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飛騨屋、クナシリ場所にて、大規模な搾粕製造を開始。
この頃の飛騨屋はアイヌ酷使にあたり、反発するアイヌに対し、脅迫、暴行、見せしめとしての毒殺などを繰り返した、
人や病人などの労働力として価値の無いものも虐殺した。
また、和人の支配人や番人らは、アイヌの女性を手当たり次第に強姦、抗議に来た夫を虐待し、
さらに弁償させるという傍若無人の振る舞いを行った(新井田孫三郎・寛政蝦夷乱取調日記)。
番人は場所稼方の者より見立てられ、無頼の博徒、帳外者と唱え候たぐい、父母親戚にも疎まれ候やから、、
往々非道の儀もこれあり、饑凍に及び候老人小児も顧みず、波風はなはだしき節も強いて魚事相働かすなり、
惨刻(ママ)の扱い方少なからず」「クスリ場所にては当時41人の番人36人まで、土人の女の子を奸奪して妾となし」(近世蝦夷人物誌)。
『メナシ クナシリ戦争』
過酷な収奪や酷使、虐殺を行った飛騨屋に対し、首長ツキノエの留守中にマメキリらが中心となって武装した41名が、国後トマリの運上屋や
番屋を襲撃、商人や松前藩の兵士など22名を殺害、6日後、クナシリ島の対岸メナシのアイヌも蜂起、クナシリ島より渡航した蜂起集団と合流、
200名余の集団となり、標津、忠類、薫津、植別の各地で36名を殺害、忠類に停泊していた飛騨屋の大通丸を襲撃、13名を殺害する、
(中略)
鎮圧軍は首謀者全員の処刑を決定し、ノッカマッブの丘で処刑を開始するが、6人目を処刑しようとした時に、牢内からペウタンゲ(アイヌの行う危急の叫び声)が
発生、周囲のアイヌと共に暴動を起こしそうだったので、鎮圧軍は牢柵の中の残りの首謀者達に向け鉄砲を射撃、息のあるものは槍で突き殺し、首謀者37名の
首を跳ね(1名は逃亡に成功)、塩漬けにして持ちかえった。
鎮圧軍は藩主への御目見えとして、さらに43名のアイヌを松前城下に連行し、首謀者の塩漬け首のうち中心人物8名を松前城下・立石野で晒し首とした。