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ここは野村を語るところでは?
横浜はベテラン一掃事件から、野村・三浦・五十嵐・島田・波留・佐伯・河原ら若い選手を起用し
95年には勝率5割を超えている。 30年以上優勝から遠ざかっていたと言っても広島はAクラス転落が間近、阪神は先も見えぬ状態。
比べて横浜は若くて勢いのあるチーム。ジワジワと力をためていて、歯車がかみ合えばこの頃から優勝争いも可能な陣容だった。
大矢時代には鈴木尚と谷繁の成長が大きく、野村・盛田・佐々木・進藤・ローズら前年2位合わせ、
再生した阿波野に戸叶・関口・横山・西を合わせ、既存の戦力と
権藤独特の投手心理に基づいた理論を加えれば選手も最初は気持ちよくプレーできたかもしれない。
「打撃の事はよく分からなんから、殆どコーチと選手に任せています」
「攻撃中?僕は次の守りの事ばかり考えています(略)監督といっても自分のことを70%くらいは投手コーチだと思っていますから」
「投手の立場からすればケースによってはバントをしてくれた方が助かる(略)そんな時にアウトを謙譲してどうする。立ち直らせてしまう」
(98年チーム犠打は68、波留11・進藤が8あとは殆ど投手)
「1点を取りそれを守りつないで佐々木に託すやり方もある。しかし相手も必死になってやってくるんです。都合よくは行かない
(略)攻め続ける方が相手にとって脅威となる。一番重要なのは流れです」
>権藤がコーチに就任した97年のことなんだけど
>三浦が初めて二桁勝ったのも97年なんだが
斎藤佐々木はスルー?川村は権藤が育てたのなら、藪・小林幹・上原なんかは誰が育てたんでしょうか。大家は何故芽が出なかったのか。
選手個人の努力を無視するのは嫌いなんだけど。
そんなに権藤が凄いのなら、なんで99年は投壊して00年は尻すぼみになっちゃったんでしょうか?