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2004年
3A二冠の実績によってあのセギノールが再来日する。
どちらでも一発の出る両打ち。小粒ばかり集まった北海道日本ハムにとっては
まさに唯一無二の主砲であった。
また本拠地でも長距離砲ぶりを発揮。HRも44本にものぼりHR王を獲得している。
実にOPSは1を超えるものであった。
首脳陣も「何もかもオンブにダッコで申し訳ない」とセギノールに頭を下げていた。
平成19年、創価学会創立77周年を迎えたこの年の秋。
北海道では優勝を祝う学会の祭などさまざまな記念行事が執り行われていた。
しかしその裏でフロントは虎視眈々とセギノール追放の謀略を進めていた。
それがあの『S作戦』だ。
優勝が決定する、僅か2ヶ月前。
フロントは2度にわたって取り巻きを集め会議を開いている。
そこでS作戦は練られていた。
その暴挙の内容を詳細に伝えるメモがある。
これは会議に参加した非学会員が直々に記録したメモである。
「特に猊下は『年俸泥棒追放』と激しい口調で強調されていた」
またこのとき、文面を見た出席者が飯山の頭文字" I "を取って『 I 作戦』だというと
フロントは「それは違う。Sだよ。」と答えている。
これはセギノールの首を切る、いわゆるSeguignolの
頭文字であると説明されたと出席者は後に語った。