07/03/10 02:47:38
(白文)
「十五年春、公孫帰父会楚子于宋。宋人使楽嬰斉告急于晋。晋侯欲救之。
伯宗曰、不可。古人有言曰、雖鞭之長、不及馬腹。天方授楚、未可与争。
雖晋之彊、能違天乎。諺曰、高下在心。川沢納汚、山藪蔵疾、瑾瑜匿瑕、
国君含垢、天之道也。君其待之、乃止。」
(適当書き下しorz)
「十五年春、公孫帰父は楚子と宋にて会す。宋人は楽嬰斉をして晋に急を告げさしめる。
晋侯は之(これ)を救わんと欲す。伯宗は曰く、不可なりと。古人の言に有りて曰く、
鞭の長きと雖も、馬の腹に及ばず。天は方(まさ)に楚に授くに、未だ与(とも)に争う可からず。
晋の彊(つよ)きと雖も、能く天に違わん乎。諺に曰く、高下は心に在りと。
川沢は汚(けが)れを納(い)れ、山藪は疾(きず)を蔵(かく)し、瑾瑜は瑕(きず)を匿(かく)し、
国君は垢(はじ)を含むは、天の道也(なり)。君は其れ之を待てとし、乃ち止む。」
(適当訳orz)
「宣公十五年の春に、魯の公孫帰父は楚の荘王と宋で会いました。宋側は楽嬰斉をつかわして
宋の急をつげさせました。晋の景公はこれをたすけてあげようとしました。部下の伯宗は、
「いけません」といいました。「昔の人は、どんなにムチが長くても、馬の腹までは
とどきませんといっています。天がまさに楚の味方をされているときに、いっしょになって
戦争をしてはいけません。晋がいくら強くても、天にはさからえないのです。ことわざでも、
たかいひくいは心が決めること、といいます。川や沢にはきたない泥水もまざっており、
山や藪はおそろしいわざわいを内包しており、すばらしい宝玉も小さなキズを隠しており、
国の王さまもときには恥をのむことは、天にきめられたありかたなのです」。
(伯宗がこう言ったので、晋の景公は)救援をだすのを中止しました。」
>>67
曹魏は高祖が皇帝の名で、「蓋文章経国之大業、不朽之盛事」と明言してますしねーw。
政策はあまり文学スレむきではないらしいので、公的な面の文化保護はほかのスレむきかもですが、
私的な面では>>60さんのとおり、皇族みずから詩文を愛してたしなむ人が多かったのですから、
皇族手ずからの保護があたえられたという点では、当時としても非常に影響力があったのではないでせうか?