07/02/28 02:51:40 vQDEbZRZ0
>>338
>>338
歳月は真実を証すのさ。その単能ぶりこそが、赤松の作家的実体。
ラブひなのヒット自体は、結局「偶然の巡り合わせ」だったんだなあ、とつくづく思う。
当時、メジャー少年誌レベルで、ゲーム中のイベントの連綴「だけ」で出来てるような
「ギャルゲみたいなマソガ」を描く奴自体が少なかった。
ギャルゲ慣れした消費者に対応する商品が丁度空白だったんだな。
何故、描く奴がいなかったのかって?
「そんなもん描いても作家的にはなんも面白くねえから。」
で、赤松は「そういうのしか描けない」。
これほどの幸運があろうか?
で、一山アテた結果として、赤松には「命取りな過大な世間像」が付いて回る事となる。
業界っていうのは、何だかんだ言ってもアタるかハズすか、丁半バクチの世界だからねw
「ヒットメーカー様」には過大な賞賛と期待が集まる。
才能の裏打ちなんか無いなんて、業界人の誰が気にするだろう? 納期さえ守ってれば。
そんな雰囲気の中、エゴは肥大し、市場を直感的に把握しているような
気分に浸っていたようだけど、
「読者の個々の感想は方向性が雑多過ぎて意味が取れない」。
援用するのは「アンケートの支持数」、
しかし「作中で何を仕掛けても、アンケートの値の変動が取れない」。
つまり「ボキの山勘」以上の話じゃなかったのさ。
赤松が言い募りたがる「マーケティング」は、常に過去の経験則でしか語られない、
実用性の疑問な素人論であることに、もっと注意されていい。
選択される行動が過去則の遵守でしか無いのなら、市場の拡大は全く望めないのだから。
時は過ぎ、市場は移ろう。
ゲームにしたって、テキスト量は加速度的に増加し、
分岐構造も昔のように単純なものじゃあない。
消費者の嗜好は進化し続ける。
「記号“だけ”の時代の終り」が、そのまま「赤松 犬の終り」となるわけだ。