07/10/21 13:21:52
そろそろじっくり考えてみるべきでは?
参考
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2:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 13:23:47
人望
3:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/10/21 13:32:00
一族
4:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 13:36:01
一族にそんな差はないような…
5:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 13:43:56
>>4
仲間割れ
6:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 13:46:20
寿命
7:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 13:47:25
陳到と趙雲、なぜ差がついたか・・・慢心、環境の違い
8:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 14:00:42
猿家も曹家も名門だよな
9:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 14:10:02
>>4
どう見ても曹家の方が上です、ありがとうございました
┌――┐ ┌―┐
|曹操 | |袁紹|
|曹洪 | |~~|
|曹仁 | |~~|
|曹純 | |袁術|
|曹真 | └―┘
|夏侯惇|
|夏侯淵|
└――┘
子 子
曹昂 袁譚
曹丕 袁煕
曹彰 袁尚
曹植
曹彪
曹沖
10:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 14:13:27
これでさらに仲間割れしてちゃな
お家滅亡も仕方ない
11:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 14:16:01
跡継ぎ争いは曹家にもあったけどな
12:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 18:50:08
袁家にも史書には残ってないけど優秀な連中って結構いたんじゃないかな
13:森の中から顔出す土安
07/10/21 20:19:57
袁紹、優柔不断で猜疑心が強く人材をまとめる器にあらず。
曹操、決断力に富み、人の言をよく聞き入れる。
ここが大きな差よ。
14:無名武将@お腹せっぷく
07/10/21 20:46:27
とは言え、官渡での奇跡的な勝利があった故の評価だよな。
あそこで許攸が裏切らなければ袁紹の圧勝で終わってたのに。
15:無名武将@お腹せっぷく
07/10/22 20:21:36
許攸の裏切りも袁紹の猜疑心の強さが撒いた種。
それよりも許攸の裏切りが偽者か本物かを見抜いて行動した曹操はやはり指揮する実力が違う。
仮に袁紹が北を占領してても後に出現する孔明と劉備の力を前にして、猜疑心や優柔不断の袁紹の性格上がある限り、いとも簡単に魏は滅ぼされていたことになってただろう。
どのみち袁紹は天下を取る器にあらず。
末っ子ヒイキで仲の悪い無能は息子達が後を継いでもまたしかり。
16:無名武将@お腹せっぷく
07/10/22 20:22:48
許攸の裏切りも袁紹の猜疑心の強さが撒いた種。
それよりも許攸の裏切りが偽者か本物かを見抜いて行動した曹操はやはり指揮する実力が違う。
仮に袁紹が北を占領してても後に出現する孔明と劉備の力を前にして、猜疑心や優柔不断の袁紹の性格上がある限り、いとも簡単に魏は滅ぼされていたことになってただろう。
どのみち袁紹は天下を取る器にあらず。
末っ子ヒイキで仲の悪い無能な息子達が後を継いでもまたしかり。
17:牡丹兵部卿 ◆3DrU4NIGtI
07/10/22 20:26:04
国力差があるんだから、袁紹は持久戦やってりゃ確実に勝てたのにな。
魏が蜀の北伐を持久戦で撃退したように。
18:宇喜多直家信者 ◆W.uAGfax.c
07/10/22 20:32:28
曹操軍にも内通者がいたけどな。
19:16=森の中から顔出す土安
07/10/22 20:48:21
袁紹に「持久戦を!」と田豊は進言したけど、袁紹「討ち滅ぼそうと盛り上がった指揮を下げる気か!」と却下され田豊は牢にまで入れられる始末。決断力ともいえる【どうするべきかの行動の選択ミス】が敗因。
それに引き換え、曹操は配下からの進言をいろいろな人物から述べさせて良い手段を選ぶ才がある。
ここも勝敗を左右したポイント。
20:無名武将@お腹せっぷく
07/10/22 21:22:00
八戸のぶながと学徒出陣なぜ差がついたか…慢心、環境の違い
21:無名武将@お腹せっぷく
07/10/22 21:22:23
妙スレage
22:聖天使ザビエル∬ν゜ゝ゜》つ† ◆llkBnTV0DI
07/10/22 21:38:27
ひょーりみと無双ファンなぜ差がつかなかったのか~僕と君は似ている~
23:無双ファン ◆.IjycOFqtg
07/10/22 22:09:10
まあcとリザードンなぜ差がついたか
24:無名武将@お腹せっぷく
07/10/22 22:49:28
袁紹にとって不運だったのが、跡継ぎをしっかり決めなかったこと。カントの戦いで
袁紹が終わったといわれてるが、これがとんでもない間違いで、その後袁紹は
立ち直り、兵力も曹操と互角以上にまで回復していた。人口が最も多い4州を
持っている袁紹の実力は健在だったが、この時期に病が悪化して死んでしまう。
3人の息子の間で後継者問題が起こり、内乱の隙を曹操に突かれて滅んだ。
>>1
カントの大敗北の後も曹操以上の力を持った袁紹は、負けてないんだよ!
負けたのは息子じゃ!後継者を指名できなかった決断力の無さが、袁紹の実力の無さと
言われればそうだけども。
25:無名武将@お腹せっぷく
07/10/22 23:49:53
でも曹操も袁紹を倒してから
慢心で気が緩みっぱなしになったけどなw
26:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 00:26:57
袁紹は負けたけどそのまま倒されたわけではない。
曹操は彼が死ぬまで四州に手出しできなかったし。
27:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 00:42:16
>>25
お前バカか?
ここでは曹操と袁紹の差についてのスレだが。
その後のことは論外。
28:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 00:50:29
袁紹信者
29:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 00:56:00
>>25みたいな袁紹信者キモいなw
あらゆる角度から曹操の落ち度を取ろうとしてるw
30:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 11:18:29
>>15
許攸の裏切りは袁紹の猜疑心ではなく、審配に罪を犯した身内を処罰された逆恨みから。
曹操が許攸を信用したのは、元からの知り合いだと言う事と、
残り一週間ももたずに兵糧が尽きるっていう切迫した事態だったから。
>>17
実は官渡って持久戦で、先に兵糧が尽きかけた曹操が一転、
奇襲に打って出て逆転してるんだよね。
また田豊らが主張した曹操の後背で劉備と賊を動かしての撹乱を試みてるが、
曹仁の別働隊により軽く一蹴されている。
孫策と劉表が共同して曹操の後背を突く可能性があったのなら分かるんだが、
両者は抗争(孫策的には親の仇討ち)の真っ最中だからな。
一応、黄祖を落とせないと悟った孫策が北上を考えてはいるが、その場で暗殺されてる。
跡を継いだ孫権もとりあえず黄祖討伐から始めてるし。
結論としては、曹操と袁紹の差は「運」としか言いようが無い。
31:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 15:35:07
>>30
「運」だけとは言い切れないんじゃない?
32:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 16:54:48
どっちにしろ幹部クラスの部下の間で確執ありすぎだよなー袁紹陣営は
普通有利な方こそバラけず団結してるはずだけどね…
袁紹の責任かどうかはわからんが
33:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 17:41:21
<幕僚の活躍>
・兗州牧⇒陳宮
・張邈の乱⇒荀彧、程昱
・官渡の戦い⇒荀彧、許攸
・赤壁の戦い⇒賈詡
・合肥の戦い⇒蒋済、張遼
・潼関の戦い⇒曹仁、賈詡
・漢中の戦い⇒司馬懿
・樊城の戦い⇒曹仁、満寵、司馬懿、蒋済
<降伏>
・青州黄巾
・張繍
・黒山賊
・劉琮
・五斗米道
<都合よく病死、暗殺>
・劉岱
・孫策
・袁紹
・劉表
<勝手に仲間割れ>
・呂布と袁術
・袁譚と袁尚
・馬超と韓遂
・孫権と劉備
34:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 17:56:47
みんな正史と演義のどっちを主題にしてるの?
35:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 18:11:45
>>9がすべて
36:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 18:27:23
>>32
同じこころざしをもって形成してる他の勢力と違って、袁紹軍は袁家の名門の名の下に集った名士達ばかりだったから志しが極端にバラバラだったんじゃない?
こういうふうな確執が多い環境は中心がシッカリまとめれてない場合が殆どだしな。
袁紹は配下に頼りすぎていた現われでは?
37:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 19:07:06
>>27->>29
結局は同類ってことだろ。
38:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 19:11:44
>>37
曹操が袁紹と同類だと?
39:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 19:26:43
>>37
かもな。
曹操にも傲慢や慢心のある時代が後期になるほど
現われてきたしな。
40:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 20:13:15
まあはっきり言って負け犬にかける言葉は無いな
41:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 20:22:35
えんしょうはカス。
ただそれだけのこと。
200年ぐらいまで生きてたのは周りの支えの力だけでしかない。
えんしょう=りゅうぜん
間違いない。
42:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 20:26:18
携帯厨乙です
43:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 20:40:13
炎症信者乙
44:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 20:48:50
袁紹って頭悪そうだよな
45:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 20:58:02
頭は良いだろうよ
46:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 21:02:33
袁紹:韓馥、公孫瓚、張燕
曹操:袁術、陶謙、呂布、劉備、張繍
袁紹が過小評価される一因に
「後継者に相続失敗し、その息子たちがそろって曹操に殺された」という点
曹操>袁譚、袁尚は確実。
しかし、それがそのまま曹操>袁紹に直結しているような感じだ。
官渡後でも袁紹存命のままなら黄河を挟んで対峙が続いたことだろう。
もう少し寿命があれば、戦力の喪失で独力で曹操を倒すのは無理でも、
孫権や劉表、馬騰&韓遂を外交でまとめ上げて四方から圧殺する戦略も取りえた。
47:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 21:34:05
界橋の戦いは官渡と並ぶ奇跡的な大勝利
あの時期の公孫サンはかなり強いからな
48:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 21:49:05
呂布が袁紹の配下として飼われたままなら
曹操は劉備と潰し合って共倒れになっていた可能性が高い。
49:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 21:54:33
カントの戦いで、袁紹の大軍が攻めてくると聞いて、曹操の配下は色を失う。
「とても勝ち目はない!」と思った。
だが曹操は、こう言って配下の気持ちを静めた。
「袁紹の人物のほどは、先刻承知だ。(野心は大きいが、知略が伴わない。
容貌はいかついが、度胸や決断力に欠ける。猜疑心が強いから、部下を心服
させられない。こんな男に何が出来よう。それに兵は、数を誇るばかりで
統制が取れておらぬし、将軍どもはいばりくさって勝手な命令を出しておる。
たしかに領地は広く、兵糧は豊富だが、このざまではどうにもならぬ。わしに
使ってくれと差し出すようなものだ)」
50:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 21:55:59
>>20
学徒出陣様に失礼だ
51:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 22:16:39
いかに力がものを言う乱世であるとはいえ、大義名分を持たない戦いをしかけるのは、
世の中の指示を得られず、結局は敗れることになる。これは、袁紹が曹操攻略の腹を
固めたとき、幕下の祖授が諌めたことば。
「戦乱を救い暴虐を滅する、これを義兵といいますが、多勢を頼み強大さを鼻に
かけるのは驕兵であります。義兵であれば向かうところ敵なしですが、驕兵では
滅亡あるのみです」
さらに祖授は、曹操が天子を擁し大義名分を手にした以上、今、これを攻めるのは
義兵とはいえないこと、表面的な力の強弱は、勝利の為の絶対的条件では無いこと
などを力説して、袁紹に翻意をうながした。
だが、この諌言は聞き入れられず、袁紹軍は南征し、やがて官渡の戦いが行われる
ことになる。
この時袁紹は、まさに祖授の言う、多勢をたのみ、強大さを鼻にかけた驕兵の戦いを
演じてみせた。結果はいうまでもなかった。
52:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 22:27:03
袁紹軍10余万、対する曹操軍は1万足らず、これが官渡の決戦を前にした両軍の
兵力とされている。ざっと10倍を超える差である。これだけの兵力差があって、
はたして勝負になるものかどうかは知らないが、至弱が至強に勝ったと喧伝される
ゆえんである。この苦しい戦いの最中、曹操は常に陣頭にあって部下を叱咤激励
しながら、必ず勝つと言い続けていたが、本音の所ははたしてどうであったろうか。
後年の彼の回想によると、「どう比べても、こちらに勝ち目は無い。仕方ない、
国の為に死のう、正義の為に身命を投げうとう。そうすれば後世に名が残るだろう」
こんな心境であった。勝てたのは自分が幸運だったからだ、と述べている。
53:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 22:38:48
戦いには、予測不可能な変化が生じるもの、あらかじめ決めてかかってはいけない、と
いうのである。袁紹が全軍に渡河命令を下し、一気に官渡に攻めくだろうとした時、
側近の祖授が諌めた言葉。彼はさらに次のように言う。
「本体は延津に残し、官渡攻撃は1部の兵力で当たるようになさるがよろしい。
本隊を迎えるのは勝利を得てからでも遅くありません。全軍をつぎこんで、
手こずる事態にでもなれば、帰還はおぼつかなくなりますぞ」
だが、袁紹は聞き入れなかった。敵に10倍する己の軍が、必ず勝つと頭から
決め込んでいた袁紹には、姑息な作戦と思えたからであった。
祖授「ああ、上に立つ者は野心のかたまり、下にいる者は功ばかり焦っている。
悠々たる黄河よ、わしはもう戻れないのか」
黄河を渡るとき、祖授はこういって嘆いた。凡庸なトップに仕えた者の悲哀である。
54:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 22:55:47
官渡の決戦を前に、曹操の謀臣荀彧が、敵情分析をしてみせた。彼は
以前、袁紹のもとにいたことがあるので、袁紹幕下一人一人の性格をよく知っていた。
「(袁紹軍は兵力が多くても軍令がいい加減。田豊は剛情な男でよく主命に逆らう。
許攸は欲が深くて身持ちが悪い。また審配は深謀遠慮に欠け、逢妃は向こうみず、
このふたりが留守を任されているのだ。許攸の一家が法を犯しても、政治的配慮など
できはしない。そうなれば、許攸はきっとこちらに寝返ってくる」
戦いは、敵の参謀許攸が寝返ってきたことで決着がつくのだが、その許攸の寝返りの
理由が、まさに荀彧の予測にずばりと一致していたのであった。
これほどのナンバーツーがいたのだから、曹操もずいぶんと心強かったことだろう。
55:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 23:14:17
子遠とは、許攸のあぎな。官渡の戦いのとき、彼は袁紹軍の参謀を務めていたが、
献策をことごとく退けられた上、曹操と対峙している重要な時期というのに
法を犯した身内を何の配慮も無く処罰された怒りから袁紹を見限り、曹操のもとに
身を投じた。曹操は、許攸が投降してきたと聞くなり、はだしのまま出迎えに
飛び出したという。そして手を叩き、満面に笑みを浮かべながら言った。
「許攸どの、そなたがまいられたからには、わが方の勝利は間違いなしじゃ」
将棋でいえば、相手がぽかをしてくれたおかげで、労せずして敵の大駒を
手に入れたようなもの、曹操でなくても笑いの止まらない所であろう。ときに
開戦から半年後、兵員の不足と兵糧の欠乏に苦しみながら、なんとか
持ちこたえてきた曹操にとって、願ってもないチャンスが転がり込んできたことになる。
曹操は、危ぶむ臣下を抑えて許攸の献策をいれ、その夜奇襲部隊を率いて出陣。
めざすは1万台におよぶ敵のシ重車、なんの備えもしていないという。
この兵糧焼き討ちが成功して形勢は一挙に逆転、こうして天下分け目の戦いは
曹操の勝利に終わるのである。
56:無名武将@お腹せっぷく
07/10/23 23:55:49
曹操信者VS袁紹信者か。
これはまた面白い構図ですなw
57:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 01:01:12
信玄厨にはまだ「病に負けたんだ!子孫は無能だし!戦なら最強だった!」って言い訳があるが
袁紹厨は病に負け戦争でも負けた奴を擁護しなきゃいかんから大変だな
58:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 01:24:31
曹操も赤壁で大敗してるけどな
59:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 01:50:20
許攸の時と同じ展開を期待して黄蓋の投降受け入れた挙句に裏をかかれっちゃってるのが情けない
なんか曹操ってイマイチ勝ち方も負け方も冴えないんだよなあ
60:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 01:53:02
S級妖怪が現れたな。
これは見ものだ。
自分はB級の上位妖怪ぐらいなもので。
61:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 02:02:57
>>60
こいつキモいwww
62:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 03:36:46
長文の正確な論理が出来るS妖怪のレスは凄いな。
雑魚は文体見ただけで理解できなくなって近づこうとしない。
63:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 11:05:34
>>58
袁紹に?
64:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 11:44:49
自 殺 し た い
65:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 11:54:43
大切なお知らせ
自治新党創設者にして現在の三戦板の繁栄のいしずえを築かれた学徒出陣様が、
このほど、中国英雄板を支援するため、三戦板を離れて旅立つことが決まりました。
送別会を開きますので、みなさん、参加のほどをお願いいたします。
スレリンク(warhis板)
66:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 20:46:33
赤壁の戦いで、劣勢の呉軍を勝利に導いた最大の功労者が、孫堅の挙兵いらい、
戦場を駆け巡ってきた老将の黄蓋だった。その黄蓋が、周楡に献策したことば。
「曹操の兵力は数においては絶対的に優位、じっくりかまえて戦ったのでは、
とうてい勝ち目はありません。しかし、敵の大軍は(へさきととも)が
噛み合わんばかりで身動きもできません。ひとつ焼討ちをかけてやりましょう」
こういって黄蓋は、曹操あてに投降するむねの偽りの書簡を送りつけておき、
みずから快速船をひきいて曹操軍に近づき、みごと焼討ちを成功させる。
『三国志』の中でも、もっとも知られた場面であろう。小説では、裏切りを
曹操に信じこませる為に、黄蓋と周楡のあいだで一芝居がうたれる。それが
「苦肉の計」だ。いずれにせよ、この敗戦で、曹操は天下統一の夢を
打ちくだかれ、以来、二度と統一のチャンスはめぐって来なかった。
67:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 20:56:55
曹操が、東は呂布、南は張繍とかれらの平定にてこずっていたころ、
黄河以北に強大な勢力を張ったライバルの袁紹から、小馬鹿にしたような
手紙がとどいた。めずらしく逆上した曹操は、この手紙を参謀の荀彧に見せ、
「袁紹をこらしめたいが、力ではかなわない。どうしたものだろう」
と相談した。すると荀彧は、
「(昔から、勝つか負けるかは、君主の器しだいです。ほんとうに君主に
ふさわしければ、弱小であっても強大になるし、その器でなければ、強大であっても
衰えるということ。)これは劉邦と項羽の存亡をみればわかるではありませんか」
と述べたあと、曹操と袁紹のふたりを、包容力、決断力、統率力、指導力の4点から
比較してみせ、いずれも曹操のほうがまさっている以上、いくら袁紹が強大であろうと
恐れるに足らないと、曹操を勇気づける。
組織の強弱は固定したものではなく、トップの器量しだいだとは、たしかに
その通りであろう。
68:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 21:13:37
官渡の戦いは、天下分け目の決戦だったが、このとき、洞が峠を決め込んだのが
荊州の主劉表である。かれは、袁紹からの救援要請にも応じず、かといって曹操に
与するでもなかった。これを見て、参謀の韓崇が進言した。
「(もし将軍が天下の覇権を握ろうとのお志をお持ちでしたら、いまこそ漁夫の利を
占めるまたとないチャンス。またそのお志がないのでしたら、いずれか有利な
ほうに味方すべきです)。あたら10万の精鋭を擁しながら、こんなことでは、
いずれが勝っても恨まれ、中間に立って勢力を保ちつづけることなど、
できなくなりましょう」
だが劉表はためらうばかりで、なんら具体的な行動を起こすことができなかった。
このときの劉表の態度を、史書は、(狐疑して断ぜず)と表現している。
結局、劉表は、天下雄飛のチャンスをみずからつぶすことになった。そればかりか、
15年間にわたって苦心して経営してきた荊州の地は、かれの死後まもなく、
劉ソウの代に、戦うことなく曹操に奪われることになる。
69:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 21:29:10
「今、天下の英雄は、君とわしぐらいのものだろう。袁紹(あぎなは本初)など、
とるに足らない」
劉備が献帝から曹操チュウ殺の密命を受け、実行のチャンスをうかがって
いたときのこと、ある日、曹操から食事に招かれる。その席で曹操は、なにげなく
こう言ったのだが、料理に手をつけようとしていた劉備は、ぎくっとして、
思わず箸を取り落とした。その瞬間、雷鳴がとどろいた。
「これはとんだ粗相を……雷鳴や暴風のさいには、粗相をせぬよう気をつけよと、
孔子が言っておられるが、まことにそのとおり。わたしは雷が大の苦手でしてな。
とんだ醜態をお目にかけました」
劉備は、こう言ってその場をとりつくろった。
小説や芝居でもよく知られた場面である。当時、最大の勢力を誇っていた
袁紹よりも、居候同然の劉備のほうが格が上だというのだから、言われた本人が
驚いたのは無理もない。だが、英雄は英雄を知るである。曹操の人を見る眼は
たしかであった。乱世においては、誰が真のライバルかを見誤るようでは、決して
勝ち残れない。
70:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 21:49:54
後漢王朝の存在が有名無実になってしまっても、皇帝という名の持つ重みは、
容易には失われないようだ。これにいち早く気づいて利用したのが曹操で、
後れをとったのがライバルの袁紹だった。
じつは、幕僚の祖授が、袁紹にこうすすめていた。まだ曹操が献帝を擁する前の
ことである。
「いま天子を迎えるのは、りっぱに筋目のとおったこと。そればかりか、
これは時宜を得た策でもあります。(早く手を打たねば、かならず人に
先んじられます。機を逃さず速やかに行うことが肝要、そこのところをよく
お考えください)」
袁紹は、この意見をとりあげなかった。皇帝が身近にいたのでは、なにかと行動を
束縛されるだけだ、というのがかれの判断だった。
曹操が献帝を自分の本拠地許に迎えると、ここが都となり、河南一帯が
曹操の支配下におかれ、諸将はわれもわれもと曹操になびいた。このときになって
袁紹は歯ぎしりして口惜しがったが、後の祭り。
71:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 22:17:14
曹操「それ劉備は、人傑なり。今撃たずんば、必ず後の患とならん。」
建安5(200)年、袁紹との対決が目前に迫る曹操にとって、面倒な問題が起こった。
徐州に拠る劉備が反旗をひるがえしたのだ。曹操はみずから征討に
向かおうとする。
「わが君と天下を争っているのは袁紹ではありませんか。その袁紹がいまにも
攻め寄せてくるというのに、これをほったらかしにして東征なされるとは……
袁紹に背後を衝かれたら、どうなさるおつもりです」
と、あわてて諫める諸将に、曹操がこたえたのがこれである。劉備ほどの傑物、
今たたいておかないと、のちのち厄介な存在になるというのである。
その劉備にくらべれば、袁紹などは機敏な対応ができない男、こちらの隙を
衝かれる気づかいはない、というのが曹操の読みであった。
また、大仕事にとりかかる前だからこそ、懸案の事項はきちんとかたづけて
おくほうがよい――曹操はこうも考えたのである。
東征が断行され、結果は大勝利、劉備を敗走させ、妻子を捕えた。また、関羽を
捕えて許都につれ帰ったのも、このときのことである。曹操の読みどおり、
その間、袁紹はなんの動きも示さなかった。
72:無名武将@お腹せっぷく
07/10/24 22:39:23
さすがの曹操が弱気を見せたことがある。官渡の戦いのさなかでのことだ。
戦いが長引くにつれて、曹操の陣営ではしだいに兵糧が乏しくなっていった。
そのため曹操は、留守をまもる荀彧にあてて手紙を送り、許都に軍を引き揚げたいが
どうだろうかと相談した。これにたいする荀彧の返書。
「決して弱気になってはいけません。わが君は、至弱をもって至強に当たって
いるのですから、もしここで相手をたたかなければ、総崩れとなるのは必定。
いまこそ天下分け目の時です」
戦いには、ここががんばりどころという局面が必ずある。そのとき弱気になって
へたな引き技をつかうと、相手を勢いづかせることになる。これは、どんな
勝負の世界でも同じであろう。
荀彧は、その危険性を指摘するとともに、さらにこうつけ加えて、曹操の自信を
回復させ、撤退を思いとどまらせるのである。
「袁紹ごときは並の英雄、人は多くても満足に使いこなせぬありさま。こちらは、
公の類まれな武勇と明知に、天子奉戴の大義名分もあります。事の成らぬはずは
ありません」
73:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 00:07:24
>>64
イ キ ロ
74:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 17:13:22
カク「紹は強盛なり、われ、少衆をもってこれに従えば、必ずわれをもって重しと
なさず。曹公は衆弱く、そのわれを得るや必ず喜ばん。」
袁紹は曹操との対決を前に、群雄に参加を呼びかけたが、そのなかのひとりに
張繍という人物がいた。かれは曹操とは敵対関係にあったこともあって、
袁紹の呼びかけに応ずるつもりだった。
ところが、参謀のカクは、曹操側に加わるべきだと主張した。
かれはその理由として3つをあげるが、そのうちの2つめの言葉である。
「袁紹は強勢をほこっているので、こちらがわずかな手勢で従ったのでは、
大事に扱われないにきまっている。
これにくらべ、曹操のほうは兵力が劣っているから、
われわれがはせ参ずれば、歓迎されることはまちがいない」
勝ちそうな側につくのではなく、
自分たちをより必要としている側につこうというのである。
小勢力としては去就のむずかしい局面だが、それにしてもしたたかな計算といえる。
ちなみに第1の理由は、曹操が天子を奉じていること、
第3は、曹操には覇王の志があり、その器量からして過去の私怨など
すぐに放棄するだろうというのであった。
カクの思惑どおり、曹操はかれらを大喜びで迎え、
のちに重要なポストを与えて厚遇した。
75:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 17:45:22
曹操が郷里の陳留郡で、私財を投じて義勇軍を起こしたのは、
中平6(189)年のこと、これがかれの覇業へのスタートであったが、
旗揚げの軍勢はわずか5千だったという。
後年、挙兵当時を回想して曹操はこういっている。
―董卓の暴虐に対抗して、わたしは義勇軍を起こした。
当時、挙兵した者は、だれもが軍勢は多ければ多いほどいいと考えていたが、
わたしは兵の数を減らすことを心がけた。
というのは、数が多ければ意気があがり、とかく強敵にぶつかりたくなる。
これは破滅の第一歩と考えたからだ。
数を少なくしたのは、最初からの方針だったのである。―
このとき、袁紹、袁術など有力な諸将もいっせいに蜂起したが、
いずれも数万の兵を擁していた。
そのなかで、もっとも兵力の少ない曹操が、
しだいに反董卓連合軍のリーダーシップをにぎるようになる。
曹操は、当時の情勢では、大軍団を形成するよりも小まわりのきくほうが
なにかと有利と判断したのである。一族の夏候氏・曹氏を中核とした
精鋭軍団を組織したが、これは正解であったようである。
組織は、つねに大きいほうがいいとはかぎらない。
76:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 18:09:43
曹操が食料自給のため、屯田の事業をおこしたのは建安元(196)年のこと、
当時は、連年の兵乱と凶作のために、どこも深刻な
食糧不足にあえいでいた。
各地で蜂起した軍はいずれも食糧の調達問題に留意せず、
飢えれば略奪し、余れば捨てるという無計画ぶりだったから、
最後はばらばらに崩れて流民と化し、戦わずして自滅する軍が無数に出た。
河北の穀倉地帯に拠る袁紹の軍でさえ、一時は桑の実で命をつなぐありさま。
郷村は荒れはて、廃墟同然と化していた。
こうした状況のなかで、曹操は難民をつのり、許都の周辺で開拓事業をおこす。
「国家を安泰にみちびくには、軍の強化と食糧の充足をまず心がけねばならぬ」
腹が減っては戦ができぬ、というわけである。
さいわいにも、初年度に百万石の収穫をあげ、これがはずみとなって、
それ以後、各地に農務官を置いて穀物を備蓄していった。
この政策によって、曹操支配下の郷村はよみがえり、
また、軍の兵糧問題も解決することができた。
曹操がやがて他を大きくリードすることになったのは、これが要因である。
目前の急務にのみとらわれない遠い慮り、これができるかどうかが、
天下を制するものと滅びるものとのちがいといえよう。
77:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 18:38:29
「逆順には大体あり、強弱には定勢あり。」
208年、南征してきた曹操の前に、父の劉表の後を継いで
荊州の主となったばかりの劉ソウは、戦わずして荊州全土を引き渡す。
これは、劉ソウに降伏をすすめた部下の一言。
「(ものごとには順逆の理、強弱の勢いというものがあり、
これにさからうことはできません)。
臣下の身で主君に刃向かうのは『逆』です。
領有したばかりの荊州に拠って盾突く、
その勢いはとうてい比較になりません。
また、わがほうの劉備と曹操では、やはり格段のちがいがあります。
以上3点、いずれもわがほうに不利、これで朝廷の軍勢と戦うとすれば、
滅亡は目に見えております」
漢の献帝を推戴した曹操の政策が、正解であったことを示す話である。
なにせ前後400年にわたってつづいた漢王朝である。
畏敬の念をいだいていた人たちは、まだまだ多かったのである。
78:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 18:58:19
『劉予州は王室の冑にして、英才世を蓋い、衆士の慕い仰ぐこと、
水の海に帰するがごとし。
もし事の済らざれば、これすなわち天なり。』
諸葛亮が孫権に会って、曹操との決戦をすすめたときのことである。
亮はまず、「早いところ武装をといて曹操の臣下となるのが得策では……」と、
わざと反対の方向に水を向け、
「もしそうなら、劉備どのも曹操に降伏したらよいではないか」と
孫権に切り返される。
そこでかれが答えたのが、このことば。
「(わが劉備どのは漢室の血をひくお方。その英明さは天下を圧し、
あたかも川の水が海に流れこむがごとく、天下の人望を集めておられます。
たとえ失敗に終わったとて、それは天命というもの)。
どうして、曹操に膝を屈することができましょうか」
このひとことは、若い孫権のプライドを刺激し、
ライバル意識を燃え上がらせる。
そして赤壁の戦いが行われることになる。
まっこうからの説得だけでは、人はこちらの思いどおりには
なかなか動いてくれないもの、ときにはこうしたテクニックも必要だろう。
相手が自発的に動いたと思いこんでくれれば、完璧。
79:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 19:46:49
『諸将、あえてまた操を迎うべしと言うものあらば、この案(つくえ)と同じからん。』
若くして江東の主となった孫権が、最大の危機に直面したのが
曹操の大軍を赤壁にむかえたときである。80万と号する曹操軍に対して、
孫権の軍勢はわずか数万。青年君主を前にした論議の席で、
旧臣たちは口々に降伏論をとなえた。
そのなかで、若手の周楡、魯粛は、両軍の実勢を詳細に分析してみせて
主戦論を展開する。
表題のことばは、孫権がこの論戦に断を下したときのせりふである。
かれは、刀を抜き放って目の前の机にはっしと切りつけ、
臣下たちに向かって語気するどく叫ぶ。
「よいか、以後ふたたび、わしに曹操へ降れという者があれば、
この机と同じ運命になると思え!」
組織の命運がかかった大問題であり、意見百出、議論沸騰するのは当然である。
これに最後の決断を下すのが、トップの役割であるが、
こうした激論のあとこそ、断固とした態度を示す必要がある。
孫権は、この一言を吐くことによって、自身のまよいをふっ切り、
みずからの心をふるいたたせると同時に、
臣下の奮起と覚悟を促すことに成功した。
当時かれは27歳、若手とはいえ、みごとなリーダーぶりである。
80:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 20:06:38
孫権は、周楡・魯粛の主戦論に従って、曹操軍との決戦を宣言したものの、
まったく不安がなかったわけではあるまい。
なんといっても兵力の差がありすぎるのである。
そんな孫権の心のうちを見抜いたのが周楡である。
かれは、会議が終わって夜になってから、ひとり孫権のもとへ出かけていって、
ふたたび進言した。
「みなは、曹操が水陸両軍合わせて80万と書き送ってきたのに震えあがり、
真偽をたしかめずに頭から講和論をとなえておりますが、
まったくけしからんことです」
といって、曹操軍の内状を分析してみせる。
曹操が率いてきた軍勢は、じっさいは15、6万にすぎず、
しかも戦いに倦み疲れていること、
新たに加わった劉表の軍勢は、
曹操に心から従っているわけではないことなどを述べて、
重ねて孫権を勇気づけるのである。
「わたくしひとりで、曹操を追いかえしてごらんにいれます。心配はご無用です」
この一言で、孫権の迷いは完全にふっ切れたようだ。
81:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 21:02:02
赤壁の戦いを前に、孫権、劉備両軍の連合がなり、劉備の駐屯しているハン口に、
周楡に率いられた呉の船団がやって来た。
そこで、劉備は部下を派遣して周楡を慰労に正体した。ところが周楡は、
「任務があります。部署を離れるわけにはいけません。劉備どのご自身がおいでなら、
いつでもご好意をお受けいたしましょう」
というきっぱりとした返事。そこで劉備は、関羽と張飛を呼んだ。
「周楡から、出向いてくるよういってきた。孫権と手を組んだ以上、
これもやむをえまい。同盟の趣旨に反するからな」
こうして劉備は、小さな舟に乗って周楡を訪問した。
軍の最高指揮官が、みだりに持ち場を離れられないのはもちろんのこと、
まして慰労のためとあっては言語道断である。
劉備は、自分の軽率な申し出を深く恥じ、周楡のみごとな軍人ぶりにほれこんだ。
すぐに反省して気軽に腰をあげるなり、劉備もまたみごとである。
82:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 21:30:42
『人50なるは夭と称せず」といわれた三国時代のこと、平均寿命が
どれくらいであったかは知るよしもないが、それにしても享年36というのは、
いかにも若すぎる死という気がする。呉の将軍周楡のことである。
赤壁の戦いの2年後、周楡は曹操を滅ぼす大計を立てたが、
遠征を前に急病のため倒れる。死を覚悟したかれは、
孫権にあてて上奏文をしたためたが、これはそのなかの一文。
「人はいつか死ぬもの、長短は天命であります」
いかにも達観したような言い方だが、このあと、つぎのことばがつづく。
「命を惜しむものではありませんが、無念なのは、もはや将軍のご命令を
奉じえなくなったことであります」
当時、孫権は28歳。この青年君主をのこして先立つことを思うと、
とうてい達観の境地どころではなかったのかもしれない。
いま、日本人の平均寿命は、80歳といわれる。いうまでもないことだが、
これは統計上の数字であって、だれもが80まで生きることを
保障されているわけではない。いかに長寿の社会になろうとも、
人間ひとりひとりは、やはり『修短は命なり』なのである。
83:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 21:48:27
諸葛亮が構想した天下三分の局面ができあがるかどうかは、
孫権の決断ひとつにかかっていた。建安13(208)年、80万と号する
曹操の大軍が江東に迫ったときのことである。
すでに荊州の劉ソウは戦わずして降伏し、劉備もまた長阪にて大敗を喫して、
残るは江東に拠る孫権ただひとりとなっていた。
このとき諸葛亮は、単身呉にのりこんで孫権を相手に熱弁をふるい、
断固決戦すべきことを説く。
これは、諸葛亮が曹操軍の弱点を列挙していくことば。
「曹操の軍勢は遠征に疲れきっており、さきにわが軍を追ってきた騎兵も、
1日1夜で三百余里も走りずめだったとか。(強弓から放たれた矢も、
勢いを失えば絹をも通さぬ)とはこのこと。
兵法で無謀な強行軍を固く戒めているのも、このためです」
この例にかぎらず、中国の人たちは、人を説得する場合に
成語や譬えをよくつかい、しかもじつに巧妙であって、ぴたりとはまったときには、
すばらしい威力を発揮する。なにせ、成語、譬えを駆使する説得術は、
紀元前のむかしからみがき抜かれてきたものだからである。
ただし、この説得術が、今のわれわれの社会で有効かどうかは
保証のかぎりではない。
84:無名武将@お腹せっぷく
07/10/25 22:07:22
孫権を赤壁の会戦にふみ切らせた魯粛のことばで、
「一刻も早くご決断を。衆議にまどわされてはなりません」というのである。
ところでなぜ戦うべきなのか、魯粛が孫権に述べた意見というのが、
なかなかユニークなのである。
一同の降伏論は孫権を誤らせるものだと決めつけたうえで、こういう。
「たとえばわたしが降伏しても、曹操はわたしを故郷に帰し、
巡察官ぐらいにはとりたててくれます。そして学者、文人とつき合っているうちに、
州知事か郡の長官ぐらいには昇進できましょう。しかし将軍はそうはいきません。
将軍がいったん帰順されたときは、この江南は奪われ、
身を寄せるところはなくなってしまうのです」
魯粛のことばを現代にあてはめていえば、たとえ会社がつぶれても、
平ならほかで雇ってくれるところもあり、うまくいけば中間管理職ぐらいにはなれる。
しかしトップともなると、あらゆる権限は剥奪され、行きどころもない、と
いうのである。
組織の方向を決定するさい、多数意見がかならず正しいとはかぎらない。
トップは、ときにあらゆる反対を押しきった決断を迫られることもある。
『トップは孤独』といわれるゆえんである。
85:無名武将@お腹せっぷく
07/10/26 08:57:38
曹操と袁紹なぜ差がついたか…うんこの色の違い
86:無名武将@お腹せっぷく
07/10/27 00:43:20
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エロ小説wwwwwwwwwww
87:無名武将@お腹せっぷく
07/10/29 13:00:21
門生故吏は袁紹の方が多く抱えてたのに・・・
88:無名武将@お腹せっぷく
07/10/29 15:33:53
>>74
地理的な要因は無視っすか
>>75
曹操はその兵数の少なさから徐々に発言権失ってたんすけど無視っすか
最終的に袁紹の元に泣きついてたっすよ
>>76
屯田制が軌道に乗るのは曹操死後っすよ?
初年度百万石wwwwwwサーセン無知なんでソースください
>>77
結果論www
献帝奉戴は同盟者だった袁紹と仲違いする切っ掛けなのにwww
>>78
それ以前に孫権は江夏をすげー欲しがってたのご存知?
こんな会話はどーでもいいんすよ?ロマンはないっすけどねwww
>>81
どう見てもそんなんじゃねーよwww
主導権争いだってのwww
>>82
当時の平均寿命は乳児死亡も含めてのだろ
医学の発展無視っすかwwww
生きる奴は100とかまで生きてるっての
>>83
例え話は今でも有効だろ、常考
タイミング次第なんて何時だって一緒だし
お前何が言いたいの?
>>84
トップが孤独なのは決断だけじゃねーだろwwww
89:無名武将@お腹せっぷく
07/10/29 20:01:27
>>85
問題外
90:無名武将@お腹せっぷく
07/10/29 23:52:35
一番の関心は曹操ヲタと袁紹ヲタ
どっちがエヴァのエロ小説を覗いているかと言う事なんだが・・・。
91:無名武将@お腹せっぷく
07/10/30 01:04:06
レイたん派=袁紹
アスカ派=曹操
と見た
92:無名武将@お腹せっぷく
07/10/30 17:57:14
そんな派閥があったなんて・・・。
93:無名武将@お腹せっぷく
07/10/30 18:19:03
俺はレイたん派の曹操
94:無名武将@お腹せっぷく
07/10/30 19:14:32
やっぱり似た者同士かw
仲良くしろよ!
95:無名武将@お腹せっぷく
07/10/30 22:43:23
曹操もふもふもふもふ
96:無名武将@お腹せっぷく
07/11/01 21:06:42
袁紹が馬鹿だったから
97:無名武将@お腹せっぷく
07/11/01 22:21:19
曹操のうんこがみどり色だったから
袁紹はビタミン不足
98:無名武将@お腹せっぷく
07/11/02 01:56:31
野菜ジュース飲めよ
99:無名武将@お腹せっぷく
07/11/06 00:41:40
よく袁紹を語るときに「門生故吏」っていうキーワードが出てくるけど、
一体どういうものなの?
100:人斬り抜刀斎
07/11/06 00:43:18
天誅
100
101:無名武将@お腹せっぷく
07/11/06 01:14:41
マジレスすると戦下手だったからだろうな
やっぱりキクギや田豊がいないと駄目だったんだろう
102:無名武将@お腹せっぷく
07/11/06 05:54:24
>>101
マジレスすると袁紹さんは戦争上手いっすよ
何で下手だと思うんすかね
103:無名武将@お腹せっぷく
07/11/06 07:12:31
界橋の戦いで自分が光武帝の再来だと思ったはずだぜ。
104:無名武将@お腹せっぷく
07/11/06 14:41:59
八戸のぶながと学徒出陣なぜ差がついたか…慢心、環境の違い
105:無名武将@お腹せっぷく
07/11/06 20:20:34
まあ曹操に比べたら戦下手だろう
106:無名武将@お腹せっぷく
07/11/07 02:28:23
>>104
八戸のようなクズを持ち上げすぎ
107:無名武将@お腹せっぷく
07/11/08 22:26:01
>>106
マジレスすると曹操よりも上っすよ
曹操が勝てたのはただのラッキーさんさ
運までも含めて「上手い」とか言うんだったら勝った奴が強いんだから
上手いの下手のという必要は無いよね
司馬炎最強で終わるんだから
108:無名武将@お腹せっぷく
07/11/10 22:00:15
赤壁の戦いは曹操軍に水軍に慣れた者がおらず、さらに疫病も発生してたみたいだし
正面対決でもかなーり苦戦して勝利してた予感。
官渡の戦いは許攸が寝返ってくれなければ負けて死んでたと思う。
109:無名武将@お腹せっぷく
07/11/11 10:37:59
>>108
水軍に慣れた→荊州の常備軍
病→どっちもどっち
110:無名武将@お腹せっぷく
07/11/15 20:23:45
袁紹は負けてしまうからこそカッコイイ。
曹操信者の言い分も解るが、俺は袁紹が好きだ。
111:無名武将@お腹せっぷく
07/11/19 18:10:21
袁紹は全てが中途半端
だから俺は袁術陛下の方が好き
112:無名武将@お腹せっぷく
07/11/19 21:01:44
>>106
八戸のぶなが公の侮辱は許さん
113:無名武将@お腹せっぷく
07/11/19 23:04:19
馬騰一族の暗殺はひどい
死ぬ間際に、殺した相手の亡霊が見えたのもわかる気がする
114:無名武将@お腹せっぷく
07/11/19 23:50:23
曹操が赤壁の直後に死んでいたら、
曹家はお家騒動で分裂するか、豪族や有力家臣が反乱を起こす確率が高い。
それに劉備や孫権が乗ずるのは目に見えている。
曹操が勝っていたのは、寿命だろう。
まあ少々炎症が年上なんだけどさ。
115:女子高生の(・人・)おっぱいぷにゅぷにゅ ◆y2S0spIJKI
07/11/20 00:29:56
我が軍の力に仰天せよ
116:無名武将@お腹せっぷく
07/11/20 00:39:13
八戸のぶなが公が成敗してくれるわ
117:無名武将@お腹せっぷく
07/11/20 17:08:04
小魔玉が許さんぞ
118:無名武将@お腹せっぷく
07/11/22 21:54:06
金正日将軍>>>>>>次元の壁>>>>越えられない壁>>>>>曹操>袁紹