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福田永将
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小1で野球を始める(このとき全国3位、鴨志田スワローズ)。中学時代は緑中央シニアで全国優勝を
はたし注目され、シニア全日本代表の4番を務めた。中学時代(鴨志田中学)にはニューヨークメッツ
から入団テストに来てほしいと声をかけられたこともあったと言われる。
横浜高校では打撃を買われ1年春からベンチ入り。西武の涌井秀章とバッテリーを
組み甲子園にも出場した。まだ1年で経験も浅かったために、試合終盤の大事な場面からは
交代させられることが多かったがレギュラーであった。2年春から4番。2006年春の第78回選抜高等学校野球大会で
主将として優勝を経験した。同年夏は史上初の同校2度目の「春夏連覇」が期待されたが
中田翔率いる大阪桐蔭高校に6-11と大敗し、大会開幕初日に敗退という結果となった。
高校通算49本塁打を放つなど評価され、ドラフト会議で中日ドラゴンズから高校生ドラフト3巡目で
指名された。