07/11/30 16:00:06 s74/Xoz60
しかし、それでもブレアが退学にもならず、またブレア自身も退学しなかったのは、
そんなブレアをみどころのある生徒として見守って言葉をかけ、演劇部や弁論部に
誘った先生がいたからである。
ブレアは「わたしの10代は、ひどいものだった」と後年語っているが、パブリック・
スクールというエリート学校のなかの優等生ではなく、むしろ問題児だったことに後年の
輝きの源があったのではなかろうか。逸脱と反抗で鍛えられた自由闊達(かったつ)
さ、そして庶民感覚が培われたのである。
ブレアを教えた教師は、ブレアの後年の政治家のキャリアはフェテス校時代のかれ
の生きかたに根ざしているという。
「ブレアはいつも自分がその一員である学校の欠陥について指摘してやまなかった。
そうした省察力は、根本において政治家にふさわしい資質そのものである」、と。
問題児がすべて輝くわけではないから、問題児の野放しの美化は単純な排除と
同じように危険ではある。しかし、逸脱や反抗の教育的意味を考えるべきではなかろうか。
生徒自身による創造的自己教育の源になりうるものなのだから。
学校教育や教師の仕事に優等生や優等生もどき、つまり行儀のよい役割人間の
生産以上の意味があるとしたら、それは若気のいたりをふくんだ若者のずれ(逸脱)
にどれほど寛容と忍耐のまなざしをそそぐことができるかである。
現代社会は教育の関心に満ち満ちてはいる。しかし、それが優等生もどきの再生産
運動になってしまう危険性も大きいのである。