作られたわけで違反は規模と身分と状況によりけりだが司令官なら普通殺されるんだって
官位の高い人間が軍法違反したらまず確実に処罰受けるし歴史書にも確実に書かれるから
抜け駆けというのがどの戦闘のどの段階で程度の規模の物を指すのかは知らんが
独断で軍を動かすのは反逆と全くの同義。そんなことがちょくちょく起こると本気でおもっとるの?
また関羽に対外への軍事行動を起こす権力は無く単独の軍事行動であるという方がよほど超解釈
365:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 20:37:11
>>362
当時指揮権がどちらにあったのか知らんし、その後の経過もわかりかねるけど
結果的に魏延が自身の指揮下の前部部隊を率いて元諸葛亮の軍勢の後退を妨害したのだから、
これはさすがに軍法違反ではないというのは無理があるんじゃ
ただ役職パッと見楊儀が魏延を差し置いて指揮を告ぐというのは不自然に思う
俺も詳しくないからよくわからんが
366:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:04:11
>言っとくが基本的にどの時代も軍法違反はもれなく死刑だぞ
>よって関羽の軍事行動は命令下のものであると考えた方が自然
「よって」、という接続詞の用法を間違えてないか?
前後の文に因果関係はないんだが。
大体、関羽は軍律云々以前に「敗死」してるしなぁ。
問責しようにも、「関羽は既に死んでいる」からなあ。
367:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:05:29
>また関羽に対外への軍事行動を起こす権力は無く単独の軍事行動であるという方がよほど超解釈
軍を動かせと、劉備なり諸葛亮なりが指令した、という史料がどこかにあるならいざ知らず、
なんのソースもなしに、
「こう考えたらオレの中では辻褄が合うので、これが自然だ」というのは超解釈以外の何物でもない。
そして、状況証拠で言うなら、
関羽の独断であった、関羽に北上の指令なんか、まったくなかった
というほうがより「自然」だ。
第一には、同僚の士仁、麋芳や孟達の関羽北上時の反応だ。
もし、北上指令が関羽に下っていたのであれば、
同様の指令あるいは北上に協力する旨の指令が荊州諸将に下っていなければ、ずいぶんと中途半端な指令である。
そして、指令があったにもかかわらず、彼らが関羽の支援をサボタージュしたなら、
ソレこそ重大な命令違反であり、史書に残らないわけがない。
だが、そんな記述はどこにも「ない」
つまり、麋芳や孟達はあるいは裏切り、あるいは関羽を見捨てたが、
「関羽の北上を支援しろという命令を破ることだけはできなかった。なぜならそんな命令はなかったから。」
ということだ。
となると、関羽に北上命令が出ていれば、
ソレは、他の荊州諸武将を動員しない、という、ずいぶんと中途半端でいい加減なものであったということだ。
それは「自然」なことだろうか?
第二に、益州から荊州への支援、増援の記録がない。
漢中との連携も取れておらず、バラバラの軍事行動である。
そもそも、三分の計の一番の要は、益州・漢中方面と、荊州との連携による、二面作戦である。
しかし、関羽が北上したのは、定軍山で曹操が釘付けにされていたとき「ではない」。
そのため、于禁らの援軍の派遣が可能であった。
魏の援軍が水害にあったのは僥倖でしかなく、このような綱渡りが「天下三分の計に基づく益荊の連携」だとしたらあまりにお粗末である。
つまり、関羽の北上は蜀の本来の戦略から真っ向反している。
そんな指令があったという解釈が「自然」といえるだろうか。
ま、これらとて、所詮状況証拠に過ぎないが。
368:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:06:50
長文の上に魏延スレでスレチ、
しかも、sage忘れてageちまった。
丞相閣下に処断されてくる。
369:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:30:51
関羽は荊州の軍政権を一任されてたと考えた方が自然じゃない?
当時の交通状況を考慮すれば関羽の行動が一々本営の指示を受けていた
と考えるのは荒唐無稽に過ぎると思うが。
北上はあくまで荊州内での話で、本来の関羽の所轄内だし
魏との敵対は規定路線だから別に関羽が曹操との敵対を決めた訳でもない
普通に方面軍司令官の権限内での軍事行動だと思うがね
370:無名武将@お腹せっぷく
08/10/03 23:33:18
しかし結局のところ蜀は劉備と諸葛亮
という二つの巨星で成り立ってたんだなあ
371:無名武将@お腹せっぷく
08/10/04 18:20:34
>>365
ちょいとおまいさん、それは諸葛亮死後の撤退の時の話かえ?
あっしのは「諸葛亮に処刑されなかった」ってとおり、諸葛亮存命中の話。
その後の話はしてないよ。
372:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 12:32:47
確かにある程度の権限はあっただろうし、
「瑣末なこと」なら自由裁量の範囲だろう。
まあ、小競り合い、あるいは急襲を受けての防衛戦ならば。
しかし作戦行動の規模からして、天下三分綱領としては、
少なくとも蜀本国と(この時点でどっちが本国かというと微妙だが)
連携をとって進めるべき性質のものだし、
裁可を逐一仰がなくてもいい場合でさえ、少なくとも事実経緯を逐次報告する必要はある
さすがに呉の急襲を報告しろというのは難しかったろうが(そのへんは呉の手際が見事だった)
半畳責めは蜀にいる劉備、孔明に通知してあってしかるべきだ。
蜀のほうで関羽の行動をどの程度把握していたかはわからないが、
関羽に増援を送っていないのならば、「その必要は無い」と判断していたからだろう。
その判断が、関羽の軍事行動を承認してのもの(関羽になら援軍は必要ないだろうという意識)なのか、
そもそも関羽の動きの報告を受けておらず行動を把握できていなかったということなのか。
前者なら、孔明の現状認識が非常に甘いものであったといえる。
(関羽の北上自体の進捗が順調であればなおさら防衛網が薄くなるため、増援がいらないはずが無い)
後者ならば、やはり関羽の独断、あるいは報告義務の過怠による自滅である。
いずれにせよ、本来の天下三分の計からすれば、
呉の侵攻の可能性を考慮しないで魏への攻勢に転じたという判断自体が誤りで荊州失陥の根本原因。
関羽の手勢だけではできることではないをやろうというのだから。
373:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 18:48:11
スレ違いじゃないかなぁ。
374:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 19:12:49
魏延の五丈原での最期だが
つまりは撤収派と戦闘続行派の対立だろ
そして、北伐推進派の巨魁である孔明の陣中での突然死の後
撤収派によって魏延は亡きものにされた
なにか陰謀があったかもしれない
と妄想してみる
375:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 19:17:41
>>329の注釈は歴史に残してもいいw
376:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 19:27:23
>>374
実際あったかどうかはともかく、あったかもしれないと思わせる状況は
色々と妄想をかき立ててくれて、大変面白い
377:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 20:30:10
>>375
なにげに読んでいて気づかなかったwww
378:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 20:31:57
惜しむらくは戦闘続行派が、派閥ではなく魏延のみだったところだな。
そのくらい諸葛亮の遺言は影響力を持ってたわけだし、
撤収派というより諸葛亮の陰対魏延という構図じゃない?
諸葛亮の遺言が戦闘続行だったら状況は逆転したと思う。
379:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 22:06:08
違うよ。全然違うよ。
遠征を継続するかどうかで揉めてんじゃなくて、
だれが丞相軍の指揮権を継承するかで揉めてんだよ。
380:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 22:19:54
揉めるっていっても権限を委譲されたのは楊儀達だから、
諸葛亮の遺言に逆らった魏延には正当性がないし、
諸将も味方には付かないって話。
もし戦闘続行が遺言だったら魏延側に諸将が付いたろうに。
381:無名武将@お腹せっぷく
08/10/05 22:52:09
陰謀を妄想するなら
そもそも
諸葛亮に後事を託されなかった楊儀が
五丈原からの撤収の指揮を任されて
しかも、その後、不遇の内に死んだ
という伝に
なにか怪しさを感じる。
382:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 01:01:20
主席幕僚だから
383:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 01:18:12
幕僚クラスの人間が、外部に出ている上官を差し置いて、最高権力者の遺言を称して最高権力者の権力を独占する
構図は始皇帝の死後に趙高が権力握ったりしたのと同じパターン
384:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 03:35:32
>>383
なんか壮大な誤解をしてるんじゃないかなぁ。
魏延は位階が高いだけで、べつに楊儀の上司なんかじゃないよ。
楊儀は長史(丞相補佐、代理)なので、諸葛亮が死んで後を仕切るのは普通のこと。
魏延は丞相府の人間じゃないから、外部から口出ししちゃいけないんだよ本来は。
ただ、魏延が考えたのは多分、漢中軍の指揮権をもつ諸葛亮が死んだ以上、
指揮権は軍部最高位の征西大将軍府に移されるべき、ってことだと思うよ。
簡単にいうと、諸葛亮が統括していたあの軍のことを、
楊儀は、丞相軍だと思ってて(だから丞相長史が仕切るのが当然)、
魏延は、漢中軍だと思ってた(だから指揮権が委譲されるのが当然)ってこと。
385:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 07:27:03
魏延って中村紀洋みたいなイメージがあるな
ノリと違って魏延は殺されたけどな
386:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 11:30:10
でも魏延は征西大将軍でも開幕はしてないはずじゃ?
確か幕府を開いてたのは、諸葛亮とごねた李厳だけだったはず。
だから一旦帰国して新たに皇帝の裁可を仰がないと、
軍権掌握に正当性はない気がする。
387:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 11:33:46
それと諸葛亮が漢中に丞相府を移した時点で
魏延は督漢中ではなくなってるはず。
だから厳密には漢中軍の指揮権も魏延にはない。
388:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 12:13:42
指揮官が没したからとりあえず撤退しましょうや、という意見が大多数だったんだろうね。
間を取ってとりあえず漢中に魏延を指揮官とする一軍を配しておくとかできなかったのかな。
ま、楊儀と魏延の仲を考えると無理な話だけど。
389:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 12:44:43
漢中までの撤退自体を反対した感じだし
どこまでいっても魏延は軍人であって
政治的な正当性とか分からなかったんだろうなぁ
教養は無さそうだし
390:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 13:09:25
教養は知らないが、軍を率いる将なんだから頭が悪いわけではない、と思うのだが
391:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 20:09:24
>>389
軍務の事しか知らない可能性は大きいね。
漢中時代も政治的な功績はないみたいだし。
392:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 23:30:19
魏延に対する陳寿の評価がすべて、という気もするなぁ。
と、言ってしまうと実も蓋も無いんだけれど。
いびり殺されたのには確かに魏延の人格や人望にも問題はあったんだろうが、
謀反人の汚名を着せられたのは不本意だったろう。
ましてや少し後で、楊儀こそが
「こんなことなら魏に降っておけば」なんて発言をして処罰されるわけだから、
魏延の謀反は無実だろうし、
ひょっとすると撤退の妨害工作も事実ではないかも、と申そう
393:無名武将@お腹せっぷく
08/10/06 23:37:54
魏の方ではこの時のことを魏延が後事を託された、と言ってるんだよね
394:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 00:07:23
魏延VS楊儀というレベルに集約すればそうだけど
もし本当に事実に反するならその場の人間全てが嘘に加担したことになる。
それは流石に妄想が先走りし過ぎだろう。
裴松之も言ってるが本伝と敵国での風聞なら問題にならないし
謀反人の汚名も自ら招いたことだから
ここを無理に擁護するのはどうかと思う。
魏延の軍事手腕と魏延が謀反人かどうかは関係がないし。
まあ、魏延厨としてはある意味正しい姿勢なのかもしれないが・・・
395:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 01:03:40
楊儀との不仲で謀られた魏延がかわいそうだって彼女が言ってた。
396:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 02:49:05
最近過大評価気味ですね。
397:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 08:03:21
それはわかっているんだよ。
比較的同情的な正史でさえ、
魏延配下の兵士は魏延の下から逃げ出したという記述があるわけで、
魏延は相応に人望に欠けていたのは確かなこと
けれども、そうは言っても、
嵌められたということも確かなわけで、
魏延ファンとしては
もともと決して十分な資料があるわけではないところから、
いかに話を膨らませるか、ということなんじゃない?
398:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 11:15:50
いや謀反人の話はいくら膨らませても軍事的手腕とは関係ないんじゃ?
399:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 12:19:53
謀略説を膨らませよう
と言ってるんじゃないの
400:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 12:48:28
魏延の憂鬱
401:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 12:51:09
さあみんなで魏延の軍功を語ろうZE☆
402:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 16:46:34
兵力7,000位で子午谷進軍させても良かったよなあ。
陳式もくっ付けて。
失敗してみないとわからないタイプだろう。
以後はちゃんと言う事聞くようになるさ。
403:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 16:58:31
夷陵では水軍を任され、北伐では一軍の総大将を任され、
諸葛亮の指示通りに武都・陰平を攻略した忠実な将ですがなにか?
404:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 19:09:46
確かに陳式は忠実な武将だよなあ
405:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 19:51:40
以下妄想なんで
前からでもウシロからでもツッコんでくれ
孔明にとって重要なのは
北伐の意志を明確に示しつつ
兵や国力の損耗をさけることではなかったか
子午谷進軍を却下したのは
事の成否に関わらず、それは不都合だったのかもしれない
いわば、北伐とは
蜀の存在意義のアピールとして、
あるいは国論の統一のための、
内外への示威行動であり、
(国力に大きな負担をかけない程度に)膠着した戦線で睨み合いを続けるのが、
諸葛亮にとってはベストだったのかもしれない。
そして、その判断はたぶん間違いではない
406:無名武将@お腹せっぷく
08/10/07 21:28:51
確かに北伐が諸葛亮でも魏延でも不可能に近いって事は
後世の事実を知ってる人間からすれば一目瞭然なんだけどね。
そもそも国力でも地の利(攻勢かける上での)でも
相対的優位といえる呉が、全くといっていいほど成功してないんだから
407:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 02:06:41
つまり、北伐で本気で魏を打倒するつもりだったのは、
魏延一人だったのかもしれない。
度重なる北伐を繰り返しながら、積極的後世を極力避けた諸葛亮や、
諸葛亮の死後、魏の幕僚のほとんどが撤退論に傾いたのも、
その本心は魏と対陣することであって、魏と交戦するところには無かったとしたら・・・
一人本気だった魏延はとんだ道化である。
だが、そんな魏延が大好きだ
408:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 07:53:48
飛躍しすぎ
409:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 08:32:37
魏延一人という言葉は大袈裟に過ぎる
が、出撃前の出師の表の積極性とは裏腹に
前線では慎重を通り越して消極的な孔明の采配は
適性に問題がないなら、本気じゃなかった、ということかもしれないけれどね
410:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 12:58:28
>>397
面倒見は良かったとも言われるのにな
北伐関係は全部碌な結果にならず滅びてるの考えれば
イチバチでも勝算すくなくてもやってみりゃ良かったのにって気はする
結果論だけどね
411:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:18:00
仮に成功して一時的に長安制圧できたとしても、維持できないと判断したんじゃねーのかな?
その場合、退路を絶たれて、魏延を含む蜀の最強野戦部隊が壊滅。
それは、蜀軍にとっては、致命的な損失になるからね。
412:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:29:39
魏延案の基本戦略は
俺 最☆強ww夏侯楙なんて戦わずに逃げますよJKwwwバッチ任して!
という自意識過剰なところに根ざしてるからね。
まともな指揮官なら
ちょっwwwオマwwwそれ兵法じゃねえwwwうぇwwwうぇwww
って答えても不思議はない。
413:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:37:50
でも実際オンナスキーの無能だったんだろ
長いこと漢中仕切ってたんだから
それを知って判断基準にしてるって考える方が自然だろ
名指しだしな
414:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:41:18
自分を韓信に比してたり、長安近辺なんて見た事もないだろうに
簡単に1万程度の兵で占拠・保持できると判断したり
自分を過大に相手を過小に評価する性格的欠陥が滲み出てるな
まあ、そんなところが魏延らしさなんだけど
415:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 14:57:50
夏侯ボウは武略はないといわれたけど無能ではないからね
野戦ならともかく、長安に籠もってたったの数日耐えたら
逆に蜀軍終了のお知らせが届いたろうけど
416:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 15:22:02
長安の守将を解かれた後も中央で尚書になっているくらいだから、
演義等で描かれているほど酷くはなかったんだろうね。
単純に貴族化した2世ってのが実状だったのかもね。
417:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 20:28:26
魏とまともに戦うなら
普通に戦えば魏を打倒する前に
蜀の国力が尽きる
だが、寄り合い所帯の蜀が打倒魏の旗を下ろしてしまえば内部崩壊してしまう
諸葛亮の北伐はそうした観点に基づいたものなら
そもそも子午谷から長安を強攻する意味はない
だが同時に、そのような出師はいわばその場しのぎの欺瞞であり
いずれは国力か戦意が尽きて蜀が崩壊してしまうのは避けられない
あくまで敗北の先延ばしに過ぎない
だからこそ、国力がまだ多少なりとも残っているうちに
乾坤一擲の勝負にでて
魏の内部に衝撃と混乱をもたらすほどの
派手な戦果を挙げるしか
蜀には勝利の目はなかっただろう
関羽の北伐による動揺さえ収拾した司馬尉をして
立て直しが効かないほどの戦果として
長安占拠ではまだ不十分な気もするけれど
418:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 21:00:40
逆に考えればいきなり大博打を打つより
順当に国境を荒らして人員や国土を収奪して
少しでも国力差をなくしたほうが正解といえる。
そのための北伐と考えれば魏の主力との戦いは
出来るだけ相手の首都から遠く蜀の国境には近い地域を選択すべきで
あらゆる観点から考えても長安強攻は全くの無意味でしかない。
長安が魏の首都機能を有しており
これを陥落させることが魏を揺るがす事になるなら
一国を賭ける意味もあるけど残念ながらそれほどの価値はない。
419:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 21:27:23
そうかなあ
魏の周りうろうろしててマジギレされたら潰されるだけじゃね?
時間が経てば経つほど国力の差は開くだろうし
そもそも国土の陣取りも失敗気味だったけどな
420:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 21:53:51
成功したかどうかは結果論で
戦略的に順当かどうかの話とは別問題
魏打倒を標榜している以上はマジギレとか関係なく潰されるし
上でも他の人が書いてるが
蜀が打倒を果たせる可能性はもともと高くないけど
少なくとも長安に玉砕特攻をかけるより遥かにマシ
特攻相手がもう少し値の高い相手なら良いけど
長安じゃ完全にハイリスク・ローリターン
421:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 22:20:18
そこで荊州失陥が重くのしかかるわけだ
司隷強襲も関中方面との連携も可能な荊州を保ちさえしていれば
対魏戦争の勝ち筋も僅かながらまだあったのだろうが
漢中から関中に進軍ルートが限られた以上、
もう蜀は詰んでいた。
あとはローリスクノーリターン(やや粘れる)か
ハイリスクノーリターン(奇跡が重なれば生だかほぼ確実に死)か
あるいは
政治家視点か現場監督視点か
それだけの違いでしかなかっただろう
どちらが正しいからもう一方かが間違い、
なんてことはなく、
お互いの立場上どちらも最善を尽くした戦略だったんじゃないか?
422:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 22:22:28
× ハイリスクノーリターン
○ ハイリスクレアリターン
たいしてかわらないなんて言わないで
423:無名武将@お腹せっぷく
08/10/08 23:37:58
う~ん、というより相手の選定が悪いという問題だからなあ
もっと前の時代や、もっと後の時代なら長安には政治的な意味合いも含めて
重要拠点であったり副首都的な意味合いがあったりしたが
この当時は寂れた一地方都市でしかなかったんだよね
前漢の首都であったというノスタルジックな感傷を除けば
長安には掛けをするだけの価値がない
奇跡が重なれば、という前提なら長安を的にしなくても
諸葛亮案で十分で、街亭で奇跡的勝利を収めていれば
長安周辺だけでなく関中以西が手に入るので
こちらの方が勝ったときのリターンも大きい
当時の長安に政治的・軍事的重要性がもっとあれば評価も変わるんだけど・・・
424:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 00:48:27
>>421
荊州失陥は手痛いがそれよりも夷陵がトドメだと思うのだが
425:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 01:57:45
荊州を関羽が堅守していれば
そもそも夷陵自体がないな
426:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 10:06:02
結局桃園トリオが自らの手で国を立ち行かなくしてしまい、
残された者はその後始末と幻影に振り回されたということか。
427:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 12:49:12
仮に街亭で魏軍を撃退したとして
魏の防衛ラインが下がるまでのこと
ようやく関中でマトモに勝負ができるというまでのことで
ただちに関中を制圧できるわけでもないだろう
さりげなく馬超の死も政略・戦略面でショックが大きかったかも
428:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 14:06:54
街亭で勝ったころにゃ諸葛亮が隴右の制圧終わらしてるだろ
長安陥落させてもその後の展望がないのに較べりゃ比較にならない
429:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 14:20:08
まぁ街亭守りきれば長安を取れる可能性は高かった。後ろに憂いがない分だけかなり面白い戦況になっていただろうな
あとの北伐3回はノーチャンス
430:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 14:26:24
孟達で失敗馬謖で失敗
陣中もごたごたでそううまく行くとは思えんけどな
431:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 16:44:44
そんなに言うほど高いとはおもわない
ようやく条件が五分に近くなる程度じゃね?
敵地への遠征という立場の不利を抑えられるようにはなるだろうが
根本的に不利な要因がなくなるわけではないし
「普通の勝ち方」をコツコツ積み上げても
とうてい埋まる戦力差ではないだろう
官渡の数倍の戦力差をひっくり返すだけの強みが蜀にあっただろうか
あるいはそれだけの弱みが魏にあっただろうか
官途でさえ、奇跡であり、しかも、決定打にはなりえなかったのだ
北伐の蜀軍は官途の曹操陣営にまさるとは言えないのに対して、
魏軍の戦力は官途の遠紹軍をゆうに上回り、
しかも攻守の利は逆だ。
ならば、攻める側の強みをフル活用したかと言えば
似たような漸進と緩攻の繰り返しで
見せ球さえない
これで西方をどうやって魏から切り取れるだろう?
432:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 17:41:40
演義では、司馬懿も、もし俺なら、子午谷から攻める。
と言っている。あながち魏延の献策も、的外れではないようだ。
ただ、司馬懿に出来るから、魏延にも出来るとは言えないが・・・
433:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 19:01:12
街亭で勝ったということは東方からの数万の増援を撃破し
しかも当時では随一の戦歴を誇る宿将・張?を破る事になる
これは長安を陥落させるのより魏の衝撃は大きいよ。
張?に比肩するほどの戦歴と勇名を持った武将は魏でも他にいない。
しかも祁山西方の平定が済めば先鋒だけじゃなく
諸葛亮の主力本隊が長安側へ出張ってくるわけで
涼州と雍州の西半分を後方策源地にして長安に相対できる。
これは子午谷経由の博打攻撃より比較にならないほど有利だよ。
結果論から言えばこの時明帝は長安に親征してるから
これで長安を下すのは結構大変かもしれない
それでも魏の西方国境地帯を切り取れただけで大戦果。
また逆にここで長安軍を撃破すれば魏は一気に傾く可能性がある。
しかも、この後には呉側からの侵攻も始まるしね。
ただ、これは当時の諸葛亮達は知らない情報だから別問題だけど。
>>432
正史でも司馬懿は子午道ではないけど似たような事いってるね。
この時のプランは褒斜道から武功を経由して長安を狙うというものだから
魏延の言う子午道を通るほど無茶な考えでもない。
434:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 19:01:39
蜀は長安急襲すべきだったという結論に達したな
435:無名武将@お腹せっぷく
08/10/09 19:22:10
街亭で勝てればって話だけど本当にそんな勝って当然の戦だったんかね
実際は山の上に居なけりゃ勝てましたってもんでもないだろ
これに限らんが手堅くやって勝ち目がある相手だとは思えんのだよな