07/10/29 00:34:59 aM+RUHIE0
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|| 我是“逃兎”虐殺‥‥(挽
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/ \\|レ./ / .vv vヽ “救命阿”‥‥!!
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『逃兎 ( にげと ) 』
明朝末期、中國北東部の魏家矛区(ぎやんく)という地域で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、百三十五個もの天婦羅で腹を満たした後
合図と共に器量の良い女子供らに駆け寄り、集団で攫うという、極悪非道の誘拐行為であった。
攫った人間の代わりとして得体の知れない不細工な生物を置いて行く習慣があったが
意図は未だ不明である。
やがてこの遊びに飽きた荒くれ者が、両手に武器と盾を持ち、互いに攻撃と防御を交互に行い
生死を掛けた快感を味わう“盾読”(たてよみ)というに発展させた。
“盾読”に敗れ命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、
朝廷に仕える者を輩出するほどであった。
この“盾読”から逃げ出す臆病者も多く、脱兎の如く必死に逃げる様から『逃兎(にげと)』呼ばれ
以降、臆病者や軟弱者の代名詞として嘲笑され、見つけ次第虐殺される習わしとなった。
刃森尊のスレッド内で、屈強な不良達にキリバンゲッターが虐殺されるのはその名残である。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
「虐殺」と形を変えて、魏家矛区人が勇猛さを争っているのである。
( 刃森書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )