07/06/11 14:28:44
満虎(マンコ)
歴史書にもあまり記されていない古代の兵法家。
満子兵法は彼の書いたものであるとされる。
満古・満戸共に彼の子孫を名乗っているが関連は不明。
しかし、満古配下の満猪(マンチョ)は間違いなく彼の直系子孫である。
101:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 14:36:13
満猪(マンチョ)
異文化の国からやってきた人物。
古来は満虎に連なる名族だったが故あって異文化の地にいたらしい。
満古が画家・絵無爾貝客(エムジカイキャク)の掛け軸と虐燕が満戸に託し、
満戸から満古に渡った満子兵法の原本を満猪に渡して頼み込んだ結果、喜んで配下になったとされる。
配下の精鋭・御満猪隊(オマンチョ隊)は何でもすり最強最悪の軍として恐れられた。
102:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 14:39:13
平丹蛮(ペニバン)
紅灰夷族らと対立する異民族。
満古と満戸の戦いの際にあっちについたりこっちについたりして戦ったため、弱体化して陳歩に攻められ滅亡した。
103:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 14:46:57
兄・頭津棍(ズッコン)
弟・歯津棍(バッコン)
南方諸国の星醸夷(セイジョウイ)族の王。兄弟喧嘩をしてしまい弖霊曖や出愛敬らに国を奪われたと言われている。
どちらも魏恩(ギオン)出身であるとされる
104:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 14:48:34
すみません。一部記載で満戸と満古がごちゃまぜになってしまいました。
記録整理の際は訂正した上でおねがいします。
105:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 14:54:10
参飛ヰ(さんぴい)
弁王朝の軍人・政治家・書家。小弁(前弁)と、大弁(後弁)は無関係である。とする独自の説を唱えた為に罰として追放される。
幼少期の陳歩が通っていた塾は彼が作ったものである。
106:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 14:57:26
弁飾(ベンショク)
参飛ヰを宮廷から追放した大弁の皇族。
自ら皇帝に成ろうと企むが、その策が裏目に出て諸侯が群雄割拠してしまうことになった。
異常な行動が多すぎることから嫌われる。
西廟によって殺害される。
107:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 15:02:08
杏暮(アングラ)
弁王朝の政治家
弁飾と共に弁王朝末期に独裁政治をした悪人。
南方諸国の出愛敬や弖霊曖に対して様々な悪業を重ねた。
弁飾が死ぬと陳歩の所に逃げるが陳歩の配下・陳珍に殺害された
108:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 15:09:55
栄厨(エイズ)
西廟配下の大将軍
配下ながら実質的に彼が総指揮をとる。
栄厨の名を聞けばあの陳歩や満古ですら縮み上がったと言われている
西廟が陳歩に近づいた際に栄厨は陳歩の配下になったふりをしたが、それが陳歩弱体化に繋がったと言われている
西廟の死後、帝となる。と書物に書かれているが、栄王朝の記載はどこにもない。
109:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 15:29:44
万江(マンコウ)
最大級の河川。
出利辺流と交わっているところが八泰県(ハツタイケン)の江呂洲である。
110:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 16:31:06
一人で書いて楽しいか?
111:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 18:01:29
■陳歩の娘たち■
陳歩にはたくさんの子がいたが、すべて女子だった。
それゆえ、陳歩の死後には北陳は皇帝不在という非常事態に陥った。
それでも陳歩夫人淫蘭(いんらん)のもと諸将は結束し逆賊、西廟打倒に尽力した。
西廟打倒後は本格的な後継者争いとなる。
ただし後継者に名乗りを上げるには絶対の条件があった。
①陳歩の娘を正室にしている。
②陳歩の血を引く嫡子のみを跡継ぎと出来る。
の2点である。
また、絶対の条件ではないが、陳歩夫人から好意を得ることも重要だった。
こうして、陳歩の娘を正室としている重臣たちは自らの野望に突き進むの
だった。
112:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 18:14:30
【主な出来事】
袁庫の乱 1605年
弁朝滅亡 1607年 満古が弁朝帝都、洛陽を占拠。
笛羅の戦い 1608年 3月 満戸と陳歩の戦い
昌独の戦い 1608年 5月 西廟と陳歩の戦い
青天関の戦い 1609年 満臭族と陳歩の戦い
第一次瀬宮州の戦い 1610年 満古と陳歩の戦い
第二次瀬宮州の戦い 1612年 満古と陳歩の戦い
第三次瀬宮州の戦い 1614年 満古と陳歩の戦い
関中征伐 1615年 陳歩の将、西廟と斉翼の戦い
御那二の戦い 1616年 満戸と陳歩の戦い
第四次瀬宮州の戦い 1618年 満古と陳歩の戦い
通禁羅守の戦い 1620年 雲香と陳歩の戦い
第五次瀬宮州の戦い 1622年 満古と陳歩の戦い
北陳王朝の成立 1625年 陳歩、帝位につく
煩悩寺の変 1627年 陳歩、配下の西廟に襲われ死去。
113:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 18:23:04
【満戸(まんこ)】
よく勘違いされるが、軍神満古とは別人。
食い詰め者たちの流族の大将であったが、1605年、青島を占領して群雄化する。
陳歩、満古という列強に挟まれながら勢力を保ったが、1621年、満古によって
国を追われ、陳歩の元に逃げ延びる。
陳歩は元は敵である満戸を厚くもてなし、自分の娘を満戸に与えた。
陳歩の死後は、正室が陳歩の娘であることを主張して後継者を狙い、上野、
尿道炎らと宮廷内、ときには宮廷外での権力闘争に没頭した。
ついには姓を「陳」とし陳戸(ちんこ)と名乗ったが、ついには後継者レースに
破れ、辺境の地に長官に左遷される。
もっとも、一応、陳歩の義理の息子ということでそれほど悪い扱いはされていない。
114:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 18:37:52
【満古(まんこ)1573年~1623年・享年50歳】
姓は満、名は古、字を黒々(くろぐろ)という。陳歩のライバルとして有名である。
体は日に焼けどす黒く、たいへん猛々しかった。
1586年に若干13才で発体建(はつたいけん)の戦い、それ以来80回を越す戦場を駆け
巡った。彼の率いる精兵、黒満(こくまん)は最強の軍団であった。
■その生涯■
満古は弁王朝の武人であったが、1605年に袁庫の乱がおこると、朝廷の使者を
斬って自立する。官軍を次々に蹴散らし、1607年に洛陽を占拠して弁王朝を
滅ぼした。さらに反乱の盟主気取りの袁庫を追い払い。斉翼を降伏させ、
各地に割拠する諸侯を次々に併呑し県城、120城を支配する。さらに1621年には
強豪、満戸から青島の地を奪い、厨国の三分の一を支配した。
1610年から1622年まで続いた陳歩との戦いは5度に及んだが、決着はつかなかった。
第五次瀬宮州の戦いの翌年に死去する。享年50歳であった。
■黒満三万騎■
黒満とは満古に絶対の忠誠を誓う精鋭部隊。その忠誠心は信仰に近いものがある。
「我らが満王」のために命を惜しまず戦い続け全厨国の諸侯を恐れさせた。もっと
も用兵の天才である満古である。彼らを死なせることはまずなかった。
115:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 18:45:17
満古2
【満古の戦いぶり】
満古は常に前線に立って指揮するタイプの武将であったため、顔は日に焼け
どす黒く数多くの傷を持っていた。敵を半包囲する「黒肉壁」の戦法が得意だった。
完全には追い詰めないで一箇所逃げ口を開けておいて敵の敗走を誘った。
満古軍の最盛期には黒満3万騎と一般兵10万あわせて13万の兵を要していた。
満古は兵数に頼った戦が嫌いなためこれ以上兵力が増えることはなかった。遠征時
には雑兵3万人を守備隊として残し、10万の兵で攻めることが多かった。
満古は軍人としては陳歩よりはるかに強い。陳歩がなんとか互角に戦えたのは、上野ら
優秀な参謀と、西廟らの名将を召抱えていたためである。
116:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 18:53:59
肥の陳歩戦記の能力値
【満古】統率:95 武力:99 智謀:73 政治:51 魅力:93
【陳歩】統率:89 武力:87 知力:97 政治:97 魅力:91
【西廟】統率:83 武力:91 智謀:98 政治:53 魅力:89
【満戸】統率:81 武力:90 智謀:83 政治:70 魅力:78
【上野】統率:50 武力:17 智謀:99 政治:98 魅力:60
117:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 18:54:42
【無私憂世(ムシユウセイ)と模細工(モザイク)】
旗揚げした陳歩は各地で無私憂世(乱世を憂い、自らの命を顧みず行動すること)
の英雄と名高い人物を訪ね配下に加えようとしたが、いざ見えてみれば
どれもが私益に走る羊頭狗肉の俗物ばかりであった。
陳歩は「この世に模細工(贋作、にせもの)の何と多いことか!」と嘆息したと言う。
118:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 19:13:27
それだけに初めて満古を見たときの驚きはすさまじかったらしいな。
119:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 19:28:50
>>96
ふりがな、がないので読めません。なんと読むのです?
120:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 19:32:24
何、この民明書房スレ
121:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 19:43:13
陳国初代皇帝の諡号は確か童帝だったよな
122:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 19:59:43
>>121
生涯、満古とかとやってばっか(戦)の皇帝陛下に童帝はないでしょ。
123:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 20:42:45
>>119
かいあわせ、じゃないか?
124:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 21:31:56
【紀騰(きとう)】
字は摩騾(まら)。
陳歩挙兵以来の宿将。
守城兵器・金弩羽矛(こんどうむ)を発明し、猛将・栄厨率いる西廟軍を退けた。
その後も多くの戦に参加し功績をあげた。
満古軍との戦では、敵将の策・包計(ほうけい)にはまり窮地に陥るが、
上野らの助けによりなんとか一命をとりとげる。
その後の精子での記述はないが、この時の傷がもとで亡くなったとみられている。
125:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 21:55:51
海泡瀬(カイアワセ)
清水の万江(マンコウ)の流れと泥水の出利辺流(デリヘル)の流れが大河・武洲川(ブスセン)に流れ込み、そのまま河口になっている場所。
常に泡立っているためこう言われている。
満古(マンコ)の碑(凹型の石碑)が立っているが、これが海泡瀬の戦い時の物かは不明。
ここの北には万江と出利辺流の一部が交じり合う江呂洲(エロス)がある。
126:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 21:57:44
あんまり早く死亡が確定すると話が広がらないということもある。
活躍させたい武将は、最期をぼかした方がその後のエピソードが追加しやすい。
127:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 22:02:24
ポルナレフ
128:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 22:07:46
陳戟(チンポコ)
兵法家・陳子(チンコ)の名のほうが知られているかもしれない。
満虎の弟子とも義理の息子とも言われている。
同じ時代の兵法家の雲千(ウンチ)とは親友とされる。
しかし、時代がそうさせたのか陳戟は雲千により暗殺されたのである。彼は死ぬ間際に生詩(セイシ)の書を残して雲千に対して仕方がないことだったのは分かっている。と伝えた。
129:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 22:11:54
【諸除幕(しょじょまく)】
満古配下の武将
第一次瀬宮州の戦いにおいて本陣近くに陣を構えた、陳歩急襲に際して
素早く刃陣(ばーじん)をひき満古本陣を守ったが逆賊満古を前に猛り狂う
陳歩に刃陣を破られ、陳歩自慢の極太の槍「挙献(きょこん)」に貫かれて討ち死に
130:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 22:14:03
陳子兵法とは。
男子たる者、朝から屹立していなければならん。。という文句から始まる精神論を説いたものである。
しかし、彼は武器も開発していて、それの使い方も書いている。
例えば陳歩支配下の勃起村にてよく製作された「威華九砕」(イカクサイ)は陳子の作、とされる。
このように陳子は多才な人物だったようなのである。
131:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 22:26:30
薫尼(クンニ)
満古配下の尼。
海泡瀬の戦い時に満古と満戸を同盟させようと努力した人物。
満戸配下の爺諏穂戸(ジイスポット)が戦いを始めた為、すべて無駄になったため怒り自ら兵を率いたとも言われる
132:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 22:34:33
相武(アイブ)
陳歩配下の武将。字は善蟻(ゼンギ)。
敵を倒すためいつも先陣をきったとされる。普段は手国死庵(テクニシャン)にて休んでいるが、戦いとなると真っ先に仕掛けた。
先陣を切ることから。先相武(サキアイブ)という言葉が生まれた。
基本的に先陣をきったあとは休んでいることが多い。諡は触侯
133:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 22:47:22
額禄(ヌカロク)
陳歩配下の豪将。字は槍杉(ヤリスギ)。
陳歩軍は当初、軍閥にしては弱々しかった。しかし、額禄が入ると全く退かない強力な軍団と変化する。
知略の孟操に武勇の額禄がいたからこそ陳歩は満古と戦うことが出来たのである。
戦を好みすぎて度々、味方がどんなに死んでも退却しないので、陳歩が死んだあとの陳軍を疲弊させてしまった。
134:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 22:53:15
斉鋼(セイコウ)
字は抜差(ヌキサシ)。
斉翼配下の武将。斉翼の子とも、斉翼の甥とも言われている。
政治には才能がなく、斉翼とは全く別の方面である軍事にしか才能を発揮出来なかった。
わずか12才で初陣をしたという早熟な武将。
135:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 23:03:56
臨平(リンビョウ)
西廟配下の武将。栄厨には及ばないものの名将との呼び声高い。
西廟が最後の最後に陳歩を討てないでいるときに叱咤激励し陳歩を討つべきだと進言した。
136:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 23:22:19
【魯罹(ろり)】
字は辺吐(ぺど)。
慰妄盗道(いもうとどう)の教祖。
肝夫汰(きもをた)と呼ばれる信者を引きつれ、漢長(かんちょう)一帯に大勢力を築く。
137:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 23:24:59
苺独(バイドク)
西廟配下の武将。臨平とは親友である。
臨平が武人ならば彼は生粋の官僚系
西廟死後、栄厨の増長に耐えられなくなり挙兵するがあえなく敗北。
以後不明
138:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 23:37:07
昆白武(コンジローム)
西廟配下の武将。巧みな采配をするいぶし銀キャラ。
臨平や苺独が栄厨に逆らおうとする際に止めようとするが止められずに乱に加担してしまう。
負けても諦めない渋とさが売りのやっかいな武将。
139:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 23:41:55
曹柔(ソウニュウ)
陳歩配下の武将。
満古と陳歩が対峙したさいに精史に初めて現れる。
孟操とは仲が悪く、頭より行動せよ!が曹柔のポリシー。
陳歩の死後、精史から記載が消える
140:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 23:50:43
【満戸(まんこ)1582年~?】
よく勘違いされるが、軍神満古とは別人。
下流士大夫層の青年であったが、大変賢いと評判で、うわさを聞きつけた、
弁王朝の大臣、虐燕の養子となる。虐燕の死後その遺産を使って食い詰め者たち
を集め流賊を組織しその大将となる。1605年、青島を占領して群雄化する。
まもなく近隣で勢力を伸ばしていた官軍派の陳歩と敵対し笛羅の戦いで激突し
勝利を得る。その後、御那二の戦いをはじめ陳歩との衝突を繰り返すが、多くの
戦いで優位であった。(もっとも陳歩は満古という強大な敵を抱えており、多数の
将兵を満戸との戦いには割けないという理由があったため満戸が優位に戦えた面が大きい。)
また満戸は満古に憧れに近い尊敬心を持っており当初は友好的な関係が保たれていたが、
1612年頃から急速に関係が悪化、ついに海泡瀬の戦いに発展する。1621年には満古軍の
総攻撃を食らってしまい、本拠青島を放棄し陳歩の元に逃げ延びる。
陳歩は元は敵である満戸を厚くもてなし、自分の娘を満戸に与えた。
陳歩の死後は、正室が陳歩の娘であることを主張して後継者を狙い、上野、
尿道炎らと宮廷内、ときには宮廷外での権力闘争に没頭した。
ついには姓を「陳」とし陳戸(ちんこ)と名乗ったが、ついには後継者レースに
破れ、辺境の地に長官に左遷される。
もっとも、一応、陳歩の義理の息子ということでそれほど悪い扱いはされていない。
141:無名武将@お腹せっぷく
07/06/11 23:51:43
仁真(ニンシン)
陳歩を滅ぼした西廟をさらに滅ぼした将。
出自は陳・満だと言われている。
国を建てた後、龍山に行くと言い残し消息をたった。
142:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 00:33:40
秘女甫(ひめはじめ)
姓は秘女 名は甫
東から来た仙人。満戸を気に入り配下に入る。
知識を活かして満戸軍を動かし、陳歩軍を苦戦させた。
満戸が陳歩に下ると再び仙人として姿を隠してしまった。
満戸と満古がぶつかる事になった海泡瀬の戦いの際には、対陳歩の陣中だった為に参陣がかなわなかった。
彼が満戸軍に合流し、海泡瀬に陣取っていたら満古も楽には勝てずに、もしかしたら負けていたかもしれない。
143:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 00:43:14
洸文(コウモン)
字は阿盗(アヌス)。雲家に代々使えてきた執事。
輝く星印の旗を掲げて迫りくる姿は陳歩・満古ですら戦いを避けたがった。
栄厨とは親友であり、戦がないときは毎日酒を酌み交わした仲。
城を守らせたら門は絶対開かせない事で有名。
陳歩の世になるとしばらく息を潜めてから南方にて反旗を翻し、陳歩南征を起こさせた。
このことから、洸文が陳歩の死の遠因を作ったのである。といえる。
144:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 00:51:49
胤保(インポ)
字は天津(テンツ)
反陳歩勢力。陳歩軍の士気を下げるようにあちこちで破壊工作を仕掛けた。
一時は陳歩危うし!!と言うところまで追い詰めたが
戸霊(ペレ)の導きによって復活した陳歩によって再起不能にされる。
その後、西廟のもとに逃れると様々な武将と協力して陳歩を苦しめた。
諡は萎侯
145:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 00:56:45
このスレまさにカオスwww
146:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 12:07:56
戸霊(ペレ)
陳歩が諦めようとするたびに現れたなぞの仙人
彼がいなければ陳歩は絶倫大将軍とは呼ばれなかったであろう。
彼自身、絶倫だったのだが、やる気がなくなった人物の気持ちを理解しているようだ。
鞠の達人だという説もある
147:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 19:43:19
【太陀乃(タダノ)】
字は亜通(アツウ)
陳歩配下の武将。
わずかな手勢と共に一大勢力になりつつあった陳歩に仕官を願い出るが
何の後ろ盾も無く、みすぼらしい軍装の彼を快く思わなかった陳歩は
無理な命令をしてこの男を試追い返してやろうと思い、
この場で裸で四つん這いになれと命じた。
太陀乃は「裸で四つん這いになれば仕官させてもらえるんですね」と言うや否や
衆人環視の中たちまち衣服を脱ぎ捨て四つん這いになり菊門を開帳した。
陳歩はその堂々たる態度に恥じ入り、また豪胆さを気に入り配下に加えたという。
漢の名将韓信の「股くぐり」の故事と並んで有名な故事である。
第三次瀬宮州の戦いでは窮地に陥った陳歩を守って奮戦、
陳歩を無事救い出すも、自身は壮絶な最後を遂げる。
死の報せを聞いた陳歩は「惜しいかな亜通!亜通ー!アツー、アッー!アッー!」
と号泣しながら名を呼び続けたという。
148:八戸のぶなが
07/06/12 19:58:07
まさに我がルーツとなるべき偉人達だ。
149:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 20:39:23
∧ ∧
(*‘ω‘ *) 陳歩ッ歩
( )
v v
母音ッ
川
( ( ) )
150:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 20:46:04
社会の上の方に行けば行くほど教養がないと馬鹿にされる。
社会の下の方に行けば行くほど腕力がないと舐められるのと一緒。
151:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 21:56:46
厨国創造史
【蜍聖(ジョセイ)と彈聖(ダンセイ)】
神は二つの人形を作り出し、暇つぶしに戦わせた。この人形を人間達は神と信じた。
人間はこれの女性の神を彈聖。男性の神を蜍聖とした。
二つの神は次第に人間をも巻き込み戦を始めてしまうのである。これが【両聖愚雄の戦い】であり、人々が初めて体験する大戦争であった。
152:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 22:02:47
【両聖愚雄の戦い】(リョウセイグユウのタタカイ)
蜍聖と彈聖が人間を率いてぶつかった戦い。
これにより長きにわたる戦国の世が訪れる。
蜍聖と彈聖は人間を殺したとして神から罰を与えられた、蜍聖は菩聖(ボセイ)、彈聖は虚聖(キョセイ)という人間にされたといわれている。
153:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 22:10:05
菩帯(ボタイ)
神から人間になったとされる菩聖(ボセイ)の子孫を名乗る群雄。
若き日の名将・満古を配下にしていたほど勢力をもっていた。
しかし、晩年に養子の菩慇(ボイン)と実子の菩柔(ボニュウ)の後継ぎを巡る戦いが起きてしまい、介入した満古の勢力が拡大して行くのを止められず失意の内に没した人物
154:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 22:16:54
菩慇(ボイン)
菩帯の養子。もとは魏恩出身の卑しい身分出身。
菩帯の実子の菩柔(ボニュウ)とは本当の兄弟の様であったとされる。
菩慇は本当に菩柔を可愛がったのだが、菩帯が実子を後継ぎにしようとしたために菩家の家臣は両派に別れてしまうのである
菩慇は最終的に満古の助けもあり菩柔を破るが、虚無感に襲われ満古と共に菩家を去った。
後には満古の友・配下として陳歩と対峙する。
155:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 22:19:28
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
スレリンク(nanminhis板)
156:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 22:24:13
菩柔【ボニュウ】
菩帯の実子。
少々、ボ~っとした所があった人物。
義兄・菩慇に家督争いにて破れるが義兄が結局菩柔に家督を譲ったため、菩家の当主となった。
しかし、多くの優秀な人材が満古と共に菩家を去って行ったため菩家は弱体化していった。
弁朝に忠義を尽くしたため諸侯に領土を食い荒らされ大領主・菩家最後の当主となってしまった。
157:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 22:31:11
弁序【ベンジョ】
弁の皇族。陳歩や満古らを利用して弁朝を再興しようとしたが、ことごとく失敗してしまう。
弁飾等に権力争いで破れたのち領地の都威嶺【トイレ】に逃げていった。
158:無名武将@お腹せっぷく
07/06/12 23:35:37
【手鏡(しゅきょう)】
姓名は植田(しょくでん)
字は草代(そうよ)
人物鑑定に長け、「手鏡先生」と呼ばれた。
「下半身を見れば、人物がわかる」と論文を記し、
後の鑑定家たちにも絶大な影響を与えた。「手鏡神」と讃えられている。
陳国志援戯(えんぎ)では
上野らの才を見抜き、陳歩に推薦している。
また満戸を「陳歩や満古に劣らぬ英雄、ただ人徳がなく家臣に恵まれない」と評した。
159:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 00:39:58
余馬懿(ヨバイ)
斉翼の配下の将・斉鋼(セイコウ)の参謀。
夜襲の神。
斉翼に未来は無いことを斉鋼に伝えるが、斉鋼に無視される。
それに絶望したのか斉翼から陳歩陣営へと鞍替えした。
孟操や曹柔らとは友人になり、三賢者と称されるが結局は孟操配下の一参謀としての地位に甘んじる。
その後も野心を持ち続けるが・・・
160:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 00:45:06
序聖都・・・十八京に連なる大都市。
誰しも憧れる都。最近、腰布を短くする輩・美仁巣飼徒(ミニスカウト)が猛威を奮っている。
161:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 01:18:02
【秦躍(しんやく)】
字は湧珍(わくちん)。
陳歩配下、忠義の将。
非常に忠誠心が強く、また容姿に勝れていたため陳歩に寵愛され、側近として常に傍らにあった。
陳歩に降った西廟に対し疑心を抱き、「西廟を信用してはならない」と常に進言していたが、陳歩はこれを受け入れなかった。
1627年四川討伐に向かった陳歩に留守を任された際、
西廟配下の将だった栄厨が四川の使者と内通しているのを知る。
秦躍は煩悩寺で休養をとる陳歩の元へ急報しようと三日三晩馬を走らすが、
彼の眼前にあったのは既に焼け落ちた煩悩寺であった。
「私がついていれば…」と悔やみ自害しようとするが、思い止まり、
雲香に帰順した後、西廟を密殺する。
162:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 03:42:20
【月継(ゲッケイ)と憂吸羽(ウイスパ)と三種の神器】
月継(ゲッケイ)
破翠山に住むといわれる仙人。
忽然と満古のもとに現れ、満古を愚弄し、満古の配下をたぶらかすなどして処断された。
斬られた首元からはおびただしい程の血が吹き出し、七日七晩流れ続けたという。
死んだと思われた月継だが、28日後に再び満古の元に現れ、
「折洩乃(オリモノ)」と呼ばれる呪いをかけ、「また28日後に」と言って消えた。
折洩乃の呪いにより、兵たちは体の不調や痛みを訴えたが、どんな名医にも治すことができなかった。
困り果てた満古は、破翠山の北にある破救山に住まう仙人「憂吸羽(ウイスパ)」の元へ救いを求める使者を送った。
憂吸羽は
「反奔(タンポン)の剣」、「凪布金(ナプキン)の盾」、「紗児谷慰(サニタリ-)の箱」の三つの神器を使者に渡し、こう言った
「凪布金の盾は、あらゆる月継の妖術を防ぎ
反奔の剣で一突きすれば、月継は動きを止める
最後に「覆威飛洩闇進(オオイヒモアンシン)」と三回唱えれば、
月継を紗児谷慰の箱へ封じることができる」と。
こうして約束通り、28日後に現れた月継を
見事紗児谷慰の箱へ封じることに成功する。
しかし暫くは「折洩乃の呪い」がとけることなく続いたと言う。
一説には、五度目の陳歩軍との戦いで満古の精兵が次々と敗れ、
あっさり降服したのは「折洩乃の呪い」により士気低迷が原因ではないかと言われている。
163:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 12:48:41
音進(インシン)
満古配下の将。親子二代で満古に仕える。
親子二代で同じ名前なので父を大音進。子を小音進と呼ぶ。
満古陣営の全線にて戦った将で、実は他国からみた満古の活躍は=音進の努力だったと言われている。
164:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 16:50:54
新旋【ニュウセン】
菩家の家老。若き武将でありながら親から菩家の家老を譲られた。
満古を兄のように慕っていた。弟・新巌(ニュウガン)や父・新暴(ニュウボウ)はかなり有名な学者
165:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 17:06:33
新巌【ニュウガン】
新旋の弟。
兄と同じく菩家の家臣。兄と共に菩慇に忠義を尽くし、菩慇が菩家を去る時に満古に同行した。
兄・新旋と同様に満古の将として奮戦するが、新巌はある時に独断で陣地を変えてしまう。
命令違反をした新巌は兄の懇願むなしく、満古によって死罪とされた。
新巌は兄を越える名将であり、満古も泣く泣く新巌を斬ったのである。ここから【泣いて新巌を斬る】という言葉が出来た。
166:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 17:12:40
新暴【ニュウボウ】
字は杯托【パイタク】
新家の当主として、また、菩家の筆頭家老として政務にはげんだ。
杯托【パイタク】の詩や法律の原文は今だに残るほどのもの。
息子達に後事を託し、隠居した。
菩慇とは対立したため、菩柔が家を継ぐと補佐したが傾いた家運をどうすることも出来なかった
167:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 17:26:03
新麟【ニュウリン】
新暴【ニュウボウ】の末子。若き頃は桜の様な色の頬だったが年ごろになり焦げ茶色の顔になった、その頃から様々な事に敏感になり、すぐ何かあれば立ち上がる程の男になった。
菩家末期の最強の武将であり、菩家の領土を併合しようとした満古を度々押し返した。
しかし、伝説の義士・煤武【バイブ】の子孫・煤武【同じくバイブ】が満古を狙って突進してきた時に重傷を負ってしまう。
168:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 17:34:54
新麟 2
煤武によって傷を負わされた新麟は退却し、その間にとうとう菩柔本陣をも満古に破られてしまい、菩家は満古の支配化にいれられてしまう。
この戦いを暑町の戦い【ショチョウのタタカイ】と呼び、満古はこれを機に最大勢力へと駆け上がった。
菩家は菩慇の下に再編成され、満古軍隷下の国になった。
新麟は仕方なく満古軍の将となった。
後に陳歩と再会した煤武と再戦するが、その際は新麟が勝っている
169:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 17:42:52
新謄【ニュウトウ】
字は瓶缶(ビンカン)
新旋の嫡子
満古からは実子と一緒に可愛がられた。成人してからは陳歩軍との戦いや満戸との「海泡瀬の戦い」に父の代わりに参陣している。
満古が死ぬと白い涙を流したとされる
170:無名武将@お腹せっぷく
07/06/13 18:08:55
虎駒【トラコーマ】
西廟配下の暗美邪【クラミジア】の養子。
凶悪な武将。養父を無視し、尚且つ西廟すらも軽視する人物。
陳歩が西廟に破れ、敗走しようとしたとき、包囲網を迅速に敷き陳歩を逃がさなかった。
彼自身は盲目に近いほど視力がなかったとされる
171:無名武将@お腹せっぷく
07/06/14 11:51:19
暗美邪(クラミジア)
西廟配下の将。
笛羅の戦いにて陳歩を破った武将。
栄厨と共に西廟をもり立てた。
栄厨よりも攻撃を掛けるのが早いが、若干 勢いがない。
172:無名武将@お腹せっぷく
07/06/14 20:05:30
乙武尊(おつ たけるのみこと)
倭国の伝説の英雄。周辺を荒らす大蛇の山田汚露血(ヤマダノオロチ)を討伐するも手足を失う。しかし以降も優れた知性を生かし国の将来を支えた。
陳歩とも交流があり当時の手紙も残っている
173:無名武将@お腹せっぷく
07/06/14 20:53:01
貴須(キス)
字は節奮(セップン)
傭兵の隊長。陳歩・満古らにも通用する武将だったが、深いやりとりや相手に対する読みが足りなかった。
笛羅の戦いに参加しようと出撃したがどっちつかずが満古を怒らせたのか孟操にはめられ敗北する。
以後は盗賊になりあちこち荒らした。
174:無名武将@お腹せっぷく
07/06/15 15:01:57
もし、陳歩が買阿愚裸の戦いで陰歩に敗れていたら歴史は変わっていただろうな
175:無名武将@お腹せっぷく
07/06/15 17:07:54
胤保は戸霊(ペレ)に導かれた陳歩に破れている。
前の方に書いてある
176:無名武将@お腹せっぷく
07/06/16 01:31:15
すげぇ!三戦でまた陳国志の話題を語れるとは!
板違いで怒られんのだろうか。そんときは厨国英武威板に移るのだろうか。
177:無名武将@お腹せっぷく
07/06/16 09:19:15
陳歩は何度でも甦る。
何度でも立ち上がる
178:無名武将@お腹せっぷく
07/06/16 16:08:00
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
ブリジット!! [おたく]
ブルースリーVSジャッキーチェン [中国英雄]
lll初代llll 始皇帝 lll皇帝lll [中国英雄]
179:無名武将@お腹せっぷく
07/06/17 15:15:39
あげ
180:無名武将@お腹せっぷく
07/06/17 15:31:31
魏の武将呉!
魏の武将呉!
181:無名武将@お腹せっぷく
07/06/18 21:40:23
須島(スジマン)
満戸軍 右将軍
満戸軍が寄せ集めにすぎないときから満戸を補佐し続けた。
虐燕陣営から多数の人材を引き抜いて満戸軍を立派な群雄に押し上げた功労者である。
その功から満戸軍の右将軍になる。
しかし、満戸が陳歩に下った際に満戸から満古に鞍替えした。
182:無名武将@お腹せっぷく
07/06/18 21:46:00
宿助(ジュクジョ)
虐燕の参謀のち満戸軍左将軍。
虐燕陣営を崩壊させ満戸軍を立ち上げさせた人物。
虐燕からは多大な恩を受けたのに満戸軍に入った。
満戸が陳歩に下った際の動き(独立勢力になろうとした)から考えると自分で虐燕の領土を得るために満戸を利用していたことが伺える。
満戸が陳歩に下った際に独立に失敗。西廟陣営に逃亡する
183:無名武将@お腹せっぷく
07/06/18 21:51:58
ミコスリ・ハーン
北方の英雄。あまりの速さにみなが驚愕する。
幼名は走郎(ソウロウ)
若くして異民族を支配下に従えた伝説の英雄。
彼の嫡流は代々、ミコスリ・ハーンの名を受け継ぐ。
初代の陳歩と二代目ミコスリ・ハーンは親友であり、度々彼からの援軍要請をうけハーンは厨国に援軍を出した。
184:無名武将@お腹せっぷく
07/06/19 18:15:49
あげ
185:無名武将@お腹せっぷく
07/06/19 18:22:18
金玉珍宝(キンギョクチンポウ)を集めるのが趣味です
186:無名武将@お腹せっぷく
07/06/20 16:37:43
あげなきゃ・・・みんなのために、僕は何度でも立ち上がらなきゃいけないんだ!
187:無名武将@お腹せっぷく
07/06/20 20:07:20
>>186
陳歩の一人称って「僕」??
188:無名武将@お腹せっぷく
07/06/20 20:18:10
>>187
朕
189:無名武将@お腹せっぷく
07/06/22 19:11:24
すごい・・・また勃った
190:無名武将@お腹せっぷく
07/06/24 08:38:07
このスレのキーワードは準備中か
191:無名武将@お腹せっぷく
07/06/24 12:22:55
【蘭操(ランソウ)】
後弁の臣。
早くから満古の臣として 精力的に彼に尽くした名参謀。
袁庫の乱が勃発すると、この混乱に乗じて洛陽を占拠するよう進言。
また弁臣や郡県を説得して周り、満古に協力するよう仕向けた。
満古の片腕として尽力した蘭操だが
1615年息子の蘭子(ランシ)、蘭貫(ランカン)と共に突然反旗を翻す。
後顧の憂いを断つため、満古が二度目の漢長(慰妄徒道)討伐に向かった際
留守をついて洛陽の拠城・師宮(シキュウ)を占拠するとこれに呼応するかのように、蘭操が説得して満古配下に加えた元弁臣たちが各地で謀反を起こしたのである。
あらかじめ周到に計画されたかのように師宮の蘭操、そして各地に散らばる元弁臣たちは名のある文官・武官を次々と謀殺。
僅か一日足らずで満古は有能な配下の半数を失ってしまう。
これが「師宮の乱」である。
漢長討伐から戻った満古軍にすぐさま包囲されてしまうが、蘭操は最後まで抵抗する。
ついに捕らえられた蘭操。
満古は再び配下に加えたいと思っていたが、蘭操を自ら処刑台に向かい首を刎ねさせた。各地の弁臣たちも一斉に自害し、こうして多くの謎を残したまま「師宮の乱」は鎮圧された。
192:無名武将@お腹せっぷく
07/06/24 12:26:02
【師宮の乱】
1615年11月 満古配下の重臣、蘭操が突然謀反を起こしたのである。
反乱の理由など一切精史では語られていない。
「満古に尽くした忠臣が何故?」後世の史家の間では論争が尽きない。
もっとも有力な説として、満古が起こした「漢長大虐殺」に原因ではないかと言われている。
193:無名武将@お腹せっぷく
07/06/24 12:28:30
【二侍原(ニジゲン)の戦い】…1
「漢長大虐殺」そして「師宮の乱」を語る上で重要な戦い。
1615年2月、四度目となる陳歩との戦いに向け
満古は後顧の憂いを絶つため、漢長一帯に勢力を誇る、慰妄徒道(イモウトドウ)の教祖・魯罹(ロリ)討伐戦を行った。
この戦は満古の嫡子「満光(マンコウ)」の初陣でもあった。
満光は父・満古に似て、武勇に勝れ将来を期待された人物である。この戦でも初陣ながら先陣をきって戦い
次々と慰妄徒道の信者「肝夫汰(キモヲタ)」を掃討していった。
しかし魯罹の策略にはまり捕らえられてしまう。
満光を人質としてとらえられたが、満古は進撃を止めなかった。
怒った魯罹は見せしめに満光を首刎してしまう。
これが満古の逆鱗に触れ、後の悲劇「漢長大虐殺」へと繋がる。
194:無名武将@お腹せっぷく
07/06/24 13:23:11
【漢長大虐殺、蘭操の真意】
満古の怒りに触れた魯罹は押し寄せる満古軍にかなわないと見て、二侍原から撤退 漢長に籠城する。
鉄壁の要塞と謳われる漢長の城にさすがの満古も攻めあぐねる。
すると焦れた満古は漢長領民を猫の子一匹残らず虐殺してしまう。
皆、肛門をひとつきされ無残な亡骸だったと言う。
この様を見た魯罹は恐れおののき、すぐさま降服を願いでたが満古はそれを受け入れなかった
より一層の恐怖を与えるためか満古はここで一旦兵を退く。
漢長の惨事をまざまざと目にした蘭操はこの時何を思ったのだろうか?
精を尽くして仕えた君主の悪魔の様を見て果たして何を悟ったのだろうか?
ただ「漢長大虐殺」が「師宮の乱」に起因すると考えるにはまだ矛盾が多い。
元弁臣たちが一斉に蜂起した理由もその経緯も。
「漢長大虐殺」から「師宮の乱」までの短期間で計画が練られたとは考えにくい、だとすればそれ以前に計画されていたことになる。
しかし蘭操ほど満古に信頼され重宝された人物なら、満古に近付き秘かに密殺することも可能だったはず。
息子たちまで巻き込んで大規模な謀反を起こすまでもなかった。
では何故?
蘭操の起こした事件について、あまりに不可解で謎が多い。
こればかりは蘭操のみぞ知る…
陳国史至上もっとも謎に包まれた事件である。
195:無名武将@お腹せっぷく
07/06/24 18:37:11
■三大武将(今のところ)の簡単な説明■
【陳歩(チンポ)1578~1627年】
農民から北陳の皇帝にまで上り詰めた男。軍人としても政治家としても優れていた。
軍神満古との対決は厨国史上に残る名勝負だった。煩悩寺の変で部下の西廟に討たれる。
【満古(マンコ)1573年~1623年】
軍事的天才。その軍才は陳歩をも上回る。弁王朝を滅ぼし、袁庫、満戸、斉翼
、蘭操らを蹴散らす。化け物的強さを持つ。
【西廟(セイビョウ)?~?】
陳歩の重臣で、淋(りん)の皇帝。天才的な軍人。煩悩寺の変で陳歩を討ち自立。
しかし彼の栄光は長くは無かったようだ。
196:無名武将@お腹せっぷく
07/06/24 21:40:52
【主な出来事】
袁庫の乱 1605年
弁朝滅亡 1607年 満古が弁朝帝都、洛陽を占拠。
笛羅の戦い 1608年 3月 満戸と陳歩の戦い
昌独の戦い 1608年 5月 西廟と陳歩の戦い
青天関の戦い 1609年 満臭族と陳歩の戦い
第一次瀬宮州の戦い 1610年 満古と陳歩の戦い
第二次瀬宮州の戦い 1612年 満古と陳歩の戦い
第三次瀬宮州の戦い 1614年 満古と陳歩の戦い
関中征伐 1615年 陳歩の将、西廟と斉翼の戦い
漢長討伐戦(二侍原の戦い) 1615年 2月 満古と魯罹の戦い
漢長大虐殺 1615年 ?月 満古、漢長領民を虐殺
第二次漢長討伐戦 1615年 ?月 満古と魯罹の戦い
師宮の乱 1615年11月 満古の臣、蘭操が謀反
御那二の戦い 1616年 満戸と陳歩の戦い
第四次瀬宮州の戦い 1618年 満古と陳歩の戦い
通禁羅守の戦い 1620年 雲香と陳歩の戦い
第五次瀬宮州の戦い 1622年 満古と陳歩の戦い
北陳王朝の成立 1625年 陳歩、帝位につく
煩悩寺の変 1627年 陳歩、配下の西廟に襲われ死去。
【その他、年代不明】
暑町の戦い 菩柔と満古の戦い
山田汚露血討伐 倭国の英雄、 乙武尊と大蛇の戦い
買阿愚裸の戦い 陳歩と陰歩の戦い
197:無名武将@お腹せっぷく
07/06/25 22:08:34
陳歩と陰歩には同一人物説すらあるからなぁ。
陳歩と陰歩の戦いは陳陣営での内乱とみるのが正しい。
陳国史演義じゃあ別の人物になってるけどさ。
198:無名武将@お腹せっぷく
07/06/26 00:44:26
■三大武将に次ぐ主な重要人物■
【雲香(うんこう)?~?】
蘭州を本拠にシルクロード交易で栄えた厨国、西端の国。二代目は当主。
誤解されがちだが雲香は女。
陳歩とは一度は敵対関係にあった。
【袁庫(えんこ)?~1625年】
袁庫は偽名。姓名は袁如(えんじょ)、字は公才(こうさい)。
若きころから弁王朝に反感を持っており反政府活動をしていた。
袁庫の乱では一躍群雄となるが、すぐさま親寺狩の戦いで満古に大敗。
その後、陳歩によって処断される。
【弁皮(べんぴ)?~?】
弁王朝のラストエンペラー?
【満戸(まんこ)】
よく勘違いされるが、軍神満古とは別人。
青島を占領して群雄化する。
もともと満古と親交があったようだが敵対。
満古との戦いに敗れた後、陳歩に降るが最終的には左還された。
【上野(じょうや)】
字は栗肉(くりにく)。陳歩の宿将と見られるが、
詳細な人物はあまり知られていない。
陳歩の名が挙がると必ずと言っていいほど上野の名が出てくることから
かなり高い位、軍師的な位置付けにあったと思われる。謎の多い人物。
199:無名武将@お腹せっぷく
07/06/26 19:53:13
帝王・雪怪(テイオウ・セツカイ)1500?~1591
1570~1600代初頭に蜂起
イキナリ、万江や出利辺流周辺に現れた自称・皇帝。
弁朝の指揮官・弁飾によって鎮圧されたが、残党がいつまでも蜂起し、弁朝を弱体化させた。
200:無名武将@お腹せっぷく
07/06/26 19:57:20
刃通(ジンツウ)
後弁朝の中期に仕えたのち下野し、群雄となりあちこちで暴れた武将。
老後は仙人になった。
仙人になった刃通がある日、若き日の陳歩を一目見て、大将になることを予言したとされる。
201:無名武将@お腹せっぷく
07/06/27 21:16:07
■不能1■
【不能(フノウ)1578~1629年・享年51才】
姓は不、名は能。江南の誤王。誤の小陳歩の異名を持つ。若い頃はなかなか
立たなかったが、賢者、智良(ちりょう)を得てようやく立ち、江南の覇者と
なるが栄厨により暗殺される。
【弁の忠臣】
不能は代々、弁の高官を輩出する名門、不家の一族である。彼もまた18歳に
なると弁の官僚となる。彼は正義感が強く、仲間の官僚たちと共に悪徳官僚
、杏暗(アングラ)を激しく弾劾した。しかし政争に破れ朝廷を追い出される。
彼は故郷に戻り、そこでひっそりと不遇のときを過ごすのだった。
【不能・立たない】
1607年、満古により弁王朝が滅ぼされる。不能は血の涙を流して逆賊、満古の
打倒と、弁朝復興を誓い兵を集め立とうとするが、何度やっても兵の集まりが
悪く立つことができない。こうそうしているうちに、満古の討伐が来襲し不能
は少数の部下と共に命からがら落ち延びる。その後、満古から逃げ回る日々が
始まる。
202:無名武将@お腹せっぷく
07/06/27 21:18:13
■不能2■
【不能の仕官先探し】
自分は立てない、このままでは満古打倒の志を遂げることはできない。そう考えた
不能は満古に対抗できる英雄を探すこととした、その人物に仕え満古を討ち、弁朝
を復興しようと考えたのである。まず彼は青島の満戸のもとを訪れたしかし
「俺の部下に立てない男などいらぬ」とあっけなく断られた。関中の斉翼のところへ
いったが「立てないそなたでは斉翼を維持できまい(斉翼の役に立たないという意味)」
といわれ、雲国を訪れてたときは主君の雲固には気に入られたものの、娘の雲香に
「立たない男に興味は無いわ」などと言われ、また仕官できず。英雄探しどころではなく
食い扶持を得るための旅となってゆく。
最後に陳歩のところへ行った。陳歩は勇敢で誠実そうな不能を気に入り仕官を許そうと思
った。不能も陳歩を求めていた英雄と思い。不能が陳歩臣下となるのは時間の問題かと思
われた。
ところが軍師格の上野(ジョウヤ)が強行に反対し、またも仕官できなかったのである。
不能が失意のままに去った後。陳歩は上野の言った。「あれほどの男を何故仕官させな
かったのだ」それに対し上野はこう答えたという。「あの者は人に仕える種類の男では
ありません。きっと主上の役には立たないでしょう。」そう言ったあとこう付け加えた
「あの男は類まれな貴相を持っていました、私は他にあれほどの貴相は2人しか見たこと
がありませぬ。主上と西廟殿だけです。あの男は他人に仕えてはいけないのです。」
203:無名武将@お腹せっぷく
07/06/27 21:20:28
■不能3■
【師宮の乱】
その後、不能はやる気を無くし漢長で細々と商いをしながら過ごしていた。
そして1615年。漢長にて満古軍による虐殺おこなわれる。不能はその現場にいた。
彼は激怒し再び満古を討つために挙兵しようとするがまたも立たず、失敗する。
1615年11月、師宮の蘭が勃発。首謀者の蘭操は弁王朝の復興を宣言した。
蘭操の使者が弁復興のため力を貸してもらいたいとやって来た。
不能はわかっていた。蘭操は弁の復興を反乱の大義名分にしている以上、形だけ
でも弁の旧臣を集めたいのだと。きっと自分の名前も名簿を見て探したに違いない。
だが、不能は満古と戦えればなんでもよかったのである。さっそくわずかな供と共に
蘭操の元へゆき反乱軍に参加した。
そして満古の大軍と戦った。
不能はここを死に場所だと思っていた。まがい物とはいえ復興した弁朝のために
死ねるなら本望だと思ったのだ。だが彼は生き延びた。川に落ち、気づいたとき
には下流にまで流されていたのだ。そこで蘭操の死を知った。
204:無名武将@お腹せっぷく
07/06/27 21:22:15
■不能4■
【三顧の礼】
不能は一人絶望していた。だがかろうじて生き延びた数人人の部下たちが、再び
彼の元に集い。わずかながら元気を取り戻す。もう最期やるしかない。満古を討つ!
1622年、彼は湖南の奥地に住む賢者、智良のうわさを聞き彼をなんとか仲間にやって
きた。智良の草庵をなんとか探し出し、彼に会うことができた。
「弁朝復興のため力を貸してください。」と不能は頼んだ。しかし智良はあなたには
まだ足りないものがあると断った。
数日後再び草庵を訪ね「逆賊満古を討つため力を貸してください。」と頼んだ。しかし
智良は「まだ足りません。もっと部下のことを考えなさい」といって断った。
そして三度目、不能はこういった。「私の欲望のため力を貸してほしい」
すると智良は「及ばずながら」といってついに不能に仕えた。
つまり智良は「不能はもっと自分のため部下のために出世してやろうという気概が足りぬ
といいたかったのである。活力にあふれた大将の元にこそ人々は集まるのである。」
【齢50にしてついに立つ】
1623年、満古死す。不能は自ら逆賊を斬るという願いがかなわず悔しがる。さらに
1627年煩悩寺の変により陳歩も死んだ。自分を認めてくれた英雄の死に不能は深く
悲しんだ。
・・・そして1628年2月。不能、智良を得て齢50にして初めて立つ!ついに立った!
事の次第はこうだ。南方の群雄の一人である長沙の楚駆は圧政で有名であった。
智良の策により不満に満ちた豪族を集め決起、2県を占領しついに立ったのである。
圧倒的な勢いで3月には長沙を制圧。解放軍として迎えられる。
205:無名武将@お腹せっぷく
07/06/27 21:31:52
■不能5■
【誤王即位】
不能は初立ちして人生50年でたまりに溜まった欲求をはらすように怒涛の進撃を
開始する。4月に南昌を攻略。主君の士太(シタ)は亡命。5月、広州の思太羅が降伏。
ここで不能は苦労を共にした旧臣たちにより王になることを薦められ。ついに誤王
不能と名乗る。
8月、穴違いの戦いで武漢の任臣と南京の袁皓からなる連合軍と決戦する。
ここで袁皓の元に身を寄せていた名将、洸文(こうもん)討ち取るという大勝利
を得て、江南を統一する。
【濫江で栄厨によって崩御】
翌1629年、陳歩の敵を討つべく、不能は大軍を率い西廟領へ侵攻した。智良は
この出兵に反対であった。「まだ兵たちは疲れています。出兵もう少し回復を
待ってからがよろしいでしょう。」と言ったのだが、不能は「智先生、心配
には及びません。私は乱世の元凶西廟を討ち一刻も早く厨国を正常な状態に
戻したいのです」と言ってこれを退けた。
当時、西廟はすでに指揮を取れないほど衰弱しており、実質的な指揮は栄厨が取っていた
10月に不能の率いる誤軍と栄厨の軍は濫江(らんこう)で激突した。
智良の懸念どうり、誤兵の動きは鈍かった。しかし今や立ちまくりの不能の
力量を持ってすればこの程度は何の問題も無かったのである。だが不能は濫江
で死んだ。暗殺であった。不能は今までどんな危機に遭遇しても生き延びてき
た。そのため毒見などさせず何でも平気で食べていたのである。そしてあっけ
なく毒物によって死んだ。
206:無名武将@お腹せっぷく
07/06/27 21:33:14
■不能6■
【不能の補足】
不能の死後、彼には跡継ぎがいなかったため、誤の国は旧臣たちによる緩やかな
連合政権となる。一応、智良を中心としてまとまっていた。彼らは栄厨への復讐
に燃え、継続戦争がおこなわれることとなる。
不能の立たなくても立たなくても、諦めない不屈の精神は後世に多大な影響をも
たらした。わが国でも戦前の教科書には不能の精神力と忠臣ぶりが皇国臣民の
手本としてのせられていた。
不能は陳歩を尊敬していたため小陳歩と呼ばれて喜んでいたという。
207:無名武将@お腹せっぷく
07/06/27 21:36:39
不能は智良(ちりょう)によってついに立ち、欲望を吐き出したが、濫江(らんこう)で
栄厨(えいず)の罠にかかり死んだ。この悲劇を題材にしてのちに多数の戯曲がつくら
れることとなった。
208:無名武将@お腹せっぷく
07/06/27 22:42:47
【洸文(コウモン)~1628年】
字は阿盗(アヌス)。雲家に代々使えてきた執事。のち南京の袁皓の元に行く。
輝く星印の旗を掲げて迫りくる姿は陳歩・満古ですら戦いを避けたがった。
栄厨とは親友であり、戦がないときは毎日酒を酌み交わした仲。
城を守らせたら門は絶対開かせない事で有名。
1624年、主君の雲固が亡くなり、娘の雲香が跡を継ぐ。洸文と雲香はもともと
仲が悪く、ついに雲国から出て行ってしまう。
彼は南京の袁皓の客将となり、同じく、袁皓の元に逃れていた袁庫を陳歩に
引き渡すように進言する。
しかし陳歩は袁庫などより洸文の存在こそを恐れていたため、陳歩南征を起こさせた。
このことから、洸文が陳歩の死の遠因を作ったのである。といえる。
1628年、急速に勢力を拡大する誤の不能と戦うが、その勢いの前に敗死する。
209:無名武将@お腹せっぷく
07/06/28 01:57:48
上野は不能を立てるようにして陳歩とともに満古に当たらせる
天下三比の計(てんかさんぴーのけい)を実行すべきだったと思う
不能が陳歩を越えるほど大きくなるのを恐れたのだろうか
210:無名武将@お腹せっぷく
07/06/28 18:43:04
不能って実質1年しか活躍してないよね・・・。
211:無名武将@お腹せっぷく
07/06/28 18:44:32
スレリンク(warhis板:4番)
スレリンク(warhis板)
三戦板復興プラン
3
三国志スレは立てない、立てさせない。
既存の三国志スレもできるだけ追い出し、戦国一色の板を目指す。
三国志には常に無双の影が付きまとい、それが糞スレ発生の温床となっているから一時的に完全除去する必要がある。
三国志を語りたい住民には一時的に中英板へ疎開してもらい、三戦板の情勢安定を待って戻ってもらう。
理解できましたか?
という事で板の糞化の元凶の三国志関連スレッドは中国英雄板に出て行ってください。
これも三戦板のためなんです。お願いします。
中国英雄板
URLリンク(hobby9.2ch.net)
212:無名武将@お腹せっぷく
07/06/28 18:49:55
>>211
あほか・・・。突っ込む気にもなれない。
213:無名武将@お腹せっぷく
07/06/30 12:25:02
【メモ】
①西廟を殺したとされる人物
仁真、秦躍、尿道炎
②西廟の配下
栄厨、臨平、淋廟、暗美邪、虎駒、昆白武、苺独
214:無名武将@お腹せっぷく
07/06/30 18:01:29
■各勢力の配下武将・関連人物■
【陳歩】
芙虞莉 、方慶、上野、貴塔、煤武、丹帆穂、牙懿、陳解、陳珍、出愛敬、孟操、淫蘭、紀騰、相武、額禄、曹柔、太蛇乃、秦躍
【満古】
牌乙、兀班、満猪、諸除幕、薫尼、音進、新麟、新謄、須島、宿助、(蘭操、蘭子、蘭貫)
【西廟】
淋廟、栄厨、臨平、苺独
、昆白武、虎駒、暗美邪
【雲固・雲香】
腹維汰、洸文
【後弁朝】
虐燕、参飛ヰ、弁飾、杏暮、弁序
【満戸】
嶺図、秘女甫
【その他】
、(斉翼、斉鋼、余馬懿)、(聖天関、成系)、魯罹、仁信、胤保、戸霊、手鏡、(菩帯、菩慇、菩乳、新旋、新巌、新暴)、貴須、ミコスリ・ハーン、刃通、(不能、智良)、袁庫、袁皓
215:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 08:29:24
>>214
ご苦労様です。少し手伝いまする。
216:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 15:12:52
【人名録・その1】
>7 西廟(セイビョウ) 淋の皇帝。天才的な軍人
>8 尿道炎(ニョウドウエン)西廟を殺したとされる人物の一人
>15 芙虞莉(フグリ) 陳歩の古参武将
>16 淋廟(リンビョウ) 西廟の義兄弟で猛将
>17 方慶(ホウケイ) 陳歩の古参武将で、粛清される。
>17 上野(ジョウヤ) 陳歩配下の将。参謀格であるらしい。
>18 腹維太(ハライタ) 雲国の猛将
>30 貴塔(キトウ) 陳歩の将。守りに強い
>31 陳解(チンゲ) 陳歩の従弟。謎の多い人物
>32 苦李兎利酢(クリトリス) 満戸軍の猛将
>39 煤武(バイブ) 陳歩の武将
>51 斉翼(セイヨク) 関中に割拠した群雄
>53 牌乙(パイオツ) 満古配下の将。
217:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 16:33:00
丘間(オカマ)
十八京防衛団団長
袁庫らが十八京(ジュウハチキン)に弁帝追撃の為に進撃した際に交戦した武将。
弁朝の圧政には従わなかったが、他の群雄にも大義なし!と悟り、十八京の防衛を続けた。
陳歩・満戸・満古の諸将から誘われたり、攻められたりしたが最後まで十八京を守りぬいた。
智良(チリョウ)の軍が十八京に来た際に投降し、その翌月、96才で病死。
218:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 16:41:22
狽勢腐(バイセクシャル)
字は二刀(ニトウ)
陳歩と満古に挟まれた地域の豪族。
どちらにも従う態度だったためかあまり当てにはされず、陳歩配下の煤武によって城を奪われた。
すると彼は序聖都(ジョセイト)に逃げる。
序聖都の実力者・戯或(ギャル)の客将になるが客として来た満戸に気に入られ満戸配下になる。
満戸が陳歩配下の将になると煤武とは同僚になるが、彼を没落させようと動く。
219:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 20:00:39
そろそろ満古、西廟らも後付け設定が増えたし、書き直しが必要だな。
220:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 20:51:08
菩帯もな
221:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 21:02:23
雲香が陳歩に熱烈な恋文を送ったが、内容がアレすぎて陳歩は縮みあがったという
エピソードがゲーム開発会社のボッタクリ社製の「満古の野望・腐臭録」の武将フ
ァイルに書いてあったな。
222:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 21:47:32
戯或(ギャル)
序聖都の長。低い身分だった自分が弁帝から序聖都を任された事を誇りに思い任務を全うする。
しかし、煤舜(バイシュン)(煤武の縁戚?)ら罪人を見逃し続けた事で袁家が弁朝に対して反逆を起すきっかけにもなってしまった。
満戸の友人であり、度々彼を序聖都にある自分の屋敷に招いた。
陳歩配下の浅断(アサダチ)によって毒を盛られ体調を崩しながら長生きしたらしい。
223:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 21:55:20
浅断(アサダチ)
聖理幻将(セイリゲンショウ)の一人。
陳歩配下として大活躍する剛将。
歴史上、特に優秀な武将にしか与えられない聖理幻将に数えられるだけあって素晴らしい戦いをした。
特に奇襲の達人であり、朝がきたら浅断がくるとまで言われた
しかし、笛羅の戦いで独断で進撃。敵陣で孤立してしまい包計をかけられて捕まってしまう。
その後、陳歩陣営に帰されたが彼の居場所は既にそこにはなかったため旅に出た。
224:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 22:03:32
雲智(ウンチ)
雲一族の軍師
彼のまわりは常に人々が居たと言われるほど人望があった。中にはならず者もいたが、この中に後の兎慈(ウジ)や崟栄(ギンバエ)といった雲国をさらに発展させた武将がいた。
雲一族の最高権力を握るが雲香に破れ下野した。
225:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 22:09:24
傑勉(ケツベン)
雲国の武将。雲智の武勇に惚れ義兄弟になるが、聖理幻将に数えられた雲智ほどには成れなかった。
しかし、彼も優秀な武将であり、雲国が厨国の群雄とやりあうのに活躍したのは確かである。
226:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 22:12:26
兎慈(ウジ)
雲国の武将。
障害者であり、腕や足がなかった。しかし、差別せずに接してくれた雲智を慕い、彼の下で兵法を学んだ。
雲智が失権したあとに雲国を舵取りし、強力な国にした武将である。
227:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/01 22:13:33
【人名録・その2】
>71 袁庫(エンコ) 弁朝に反乱を起こした人物。袁庫の乱は有名
>76 兀班(パイパン) 満戸の子
>77 虐燕(ギャクエン) 弁朝の臣。満戸の義父
>81 巣又(スマタ) 満戸軍
>87 嶺図(レズ) 一代の群雄だったと思われる。
>88 牙懿(ゲイ) 陳歩の将。
>>89-93 陳歩(チンポ) 説明不要の時代を代表する英雄
>95 陳珍(チンチン) 陳歩の従弟
>97 弖霊曖(テレクラ) 南方諸国の将
>98 出愛敬(デアイケイ) 西廟の将
>99 孟操(モウソウ) 陳歩の参謀
>100 満虎(マンコ) 古代の兵法家
>101 満猪(マンチョ) 異文化の国の人物
228:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 22:16:40
崟栄(ギンバエ)
雲国の武将。
組執(クミトリ)の塾で学んだ後に雲智の配下になった。
雲智失権後は崟栄が雲智からの指示を兎慈に伝えた。
光り輝く鎧は戦場でも目立ったとされる、雲固らを護る栄衆(ハエシュウ)の一人として活躍した。
229:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/01 22:23:01
>102 平丹蛮(ペニバン) 異民族
>103 頭津棍(ズッコン) 南方の族王
>105 参飛ヰ(サンピイ) 弁王朝の政治家
>106 弁飾(ベンショク) 大弁の皇族
>107 杏暮(アングラ) 弁王朝の悪徳政治家
>108 栄厨(エイズ) 西廟の大将軍
>>114-115 満古(マンコ) この時代を代表する軍神
>124 紀騰(キトウ) 陳歩挙兵以来の宿将
>128 陳戟(チンポコ) 兵法家
>129 諸除幕(ショジョマク) 満古の将
>131 薫尼(クンニ) 満古配下の尼さん
>132 相武(アイブ) 陳歩配下の将。
230:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 22:23:13
組執(クミトリ)
字は沒屯(ボットン)
雲国で塾を開いていた中流の武士。
彼が育てた人物で有名な者には兎慈や崟栄、雲智がいる。
雲固らをクーデターで倒す計画を立てるが雲固の参謀・翠扇(スイセン)によって見破られ追放される(これが遠因となり雲智が失権したらしい。)。
231:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 22:27:30
翠扇(スイセン)
容姿端麗な学者。雲国の大参謀。
組執のクーデターを事前に見破り更に権威が増して参謀から大参謀になった。
魚擦都(ウェシュレット)の都を新たに築き上げ雲国を発展させるが、彼は忠臣ではなかったらしく様々な敵勢力に通じていた。
232:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/01 22:32:59
>>229【人名録・その3】
【人名録・その4】
>133 額禄(ヌカロク) 陳歩の将
>134 斉鋼(セイコウ) 斉翼配下の将
>135 臨平(リンビョウ) 西廟の将
>136 魯罹(ロリ) 慰妄盗道教団の教祖
>137 苺独(バイドク) 西廟配下の将
>138 昆白武(コンジローム) 西廟配下の将
>139 曹柔(ソウニュウ) 陳歩配下の将。
>140 満戸(マンコ) 主要な群雄の一人。満古とは別人
>141 仁真(ニンシン) 西廟を滅ぼしたとされる将の一人
>142 秘女甫(ヒメハジメ) 仙人
>144 胤保(インポ) 独立勢力
>146 戸霊(ペレ) 仙人
>147 太陀乃(タダノ) 陳歩配下の武将
233:無名武将@お腹せっぷく
07/07/01 22:34:53
魚擦都(ウェシュレット)×→魚擦都(ウォシュレット)◎
234:夷王侍従統亮(正五位下・蝦夷押領使) ◆qG5Uj1x8xc
07/07/01 22:48:08
夷星(イボヂ)
雲国の右将軍
雲智らをなんとかして追放から助けようとしたが力が及ばなかった。(しかし、夷星のお陰で追放ではなく謹慎で済んだ)
暮らしに困窮する失権後の雲智に生活費を送るなど、何かと面倒をみるやさしい武将。
しかし、戦場では豹変する。味方を犠牲にしても進撃する烈将である。
235:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 00:12:59
芽越路(メコスジ)
地名
陳歩の勢力圏~序聖都~満古の勢力圏を結ぶ巨大な道。
途中、瀬宮洲や出利辺流を通らなければならないため一筋縄ではいかない道。
大体こんな感じの形をしている→→∈。
三又の街道。真ん中の道は延々とジャングルが続いている。
236:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 00:51:33
震魔(ブルマ)
版津賊(パンツゾク)の武将。
芽越路を拠点にしている賊である版津賊。その中でもあちこちから勧誘がくるほど優秀な武将だったのが震魔である。
賊の頭である振怖(ブリーフ)の義弟だがあまり協力はしていない。
振怖が陳歩に降った際には意見の食い違いから満古に降った。
後には衛布将軍という称号を満古から与えられたほど活躍した。
237:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 00:59:43
斗蘭楠(トランクス)
元は弁朝の役人だったが、今は版津賊に入り暴れている武将。
振怖の義理の息子として扱われている。早くから陳歩に注目しており、よしみを通じていた。その為、義父が陳歩に降るのを斡旋した。
238:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 01:04:37
尾睦(オムツ)
版津賊の最強の将とされる。
版津賊が創始されたときに、弁朝の討伐軍が大量におしよせたが無二万の計(ムーニーマンのケイ)や半髪の計(パンパースのケイ)を駆使して版津賊を守った
後には振怖と震魔の対立に嫌気がさして雲国へと旅立った
239:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 01:08:56
振怖(ブリーフ)
版津賊を創設した豪族。
芽越路周辺を荒らし回ったが後に陳歩陣営に降った。
しかし、斗蘭楠の様に重用はされず、斬二王(ザンニョウ)という陳歩配下の人物によって暗殺された。
彼の屋敷は無残にも汚され、破壊され尽くしていた
240:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 01:11:46
弾尼(ビキニ)
版津賊の尼。
振怖の正妻でもある。
際どい世渡りをするため、皆がハラハラしながら見ていた。
夫が陳歩に降った際には彼から離れて満古の下に降った。
241:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 01:17:15
乱背李(ランジェリー)
版津賊の将。敵を惑わす策士として名を馳せる。
震魔の親友であり、共に満古陣営に降った。
なかなか活躍したために惑布将軍の称号を得た。
242:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 01:22:36
蕪羅蛇(ブラジャー)
版津賊の将。
正確には彼は版津賊ではなくれっきとした弁朝の高官。
ただし、版津賊に対して援助を行い、共に暮らしていたため版津賊として扱われる。
弁朝の版津賊討伐軍に先鋒として派遣された際に正式に版津賊に加入した。
のちに震魔と共に満古に降った。満古陣営での称号は飾布将軍。
243:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 01:25:45
縫譜裸(ヌーブラ)
山岳部に住む豪族。普段は山岳部と一体化しているため見つからない。
版津賊と交易しているため版津賊扱いされている。
244:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 01:29:24
濃斑(ノーパン)
弁朝の重臣。
幼い頃から弁朝に仕えているエリート。
版津賊討伐の総司令官だったが、尾睦によって大敗してしまった。
敗走するさいにシャブシャブを食べていたため攻撃され死亡した。
245:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 01:34:33
奮怒士(フンドシ)
版津賊の精鋭隊を奮怒士と称する。
昔からこの地域に住んでいる民中心の兵だが、それを振怖が組織し直し、尾睦が鍛えた厨国屈指の精鋭。
彼らを称して、他国二万の兵に匹敵するは奮怒士百人と言われている。
246:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 08:04:18
【主な出来事】
袁庫の乱 1605年
弁朝滅亡 1607年 満古が弁朝帝都、洛陽を占拠。
笛羅の戦い 1608年 3月 満戸と陳歩の戦い
昌独の戦い 1608年 5月 西廟と陳歩の戦い
青天関の戦い 1609年 満臭族と陳歩の戦い
第一次瀬宮州の戦い 1610年 満古と陳歩の戦い
第二次瀬宮州の戦い 1612年 満古と陳歩の戦い
第三次瀬宮州の戦い 1614年 満古と陳歩の戦い
関中征伐 1615年 陳歩の将、西廟と斉翼の戦い
漢長討伐戦(二侍原の戦い) 1615年 2月 満古と魯罹の戦い
漢長大虐殺 1615年 ?月 満古、漢長領民を虐殺
第二次漢長討伐戦 1615年 ?月 満古と魯罹の戦い
師宮の乱 1615年11月 満古の臣、蘭操が謀反
御那二の戦い 1616年 満戸と陳歩の戦い
第四次瀬宮州の戦い 1618年 満古と陳歩の戦い
通禁羅守の戦い 1620年 雲香と陳歩の戦い
第五次瀬宮州の戦い 1622年 満古と陳歩の戦い
北陳王朝の成立 1625年 陳歩、帝位につく
煩悩寺の変 1627年 陳歩、配下の西廟に襲われ死去。
【その他、年代不明】
暑町の戦い 菩柔と満古の戦い
山田汚露血討伐 倭国の英雄、 乙武尊と大蛇の戦い
買阿愚裸の戦い 陳歩と陰歩の戦い
247:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 08:07:55
帝王・雪怪(テイオウ・セツカイ)1500?~1591
1570~1600代初頭に蜂起
イキナリ、万江や出利辺流周辺に現れた自称・皇帝。
弁朝の指揮官・弁飾によって鎮圧されたが、残党がいつまでも蜂起し、弁朝を弱体化させた。
刃通(ジンツウ)
後弁朝の中期に仕えたのち下野し、群雄となりあちこちで暴れた武将。
老後は仙人になった。
仙人になった刃通がある日、若き日の陳歩を一目見て、大将になることを予言したとされる。
248:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 11:36:31
【机上の空論(民明書房・弁末動乱の英傑たち)】
400年前の厨国の2人の軍事的英雄、満古は騎上の将、それに対し西廟は机上の将と呼ばれた。
西廟は机上で天上より地上を見下ろすがごとき見事な軍略を生み出すことができた。
これにより、極めて優れたな戦略を「机上の空論」と呼ぶこととなった。
現在ではまったく逆の意味で使われているが、その原因が文化大革命の影響により本当に厨国
文化が変わり果ててしまったからであることは言うまでも無い。
249:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:05:14
西廟は栄厨が勢力拡大していることに気付ければ良かったんだが・・・
大局を見すぎて目先の事に気付かないのは西廟の悪い癖だな。
250:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:12:21
重羅史(オモラシ)
弁朝の歴史を綴った歴史書。
弁帝が重羅士(オモラシ)と共に挙兵した時から後弁朝滅亡までが書かれている
もともと重羅士の一人だった弁帝だったが、暗黒王朝として有名な裏(ウラ)の美出王(ビデオ)に対して重羅士が反乱を起こしたさいに権力を握ったために後に皇帝になったのだ
251:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:21:50
師艦(シカン)
弁朝の軍人。
杏暮の従弟。
優秀だったが異常な趣味の持ち主だった。その為に配下に嫌われてしまう。
序聖都を攻めている最中に敵の女性に死姦をしようとした際に配下に追放される。
その後、流浪の旅を続け、杏暮の下に帰ろうとしたが消息不明になる。
252:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:26:21
十関(ジュウカン)
十八京の周囲を囲む天然の要塞。
十人が関に当たれば百万いても貫くことが出来ないと言われた。
しかし、満古が攻めた際には獣道から入り込まれ十八京は満古が攻め落とした
253:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:32:57
賺跳鹵(スカトロ)
弁朝の政治家。弁飾の直臣。
悪政を重ねたため、民衆が飢饉に苦しめられ人が自分の便を食らう様相になった。
弁滅亡時に満古軍に殺害された
254:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:38:31
縫怒(ヌウド)
満古の配下。元は弁朝の政治家。
「包み隠さず」がモットーの名政治家。
弁朝滅亡の際に満古が迎え入れた。満古が外征している間、彼は善政を布いた。
255:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:47:54
歪摂(ワイセツ)
虐燕配下の武将。
満古がいずれは袁庫らを破り、天下に覇を唱えるのではないかと考えていた。
虐燕に対して満戸を利用して満古を討つように提案したが虐燕には採用されなかった。
歪摂の優秀さに危機感を持った満戸の発言は策を使い虐燕は歪摂を追放してしまった。
歪摂は満戸に対して復讐心を持ち続け、満古の配下になり満戸と戦うため後に海泡瀬に兵を派遣した
256:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:50:05
弁貴(ベンキ)
弁の皇族。陳歩に担ぎあげられ弁朝復興の為に利用される。
257:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:53:15
弁如(ベンジョ)
弁の皇族。弁朝の南方司令官。
袁が反乱を起こしたさいに真っ先に捕まってしまった。
脱獄して雲国まで手足が縛られたまま逃げた、というタフガイ。
258:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 13:58:46
押芽(オシメ)
版津賊の武将。尾睦と共に版津賊を群雄として成長させた。
尾睦と押芽のふたりは兵十万に匹敵するとさえ言われた。
版津賊の崩壊後は雲国へと落ち延びていった
259:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 14:10:09
四九不満【ヨッキュウフマン】
弁朝末期。弁帝は諸将を呼び集めて会食をしていた。(そこには地方の一豪族だった陳歩もいた。)
次第に酔いが回った虐燕と袁庫が口論をし始めた。お互い忠臣は私だ私だと揉めていた。
仲裁に入った弁帝は「そなた等の言いたいことはわかった。袁庫は四ヶ国、虐燕は九ヶ国を所有している。これが弁朝への忠誠心を現わしているのではないか?」と語ったのである。
袁庫はこれが不満だったらしく、終生忘れなかったとされる。
260:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 15:30:24
歪摂
の発言 という部分は削除を宜しく。
261:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 15:31:35
つーか 二チャンじゃない別の場所にマトメサイトほしいっすな。
これだけのものが出来たのにもったいない
262:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 17:00:40
>>261
頑張ってね
263:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 20:41:30
■西廟その1■
【西廟(セイビョウ)1583~1630年】
淋の皇帝、時代を代表する軍事的天才で、机上の西廟と呼ばれる。
【生い立ち】
西方の遊牧民族の族長の子であったが、一族は弁王朝に敗れ、幼い西廟は
厨国商人によって、奴隷として売られた。
西廟は力が弱く、労働には役に立たなかったため、食事は他の奴隷たちの半分
ほどであったという。そのためいつも飢えていたが、同じ境遇であった淋廟と
義兄弟となり、彼から食を分けてもらい生き延びることができたという。
(淋廟は力が強かったため、他の奴隷の倍近い食事をもらっていた。)
やがて世の中が混乱してくると、乱暴な主人を殺して脱走する。お尋ね者となり
役人から逃げ回る日々が続き、彼らは生きるために盗賊としてなった。
【盗賊時代】
そんなある日、ついに追いつかれ、役人の追っ手と戦うことになった。
役人たちの隊長は臨平といい巨漢の豪傑であった。同じく豪傑であった淋廟と
激しく討ちあった。激しい戦いの後、ついに淋廟は勝ち、臨平は捕らわれ、率い
てきた役人たちは驚いて逃げ出した。
西廟はこれほどの男を殺すのは惜しいと、臨平を逃がした。
ところが生きて帰ってきた臨平は、西廟らと繋がりがあると疑われ、反逆罪に
なってしまう。それをかばった友人の苺独もまた、疑われ同罪となった。
二人は処刑される寸前に西廟らに救われ、その後、行動を共にすることとなった。
その後、昆白武の盗賊団と縄張り争いとなったが、西廟の見事な機転で、戦わず
して昆白武らを服従させることに成功する。
この頃から、仲間たちは西廟の類まれなる智謀を知ることとなり、大将に担ぎ上げる
ようになった。
264:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 20:50:44
■西廟その2■
【群雄時代】
1605年に袁庫の乱がおこると、彼らは盗賊やお尋ね者からなる500人の同志と共に
挙兵、現地の県令を殺害し、県城をのっとった。さらに鎮圧に来た州兵5000の大軍
の10分の1の兵力で打ち破り、周辺にその威を轟かせた。
さらに州の副長官だった栄厨を寝返らせ、見事に州の制圧に成功。群雄となる。
1607年、満古により弁王朝が滅亡したことを知った西廟は改めて、時代の変化を
思い知り、本格的に覇業へと乗り出す。周辺の勢力を併呑しながら、強者である
満戸と同盟し勢力を拡大していった。
1608年8月、陳歩と満戸が争った笛羅の戦いのドサクサにまぎれて、陳歩領に侵攻、
昌独の戦いで激突する。西廟は小兵力ながら大いに陳歩を苦しめたが、上野の策略
によって破れ、ついに陳歩に降伏した。
【関中藩鎮】
上野は降伏した西廟を殺すように建策した。普段は上野と犬猿の仲である方慶でさえ
これに同意したが、陳歩は「これから強敵、三満(満古、満戸、満臭族)との戦いが控
えているのだ貪欲に戦力は求めるべき」と西廟軍団をほぼそのまま、軍に吸収した。
陳歩に仕えるようになった西廟であるが、彼の用兵はその後も冴え渡り、当たり前の
ように寡兵で大軍を打ち破り続けた。
上野は西廟のあまりの強さに危機感をおぼえ、1615年、西廟を無謀な関中遠征へ行かし
抹殺を試みた。
西廟は圧倒的な斉翼軍を鯛益幹線(タイエキカンセン)の計によって討ち破り、関中を平定
、その後、陳歩軍内の強力な藩鎮となって関中に居座った。上野は完全に目論見
が外れたのである。
265:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 20:52:42
■西廟その3■
【煩悩寺の変】
その後、西廟は関中藩鎮として北陳王朝を支えたが、彼を恐れるもの、憎むもの、
嫉妬するものは後を絶えず、陳歩に西廟のことを悪く吹き込む者は数限りなくいた
という。
西廟もいずれ自分が方慶と同じ運命をたどるのではないかと恐れ始めた。
はじめに西廟に陳歩への謀反を吹き込んだのは栄厨だと言われている。その後も
南方諸国をはじめ、陳歩の勢力拡大を恐れる諸勢力から反逆をそそのかされ続けた。
西廟は断わりづつけたが、あるとき泥酔した陳歩に殴られ、奴隷であったことを罵ら
れたことがきっかけで、ついに謀反を決意したといわれる。
1627年。ついに西廟は煩悩寺を襲撃し、陳歩を殺した。
【西廟の死】
陳歩を殺した後の西廟はあまり冴えがない、陳歩を討たれたとはいえ圧倒的な北陳軍を
次々に討ち破るものの、西廟と同盟関係にあった南方諸侯はことごとく、不能によって
滅ぼされ、雲国の雲香との関係も悪化し、次第に四面楚歌に陥る。淋廟が戦死した頃から
急速に体調が悪化し、実権を栄厨に奪われてゆく。
1630年、西廟はついに死んだ。煩悩寺の変からわずか三年後のことであった。
死因ははっきりせず、仁真、秦躍らに殺されたとか、栄厨に謀殺された、単なる
病死であるなど、はっきりしたことはわからない。
266:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 20:58:42
■西廟その4■
【補足など】
●机上の空論(民明書房・弁末動乱の英傑たち)
400年前の厨国の2人の軍事的英雄、満古は騎上の将、それに対し西廟は机上の将と呼ばれた。
西廟は机上で天上より地上を見下ろすがごとき見事な軍略を生み出すことができた。
これにより、極めて優れたな戦略を「机上の空論」と呼ぶこととなった。
現在ではまったく逆の意味で使われているが、その原因が文化大革命の影響により本当に厨国
文化が変わり果ててしまったからであることは言うまでも無い。
●歴史書によれば、民、百姓は陳歩を見ると「入れてほしい(陳歩勢力に)」と言い、豪傑たちは
満古を見ると入りたい(満古軍に)」と語っていたが、西廟には「移りたくない(西廟軍籍に)」と言い
西廟には陳歩、満古のようなわかりやすいカリスマ性が無く、人集めが下手だったようである。
267:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 21:06:28
↑上手いこと言いますのぅ
268:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 21:11:25
暁宙(ギョウチュウ)
弁朝の軍人。後に雲国へと亡命。
暁宙は典型的な小役人。他人の金をちょっとずつネコババしていた。
弁朝の監査官として満古と出会ったことがあったが、後に満古が十八京を攻めた際に使者として赴くが顔は忘れられていた。
体術はかなりの腕前だったが、あまり知略は持ち合わせていなかった
269:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 21:15:22
智完(チカン)
陳歩配下の武将。
あくまで前線にこだわっていた武将である。
陳珍の教育係だったが、陳珍が禅律線の守備に付いたため、疋似線(ビキニライン)を守る。
270:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 21:21:08
稚急(チキュウ)
満古軍の武将。元は満古の上司筋にあたる人物だったが、満古が群雄として成長すると成り行きで満古の配下になった。
満古配下にも関わらず満古を見下す発言が多く、満古配下達ら嫌われた。
第二次瀬宮洲の戦いの際に捨て駒として配置され、善戦したがあくまで凡人だった為か即座に戦死した。
271:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 21:40:43
聖壁【セイヘキ】
弁朝が西方や北方の異民族の侵入を防ぐために築き上げた城壁。
歴代皇帝によって様々な形の壁を築き上げたため場所によってとんでもない形をしている。
272:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 21:45:18
奮世羅【ブルセラ】
満古軍の御用商人。
独断で満古軍の物資を陳歩配下の孟操に横流しをしていた。
一応 満古軍の最強兵器・奪血妻【ダッチワイフ】の開発者であり、陳歩軍を苦しめた。
273:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 21:56:52
弁威【ベンイ】
弁朝の皇族。弁朝の皇族にしてはかなりまともな人物。
彼が弁朝の皇帝になっていれば袁庫らの反乱は起きなかったとさえ言われている。
厨国があまりに荒れ果てたために雲国に亡命するが雲智により幽閉されてしまう。
274:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 22:01:10
弁飛【ベンピ】
弁帝の落胤。
弁朝滅亡後、西廟治世下に突然現われて弁朝復興を計るが、時は既に新たな流れになっており誰も彼を相手にしなかった。
後の人生はひっそりと暮らした。
275:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 22:10:42
武将で何とか把握しているのは150番目くらいまでだよね。
最近の武将までは追いつかないよ。
276:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 22:13:59
>>191-194まではまさに名文だよね。
これで満古のイメージが敵対するものには容赦なく、冷酷で固まった。
277:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/02 22:23:02
レスを見てたら「西廟を殺した人」が何人もいた。
278:無名武将@お腹せっぷく
07/07/02 23:40:48
それだけ西廟が皆に憎まれていたんじゃない?
栄厨が主犯なのはほぼ確定かな?
西廟は頭デッカチな人物だから満古程はにんきがない
279:無名武将@お腹せっぷく
07/07/03 08:56:06
俺としてはミコスリ・ハーンの活躍についてもっと知りたい
280:無名武将@お腹せっぷく
07/07/03 12:23:29
満牙【マンゲ】
満古の弟にあたる人物。
兄とはまったく異なり落ち着いた、それでいて器の大きさを感じさせる武将。
兄が大勢力になる前は森林の中に隠者として暮らしていたが、兄が大勢力を築き上げて人材を欲しはじめた際に真っ先に召集された。
満牙は兄の役に立つ人物を多数推挙したため、満古陣営はかなり強力になったとされる。
281:無名武将@お腹せっぷく
07/07/03 17:08:24
斉起【セイキ】
斉翼の従兄。陳歩・満古共に天下を握ることは不可能であると悟っていた。
しかも。当時は机にばっかり向っていて、戦は解らないと言われていた西廟が天下を獲る。と言っていたらしい。
本家の斉翼らよりも大局をみることが出来た武将だったが、斉翼に仕えることを重視したのが彼の才能を縮めた。
陳歩・満古・満戸らをも破ったものの西廟に敗北して斬られた
282:無名武将@お腹せっぷく
07/07/03 17:15:36
斉益【セイエキ】
斉起の長子。斉翼らが破られた後に斉家の相続権を握った。
瞬く間に陳歩傘下に馳せ参じた。このことから陳歩には信頼され旗本にまでなった。
一番に陳歩の陣から飛び出して行く様はとてつもない勢いから、みなから噴水の様だと称された
283:無名武将@お腹せっぷく
07/07/03 17:29:18
銷白魅【ケジラミ】
西廟に従う群雄の一人。少数の兵を使った作戦がとくい!
脇役かと思われるが満牙の集めた浪人に交じって満牙軍に入り込み、満古の本陣を後ろから叩き、満古を危機に陥れたが失敗だったようである。
284:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/03 19:27:03
【人名録・その5】
>153 菩帯(ボタイ) 群雄の一人。満古勢力の前身だった。
>154 菩慇(ボイン) 菩帯の養子
>156 菩柔(ボニュウ) 菩帯の実子
>158 手鏡(シュキョウ) 人物鑑定に優れる。
>159 余馬懿(ヨバイ) 斉翼の配下、斉鋼の参謀
>161 秦躍(シンヤク) 陳歩の将。西廟を殺害したとされる人物の一人。
>163 大音進(ダイオンシン) 満古の将
>163 小音進(ショウオンシン) 満古の将で大音進の子
>164 新旋(ニュウセン) 菩家の家老
>165 新巌(ニュウガン) 新旋の弟
>166 新暴(ニュウボウ) 新家の当主であり、菩家の家老
285:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/03 19:34:02
【人名録・その6】
>>167-168 新麟(ニュウリン) 新暴の子
>169 新謄(ニュウトウ) 新旋の嫡子
>170 虎駒(トラコーマ)
>171 乙武尊(オツ・タケルノミコト) 倭国の伝説の英雄
>173 貴須(キス) 独立勢力らしい。
>181 須島(スジマン) 満戸の将
>182 宿助(ジュクジョ) 満戸の将
>183 ミコスリ・ハーン 北方の英雄
>>191-194 蘭操(ランソウ) 師宮の乱の首謀者として有名。
286:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/03 20:26:32
【腹上4年の役(ハラジョウシネンノエキ)】
腹上4年の役とは、1600年におきた弁朝を揺るがす戦役で大弁王朝の大貴族であった菩帯
が、非道の検弁政治(けんべんせいじ)をおこなう、弁飾、杏暮を国賊として除くため挙兵
したことからおこった戦役である。なお腹上とは当時の弁の年号である。
しかし圧倒的な弁朝官軍の前に菩帯は敗退し、辛うじて地方に割拠することとなる。
■菩帯の計画が失敗した原因■
①まず、菩帯は策略によって弁飾らを除く計画であったが、密偵により発覚、
さらにやむおえず挙兵したものの、一部の知識人層のみの支持しか得ることが
できず孤立してしまったこと。
②そして何より、1600年の段階では弁官軍は未だ相当に強力であったことである。
・・・とはえい弁官軍の形骸化は1605年の袁庫の乱ではっきりする。1600年から
1605年の間の、検弁政治による体制弱体化と腹上4年の役、さらに雲国の役により
弁朝がとてつもない打撃を被り、軍の弱体化が急速に進んだことは疑う余地も無い。
287:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/03 20:32:44
【検弁政治(ケンベンセイジ)】
1598年から始まった、弁飾、杏暮らによる恐怖政治。
「弁朝に叛意ある者かどうか検査する。」という名目で、全国に監視網がしかれ、
弁飾、杏暮らに都合の悪い者は次々に処刑された。
この検弁政治が大きな要因となり腹上4年の役や雲国の役の勃発し、国内が混乱。
全国に盗賊が蔓延り、中央の統制力が急速に低下、事実上体制を終わらせた袁庫の乱
へとつながることとなる。
288:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs
07/07/03 20:46:34
すでに>>153にあるが、あらためて菩帯のことを詳しく書く。
【菩帯(ボタイ)1550~1604】
神から人間になったとされる菩聖(ボセイ)の子孫を名乗る群雄。
腹上4年の役のおこしたことで有名である。
弁朝の大貴族であった菩帯は弁飾、杏暮らの検弁政治に強く反対し、クーデター
によって彼らを捕縛し弁朝建て直しを画策するが、計画は露呈してしまい、一族
を率いて挙兵。全国に「国賊杏暗を討つため共に立つべし(さすがに皇族である
弁飾を名指しでは非難できなかったようだ)」と檄文を飛ばすが、使者のほとんど
は道中で捕らえられ、思うほど同志を集めることはできなかった。しかしこのとき
檄文を受取った一人である満古が参加している。菩帯はあくまでも弁朝の建て直し
のため挙兵したのだが、のちに弁朝を滅ぼす満古が歴史の表舞台に登場するきっかけ
を作ってしまった事は皮肉としか言いようが無い。
圧倒的な官軍の前に戦いは思うようにはかどらず、かろうじて地方に割拠するにとどまる。
晩年に養子の菩慇(ボイン)と実子の菩柔(ボニュウ)の後継ぎを巡る戦いが起
きてしまい、介入した満古の勢力が拡大して行くのを止められず失意の内に
没した人物。
289:無名武将@お腹せっぷく
07/07/03 20:52:43
【主な出来事】
腹上4年の役 1600年 菩帯が検弁政治に反対して挙兵。
袁庫の乱 1605年 反政府活動を続けていた袁庫が挙兵、混乱が全国に拡大
弁朝滅亡 1607年 満古が弁朝帝都、洛陽を占拠。
笛羅の戦い 1608年 3月 満戸と陳歩の戦い
昌独の戦い 1608年 5月 西廟と陳歩の戦い
青天関の戦い 1609年 満臭族と陳歩の戦い
第一次瀬宮州の戦い 1610年 満古と陳歩の戦い
第二次瀬宮州の戦い 1612年 満古と陳歩の戦い
第三次瀬宮州の戦い 1614年 満古と陳歩の戦い
関中征伐 1615年 陳歩の将、西廟と斉翼の戦い
漢長討伐戦(二侍原の戦い) 1615年 2月 満古と魯罹の戦い
漢長大虐殺 1615年 ?月 満古、漢長領民を虐殺
第二次漢長討伐戦 1615年 ?月 満古と魯罹の戦い
師宮の乱 1615年11月 満古の臣、蘭操が謀反
御那二の戦い 1616年 満戸と陳歩の戦い
第四次瀬宮州の戦い 1618年 満古と陳歩の戦い
通禁羅守の戦い 1620年 雲香と陳歩の戦い
第五次瀬宮州の戦い 1622年 満古と陳歩の戦い
北陳王朝の成立 1625年 陳歩、帝位につく
煩悩寺の変 1627年 陳歩、配下の西廟に襲われ死去。
濫江の戦い 1629年 不能が栄厨に殺害される。
【その他、年代不明】
暑町の戦い 菩柔と満古の戦い
山田汚露血討伐 倭国の英雄、 乙武尊と大蛇の戦い
買阿愚裸の戦い 陳歩と陰歩の戦い
290:無名武将@お腹せっぷく
07/07/03 22:59:11
音烈【インレツ】
大音進【ダイインシン】の次男。小音進【ショウインシン】の弟。
満古がもっとも信頼したとも言われている。
満古の娘婿だったので若くして満古親衛隊の隊長に成った。
満古の死後は少々図に乗った行動が目立ち、満古の後継者を名乗ったが軍を統率出来ずに終わった
291:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 00:29:51
原土林線【バルドリンせん】
満古軍が拠点を守るために敷いた防衛線。
親衛隊の音烈らが指揮をとって守った。
しかし、陳歩配下の相武によって万江から水を引かれ満古軍は水攻めにされてしまったのである。
敵か水か・・・どっちか悩んだ末に満古は音烈を先陣として決死の大脱出をして九死に一生を得たのであった。
この戦の最中、水が溢れる前に「イクっ。イクっ。」とどこからともなく声が聞こえたために満古軍は早期に水に気付くことができた
292:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 06:32:26
満胡【マンコ】(1592-16??)
字は噴潮(フンチョウ)。元山賊。満古軍の一兵卒であったが、満古と同姓のよしみで部隊長に抜擢された。
満古に追従して漢長討伐戦に参加した際、漢長との戦いそっちのけで次々と村を襲い、女を手篭めにして回った。
そのテクニックは達人級で、全ての女は彼によってことごとく潮を噴かされた。女の中にはそのテクニックに魅せられ、
敵国の兵であるにもかかわらず進んで彼の愛人になる者もいたという。
これにより漢長の民は彼を「満古軍の鷹」と呼び畏怖の念を抱く。以後、満古軍が襲来した際は常に満胡を警戒し女を隠したと伝わる。
293:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 14:52:51
相変わらず、陳歩スレは内容が濃い。実に偉大なるスレだ。
294:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 15:03:53
みんな忘れていると思うけど、この時代にはちゃんと火器もあるんだよ。
295:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 16:23:53
宙舌【チュウゼツ】
袁庫の配下。参謀の一人でもある。
袁庫が反乱を起こしたさいに満古に早々と情報を流した。
そのため、袁庫軍の動きは満古らに筒抜けだった。
宙舌は袁庫軍壊滅後に満牙に誘われて満古陣営に走る。
296:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 16:24:36
昔の陳国志ってどこかで見られないかな?
297:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 17:20:49
陳歩でぐぐると一番上に陳歩スレまとめサイトがくる
298:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 17:56:23
>>297
「陳歩」で検索してみた。マジでした。
ファースト陳歩スレを立てた人はまさに天才だな。
299:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 18:00:34
陳歩辞典を見て思い出したが、田代とか池田大作とか、結構なんでもありだったんだな。
300:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 19:33:29
英傑たちの女の趣味
満古は年増好みで、自分より10歳以上年上でなければ愛せなかったという、
後宮の楼神奉宮(ろうじんほうむ)には高齢の女性ばかりいた。これがのちに
老人ホームの語源となる。
満戸は女好きで有名であり、あまり金の無い頃から多数の愛人が居た。
戦場にも常に数十人の愛人を引き連れていたという。
また斉翼は幼い少女が好きで、自分の支配下でよく人買いおよび誘拐で相当数の少女
を宮殿に連れて来ていた。西廟が関中征伐で斉廟の宮殿を占領したとき、幼い少女ばかり
がいたので、唖然としたという記録が残っている。
なおついでながら西廟は何故か女性から倦厭され(男からもだが・・・)「移りたくない(
西廟の館には)」などと言われていたようだ。
301:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 19:37:19
性癖とは関係ないが、斉翼は慰妄徒道の信者であった。斉翼と満古がたびたび
戦をした要因に、慰妄徒道の信者「肝夫汰(キモヲタ)」を殲滅したことがあげられる。
302:武将鑑定 ◆tsGpSwX8mo
07/07/04 21:03:20
今後、私の独断による武将鑑定をしていきます。列伝だけでなく、他のレスに
散らばる記述も見ながら厳正に(こんなスレにムキになってどうすんの。)評価
していきます。ただしペースは遅いです。少しずつですね。
なお評価についてですが、エピソードが多い、活躍期間が長い武将はある程度、
割り増しします。陳歩クラスの武将ともなれば、多少の敗戦には目をつぶるこ
ともあるでしょう。(よく個々のレスを見ると結構、陳歩って負けているんだよね。)
逆に、一発屋的な人物や判断材料の少ない武将。(列伝が少なく、他のレスにもその名が
出てくることの無い人物。)は記述内容より割引いたします。・・・でないと、王双みたい
な武将ばかり強くなり、項羽に一度勝った彭越が項羽より強くなってしまうようなことに
なるので当然の処置でしょう。
■最大100点満点で評価。理由もなるべくつけていきたい■
統率:自勢力の統率力。主君は高めになる。
用兵:戦いの巧みさ
武力:主に一騎打ちの強さ。ただし判断財行が無い場合は戦争の強さから勝手に判断
智謀:策略の巧みさ。政治がうまくても関係ない。
内政:あくまでも民政のうまさ。軍団経営の巧みさは統率力に反映される。
魅力:カリスマ性。基本的に多くの人をひきつける能力のことで、一部にしか慕われない
場合は低め。
重要度:五段階評価。歴史的重要度。
303:夷王侍従統亮(正五位下・蝦夷押領使) ◆qG5Uj1x8xc
07/07/04 21:40:18
ぶ・・・武将鑑定だって??
あんた!もしかして!戸霊【ペレ】の一番弟子の手鏡先生か?
まだ生きていたなんて!
304:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 21:54:15
煩悩寺の変・・・なぜ陳歩配下が動かずに陳歩が討たれたのか。~第1~
陳解【チンゲ】の場合
陳解は陳歩が煩悩寺に行ってる最中、芽越路【メコスジ】の版津賊【パンツゾク】の残党に警戒するため封賊城の防衛に入っていた。
その際にわざわざ西廟が与力にと与えてくれた銷白魅【ケジラミ】も封賊城近郊にて少数の兵を擁していた。
しかし。西廟が陳歩を討つのに呼応した銷白魅はあっという間に封賊城を制圧。陳解を自害に追い込んだのであった。
305:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 22:01:57
その後の銷白魅【ケジラミ】封賊城を制圧して有頂天になった銷白魅は油断して数十騎ばかりの兵で西廟の元に向った。
しかし、その道中に煩悩寺にから瀕死の重傷を負って落ち延びてきた煤武【バイブ】に出会った。
銷白魅は煤武をバカにしたが煤武は動じない。唾をはきかけられても、石をぶつけられても。。である。
だが、銷白魅が陳歩をバカにした途端に煤武は再び動き始め銷白魅達を薙ぎ払って西廟を討つために煩悩寺近郊へ向った。
煤武は数十騎の武者全員を一撃で殺したのであった
306:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 22:09:44
煤武【バイブ】のその後
義兄・陳歩の仇である西廟【セイビョウ】を討ち果たすため、単騎で百万(おそらく後世の脚色)の軍勢に向っていった。
海泡瀬の戦いや笛羅の戦いにて大将クラスを切り殺した煤武。いや。音無の頑愚はまたも無謀な戦いへと向っていった。
突撃を開始した煤武、知らない間に陳歩の旧臣が集結していた。
西廟軍の指揮官は栄厨と苺独。
倒れる仲間達。煤武も満身創痍だったが、奇跡てきに右翼側の苺独を討ち取った。
307:武将鑑定 ◆tsGpSwX8mo
07/07/04 22:11:22
【武将鑑定№1 不能の軍師・智良】
武将鑑定第一号はいきなり、マイナー武将である。・・・ってあの英雄、不能
の大軍師である智良がマイナーなものか!と思うかもしれない。しかし彼には
そもそも列伝が無いのである。しかし>>201-206の不能列伝と>>217の丘間列伝
にその名があり、1、2行しか列伝の無い武将より意外とはっきりしているので
あえてとりあげたい。
特に気になるのは丘間の守る弁王朝の十八京に攻め寄せ丘間を降伏させたという記事である。
難攻不落の城砦が周辺に築かれている十八京を落とすというのは相当の武将である。
(レスをよく読まない書き手による珍設定のような気もするが、それを禁止すると、すごくつまら
ないスレ化して書き手がいなくなるので、気にしてはいけないのだろう。)
彼はもともと満古の武将だった可能性も高く、今後の研究が待たれる。
なお、智良には列伝が無いので能力は低めに評価するが当然のことであろう。
統率:83 不能亡き後の誤を統率していたという。なかなかの実力者だ。
用兵:81 十八京を攻略したのだから相当の戦上手。
武力:? 判断材料が少なすぎる。ただ武将としては有能だったようだ。
智謀:89 まったく立たなかった不能をついに立ち上がらせたのだからすごい
政治:58 民政に関しては記述が無い。よってこれ以上はつけられない。
魅力:78 主君亡き後の誤をまとめたのだから魅力はあっただろう。
歴史的重要度 ★★★★(4.0)辺境国の大軍師さまということでこのくらいかな。
308:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 22:18:19
煤武に降り掛かる百万本もの矢。苺独の次は!と栄厨に矛先を向ける煤武。栄厨の陣まであと少しだが哀れ煤武は力尽きるのだった。
煤武は死の瞬間。動かぬ体を震わせて戈を力一杯、栄厨の陣に投げ込んだ。
見事。戈は栄厨に当たったが栄厨は左腕を失っただけで命は助かった。
煤武は直立不動。ピクリともしなくなり、それを見た兵達はわらったが栄厨は兵達を叱責!「忠義の臣を笑えるものは、我が西廟陣営にはいないはずだ!まだ笑い続ける者達は私が許さない!煤武を陳歩の墓所まで運べ!」
309:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 22:24:17
兵達に命令を下したあとに栄厨は涙を流し、西廟に煤武の墓所を早急に作らせるように要求した。
しかし、西廟は反逆者には野ざらしで十分。と語った。栄厨はこの伝令を受けると「やはり、この人には・・」とだけ語ったとされる
確実なことは栄厨がこの直後、秘密裡に封賊城に兵を集結させ来たるべき西廟との戦いに備えはじめた。と言うことである
310:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 22:42:50
惨尼羊鼾【ザンニョウカン】 元蛮族出身の弁朝の武将。陳歩が十八京周辺に進攻した際に陳歩と守備隊の丘間との間を取り持ち、陳歩が十八京に進攻しないことを決めさせた。
これにより十八京は智良が丘間を説得し、開城させるまで名目上は弁朝の領土となった。
311:武将鑑定 ◆tsGpSwX8mo
07/07/04 22:43:29
【武将鑑定№2 雲国の用兵家・兎慈(ウジ)】
では腕も足も無いながら雲国を強国にした兎慈さんについて考察しましょう。
兎慈さんに関する記述は次の2つです。
>>226 兎慈の列伝
>>228 崟栄の列伝
まず、彼の地位ですが、兎慈の列伝を読む限り雲国の軍師のようにも見えますが、
よく周囲のレスを見るとどうもそれほど地位の高い人物ではないようです。
まず雲国の軍師は翠扇であると翠扇列伝にはっきりと書かれています。
そして何より、雲固を守る護衛団の一人に過ぎない崟栄より下と崟栄列伝には
しっかりと書かれているのです。
彼は本当に雲国を左右したほどの大人物だったのか大いに疑問が残ります。
まあ大河ドラマ風林火山の主人公のような立場だった可能性もありますが・・・。
考えようによっては兎慈の列伝は彼そのものより、雲智の人徳を示すエピソード
として書かれたものであるかもしれません。
統率:40 よくわからないが、多少は雲国の運営にたずさわったようだ。
用兵:75 兵法を習っていたのである程度はあるでしょう。
武力:1 腕も足も無いらしいので戦いは無理でしょう。
智謀:40 謀略に優れていたかどうは不明
政治:10 政治家としての力量は未知数
歴史的重要度:★☆(1.5)
記述の少ない人物なのでエピソードを鵜呑みにせず厳しく評価いたしました。
現段階では実在かどうかも怪しいし・・・。
312:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 22:50:56
雄楢【オナラ】
後弁朝の武将。西廟の死後、十八京にて弁飛を擁して弁朝復興を狙った。
しかし、既に丘間は病死していた為に十八京の守備隊は智良の人柄に惚れ忠誠を誓っており逆に雄楢が討ち果たされてしまうのだった。(しかし、弁飛は逃亡できた)
この事件以降。弁朝の領土を名乗る地方の自治都市の大半が弁朝を放棄する。と宣言したため。これ以後、弁朝復興を語るものも居なくなり、完全に弁朝の滅亡となった
313:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 23:21:09
声爲【コエダメ】
雲国の司空。参謀から宰相になっていた翠扇を説得して名将・雲智の復権を実行させた老将。
成長してきた若き世代の兎慈・崟栄らに期待しており。それらを使いこなせるのは知略に優れた雲智と翠扇だということも理解していた。
声爲に対しては誰も信頼を寄せていた。雲智と翠扇が仲直りをするのを願いながら逝った。
後、雲智と翠扇は幼少期の友人同士だった時のように手を取り合い雲国に尽くした。
314:無名武将@お腹せっぷく
07/07/04 23:30:36
敬奮【ケイフン】・仁奮【ジンプン】・休奮【ギュウフン】・破奮【バフン】
雲国に突如あらわれた四人の学者。
声爲が遺言で言っていた政治を任せられる人物。
敬奮は人事を、仁奮は司法を、休奮は公共事業を、破奮は財政を得意としていた。
翠扇・雲智の元で兎慈・崟栄らの後方支援を精力的にこなした。
戦は素人であり、厨国進攻時、雲智に独断で仁奮が進撃し、無駄に戦死している。
315:無名武将@お腹せっぷく
07/07/05 01:04:48
飴婆【アメーバ】
町内に住む西廟軍の知恵袋。
様々な策を弄するかなりのキレ者であり、西廟すら恐れる。
栄厨が乱を起こすことを予知していて、西廟に話すが西廟は笑ってそれを聞き流したらしい。
飴婆は栄厨が覇権を握った後に消えた
316:無名武将@お腹せっぷく
07/07/05 06:18:20
武将鑑定 ◆tsGpSwX8moへ
月旦評の許子将を名乗るべき
317:無名武将@お腹せっぷく
07/07/05 10:34:18
煩悩寺の変。その時歴史が動いた
陳歩の愛馬・絶臨【ゼツリン】
絶臨は足の怪我を治すため、煩悩寺には行っていなかった。
その為に命が助かったのだが、陳歩の死を知ると泣き叫び、近くに来ていた煤武の下に馳せ参じた。
絶臨は煤武と共に百万の西廟軍に、たったの数騎で立ち向かい苺独を討ち取り、煤武と共に死んだ。(槍田里内の戦い)【ヤリタリナイのタタカイ】。
死後、敵将・栄厨によって主人・陳歩の墓所近くに葬られたらしい。
318:武将鑑定 ◆tsGpSwX8mo
07/07/05 18:23:21
ちょっとトリップを変更します。
319:武将鑑定 ◆kXZDMIdjKo
07/07/05 18:24:12
このようなトリップにします。
>>316 ありがとう
320:武将鑑定 ◆kXZDMIdjKo
07/07/05 19:49:33
【武将鑑定№3 満戸(マンコ)・誤訳から生まれた?英雄】
満戸はおそらく誤訳から生まれたようだ。しかしその後、彼は重要な人物の
一人としての地位を確立した。まさに怪我の功名というものだろう。
さてすでに詳しい列伝などが出ている満戸だが、列強ひしめく地域で、1621年
まで独立を保っていたのだからすごい。しかも陳歩、満古を相手に激戦を繰り返し
それなりの戦績をおさめているようだ。
統率:87 食い詰め者たちを強力な軍団とした統率力は抜群であろう。
用兵:91 すごい用兵家であると思われる。陳、満相手に好勝負を繰り返す。
武力:67 個人的な武勇はよくわからないが、それなりだと思われる。
智謀:93 極めて頭の切れる人物。また切り替えも早く、さっさと陳歩軍の重鎮となる。
政治:30 民政家としての能力は今のところ資料なし。
魅力:80 荒くれなどにはしたわれていたようだ。あとおそらくは女にも人気があったと思う。
歴史的重要度:★★★★☆(4.5)
321:武将鑑定 ◆kXZDMIdjKo
07/07/05 20:07:48
【武将鑑定№4 主人公の陳歩(チンポ)】
>>56に陳歩についてはすでに優れた考察がなされていますが、新設定もありますし改めて
検証してみましょう。陳歩の列伝に大体のことは書いてありますが、これほどの英雄とな
ると4~5レスでは語りつくせないようで、さまざまなエピソードが格レスに散らばっています。
>>34の陳歩の愛馬、絶麟。 >>129の陳歩の槍、挙献なども収録されていないものの、重要な
記述でありましょう。
また列伝を読む限り、陳歩はほぼ無敗のようですが、>>37では笛羅門の衛兵に
すら敗れているように結構敗戦も多かったことが伺えます。また列伝にはその
名がないものの煤武という重臣の存在も見逃せません。
それと当初、陳歩は農民かと思われていましたが、塾に行っていたことがあるなど
結構怪しいです。それに弁朝への忠誠も最近はやや怪しい気がします。まあレスが
進み、陳歩の設定にも深みが出てきたということでしょう。
統率:92 大帝国北陳を築き上げた統率力は並みのものではなかったでしょう。
用兵:88 意外と敗戦が多いようだ。満戸にも勝てなかったようだし意外と不得手?
武力:95 一騎打ちを何度もしている。相当の武勇を持っていたようだ。
智謀:89 自ら権謀術数を操ることはないようだが、献策はもちいることができた。
政治:100 パーフェクトである。内政面でこれほど書かれているのは陳歩だけ。
魅力:94 満点をつけたいけど、煩悩寺の変のことを考えると若干下げるしかないかな。
歴史的重要度:★★★★★ 文句なしである。間違いなく時代の主役であろう。
322:無名武将@お腹せっぷく
07/07/05 21:43:10
知衿【チェリー】
通称・策乱暴将軍【サクランボショウグン】
陳歩配下の将。陳歩軍の前将軍。
車騎将軍の煤武とは孟操の紹介で知り合いになった。
煤武は陳歩の義弟であるため特別に扱われていて戸惑っていたが、知衿は煤武を同僚として普通に扱ったので煤武は知衿の人柄を慕っていた。
煤武が大将軍になった際に諸将は反対したが、知衿は煤武の忠勤を認め、煤武の大昇進を祝福した。
戦場では慎重だったため、皮肉として策乱暴と称された
323:無名武将@お腹せっぷく
07/07/05 23:49:40
組執・翠扇・雲智
組執は言わずと知れた大学者であり思想家である。なぜ組執が雲固に対して反逆したのかは今だに不明だ。
だが 当時の資料によると、話の例として場合によっては雲固も討たなくてはならない。と語ったのは確かなようだ。
出世欲が強い翠扇はこれを利用して組執を失脚させ、弟子の雲国皇族・雲智を野心アリとして捕らえさせた。
324:無名武将@お腹せっぷく
07/07/05 23:57:23
翠扇は当時、雲香と只ならぬ仲だったので雲香と対立する雲智は幼少からの仲であり、親友だとしても罰するしかなかったのだ。
彼は雲香の為なら雲国の情報をも敵に漏らした。
その為、翠扇がいくら名将・名政治家であってもダメな人物だと評価する人も多い
だが、彼は雲国の名士・声爲に雲国を支えるには翠扇と雲智の両雄がなければならない。という説得から雲智を復権させたのだった。
翠扇は自身が愛するもののために任務をしっかりやらなかったのを後悔していた
325:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 00:04:38
組執・雲智は国を変える・革新派。翠扇は旧体勢を変化させる・保守派だった。
だから 対立が起きたのであり、雲国はそれだけ人々が必死につくりあげたものなのである。
翠扇は大きな戦(ミコスリ・ハーンとの戦いなど)の指揮でとり、絶大な強さをみせ、雲智は現場での策を考える将であり、タイプが違っていた。唯一の共通点はほぼ負けなかった事だけである。
二人は昔から宮廷で遊び育った親友同士。雲国をミコスリ・ハーンから守りぬき強国に仕上げた。
326:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 10:18:26
翠扇・雲智は若い。雲智は雲香の従弟であり、雲香より五歳年下。
翠扇はそれより一つ下。
兎慈・崟栄はそれよりさらに五歳下なのであり、かなり若い。
陳歩や満古より遥か若いのである。雲国の人材は尽きない
327:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 10:48:37
ヤリタイ
ミコスリ・ハーンの部下。もともとミコスリ・ハーンと敵対していたスグニ族の族長。
聖壁を越えて度々厨国に侵攻した。
328:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 10:50:38
ダキタイ
ミコスリ・ハーンの部下。アナタヲ族の族長。
疾風将軍と称された。
329:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 14:42:37
聖侯将(セイコウショウ)
偉大な軍功を挙げた武将達を指す。
聖理幻将よりも下の称号。この時代の武将達の大半をこの称号で呼ぶ事が多い。
陳歩や満古はこの部類に入る
330:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 15:00:21
雲国(ウンコク)
所領:西涼および内蒙古
住民:雲族と姦民族(カンミンゾクと言い、厨国人とか弁国人と同じ)の半々
331:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 17:18:57
ミコスリ・ハーンの南征
北の厳しい土地を征服したミコスリ・ハーンだったが、次第に肥えた土地へ移住することを考え始める。
そこで標的となったのが雲固率いる雲国である。
序盤はミコスリ・ハーンの家臣の勇将・ダキタイやヤリタイがいたためにミコスリが有利だったが、雲智が台頭してくるとミコスリ・ハーンも楽には勝てなくなった。
332:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 17:35:44
この状況にやきもきしたミコスリ・ハーンは盟友・陳歩へと援軍を要請した。
しかし、陳歩は既に煩悩寺にて死んでおり、援軍は来ない。
盟友であり、息子の妻の父に当る陳歩の死を悲しんだミコスリ・ハーンだったが、雲国を討たなければ厨国へ行くのは危険すぎる。
ミコスリ・ハーンは決意し、近隣の属国の兵と共に雲国へ向け五十万の大軍を南進させた。
近隣の愚呂威(グロイ)や希藻威(キモイ)兄弟。そして直属の特殊部隊の怖乱志隊(フランシタイ)。ダキタイやヤリタイ、イレタイ、ヌガズといった陣容である。
333:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 17:40:27
雲国内では勝ち目なしとして降伏論が出た。
しかし、若き参謀・翠扇。二年の謹慎から帰ってきた皇族将軍・雲智らは徹底抗戦を唱えた。
いよいよミコスリ・ハーンと雲国軍の戦いが起きる。
334:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 17:44:07
雲国(ウンコク)
所領:西涼および内蒙古
住民:雲族と姦民族(カンミンゾクと言い、厨国人とか弁国人と同じ)の半々
初代王:ゲリベン・ハーン(のち姦族風に雲高と改名)
文化:雲族はもともとは遊牧民だったが現在ではその多くが定住民となっている。
文化的にも姦族との同化が進む。現在では純粋な雲族は少なく、王家の雲一族で
すら極めて姦族の血が濃いが、それは代々の弁室との政略結婚によるものである。
そのため異民族ではあっても、弁室の血の濃い極めて高貴な一族として弁王朝でも
一目置かれている。
歴史:少数民族の長、ゲリベン・ハーンは満臭族の圧迫に苦しみ、厨国に逃れ、
のちに弁王朝の初代皇帝となる弁国王、弁器(ベンキ)のもとで保護された。その後、
ゲリベンは名を雲高と改め、弁器の覇業に大いに貢献したという。
弁器は天下を平定すると王の爵位と西涼の地を雲高に与え、半独立王国を創ること
を許した。雲高は西涼の地で雲族の復興を進める一方、死ぬまで弁国を異民族から
守り続けた。
335:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 17:48:17
そして―。綱糸の戦い。(トゥナイトのタタカイ)
闇夜の最中、雲国の北・針産(バリウム)に布陣したミコスリ・ハーンの大軍。
対するは雲智・兎慈・崟栄らの義勇軍(本軍は翠扇の要求にもかかわらず雲香らの意向で動かせなかった)
ミコスリ・ハーンの大軍は疲労していた。さらに大軍故に油断していた。
五十万の大軍。義勇軍はたったの五千。 勝ち目は無いように思えた。
336:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 17:54:28
しかし、義勇軍は圧倒的だった。何故なら愚呂威や希藻威らが寝返ったからである。
なぜなら雲智が崟栄に指示して彼らを寝返らせていたからだ。
この戦いの結果が伝わると翠扇は雲智の役職をもとに戻す事を要求し実行させた。(雲智は謹慎から復帰していたが役職は解かれたままだった)
翠扇率いる雲国軍・二十五万五千が針産(バリウム)を包囲したのは三日後の夜の事である。
337:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 17:56:00
【雲国の役・1600年】
雲国は弁王朝ないの自治王国で、西涼にある異民族の雲族の国であるが、文化
は厨国化し、王家も弁王室の血が非常に濃く、人口も半分は厨国人であった。
弁王朝で弁飾らにより恐怖政治、検弁政治が始まると政争に敗れた多くの役人
などが雲国に亡命した。弁飾はそれらの亡命者の殺害を雲国王である雲固に命じ
たが、雲固はこれを断固として拒否。これに対して弁飾は雲固が弁朝の簒奪を
狙っていると言いがかりをつけて大軍を投入して西涼に攻め寄せた。これを雲国
の役という。
当時、弁国内では腹上4年の役がすでにあったこともあり、二面作戦となった弁官軍
は統率が取れず、そもそも将兵はおろか、皇帝まで弁飾には反感を持っていたことも
あり士気は上がらず、雲国討伐は失敗に終わる。
その後、雲固はやむおえず、弁王朝からの自立を宣言し完全な独立国となった。
そもそも雲王家は代々、弁室との政略結婚を繰り返してきたため皇室の血は濃い。
亡命弁国人の中には、雲国王を新たな弁皇帝にしようと画策するものも多いという。
少なくとも、満古や陳歩が帝位を名乗るよりは説得力があるともいえる。
338:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 18:00:12
【弁飾(ベンショク)】
今更だが、弁飾は皇族ではあるが、皇帝をないがしろにして独裁政治をおこない
弁王朝を崩壊に導いた極悪人である。
腹上4年の役、雲国の役、袁庫の乱など、どれもこれも原因はこの男である。
これだけの大物(ある意味)ながら、列伝は短く、彼の記述も分散している。後でちゃんとした
列伝がかかれることであろう。
339:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 18:02:16
>>331
覇王陳歩の死後の事柄も少しずつ判明してきましたな。
340:無名武将@お腹せっぷく
07/07/06 18:05:01
第二次綱糸の戦い
ミコスリ・ハーンは寝返った愚呂威を捕らえ殺害。兵は三十五万強に減った。
ミコスリ・ハーンはとうとう自分自ら陣頭に立ち臨戦体勢に入った。
雲智は征鬼大将軍【セイキ大ショウグン】に、翠扇は鎮々大将軍【チンチン大ショウグン】、兎慈を遥忠将軍【ヨウチュウショウグン】、崟栄が熟才将軍【ウザイショウグン】にそれぞれ任命され針産を包囲した。