07/08/15 01:36:49
>>521
そもそも魯王派なんてのが出来たのは、
孫権が太子と変わらない位の待遇を魯王に与えたからで、
孫登の遺言を忘れず太子を尊重していれば魯王が対抗馬に挙がることはなかったと思われる。
張昭の死後、孫権は呂壱を中書に据えて国を巻き込む形で臣下と権力を争うようになった。
二宮の変も、そう言った皇帝の権力強化が国政の大事に飛び火したふしがある。
張昭がいた頃は、公孫淵の件を例に取ると、真っ先に張昭が孫権と争ってくれたため
太子の孫登や顧雍、陸遜らが孫権が衝突するようなことがなかった。
こうして考えると、孫権と家臣団の間に張昭という長老がいることが重要だったんだと思う。