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ジャンプも優れた編集がいない
鳥嶋和彦 6代目: 1996 - 2001
編集者として多くの漫画家を発掘・育成しており、中でも鳥山明、桂正和の2人が当人達の成功もあり特に有名。
彼等は様々な場面で鳥嶋を恩師と呼んでおり、鳥嶋が「Vジャンプ」を立ち上げた際に連載を行うなどと繋がりが深い。
鳥山については『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』の編集を、
桂については『ウイングマン』の編集や『電影少女』の発案に関わっていた。
1996年2月には「週刊少年ジャンプ」の売上低迷を打破する切り札としてジャンプ本誌に呼び戻され編集長に就任。
『遊☆戯☆王』など連載作品のメディアミックスを精力的に推し進めた。
前体制から続く発行部数下落傾向の結果、1997年には「週刊少年マガジン」に発行部数首位の座を奪われたものの、
この頃から『ONE PIECE』や『NARUTO -ナルト-』などの新人作家のヒット作が再び出てくるようになった。
以後2001年6月まで同誌の編集長であった。
その後、「週刊少年ジャンプ」「月刊少年ジャンプ」「Vジャンプ」を統括する第3編集部部長(取締役昇格後も2006年7月まで兼任)や
ライツ事業部部長となり、2004年8月には集英社取締役となる。
高橋俊昌 7代目: 2001 - 2003
彼の週刊少年ジャンプ編集者としてのスタンス、
功績としては当時の週刊少年ジャンプの主流であった編集長西村繁男などの方針である硬派路線に反し、
美少女を描ける作家であった江口、まつもと、富沢、萩原、冨樫、などを次々発掘しつづけたところにある。
鳥嶋とともにVジャンプ創刊にも携わった。
2001年に「週刊少年ジャンプ」の編集長へ就任。
前任の鳥嶋編集長同様、同誌に連載されている漫画作品のメディアミックスを精力的に推し進め、
発行部数で「週刊少年マガジン」を逆転し首位の座に返り咲いた。
2003年1月24日、東京湾内の船上で行われた同誌ONE PIECEのアニメ映画製作発表会の席にて突然倒れ、
救急車で病院に運ばれたがクモ膜下出血により急逝。享年44。
茨木政彦 8代目: 2003 -
徳弘正也『シェイプアップ乱』、えんどコイチ『ついでにとんちんかん』、
にわのまこと『THE MOMOTAROH』、土方茂(小畑健)『CYBORGじいちゃんG』、
高橋ゆたか『ボンボン坂高校演劇部』などギャグ漫画を主に担当した。
堀江信彦、鳥嶋和彦、高橋俊昌が編集長であった時代には週刊少年ジャンプの副編集長を務めている。
2003年12号より、急逝した後輩・高橋俊昌の後任として「週刊少年ジャンプ」編集長に就任。
2007年11月に「ジャンプスクエア」の編集長を兼任で就任。現在、週刊少年ジャンプとジャンプスクエアの編集長を務めている。
編集長に就任後は、絵よりギャグ・ストーリーの質を重視した編集方針を貫く一方、
新人の読切を積極的に掲載したり、「金未来杯」を開催するなどこれまでの週刊少年ジャンプを支えた「新人発掘」を積極的に行っている。
また、インタビューにて「女性読者が増えているが、これまで通り小中学生に向けた誌面作りをしていく」という旨のコメントをしている。