07/12/01 15:15:13 hO3lJSd0O
英語と日本語では思考が幾分異なっている。
「事柄そのもの」なんてのは
伊藤和夫の世代のインテリ層が若い頃流行していた
新カント派の哲学の概念に過ぎない。
伊藤和夫の読解(というか実は和訳)法の中心に
この「事物自体」なるものがあるという
根拠のない信念がある。
これはよく言ってイデオロギー、
はっきり言うと信仰のようなものだ。
どこそこへの行き方のような具体的な話題ならば別だが
入試なら抽象度の高い文章だって出るだろ。
伊藤方式では、英語における抽象概念を
日本語化した形でしか認識できない。
こういうのを「自己矛盾」っていうんだ。
覚えとけ。