07/03/15 00:52:59
>>216
#典論を孫権に下賜
>>220さんThxです! たぶんそのつづき(?)なのですが、魏書文帝紀第二の注には↓とあるですーw。
「胡沖呉暦曰、帝以素書所著典論及詩賦餉孫権、又以紙写一通与張昭。」
「胡沖の呉暦に曰く、帝は素(しらぎぬ)に書くるを以って著したる典論及び詩賦を孫権に餉(おく)り、
又紙に写す一通を以って張昭に与う。」
「胡沖の呉暦によれば、曹丕は自身の著作である典論と詩賦をしらぎぬにかいて孫権に下賜し、
また紙にうつした一通を張昭にあげました。」
このへんは前スレの典論・典論自叙関係でgdgdかいたような気がするので省略するですがw、
曹丕も孫権以外にわざわざ名のしられた文学者であった張昭にも「読んでね!」と写しを送ったのでせうねー。
しかし孫権と曹丕はそんなに年かわんないからともかく、張昭はちょうど曹操と一歳ちがいのりっぱな学者なので、
魏の皇帝とはいえ自分の息子のような年の人からそんなもんが送られてきたら、さぞかしびっくりしたことでせうw。
>>229
#陸遜のあざな
なるほどー、孫でもいいのですね。いま三国志の魏書をみていたら、魏書十六の杜恕伝の本文に
「立朝不忘於容身、絜行遜言以処朝廷者……」というのがあったので、
陳寿さんの時代にも遜言という用例があったよー陸遜クリア! ヒャッホウ! とよろこんで(ry
あと、鮮于璜碑にも「……上輔機衡、遂登漢室……」という文章があって、
台北故宮博物院刊の六朝全書法目録によれば鮮于璜碑は延熹8(165)年の立碑らしいので、
陸機たんも生まれるまえに機衡の用例クリア。で、>>173-174さんの後漢書の罠はとけたぞーやったー(゚∀。)