07/03/07 01:38:00
>>34
そうなのですー。封筒の裏でみづらくて済みませんorz
ながえの先にくびき(牛の背中をまたいでいる黒いやつ)をつけて、そのくびきを牛にくっつけて(?)
車をひかせるのだと思うですー。中国の三世紀の牛車はちがうかもなのですが……orz orz orz
そいで、牛車(馬車でも)のけつのところを見ていただければ一目瞭然だと思うのですが、
車のわだちは、いつも車のうしろにでっぱったながえの先っぽをおいかけて離れず
ついてできるのですおね。それを、いままで車(兄)をおっていたわだち(弟)にたとえて、
車からわだちをひきはなすなんて、そんな無理な表現をすることで、
兄ちゃんとの別離のかなしさを詠んだのかなーと思ったのですー。
そうすると、つぎの牽牛……にも詩景がむりなくつながるし、全体をとおしてくりかえし
描写される、兄がゆく路のながさを想起させる表現にも合致するかなーと思ったのですが……。
軌(わだち)を軛(くびき)のあやまりとしてしまうと、>>32さんのように、「跡を殊つ」というのが
意味不明になってしまい、しかも次の句でヒコボシを出してくると、もうわけがわからないので
>>16のように解釈してみたです……でも文選も長いあいだ学者のみなさんが研究されている
ことなので、自分がまちがっている可能性はおおきいのであまり信用しないでくだされorz orz