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牟田口 廉也(むたぐち れんや) Wikipedia
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牟田口は前線部隊に対しては現在地死守の命令を繰り返すのみで撤退を一切認めなかった。
この頃つけられた呼び名は「鬼畜牟田口」。また当時このような歌も流行った。
「牟田口閣下のお好きなものは、一に勲章、二にメーマ(ビルマ語で女)、三に新聞ジャーナリスト」。
「失敗したら腹を切れ」と部下を難詰するも、自身は自決することなく、余生をまっとうした
指揮下部隊を置き去りにしていち早く戦域を離脱し安全な後方地帯へと逃げ込んだ。
将兵からは「馬鹿な大将、敵より怖い」と罵られ、「鬼畜の牟田口」と呼ばれていたと伝わる。
インパール作戦失敗の責任を問われると、「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と
牟田口は頑なに自説を曲げずに自己弁護に終始した。 兵士たちへの謝罪の言葉は死ぬまで無かった。
それどころか遺言を残して、自分の葬儀においても自己弁護を印刷したチラシを参列者に対して配布させた。
日本軍史上、現代に至るまでこれほど酷評され、擁護する人間が全くいないのは、将官、将校では稀有な存在である。