09/02/01 01:38:37 fwJbfYc00
僕は山田さんにとって厄介者だった。
01年にヘッドコーチに昇格した山田さんは、投手コーチ時代とは別人のように選手との接し方が変わった。
投手コーチ時代の2年間は、投手の盾となり、仙さんと意見が衝突することもあった。
それがヘッドコーチになった途端、選手とは一線を画すようになった。
当時の中日は、仙さんの後釜に山田さんが納まるのは既定路線だった。
山田さんは監督就任を見据え、選手との距離を置くことで威厳を示そうとしたのかも知れない。
若い投手たちが助言を求めたくても、山田さんは聞く耳を持たない。投手陣から不満が出るのは当然だった。
球宴明けのことだったと思う。ベテランの僕が代表して
「選手ともっと話して下さい」とお願いしても、山田さんの反応はつれなかった。
「オレが悪いのかよ? 選手は自分のやるべきことをやってればいいんだよ。お前はファーム行っとけ」
半ば引退を決意していた僕は、山田さんの命令に黙って従った。