三国時代の文学スレッド3at WARHIS
三国時代の文学スレッド3 - 暇つぶし2ch175:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 01:32:20
何晏ちゃんの字は養父の曹操が付けたと思うんだけど

何(かろうじて可)
晏(何事もなく穏やか、静か、安らか)
平(たいらか、穏やか)
叔(控えめ、静か、拾ったお豆)

もしかしてわざと叔を付けて養子って意味を含んでるのだろうか・・・
でもネ申がそんな意地悪するなんてやだ(´・ω・`)

「叔」については
同義の「粛」で(正しい)「淑」は通常女子に使用する文字なので避けたと考えて
「淑」の意味を含むのなら(善良、美しくて優しい、しとやか、控えめ)

ネ申的には穏やかで控えめな何晏ちゃんキボンヌって感じなのかな

176:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 01:35:27
>>175
いずれにせよ名に対応した字であることは間違いないのだろうけど
そういえばその「叔」の所以が気にはなっていた

177:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 01:41:30
>>175
へえ、何晏ちゃんの名づけ親は曹操だったのか。
でも、曹操は叔という字を意地悪したつもりで付けたのでは無かったとしても
曹丕に「貰い子」と呼ばれて嫌われる辺りは皮肉ですね…

178:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 01:45:20
姓を変え家督も継がせるくらいでないと貰い子とは認めない
それが曹丕ルール

179:1(ry
07/03/13 01:52:53
ネ申ポン酒のみますた(゚∀。)

>>139
なつほどー、日本じゃ和服をあつかうのはいまだに呉服商ですもんねー。
韓非子の越の人のようすも、魏志倭人伝の日本の人のようすにそっくりだし、
宋代にはいると政権ごと南下してくるので、皇帝のたべものや衣服まで外国とはおもえない親近感w。

>>174
げっorz orz orz
そういえば陸機の時代にだって後漢書はない罠。orz orz orz
まあなんかもっと前にも出典があったのだろうとしんじたい……orz orz orz

陸抗、あざな幼節さんの抗節は漢書賈誼伝だからおkですおね(゚∀。)

>>175-176
何晏ちゃんのあざな平叔はだれが与えたのかしらないのですが、由来は論語の
「子曰、晏平仲善与人交、久而人敬之。」
「子曰く、晏平仲は善く人と交わり、久しくして人之(これ)を敬う。」
「孔子先生は、晏嬰は人とまじわるのがうまいので、人は彼をうまやうようになりますた。」
かと思っていますた(゚∀。)よくかんがえたら違うか……orz

でも晏と平でやすらか、で呼応はしていますおね。叔は伯仲叔季の兄弟順かと……

ちなみに斉の宰相として諸葛丞相も梁甫吟でうたった晏嬰さんは、
すごくりっぱな人ですが身長は六尺に満たなかったので、いや別になにも曹sうわあqwせdrfgt

180:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 02:16:06
>>137
曹植がレノンで孔融がマッカートニーで五石散がマリファナなら、何晏は誰だw

181:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 02:26:56
ジムモリソン

182:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 02:29:45
叔は成り立ちが良ろしくない文字なのに何で兄弟順に使われてるのかわからん
何晏平叔は音も文字も綺麗だけど何かおさまりが悪い気がしてムズムズする
中国では問題無いのかなあ

183:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 02:30:32
気まずい雰囲気になるのは悪いと思うのですが、眠る前に勇気を持って言います。
1さんはこのスレになってから曹丕の話題に徹底的に触れないようにしている印象を受けます。
前スレで注意を受けたからと、そんなにピリピリと意識しなくても良いと思うのですが…。
三国時代の文学を語るのに外せない人物の一人ですし、
1さんが語る曹丕の話題が好きだった者の一人としては寂しく思っています。

……思い違いでしたら本当に申し訳ないです。

184:1(ry
07/03/13 02:38:22
>>180
ジェリー・ガルシアあたりでせうか?w
ジムモリソンは潘岳でw

いやしかしマジなはなし、曹魏の清談が東晋にいたった>>131-134のながれは、
ヒッピー→ヤッピー→ジェネレーションX→ネオ・ヒッピーのながれに似ていると(自分は)思うのです(゚∀。)

>>183
そんなことはないですたが、そういえばさいきんは西晋よりですた。すみませんですたorz
けっこう曹丕曹丕といっているような気がしていたのですが……orz w

三世紀の中国の文人のみなさんはいっぱいいて、いろいろとおもしろいので、
いろんな人の文章が鑑賞できたらたのしいと自分は思うです……(゚∀。)
そういえばまだ建安七子もでそろっていないのですおね。

185:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 02:41:52
前スレでワーワー言って楽しんだから
今はサカナを別に移して楽しんでるだけさ

186:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 02:52:27
>>179
所以が気になった、ってのは、
要するに家族に関してあまり詳しい話を聞いたためしがないので、
実は上に二人いたのか、親の兄弟とかがいたのか、
それともまったく例外で深い意味はないのかとか、
いや意味はあるのだろうけど

それにしても有名な爺さんは兎も角、親父なんか名前すら
マトモに出てこないとか……

187:1(ry
07/03/13 03:06:03
そいでは曹丕のブログをちょっとだけうpしてみます。
全三国文巻六魏六の文帝三より
「江東為葛、寧可比羅紈綺穀。」(御覧八百十八)
「江東の葛(くず)為(た)るや、寧(いず)くんぞ羅紈綺穀と比ぶる可(べ)きか。」
「江東の葛といったら、すばらしいうすぎぬ、しらぎぬ、あやぎぬ、あやおりものと比べるべきなほどです。」

葛といっても、葉や茎をガシガシとかじったのではなく、葛湯みたいにするでんぷんの葛粉のことですおねw。
葛粉が白くきめこまかいことか、それでつくった葛切りとか葛湯かなにかが滑らかなことを、
絹織物にたとえたのでせう。江東はあたたかくて湿気がおおいので、
いまでも日本と同じく葛がばんばん生えていますが、三世紀にもきっとそうだったのかと思います。
曹丕は南部にいたころに食べたのか、それともいつもの孫権の使者がくれたのでせうかw。
逆にいえば、洛陽なんかは葛がそんなに生えないほどにさむくて乾燥しているのですおねー。

曹丕は蜀錦についてもいろいろ熱くかたっているので、布についても一家言があったらしいですw。

188:1(ry
07/03/13 03:13:40
>>186
たしかに、何晏ちゃんに実家で兄弟がいたのかとか、曹氏の外戚ってことで
兄弟の順番が叔だったのかとか、このへんは魯迅先生もわからんといっているぐらいなので、
自分のようなしろうとにはぜんぜんわからないですー。
何進さん関係で、どこかになにかでてないのでせうかね。

189:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 03:27:04
>>179
字を与えたのが曹操だとしたら、養子に晏嬰の名を付けるかねえ
まあ論語から引いただけかも知らんけど。

>>187
グルメは相変わらずだなw

190:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 03:30:23
えっそうなの?気づかなかったわw
ここでいつ誰が誰(の作品)を語ろうと自由だと思うし
また1さんが1さんの名前で曹丕話したくなったら、書き込んでくれりゃいいと思うけどな
いや名無しでも無問題なんだけど

なに分析してるのか知らんがリクエストとかエールだけじゃ駄目なの?
勝手に他人の気持ち想像して決めつけたり
自己の判断でしてることに口出しするのは野暮なんじゃね

191:190
07/03/13 03:32:22
ごめん
>>183に遅レス

192:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 03:38:02
まあマターリしようぜ(´∀`)
音楽に国境は無いが言葉には国境が有るこの世界で
中国語が解らなくても漢文が読めれば
美しい原文を楽しめる日本語圏に生まれたことに感謝!
そして「くずきり」旨そう!

193:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 03:44:20
くずきり(゚Д゚) ジュルリ
相変わらずぴぃ様のブログは素晴らしいな
何かもう食べ物が美味しそうで美味しそうで
流石ブログの帝王だ

194:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 03:56:09
>>121
遅レスだけど猿ワロスwwwww

>>187
くずきり(゚Д゚)ンマソダナー・・・・

>それともいつもの孫権の使者がくれたのでせうかw。
ツボに嵌ったwwww孫権の使者って色んなもん持って来るよなwwwww

195:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 06:23:53
孫権のミカンは酸っぱくてぴぃ様のお気に召さなかったんだよなw

196:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 07:26:33
現代日本の品種改良されてめちゃめちゃ甘くなった果物類をぴぃ様に食わせたら
どんなブログができるのか気になってきた。
永久にその疑問が解決されることはないけど。

197:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 07:45:41
しかし何「晏」に「平」叔という字を付ける時に
晏平仲のことが思い浮かばなかった知識人はいるまいよ

198:197
07/03/13 07:47:41
スマソ>>179>>189あてね

199:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 07:58:39
>>179
宮城谷昌光三国志で、
ネ申が貧弱で「あんな大将じゃだめだ」とガカーリした兵士が文句言ってるところに
我らが鮑信様が
「晏子だってちっちゃかったんだぞ! 人間背丈じゃない!」
みたいなこと言うシーンがあったことを思い出したわけで・・・

200:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 11:09:43
何晏は論語集解やってるしね、孔子に縁があるのかも。

201:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 11:12:05
くずきり!(゚∀゚)
ちょー食いてぇw

202:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 11:18:33
葛湯とか葛餅かも知れんぞ(゚∀゚)

203:まとめサイト ◆XoQX5vgfQU
07/03/13 12:51:46
URLリンク(www.geocities.jp)
ここまでUP

204:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 18:16:06
うはー、葛を絹に例える曹丕はオサレだw

205:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 18:30:35
分かる!葛粉て龍角散みたく細かくてキラキラしてるもんね。

206:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 18:43:57
>>187
葛は洛陽にはないの?あんなの何処にでも生えてんのかとオモタw

207:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 22:56:44
>>205
何で龍角散www
ゴホンときてるのか?

208:無名武将@お腹せっぷく
07/03/13 23:18:19
葛粉は粒がきめ細かいからじゃねw

209:1(ry
07/03/14 01:10:16
まとめさんいつも乙であります(`・ω・´)ゝ

#江東の葛
自分もはじめは、デンプンのこな(⊇葛粉≒片栗粉≒コーンスターチ)そのものの
龍角散のようなw粒子の白さとキラキラしたきめこまかい輝きを上等の絹織物にたとえたのかと思って、
「すげーうまい修辞だ!」とおもったですー。でもよく考えたら、三世紀の中国で、
身分のたかい成年男子が自分で台所にはいって、加工されるまえの葛粉いじったりはしないかも……
とおもって、葛湯かくずきりかあんかけか分かりませんが、料理されたあとの葛粉の滑らかな舌ざわりと
つややかな光沢を絹にたとえたのかなーと思って、いちおう両方かいておきますたorz。

でも、孫権からの献上品wならばその場で検分したり、あとは弓術とかのすべりどめ(?)とかに
片栗粉みたいなのを使ったりするのならば、曹丕が自身で葛粉をいじくったりするのかもですおねw。
洛陽は葛がよく育つには、さむくて乾燥しすぎだと思うですー。
だからいつもの孫権の使者wは、温暖な南部の海山の幸をいつも献上してくるのですねw。
大国である魏のトップが気むずかしいと、献上品も気をつかうので孫権も大変ですおね。
曹操なんて、干しアワビ(トコブシ?)でおおよろこびしてたのになーw。

#何晏ちゃんのあざな
たしかに、>>189さんのように晏嬰の名を外戚の何晏ちゃんにつけるかなーというと不思議ですおね。
でも>>197さんのように、曹丕も「余是以少誦詩論」と論語を暗唱しているといっているし、
「子曰晏平仲善与人交……」を失念している人は、曹操をふくめいなさそうですおね。
>>200さんのように何晏ちゃんは論語集解の編纂までやっているので、あざなをもらう以前の若いころから
論語についての評判が高くて、それじゃあっつうんで名の晏にひっかけて、論語にちなんだ文字を
あざなにもらったんだよー、とかかもしれないですおね。
叔はほんとに何なんでせうね……実家の何氏では三男だったのかな。

210:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 01:22:56
とこぶしで喜ぶネ申カワユスww

211:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 01:35:02
>弓術とかのすべりどめ
野球のロージンは松脂だっけ?

212:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 02:01:40
>>211
松脂だね。

>>199
へえ読んでみよう。

213:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 03:33:07
くそう葛とかとこぶしとか
美味そうな話題の大攻勢じゃないか(゚∀゚)じゅる

214:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 03:35:47
ふと気になったのですが、呉から魏への献上品が海山の幸だったのなら
逆の魏から呉への献上品は何が多かったのでしょうか?

215:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 03:43:36
献上っていうか下賜ってことになるんだろうけど、やっぱ文化的なものじゃないかな?
布とか、それこそ鏡とか、珍しい書物とか、最先端のファッションに身を包んだ美女とか。
あー都で今こんなのが流行してんだ!すげ!って感じの。

216:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 03:47:30
あ、曹丕なら自分の典論を献上品に加えていそうだなw

217:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 07:52:37
孫権が像をネ申に送ってたけど
お返しに北の謎の動物を送り返したりしたんだろうか。
北方産の名馬とか

218:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 08:09:35
そういやその象の体重を量る話が小学6年の時の算数の教科書に載ってたな…
あのころはまさかネ申がらみとは思わなかった…。

219:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 08:31:06
>>218
自分も読んだ。当時は、昔は面白いこと考えるおっさんがいたんだなあ、って廷臣の誰かが考えたんだとばかり思ってた。
まさか八歳(だったかな)の、しかもネ申の子供が考えてたなんて……


220:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 09:49:23
>>216
つか、実際に典論は下賜してるw

呉主伝注の『呉歴』に
「文帝報使、致鼲子裘、明光鎧、騑馬、又以素書所作典論及詩賦与権」

つまり、高級ファッションと馬、
そして曹丕ご自慢の『典論』に詩賦まで付けてプレゼント

221:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 10:19:25
孫権的には典論よりネ申の「おいしいお酒のつくりかた」が
欲しかったに違いない

222:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 10:32:31
呉にはうまい酒は無かったのだろうか

223:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 10:34:10
他人の迷惑かえりみず、自作の同人誌をあちこちに配り回る曹丕たん
が思い浮かんだ

224:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 10:46:22
ぴぃ様ブロガー通り越してついに同人男にされたwww
…うん、ぶっちゃけそうかも。ネ申もある意味孫子の二次創作かも…。
あの親子コミケとか好きそうだよな。

225:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 10:47:35
自費出版の本を配る親戚のおやじいるよな・・・

ま、「経国の大業にして、不朽の盛事」だからいいけど

226:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 10:48:57
225だけど
いきなり「同人誌」「コミケ」に考えが行く
お前らに付いていけねえw

227:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 10:53:54
文芸サークルは根強いぞ。

228:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 11:17:59
ブログ書籍化か
結構いいんじゃないの

「姉ちゃんの詩集」とか読んだら驚くかな…ww

229:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 12:40:16
話に乗り遅れたが
葛は布の原料になるらしい。
辞書には葛布・葛衣・葛巾等の熟語が載っている
葛で作った服は夏服として公羊伝・荘子等の中国古典に出てくるよ
文脈から言って、これは食べ物としての葛じゃなくて
葛で作られた布のことじゃないかな

>>168
>#陸遜のあざな

論語の憲問篇に
「邦無道、危行言孫」
(邦に道無くんば、行を危(たか)くし言は孫(ゆず)る)
とあり、テキストによって孫の字は遜になっているものがあるらしいんで
論語あたりからきたのかもね

230:1(ry
07/03/14 14:37:00
>>229
>葛布
Σ(゚∀。)

231:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 15:02:44
>>229
いやはや、曹丕だからと食い物に繋げて申し訳なかったw

232:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 15:38:21
なるほど!
食い物の方かと思った
植物って無限の可能性があるな

233:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 16:47:02
>222
韋曜が孫皓に茶を酒の代わりとして許してもらっていたっていうから
少なくとも呉の宴席で飲む酒は同じ系統の色の
紹興酒っぽいのを想像してもらえればいいかと。
実際は現代なら酒母に使うような薄いやつだとは思うけど

234:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 19:59:50
>>229
葛布か、成程な
>>209はロージンの可能性まで考えたのに惜しかったなw

235:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 21:46:06
<與王朗書>
孫權重遣使稱臣、奉貢明珠百筐、黄金千鎰、馴象二頭、或牝或牡、
擾禽鸚鵡、其他珍玩、盈舟溢航、千類萬品。
                    『太平御覽』六百二十六

孫権からの貢物。真珠百箱、黄金千鎰(3kg)人に慣れたつがいの象とオウム
その他沢山の珍しい品々を船いっぱい!

 <與孫権書>
今因趙咨致文馬一匹、白鼲子裘一領、石蜜五斛、鰒魚千枚。
              『太平御覽』八百五十七 九百三十八

趙咨さんに下賜品を言伝。 飾りを付けた馬一匹、白いおじぎ鼠の皮衣一揃い、
氷砂糖五斛、とこぶし千枚。  

236:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 22:12:46
>>235
>とこぶし千枚



237:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 22:13:12
sugeeeeeeeeeeeeee!!!!!!!!!!!
おじぎ鼠って何だwwww

238:無名武将@お腹せっぷく
07/03/14 22:28:29
>>235
おじき鼠???kwsk!

239:1(ry
07/03/15 00:50:07
>>229
#葛布
葛ときいた瞬間にクズキリであたまがいっぱいになった自分を反省するですw。ぴぃ様スマンカッタorz orz orz
そいでは>>187をびみょうに訂正しますorz
△「江東の葛といったら…… →◎「江東の葛(からつくった布)といったら……

>>235
#與王朗書&孫権書
Sugeeeeee!!!!! Thxです!! 献上品すげー。象に黄金に真珠百箱かー、ゴージャス(*´Д`)

「与孫権書」は、孫権が魏から下賜をうけたしなものの目録でせうか?
おさとうとかトコブシとか、南部の名産っぽいものもたくさんあるのですねー。ふしぎです。

236さんじゃないですが、大字典さんによれば鼲鼠つーのは絨鼠という中国の毛皮用の齧歯類で、
絨鼠というのはどうやらチンチラのこと……かもしれないです(自信なし)。
いま日本のウィキペディアをみてみたら、チンチラは南米原産らしいので、近似種でせうか??
中文のウィキペディアの解説によれば、↓
URLリンク(zh.wikipedia.org)
>絨鼠属(中国絨鼠),哺乳綱、囓歯目、鼠科的一属
絨鼠属(中国絨鼠)は哺乳綱ネズミ目ネズミ科の属の一種らしいです(よくわからず)。

240:1(ry
07/03/15 00:52:59
>>216
#典論を孫権に下賜
>>220さんThxです! たぶんそのつづき(?)なのですが、魏書文帝紀第二の注には↓とあるですーw。
「胡沖呉暦曰、帝以素書所著典論及詩賦餉孫権、又以紙写一通与張昭。」
「胡沖の呉暦に曰く、帝は素(しらぎぬ)に書くるを以って著したる典論及び詩賦を孫権に餉(おく)り、
 又紙に写す一通を以って張昭に与う。」
「胡沖の呉暦によれば、曹丕は自身の著作である典論と詩賦をしらぎぬにかいて孫権に下賜し、
 また紙にうつした一通を張昭にあげました。」

このへんは前スレの典論・典論自叙関係でgdgdかいたような気がするので省略するですがw、
曹丕も孫権以外にわざわざ名のしられた文学者であった張昭にも「読んでね!」と写しを送ったのでせうねー。
しかし孫権と曹丕はそんなに年かわんないからともかく、張昭はちょうど曹操と一歳ちがいのりっぱな学者なので、
魏の皇帝とはいえ自分の息子のような年の人からそんなもんが送られてきたら、さぞかしびっくりしたことでせうw。

>>229
#陸遜のあざな
なるほどー、孫でもいいのですね。いま三国志の魏書をみていたら、魏書十六の杜恕伝の本文に
「立朝不忘於容身、絜行遜言以処朝廷者……」というのがあったので、
陳寿さんの時代にも遜言という用例があったよー陸遜クリア! ヒャッホウ! とよろこんで(ry

あと、鮮于璜碑にも「……上輔機衡、遂登漢室……」という文章があって、
台北故宮博物院刊の六朝全書法目録によれば鮮于璜碑は延熹8(165)年の立碑らしいので、
陸機たんも生まれるまえに機衡の用例クリア。で、>>173-174さんの後漢書の罠はとけたぞーやったー(゚∀。)

241:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 01:08:42
>>240
今に伝わっていないという事は、張昭はそれを捨ててしまったんだろうかw?

242:1(ry
07/03/15 01:18:58
>>241
どうなのでせう?w 紙だから、ふるくなって伝わらなかったのかもですねー。
張昭さんちも孫権のうちも晋に移行するあたりでgdgdしたので、子孫がちゃんと守りきれなかったのかも……

243:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 03:10:32
>>240
父と変わらない歳をした張昭にも贈り物をしている辺りを見ると
曹丕はやっぱり年上フェチだったんだなーと思った。

244:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 05:08:29
>>240
>陸遜&陸機の字
乙カレー!罠が解けて良かったねw

245:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 05:30:14
>>233
薄い酒だからがぶ飲み出来たのかな

246:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 05:52:39
>>

247:246
07/03/15 05:55:03
スマン誤爆したorz
ついでなんで>>229>>240に俺からも乙カレー
陸遜好きななんで、字の由来が気になってた

248:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 07:11:57
>>222
むしろ水と米がが豊富だった呉の方が美味い酒はたくさんある

249:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 08:03:51
だから仲謀はアル中に(ry

250:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 08:49:37
>>239
いくつか、辞書などを引いたところ
漢語大詞典やweb上の辞書では灰鼠というリスの仲間らしい
URLリンク(dic.open-lit.com)
URLリンク(140.111.1.40)
灰鼠
URLリンク(zh.wikipedia.org)

ただし、中国博物別名大辞典という書物には黄鼠として
根拠として本草綱目を引用する
黄鼠
URLリンク(icgr.caas.net.cn)(%E5%B7%A6)%20%E9%BB%84%E9%BC%A0.htm

灰鼠は今でも毛皮が取引されているのに対し、
黄鼠は、南宋の文献に夷狄が美味として愛好したみたいな記述が多く
この場合は、上の灰鼠っぽい

251:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 09:03:07
「夷狄が美味として愛好」とか、ひょっとしてそれタルバガンかな…

252:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 09:14:35
>>248
美味い酒を米から作るにはある程度寒くないと難しい

253:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 13:53:07
>>241
陸幾だったか陸雲だかの文章に典論の影響を指摘している人がいる。
外祖父(だったっけ)の家で見たのか、陸家の方に伝わったのかだと思う。

254:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 15:12:20
>>253
陸家が目にした典論は孫権が頂いた側かも知れないというのはない?

255:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 15:48:17
そこら中にうpされてたんだよ>典論

256:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 16:33:20
当時は本一冊作るにも全部手書きだし誰かが写本してなきゃ曹丕から孫権に贈られた物でいいんじゃね?

257:1(ry
07/03/15 16:39:22
>>253-254
文心雕龍に、陸雲たんが典論についてなんかいってるのがでていたような……

てっきり陸機たんと同じく、洛陽とかで見たのかと思っていますたーorz

258:1(ry
07/03/15 16:53:43
あれ、与兄平原書だったかも?orz<陸雲たん

259:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 17:06:49
陸機が曹操の遺令を読んで弔魏武帝文を書いた様に
陸雲も晋に仕官してから読んだという可能性は十分に考えられるね

260:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 18:43:01
とりあえず、曹丕に典論を押し付けられた孫権が捨てなかったことは確かだなw

261:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 18:43:23
小説の話で悪いんだけど、
陳瞬臣の本に「当時は娯楽が少ないから詩だの文章だのは口コミや文書で
すぐに広まって楽しまれてた」みたいなことが書いてあったよ。
で、その小説の中では孔明が曹植の詩を読んで感情移入していた。

262:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 19:42:38
>>260
張昭は貰って嬉しかったとは思うが(高名な文人として認められた証だ)孫権はどう思ったかね…
曹丕にすればやはり自信作なんだね。


263:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 19:59:06
その辺は、前スレの文学によるレコンキスタ説が気に入っている
ああいう考え方も出来るのだなと思った

264:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 20:02:56
息抜きにやって来て足跡残してゆきますよ

「公讌」王粲
昊天降豐澤,百卉挺葳蕤。涼風撤蒸暑,清雲卻炎暉。
高會君子堂,並坐蔭華榱。嘉肴充圓方,旨酒盈金罍。
管絃發徽音,曲度清且悲。合坐同所樂,但愬杯行遲。
常聞詩人語,不醉且無歸。今日不極歡,含情欲待誰。
見眷良不翅,守分豈能違。古人有遺言,君子福所綏。
願我賢主人,與天享巍巍。克符周公業,奕世不可追。

<書き下し風味>
昊天、豐澤を降し,百卉は葳蕤に挺<み>つ。
涼風、蒸暑を撤し,清雲、炎暉を卻<しりぞ>ける。
君子の堂に高會なって,坐を並べたるは華榱の蔭<もと>。
嘉き肴が圓方を充たし,旨酒<うまさけ>は金罍を盈たす。
管絃は徽<うる>わしき音いろを發し,曲度るに清く且つ悲し。
坐を合わせて樂しむ所を同じくし,但だ愬杯して行遲するのみ。
常に聞くは詩人の語,醉わずして且つ歸ること無からん。
今日歡しみを極めずに,含情、誰に待そうと欲するのか。
眷良を見るに翅ばず,分を守れり豈に能く違わん。
古人に遺言有り,君子は綏<やす>んずる所を福とするものと。
願わくば我が賢主人よ,天とともに巍巍たるを享けよ。
周公の業を克符し,世を奕<かさ>ねて追う可からず。

265:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 20:03:43
<口語風味>
素晴らしき天が豊かな恵みを降し,あらゆる草木が庭園(大地)に満ち溢れている
涼風が蒸し暑さを爽やかに払い,気持ちよさげな雲が灼熱の日差しを退けた
君子たちが会宴に大勢つどい,大きな垂木の下に坐を並べる
嘉き肴が様々な器を充たして,旨酒<うまさけ>が金罍を盈たしている。
管絃は徽<うる>わしき音いろで,奏でられた曲は心清らかにし感動させてくれる。
一同は一緒に楽しみ,楽しいために杯をいつまでも重ねている。
詩人が語るよくある言葉,酔いつぶれるまでは帰らない、これを地でいっているのだ。
今日歓楽を極めずに,(含情以下の句が上手く訳せません><)
今日つどった良き仲間達を見ると誰も羽目を外しすぎては居ない,分を守っているのだ、どうして羽目を外して坐を壊すことができよう
古人はこういう言葉を遺している,君子というのは程よい楽しさを福とするものなのだ
願わくば我が賢き主人(曹操)よ,天と共に巍巍たる(天命)を享けられよ
周公の業績は符に刻み記すにとどめ,累ねられ変わってしまった今のこの世にまでそれを追うべきではないでしょう

口語訳してみると改めて自分の理解がこれでいいのか疑問が沸いてきますな
表面的には「聖人の理想を追いかけるのは(難しいので)その位にして、
天が与えてくれた大いなる命を受けて今を楽しんでもいいんじゃないすか?
ご主人さま?」なんだろうけど
飽くまでも戯れなのだろうが裏では「You、もう好い加減天下獲っちゃいなYO!」
という気持ちも酔い任せで入ってるのかも知れないと思ったり。


266:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 20:07:07
王サンキター!

267:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 20:07:39
>嘉き肴が圓方を充たし,旨酒<うまさけ>は金罍を盈たす。

王粲の作ったこのフレーズは、名フレーズだったようで、結構後世で
この改変コピペというかパクリというかそんなんがチラホラ見られます
このスレでは目立たないけど普通に建安七子だけありますね

268:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 20:26:04
>>262
孫権も文人肌だから喜んだんじゃね?

269:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 23:05:53
>>262
孫権は曹丕が嫌いな蜜柑を押し付け、曹丕は自作の文を読め!と押し付ける…
と書くと子供の喧嘩のように見えるなw

270:無名武将@お腹せっぷく
07/03/15 23:10:00
孫権「俺んちで捕れた自慢の蜜柑だ、ぜひ食え!」
曹丕「俺が書いた自慢の文学論だ、ぜひ読め!」
と、お互い善意だったのさw

271:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 00:00:59
>>265
なんか酔っぱらいちっくですげー楽しい詩だね

272:1(ry
07/03/16 01:35:50
>>250
#おじぎねずみ
Thxです!! すげー。灰鼠とか黄鼠とか、いろんなのがいるんですねー。
講談社の戦前の大字典だと、たぶん中国博物別名大辞典というのと同じ本草をひいて、
「鼲鼠即黄鼠、時煖則出坐穴口、見人則交前両足於頚拱立如揖乃燄入穴、
淮南子謂聖人師拱鼠制礼是也、一名礼鼠、一名拱鼠、一名?鼠」(?は印刷が潰れて判読できずorz)として、
黄鼠というのだとしているみたいですー。なんかかわいいのっぽい(*´Д`)ハァハァ

そいでなんと、魏書任城陳蕭王伝第十九の曹植伝に、曹植たんの曹叡への上疏文に
「陛下体天真之淑聖、登神機以継統……至使蚌蛤浮翔於淮、泗、鼲鼬讙譁於林木。」
という用例があるですー(辞書のうけうり)。
この鼲鼬は大字典では「おじぎねずみといたち」としてるみたいです。
そいで、三省堂の新明解漢和では、鼲は絨鼠として、毛皮用の囓歯類としているですー。

灰鼠、黄鼠、絨鼠、オジギネズミ、チンチラ、タルバガンというのが候補でせうか……(*´Д`)カワイイ

#呉のおさけ
「酒は則ち九醞の甘醴、十旬の兼清」と南都賦にうたわれ、曹操がおさけのつくりかたを
郭芝という人におそわって献帝に奏上したうるわしの南陽(宛)は、いまでいう河南省南部なので、
あれぐらいはさむくないとおいしいお酒はできないのでせうか……(゚∀。)ジュル

273:1(ry
07/03/16 01:39:40
>>264
#王粲の公讌詩
Thxです!! 公讌シリーズキタ Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)!!
このスレの1スレ目のはじまりも曹植たんの公讌だったのですが、夏の華やかな夜に、粋と贅をこらした
ギョウの宮庭で、みんななかよく酒宴に興じる公讌シリーズが、自分はとてもたいへんに超大好きですw。
URLリンク(www.geocities.jp) ←七哀詩其一でも似たようなことを
かいたような気がするのですがorz、王粲さんは動詞のつかいかたがかっこいいですおね(゚∀゚)。
前半12句の、躍動感あふれる動詞をひとつの句ごとに軸にして、そこに豊かで華やかな詩景がまとわる構成は、
よむひとをワクワクさせて期待感をもりあげてゆき、いやおうなしにギョウの宮殿や景色のすばらしさ、
むせかえるような夏の夜の空気、そのなかのビアガーデン的なw酒宴のたのしさを感じさせますおね。
そしてその暑く濃密な酒宴の詩景のなかで、「常聞詩人語……」にはじまる後半12句の、
王粲が寛大で典雅な主人たる曹氏にささげる朗々たる誦詠が、なんときわだって映えることでせうか!
(王粲さんは、顔はまず(ryにしてもw)

この酒宴は銅雀台でもよおされ、銅雀台ができたのは210年なので、この詩がよまれたのは
210年以降になりますおね。そうすると、曹操が208年の赤壁の戦いをまえにして詠んだとされる
「対酒当歌……周公吐哺、天下帰心」の短歌行はもう詠まれたあとなので、
王粲はさいごの「克符周公業,奕世不可追」は、もちろんそれをふまえて詠んだのですおね。
そして、このさいごのところを「奕世(えきせい)追う可(べ)からざらんことを」とよんで、
そして国号の魏を巍に暗喩させると、かなりイケイケな詩になりますおねーww。
つまり、>>265さんのように、曹操が周公のように天を補佐し、魏が天下治めちゃいなYO! とよめるですw。
>>265さんのとおり、あくまで酒宴の主催者ヨイショなのでせうがw、しかし赤壁の大敗から
数年もたたないのに……とおもうと、往時の曹操の勢いとはいったいどれほどのものであったかと思うですー。

>>267
この句は、曹植たんの『正会詩』の「珍膳雑沓、充溢圓方」とどっちが早いのでせうね。
いずれにしても、たいへんにうまそうでとてもよろこばしーい表現でありますおね(*´Д`)ハァハァ

274:1(ry
07/03/16 01:59:37
>>272訂正ですたorz
×見人則交前両足於頚拱立如揖乃燄入穴 →◎見人則交前両足於頚拱立如揖乃竄入穴

275:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 02:18:19
そういえば、古くは魏と巍は通用していて区別が無かったというか、
説文には魏の字が無くて巍の字で収録されていたんだっけ

276:1(ry
07/03/16 02:30:00
>>275
ですおね! なので、公讌で王粲がわざわざここにもってきた「與天享巍巍」というのは意味深ですね?w
この最後の四句のつながりは、魏とせずにわざと巍とした洒脱な技巧による謙譲をわすれずに、
しかし酒興の解放感にかけて粋に曹操の天下を願った、王粲(と詩人たちが感じていたであろう)
文学を愛し保護する曹氏に感謝したたえた表現であり、
ついでに宴席の礼にかなったかっこいいヨイショだと自分には思えますw。

277:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 02:43:32
増々楽しそうな詩だw

278:1(ry
07/03/16 02:50:44
酔ったいきおいにまかせて、自分たちにしかわからない暗喩をつかって、
「ねえ、TNK(天下)とっちゃいましょうよ!」「よし、TNKとるかー!」とかさわぐのはたのしいと思うますw。
もうよのなか、俺ら天下無敵だぜえー! みたいなよっぱらい同士のノリかw。

279:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 02:52:13
>>275
2ちゃんでも時々携帯からのカキコで魏を巍と打つのを見かけるなw

280:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 02:54:06
TNKがTDNに見えて驚いたアッー!www

281:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 03:51:14
王粲gj!!
このスレは格調高い解説なのか、おバカなのか解らないのがいいw

>>261
陸兄弟も曹操の亀の歌歌ったのかな。

282:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 07:51:49
>>278
ネラーの集まりに思えてきたwwww

ところで、おじぎねずみは
孟嘗君が秦から逃げるときに使った狐白裘のようなものかなーと
思ったのですが、あれは狐か。


283:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 13:31:42
関係ないけどネ申オタの陸機たんも『短歌行』作ってんだね
白文だけ置いていく

『短歌行』陸機

置酒高堂 悲歌臨觴
人寿幾何 逝如朝霜
時無重至 華不再陽
蘋以春暉 蘭以秋芳
来日苦短 去日苦長
今我不楽 蟋蟀在房
楽以会興 悲以別章
豈曰無感 憂為子忘
我酒既旨 我肴既臧
短歌有詠 長夜無荒

284:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 16:19:25
王サンは顔が悪かったんだっけw

285:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 16:40:38
陳琳さんが好きです
でも王粲のほうがも~っと好きです!

286:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 21:51:53
>>273
公讌好きノシ
赤壁からたった2年後なのか…曹操は本当に挫けない男だなww

287:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 21:55:42
>>283
陸機 の<短歌行>と聞いてやって来ました。
僭越ながら書き下し風味をば。

高堂に置酒し 悲歌して觴(さかづき)に臨む
人の寿命幾何(いくばく)ぞ 逝くこと朝霜のごとし
時は重ねて至ること無く 華は再び陽(ひら)かず
蘋(ひん)は春を以て暉き 蘭は秋を以て芳(かんば)し
来る日の短きに苦しみ 去る日の長きに苦しむ
今 我 楽しまずんば 蟋蟀(しつしゅつ)房に在らん
楽しきは会うを以て興り 悲しきは別れを以て章(あら)はる
豈に感無しと曰はんや 憂ひは子が為に忘らるる
我が酒既に旨く 我が肴既に臧(よ)し
短歌を詠ずること有らん 長夜にして荒(すさ)むこと無けん

陸機たん…。゚(゚´Д`゚)゚

288:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 21:57:21
gj!!漢文出来ない当方に訳もキボン…

289:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 21:58:37
>>287
乙カレー
訳と解説もお願いします!

290:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 22:00:50
289だけどかぶった…

291:無名武将@お腹せっぷく
07/03/16 23:14:36
陸機のネ申オタは本物だなw

292:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 00:16:47
>>288 >>289
詩や賦は難しくて泣きそうだー 本当にムズいよー
でも<歎逝賦><呉趨行><文賦 >とか大好きだからうpしたい野望が。
へ(ryな解釈なので、脳内で陸機になって読んでくれーー

[ 口語風味 ]
立派な座敷で酒宴を開き、悲しげに歌いつつ酒を飲む
人の命は儚く、朝霜のように消えてしまう
時は二度とは戻らず、花は二度と開くことはない
田字草は春が来て輝き、蘭は秋になって香る
未来の短さに苦しみ、過去の多さに苦しむ
今自分が楽しまなければ、あっという間に年は暮れてしまう
楽しみは会う事で起こり、悲しみは別れる事で明らかになる
感情が無いとは言わないが、憂いは君の為に忘れられる
我が酒も旨いし、我が肴もよい
短歌でも歌おうではないか 
徹夜などして度を越すようなことはやめておく

「今我不楽 蟋蟀在房 」「短歌有詠 長夜無荒」の典故は『毛詩』唐風・蟋蟀による。
「蟋蟀有堂 歳聿其莫。今我不樂 日月其除」
蟋蟀(こおろぎ きりぎりす)堂に有り、歳 聿(ここ)に莫(く)れん。
今 我 楽しまずんば、日月其れ除(さ)らん。
「好樂無荒 良士瞿瞿」
楽しみを好むも荒(すさ)むことなかれ、良士は瞿瞿(くく)。

293:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 01:05:45
>徹夜などして度を越すようなことはやめておく
陸機は二日酔いで進軍出来ないとか無さそうだw

294:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 02:05:56
>>282
おじぎねずみが齧歯類なのは確実ぽいからねえ・・・

295:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 04:34:55
タルバガンを食うとペストになるらしいぞ

296:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 09:01:06
>>292
乙です

同じ短歌行でも曹操と曹丕の詩の色合いは全然違うのに、
陸機のは、人寿幾何(陸機)・人生幾何(曹操)という表現にしても、
酒が云々だとか短歌行を歌おうだとか、
かなり曹操の短歌行を意識してるね。さすがネ申オタ

ただ内容的には
曹操は(短いのだから)人材来い!天下を収めてやるぜ!に対して
陸機は(短いのだから)とにかく今を楽しもう…と、刹那的

297:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 09:53:02
陸機のネ申ヲタっぷりに乾杯

298:1(ry 改行変だったら済みませんorz
07/03/17 09:54:40
電車から携帯なんで忘れないうちにこれだけレスするですー
まえに陸機たんの黄耳塚の記述をさがしてた人、
いま芸文類聚巻94に、述異記をひいて出ていますたお! 辞書なしなので変だったらすまんですorz

「……後犬死、殯之、遣送還葬機村、去機家二百歩、聚土為墳、村人呼為黄耳冢。」
「……後に犬の死するに、之(これ)を殯(もがり)し、送還せしめて機の村に葬り、機の家を去ること二百歩に、
土を聚(あつ)めて墳と為し、村人は黄耳冢と呼び為す。」
「……のちに犬がしんだら、これをかりもがりして、送り還してやって陸機の故郷の村に葬り、
陸機の家から200歩離れたところに土を盛ってお墓にして、村の人はこれを黄耳冢(塚)と呼びました。」

機の村ってのは華亭でせうか。この話じゃなかったらすまんです……(´・ω・`)

299:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 10:14:41
携帯乙w

300:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 13:23:56
>>126
<平復帖>すいませんタイプミスです。ご指摘感謝です。
 ○ 「呉子楊往初來主」
 × 「呉子楊往初來至」

 ○ 呉子楊往(さき)に初めて來たり主(した)しむも
 × 呉子楊往(さき)に初めて來至(いた)るや

陸機が呉の優秀な人材を呼び寄せたのではないかと思います。
「主」をどう扱ってよいのやら、自信ないです。
「唯男」「寇乱」のあたりもよくわからんのです

>>298
うおー携帯から!sugeeeeeeee!!!!!そうです、コレです、ありがとうございます!
黄耳くんは名物犬だったのでしょうね。
陸機がいかに犬を可愛がっていたかがよくわかります。


301:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 14:19:50
すごい犬だな
華亭と洛陽はどれぐらいの距離なんだうろかね

302:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 15:48:58
華亭は現在の上海市松江区らしい。
唐代の地理書の元和郡県志によれば洛陽から蘇州府(呉郡)まで2170里
蘇州府から華亭県まで東に270里
そして華亭県の西35里に華亭谷というのがあって、そこに陸遜・陸抗宅があったらしい

古代の距離の測定の精度なんか怪しい物だし、犬がちゃんと街道を通ってきたとは
限らないと思うが、おおざっぱに2500里で、唐代の1里=540mとして1350km
手持ちの現代の地図帳の里程表では上海と洛陽の距離は1175km
犬が山川をものともせずに直線距離を突っ走らない限り
1000km以上は余裕であったとみていいんじゃね

303:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 18:09:07
犬って一日にどんだけ走れるんだw
餌はどうしてたのかとか疑問は尽きぬw

304:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 19:33:03
>>303
餌を与える人でもいたんだろうか。

305:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 20:28:43
小型犬でもあるまいし、普通に野鼠とか兎とか狩って食ってたんじゃないかなあ。
どのルート通るかなんか予測不能だし1回目とかは勝手に飛び出したわけだから
まさか首輪とかに「陸機の飼い犬です。おなかをすかせていたらごはんをあげて
ください」とか書き付けつけとくとかも無理だろうし。

306:無名武将@お腹せっぷく
07/03/17 22:37:25
むしろよく途中でとって食われなかっ(ry

307:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 01:25:10
当時の中国の犬は柴犬みたいなのかな

308:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 03:05:07
三国時代ではペットを飼う文化はあったんでしょうか?

309:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 03:16:55
そういや前スレの野田黄雀行、今まで雀捕まえて飼うんだと思っていたが…マサカ((((;゚Д゚))))
URLリンク(www.geocities.jp)

310:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 12:54:22
>>307
もっとでかいだろ。

ペットっていうか狩りのお供とかにイヌ飼ってた話は李斯の死ぬ前の話とかで
確認できるし、まあ愛玩用かどうかは別にしてイヌは普通に飼ってたでしょう。

んでもってスズメは日本でもわりと普通に焼き鳥で食う文化があったわけだし、
まあまさかっていうか間違いなくそうでしょう。

311:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 13:41:34
食用以外の可能性を考えなかったw

ケイ康も王サンも曹氏が好きなんだな
ネ申は詩人のアイドルだったのかなw

312:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 17:53:04
陸兄弟といい王敦といい・・確かにネ申ヲタ多いな
演義で悪役にされるまでは結構人気あったんじゃないか?

313:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 17:54:49
やっぱり三国を統一させた晋の元が魏だからその影響か?

314:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 18:40:47
ていうか冷静に考えたらあの時代的には李白や杜甫ぐらいのインパクトだろ、
しかもまだ没後何百年も経ってるわけじゃないからフィーバーも冷めてないどこ
ろかほどよく伝説っぽくなり始めてるぐらいのころじゃないか?

315:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 21:19:48
文武の両道を兼ね備えたパーフェクト超人だろ?
さらには雑事にも気が利き子供も英才揃い
後継者問題においても誤らず
生前の統一こそしくじってリビングレジェンドにはなれなかったけど
死んじまって冷静に業績が評価されれば伝説も当然じゃないか?

316:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 21:59:56
>>315
さすがに後継者問題は揉めた感があるが…
外見は竹中直人だけど死後だから容姿の事はイメージするしかなかっただろうしw

317:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 22:21:33
当然そんだけの偉業を成し遂げた聖人は容姿も中華的イケメンに決まってる!

という固定観念があっただろうしな

318:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 22:42:08
あー、じゃ陸機の脳内の魏武は真田広之だったのかなw

319:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 22:58:56
中華的イケメンというのは筑摩学芸文庫の正史訳本の表紙になっている画のような風貌?

320:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 23:02:39
むしろ威厳のないちっちゃいおっさんなのに文武両道でスゲーってところでイマイチ
ぱっとしない文化系男子の間でアイドル化した可能性を期待したい。無理か?

321:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 23:12:40
そういや、曹操や曹彰や曹叡とかは容姿についてが伝わっているのに
曹一族の中でも知名度が高いな曹丕や曹植の容姿ついては記されてない?

322:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 23:13:45
誤字したので修正orz

そういや、曹操や曹彰や曹叡とかは容姿についてが伝わっているのに
曹一族の中でも知名度が高い曹丕や曹植の容姿ついては記されてない?

323:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 23:28:46
>>321
こんなに凄い文章を書く人以下略

324:無名武将@お腹せっぷく
07/03/18 23:54:28
>>320
(・∀・)ソレダ!!!!

325:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 00:05:27
>>322
特筆すべきことのない普通の容姿だったんじゃないか
特別チビでもなく、特別イケメンでもなく、耳が長くも短足でも黄髭でもなく

326:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 00:07:59
>>319
平安より前の日本の美女の表現で
指が美しい、髪が豊か、目はまるくてパッチリなどとあったので
あの類の絵は単にへry

中国でも絵と人形だと顔の造作すら違うし
官職に就いてる男は朝っぱらから顔合わすから
あんなでかい顔ではやってられねえ気がする
まあ最低でも目鼻が平行に配置されてるのは条件だろうな

327:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 00:40:32
このスレだっけ
兵馬俑の人形とかは超リアルなのに
絵画はどうしてああなんだ…という話が展開されてたことがあったな

328:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 00:43:01
>>326
目は丸くてぱっちりが昔の美女の条件だったのか!
てっきり近代以降なんだとばかり…。

よく考えたら猫でも犬でも人間でも、目が丸くてぱっちりしてる方が子供っぽい印象に
なって単純に「可愛い」と思うよな…。

329:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 00:54:22
>>327
絵画はデフォルメ必須なのにデフォルメ下手で皺とか描けるだけ描いちゃうから

330:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:14:57
春秋戦国時代の斉国の田氏は体形が雄偉な子孫を作るために
後宮に入れる女性を160cm以上の者と限定したらしいけど、
女でも体格はイイ方が好まれたのかね

でも確かちっちゃくて痩せてて華奢な女性がもてはやされた時期もあったよね。
いつだったっけ。手の上で踊れる美女とかいた・・度忘れした。

331:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:15:53
>>325
なるほど。容姿は普通だったけど中身は凄かったということか。

332:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:36:16
>>322
よほど秀でているか、よほど妙じゃないと史書に容姿は記載されないぽ

>>327
兵馬俑人形は民族の違いもちゃんと表現できてるし、それ以前に人間だよなw
それに比べて三国志関係の廟の人形って…

>>329
なるほどデフォルメかー
そういや覇王別妃で虞妃が自害する絵がデッサン壊滅的、呪いかけられそうで怖かったよ
明か清の絵だと思うけどあれだけの隈取でやっと目を大きく描く
それが中国絵画クオリティなんだな

333:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:37:20
>>332
つまりネ申はよほどミニマム…

334:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:42:57
若い頃は岡村…

ジャーンジャーン

335:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:48:55
>>330
うーん、自分はてん足くらいしか思い出せない
足の小さい女がヨタヨタ歩いてるのが好しとかいう
でも背はある程度高かっただろうから違うなあ

336:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 01:54:25
>>330
趙飛燕じゃね?

337:330
07/03/19 11:21:07
>>336
それだ!
thx!! すっきりした~~

教えてもらったついでに
趙飛燕:前漢11代目成帝に寵愛され、妹の趙合徳と共に
成帝が他の女性に産ませた皇子を殺害したおっそろしい人。
手のひらの上で舞いが舞えるほど華奢だった。

後漢の梁冀の妻孫寿が
愁眉(への字眉)・啼粧(泣いた後のような変な化粧)
堕馬髻(馬から落ちたような変な髪型)・折腰歩(腰悪そうな変な歩き方)
を流行らせたとか
ネ申が一文字眉を流行らせたとか(流行ったのかしらないけどw)
女性の好みや風俗も文化的に面白いよね。


338:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 13:36:03
>>332
てことは逆に記述があるひとは
余程のものだったってことか

339:まとめサイト ◆XoQX5vgfQU
07/03/19 15:28:30
URLリンク(www.geocities.jp)
ここまでUP

URLリンク(jbbs.livedoor.jp)
避難所消えそうだったので
僭越ながら新しくしてみました

340:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 15:39:54
>>310-311
雀喰うなら冬。寒雀は脂乗ってて旨いよ
と言ってた高校の数学のセンセを思い出した
大学の時、焼き鳥で雀を喰った。頭から

341:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 16:53:45
>>339
何時も乙です。
ただ、曹丕の与孫権書の訳が別のものになっています。
早く修正したほうがいいと思います。

342:まとめサイト ◆XoQX5vgfQU
07/03/19 17:04:26
>>341
指摘ありがとうございます。
訂正しました。

343:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 22:46:11
>>330
以前どこかのスレでも容姿については話題が出たような気が。
顧[小豈]之(字が出なかった…)の絵や趙飛燕の故事からだとやはり痩せ型
かつ女性らしいラインの持ち主が美人基準らしい。
ただ顔立ちの好みとかメイクが時代によって変化はするかも。

『洛神賦』でも抽象的表現ではあるけど美女イメージは現代と大差ない希ガス。

344:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 23:39:25
いつの時代でも
眉目のバランスがいいのは美人
ってことなのかなぁ

345:無名武将@お腹せっぷく
07/03/19 23:49:43
それにしても、眉毛つながりメイクは謎

346:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 00:38:18
>>343
三国志時代において絶世の美女だったと言い伝えられている甄氏も
そのような容姿だったのでしょうな。
……曹丕は妻達に眉毛つながりメイクをさせていたとは思いたくない。

347: ◆PeonY/.Dfk
07/03/20 00:40:14
まとめさんいつも乙であります(`・ω・´)ゝ避難所把握しますた。

>>283-
#短歌行(陸機)
Sugeeeee!!!!!!!! Thxです!! 陸機たん(*´Д`)ハァハァw
この短歌行のおもしろいところは、曹操の対酒当歌の短歌行のはじめの二句と
この作の二句の四声が、ぴったりきれいにそろっているのですー(去上平平、平平平平)。
ちなみに曹丕の短歌行は、そんなことはないぽですw。
>>261さんみたいに、陸機たんは曹操の短歌行を鼻歌でうたったりしてたんだろうなー……

>>296さんのように刹那的な酒宴をうたったはずの作なのですが、くえりかえされるセンチメンタルな表現は、
ワーっとたのしいお酒の席だよ! というよりは、まとわりついて離れない憂いをつよく感じさせると思うですー。
そいで七句めの蘋(タモジグサ)なのですが、これは田んぼとか水辺にはえる水草なのです。
五代十国の和成績さんという人が漁父という詩で「蘋風軽翦浪花時……」とよんでいるのですが、
彼は山東省の人で、これは水辺にしげるウキクサのうえをわたる風のことなのです。
そいで何がいいたいのかと言うと、寒く乾燥した洛陽には、「以春暉」というほどタモジグサが生えるのかなーと(ry
自分はこの作がいつ詠まれたのか知らないのですが、もし陸機たんが洛陽にいってから詠んだ作だったら、
陸機たんの頭のなかには、風にふかれる懐かしい南部の田んぼがあったのかなー……と妄想してみるテスト(ry

しかしゴージャスな四言詩ですおね(*´Д`)
曹植たんとかもそうですが、悲しいとか思うまえにきらきらしい才に圧倒されて(゚Д゚*)ポカーンてなるますw。


#曹操が文人のアイドルw
>>55-56あたりでも書いたのですがorz、曹操の業績や文才はもちろんですが、
曹氏が文学を愛し文人を保護したことを、文人のみなさんは讃えたんじゃまいかと思うのですー。
なにしろ後漢末期の乱世では、太学の内部にまで戦乱がおよび、文学とかいう場合じゃないよ! という
状態だったのですから、そこに戦場においても馬上で賦をよみ、蓋文章経国之大業不朽之盛事といい、
公主を文人に嫁がせ、サロンをひらいた気さくな学徒である曹氏を、詩人はこぞって讃えたのではないでせうか。

348:1(ry
07/03/20 00:42:35
↑名前欄また誤爆しますたorz 済みませんorz orz orz

>>300-
#黄耳
うおーよかったです! 芸文類聚巻九十四から全文うpしてみますー。
(白文)
「述異記曰、陸機少時、頗好猟。在呉、豪客献快犬、名曰黄耳。機後仕洛、常将自隨。
此犬黠慧、能解人語、又嘗借人三百里外、犬識路自還、一日至家。
機羈旅京師、久無家問、因戯語犬曰、我家絶無書信、汝能賚書馳取消息不。犬喜、揺尾作声応之。
機試為書、盛以竹筒、繫之犬頚。犬出駅路、走向呉、飢則入草、噬肉取飽、毎経大水、
輒依渡者、弭毛掉尾向之。其人憐愛、因呼上船、裁近岸、犬即騰上速去。先到機家、口銜筒作声示之、
機家開筒取書、看畢、犬又伺人作声、如有所求。其家作答書、内筒、復繫犬頚。
犬既得答、仍馳還洛、計人行程五旬、犬往還裁半月。
後犬死、殯之、遣送還葬機村、去機家二百歩、聚土為墳、村人呼為黄耳冢。」

349:1(ry
07/03/20 00:43:32
>>348適当書き下しorz)
「述異記に曰く、陸機は少(わか)き時、頗(すこぶ)る猟を好む。呉に在りて、豪客が快犬を献じ、名して黄耳と曰う。
機の後に洛に仕うるに、常に将(も)って自ら隨う。此の犬は黠慧(かっけい)にして、能く人語を解し、
又(また)嘗(かつ)て三百里の外の人に貸すに、犬は自ら還る路を識りて、一日にして家に至る。
機は京師に羈旅(きりょ)し、久しく家問(かもん)の無きに、因りて戯れに犬に語りて曰く、
我が家より絶えて書信の無きに、汝は能く馳せ書を賚(たま)い消息を取らずや。犬は喜びて、
尾を揺らし声を作(な)して之(これ)に応ず。機は試みて書を為(な)し、竹筒を以って盛り、之を犬の頚に繫(か)ける。
犬は駅路に出(い)で、呉に向けて走り、飢えれば則ち草に入り、肉を噬(くら)い飽を取り、
大水を経ると毎(いえど)も、輒ち渡る者に依りて、毛を弭(び)し尾を掉(ふ)りて之に向かう。
其の人は憐んで愛し、因りて船の上に呼ぶに、裁(わず)かに岸に近づけば、犬は即ち騰上して速かに去る。
先ず機の家に到り、口に筒を銜(くわ)え声を作(な)して之を示し、機の家が筒を開け書を取り、看(み)畢(おわ)れば、
犬は又(また)人に伺い声を作し、求むる所の有る如し。其(すなわ)ち家は答書を作り、筒に内(い)れ、
復(ま)た犬の頚に繫(か)ける。犬は既に答えを得ると、仍りて馳せ洛に還り、人の行程を計るに五旬を、
犬が往還するに裁(わず)かに半月なり。後に犬の死するに、之(これ)を殯(もがり)し、送還せしめて機の村に葬り、
機の家を去ること二百歩に、土を聚(あつ)めて墳と為し、村人は黄耳冢と呼び為す。」

350:1(ry
07/03/20 00:52:53
>>348適当訳orz)
「述異記にいわく、陸機はわかいころ、とても猟が好きでした。呉にいたときに、お金持ちからすばらしい犬を
献上されたので、黄耳と名づけました。陸機がのちに洛陽につかえるようになったら、犬もみずからついてきました。
この犬はかしこい犬で、人のことばがよくわかり、また以前に130.24kmも遠くの人に貸したことがありましたが、
犬は自身で帰る道のりがわかって、一日で家に戻ってきました。陸機は洛陽の先生のところに身をよせていて、
ずっと家からのたよりがなかったので、冗談で犬に「私の家からずっとたよりがないが、きみが走って手紙を
もらってきて消息を得られないものかなぁ」と言いました。犬は喜んで、しっぽを振って鳴いてこれに応じました。
陸機はためしに手紙をかいて、竹筒にいれ、これを犬のくびにかけてやりました。犬は街道にでて、
呉に向かって走り、おなかがすいたら草むらに入って、肉をたべて満腹し、水が深いところにくるたびに、
そこを渡ろうとしている人のところにいき、服従のポーズをしてしっぽをふりながらその人を見つめました。
その人は犬が気の毒だし可愛いと思って、船の上に呼んでやりましたが、船が対岸に少しでも近づいたらば、
犬はすぐに上陸してすぐに行ってしまいました。いちばんに陸機の家に行って、口に竹筒をくわえて鳴いて
これを示すので、陸機の家の人が筒をあけて手紙をとって、読みおわると犬はまた家の人を見て鳴き、
なにかが欲しいような様子でした。それなので家の人は返事を書き、竹筒にいれて、また犬のくびにかけてやりました。
犬は返事をもらうと、洛陽に走って帰り、人が50日はかかる行程を、犬はわずかに半月で往復するのでした。
のちに犬がしんだら、これをかりもがりして、送り還してやって陸機の故郷の村に葬り、
陸機の家から200歩離れたところに土を盛ってお墓にして、村の人はこれを黄耳冢(塚)と呼びました。」

351:1(ry
07/03/20 00:55:00
↑黄耳君は、こういうわけらしいのですー。かしこいワン公だ(*´Д`)ハァハァ 餌は自給自足で(ry
東海道中膝栗毛で、やじきたは江戸から伊勢までの500kmぐらいを15日で歩くわけですから、
人の脚で50日かかるっつーと、三世紀の街道の状態とかをひいてもすごい距離ですおねー。
>>302さんのように、1000km以上はあったのでせうね。片道500kmとして、黄耳君は一日70km以上は
走らないといけないですね。長距離マラソンが42.195kmなのですから、りっぱな犬だー(´;ω;`)ブワッ

>>309-
#雀
自分も食用以外の可能性を考えていませんですたww羅家の人は、もしやすずめを飼う気だったのか(゚∀。)
台湾や中国でも雀の排骨がうっててテラウマスですが、あれはどうやら養殖した十姉妹らしいです。

352:1(ry
07/03/20 00:56:20
容姿の話がでているので、陸雲たんが美しい幽霊にあった話をうpしてみますw。

晋書巻五十四の列伝第二十四の陸雲伝より

「初、雲嘗行、逗宿故人家、夜暗迷路、莫知所従。忽望草中有火光、於是趣之。
至一家、便寄宿、見一年少、美風姿、共談老子、辞致深遠。向暁辞去、行十許里、
至故人家云、此数十里中無人居。雲意始悟、却尋昨宿処、乃王弼塚。雲本無玄学、自此談老殊進。」

「初め、雲が嘗(かつ)て行き、故人の家に逗宿するに、夜の暗きに路に迷い、知る所の従う莫き。
忽(にわ)かに草中に火の光るの有るを望み、是れ之(これ)に趣(おもむ)く。
一家に至りて、宿に寄るを便ずるに、一(ひとり)の年(とし)少(わか)く、美しき風姿たるに見(まみ)え、
共に老子を談じ、辞は深遠に致る。暁に向かいて辞去し、十里(じゅうり)許(ばかり)を行くに、
故人の家に至りて云うには、此の数十里の中に人の居る無き。雲は始めて意を悟り、
却(しりぞ)きて昨宿の処を尋ねるに、乃ち王弼の塚なり。雲は本は玄学の無きも、此の談に自(よ)りて老を殊に進む。」

「あるとき、陸雲は出かけてむかしなじみの人の家に泊まりに行きましたが、夜が暗くて道に迷い、
どこにいるのかさっぱり分からなくなってしまいました。すると草がしげる中に火が光っているのがみえたので、
これに向かって行きました。一軒の家について、そこに泊まることにしましたが、ひとりの美しい容姿風体の
若者に会って、いっしょに老子についてをおしゃべりし、教えの奥深くまでを語りあいました。
明けがたになって別れのあいさつをしてそこを去り、4.3kmほどを歩いて友人の家につくと、
この数十里には人は住んでいないよと言われました。陸雲ははじめて事情を理解し、もどってきのうの宿が
あったところに行ってみると、そこはなんと王弼のお墓でした。
陸雲はもともとは老荘を学んでいなかったのですが、このおしゃべりをしてから老子にくわしくなりました。」

353:1(ry 連投すみませんorz
07/03/20 01:01:23
↑男かよ! という十三億人民の声がきこえてきそうですが、自分もそう思いますたw。
中国文学おそるべしですーw。王弼さんが没したのは22歳なので、たしかに美青年の幽霊ですねw。
しかし陸雲たんは爆笑して船からおっこちて溺れてあぼーんしかけたり、道にまよったり、
いったいこれで大丈夫なんだろうか……と心配になるです(゚∀。)
なんか別の資料では、道に迷って王弼の幽霊にあったのが陸機たんになってるのもあるらしいですが……
八陣図は三国志演義の話ですが、陸家の人は迷子になりがちなのかー? とかいらんことを(ry

#眉つながりメイク
自分もくあしく知りたいですーw。フリーダ・カーロみたいな感じだろうか……(゚∀。)

354:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 01:43:14
やはり眉を全剃りした上で一筆描きっぽくつながり眉が描かれてるのだろうか・・・

355:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:00:14
>>347
>>四声が、ぴったりきれいにそろっているのですー
sugeeeeeeeeeeeeeeee
ネ申オタのネ申だなwwwww

>>353
>>陸家の人は迷子になりがちなのかー? とかいらんことを(ry
wwwwwwwwwwwwwwww

356:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:06:26
眉毛を一本にする風習があるのを周ユが知っていたとすると
演義で曹操が二喬を欲しかったと聞いて激怒したのも頷ける!?

357:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:16:49
ほんっっとに幽霊好きだなwww

358:1(ry
07/03/20 02:28:34
#眉
URLリンク(cgfa.sunsite.dk) こんな感じでせうか……?

>>355
二句めの「幾」と「觴」が平声の上と下の違いはあるのですが、それでも陸機たんSugeeeeeee(*´Д`)
陸機たんの望郷の念はどれだけだったろうかと思うですー。司馬穎のときに呉にかえっていれば……。・゚・(ノД`)・゚・。

>>357
だってこの幽霊の話とか、晋書に真顔で出ているのですおw。晋書Sugeeeeeeeeeeeee!!!! wwwwww

359:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:35:40
>>353
怖いんだかほのぼのなんだかわからん話だ。でも面白い。
幽霊になってまでも老子にこだわる王弼。もっと論じたかったんだろう。

しかし王弼も美形だったのか。何晏と夏侯玄は有名だけど、王弼もか…。
荀粲も美形の可能性高いし、イケメンメンバーだな。

360:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 02:42:52
中国にもオカルト話は結構あるんだな~
現代にもひょっこりと出てきそうだ。
是非とも甘党皇帝の幽霊に会いたいよw

361:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 03:33:44
>>358
映画「フリーダ」
URLリンク(www.frida.jp)

映画も眉毛が気になってしょうがなかったよ
生やしててこれじゃ筆で描いてあるのを正視できる自信はないw

362:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 03:35:03
>>361
Σ(゚∀゚)
きっとこんな感じだったに違いない!ww

363:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 03:43:51
>>358
こういう話が真顔で出ているから晋書は眉唾だと言われるんだw
でも面白いからいいw

364:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 08:12:00
ネ申も笑い上戸っぽいから
一文字眉だらけにしてうはははははははwwwwwwwww
と笑いたかったのかもしれない  お

365:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 14:44:10
>>364
ヒドスww
一本眉にしたのは曹操だけ?

366:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 14:49:54
>>348-351
黄耳はペットじゃなくて猟犬なんだね。
陸機が猟が好きとは意外。

367:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 14:59:35
>>347
すげえ!曹操は幽霊になって、陸機のとこに出てやれば良かったのになw
韻を揃えるぐらいオタなんだから大喜びするであろう。

368:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 15:30:54
>>367
きっと、あの世で一緒に酒を飲みあったりしているさw

369:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 15:44:43
操゚∀゚)<もしもし、一晩宿を貸してはもらえませんか
機・∀・)<どうぞどうぞ

 ペチャクチャ    ワイワイ
操゚∀゚)  (・∀・機 

操^∀^)アーッヒャッヒャッヒャ(^∀^機

~翌朝~

機^ー^) 。oO昨日の小さいお客人は楽しかったなぁ…
機・A・) 。oOしかし何で、あんなにネ申に詳しかったんだろう…
機・∀・) 。oO中華一のネ申オタを自負していたのに、士龍、我々はまだまだだね…

370:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:05:24
>>369
すごい和む(´∀`)カワユス

371:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:08:59
>>369

気づけよ!w

372:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:13:25
弼 ‘д‘) <私の幽霊では不満か!w

373:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:14:48
>>369
そのちっさいお客人のそばにぼーっとしたツラの大男はいなかっただろうか…

374:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:16:01
>>369
幽霊話なのにほのぼのw

375:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:18:10
>>372
美形でも男じゃなァw

376:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:25:27
飛゚∀゚彡<俺は義理固い男なんだぜ

377:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:34:19
おまいら幽霊大好き過ぎだwww

378:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:37:36
酒・甘物・幽霊は文学の友w

379:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 16:39:57
>>369
この後ネ申がお礼にやってきて・・・
と妄想してたら早速>>376が来てたww

380:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 18:45:49
>>369
操^∀^)アーッヒャッヒャッヒャ(^∀^機

↑これ、器に頭つっこむわ、川に落ちるわで
まるで吉本新喜劇のような場面なんだろうな

381:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 18:54:03
雲´∀`)<川に落ちるのは僕だよwwwwwwwwww

382:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 19:09:28
>>369-381
和んだwww

383:無名武将@お腹せっぷく
07/03/20 21:08:03
>>369-381
うん うん 和むわぁ~
そして、なんだか…ηακετα..._〆(;ωq`)

384:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 00:07:54
ところでこの時代の人々にとって
幽霊ってどんなイメージだったのかな

畏怖すべきもの? 生者を護るもの?
嘘臭いのか、それともいて当たり前なのか……

385:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 02:06:13
呉の軍師スレからのコピペだけど幽霊のイメージの参考になるかなあ

魯粛が死亡してから100年近くがたった頃、王伯陽という人の家が京口にあった。
その東には塚があり、魯粛子敬の墓だと伝えられていた。
伯陽は妻がなくなった時、なんとその塚を壊して妻の墓とした。
数日して伯陽が役所にいると一人の貴人が輿に乗っているのを目にした。
従者が数百人も従い、人と馬とが連なっている。
貴人は伯陽に近づくと「私は魯粛子敬です。君はなにゆえ私の塚をこわしたのか?」と言い、
左右のものに目配せすると刀の柄で数百回も伯陽を打ち据えさせて帰っていった。
伯陽は気絶していたが、暫くすると、また息を吹き返したが、
なんと魯粛に打たれたところがすべて潰瘍になり、数日後に伯陽は息を引き取った。
一説に、伯陽が死亡し、その子が墓を作ろうとして、漆の棺桶をふたつ掘り出し、
南の岡に移しておいたところ、夜に魯粛子敬が怒って現れ、こういった。
「おまえの父親をころしてやる」と言った夢をみた。
続いてまた父、伯陽の夢をみた。
伯陽は「魯粛とわたしで墓争いをしていて私は日夜恐ろしくてたまらない」と訴えるのだった。
その後、数日して伯陽霊位の敷物の上におびただしい血でぬれていた。
魯粛子敬が原因ではないかと思われる。

出典は『捜神後記』らしい

386:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 02:17:16
呂蒙や曹操など関羽の死に関係した者がすぐ死んでしまったことで
関羽の霊が彷徨っているんだ・・・!! って怖くなって
関羽の怒りを静めるために関帝廟が出来たんだよね。
ってことは幽霊の概念ははっきりとあったってことだよね

387:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 02:47:12
肉体が消滅しても魂魄は存在し続けているので
現世で噂されたりすると九泉の下から帰ってくる・・・
ので、今日も論語をよく読んで日々の行いを正してから寝ようね!
ってところかな

388:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 02:56:03
陸機の幽霊が…って話なかった?

389:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 03:38:35
対酒当歌オフには、ゼヒ出席して欲しい陸機の幽霊

390:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 04:01:05
>>389
ネ甲と甘党ブログ皇帝とジョン・レノンの三曹にも是非出席してもらいたいw

391:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 04:14:36
>>347
話題が戻るんだけど、
田字草(デンジソウ/たもじ草)について調べてみた。

URLリンク(ja.wikipedia.org)
>洛陽市の気候の特徴は、四季がはっきりわかれ、
>冬は寒くて降水が少なく、春は乾燥し風が多く、夏は、
>非常に暑く雨が集中して多い。秋には、晴れて日照時間が長い。

らしいんで、湿地・田沼に生えるデンジソウが春に多いのは呉であると思う
だから短歌行の
>もし陸機たんが洛陽にいってから詠んだ作だったら、
>陸機たんの頭のなかには、風にふかれる懐かしい南部の田んぼがあったのかなー

これはいい所に注目した解釈だね
そう思って読むと胸に迫る物がある。

392:まとめサイト@残業 ◆XoQX5vgfQU
07/03/21 05:38:29
URLリンク(www.geocities.jp)
ここまでUP

393:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 08:37:56
残業乙w
>>391
陸機!!!!・゚・(ノД`)・゚・
この詩ずっと大好きだったのに、そんな解釈もあるとは今知ったよ…
洛陽では、米じゃなくて小麦なんだっけ。

394:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 11:29:02
魯粛の霊コワス!!

395:1(ry
07/03/21 11:33:24
| 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚)   ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧    ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` )   (´ー` )  (゚∀゚ *)  (´<_,` )  (´∀` )  (・∀・ )  (‘∀‘ )
 ̄  //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
   .\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 楨 ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
   ./ ◆<  ./.. ◆<  ./..◆< ./ ◆<  /..◆<  ../..◆<   ./ ◆<  
  /  '´ ヽ).../  '´ ヽ...)../  '´ .ヽ. .((操)))/  '´ヽ..) ./  '´ヽ..)/  '´ヽ )

∠/   ノノ∠/ ∧ ∧/   .  ノノ  (・∀・)っ   ∧ ∧    .ノノ     ..ノノ
           (; ゚Д゚)  。・゚・⌒)  (つ  /.  .  (゚∀゚,, )
            / 丕 o━ヽニニフ )) |  (⌒)  〔~植∪ ̄〕=
           しー-J    彡   _ し⌒^    ◎―◎=


まとめさん乙であります( ゚∀゚)o彡゜

なんの脈絡もないですが、三曹&建安七子&おまけで二陸はってみるw

396:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 11:36:52
おおスゲ!でもズレてるよw

397:1(ry
07/03/21 11:39:59
| 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚)   ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧   ∧ ∧    ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` )   (´ー` )  (゚∀゚ *)  (´<_,` )  (´∀` )  (・∀・ )  (‘∀‘ )
 ̄  //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
   .\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 楨 ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
   ./ ◆<  ./.. ◆<  ./..◆< ./ ◆<  /..◆<  ../..◆<   ./ ◆<  
  /  '´ ヽ).../  '´ ヽ...)../  '´ .ヽ. .((操)))/  '´ヽ..) ./  '´ヽ..)/  '´ヽ )
∠/   ノノ∠/ ∧ ∧/   .  ノノ  (・∀・)っ   ∧ ∧    .ノノ     ..ノノ
           (; ゚Д゚)  。・゚・⌒)  (つ  /.  .  (゚∀゚,, )
            / 丕 o━ヽニニフ )) |  (⌒)  〔~植∪ ̄〕=
           しー-J    彡   _ し⌒^    ◎―◎=




∑orz 避難所でテストしてきたのに……バチがあたったのかw orz orz orz

398:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 11:49:01
OK(´∀`)二日連続で和むw

399:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 12:11:22
曹丕チャーハン作ってるwww

400:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 12:14:08
ノー天気そうなネ申カワユスvv

401:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 12:21:00
本日は春分、旧暦ではまさに春のど真ん中
というわけで、陸機の春詠を置いていきますね

春詠
節運同可悲、莫若春気甚、和風未及燠、遺涼清且凜

402:1(ry
07/03/21 13:09:41
>>401
Thxです!! 春詠ってはじめてよみますた(´∀`)いい詩ダナー
ばちあたりAAorzを反省しつつ、へた訳してみるますー。

>>401適当書き下しorz)
「節は同じく運(めぐ)りて悲(あわ)れむ可(べ)く、春気の甚(はなは)だしきに莫若(しくはなし)
 和風は未だ燠(あつ)きに及ばず、涼清にして且(まさ)に凜(さむ)きを遺(わす)れんとす」

>>401適当訳orz)
「めでるべき季節がまた同じくめぐってきました。この春の空気のすばらしさには、いったいなにが及びましょうか?
のどかな春風はまだ暑すぎるということはなく、涼しくて清らかで、まさに寒さがなくなろうとしています!」

#すごいすごいいい詩ですねー! なごみまくりますた(´∀`)
↓前スレでちょっとこう思ったのですが、こんなきれいな春の詩もあるのですねー。
これは洛陽の春なのか、それとも呉の春なのでせうかね。三世紀も春はおなじくいいもんだったんだな。

>916 :1(ry:2007/03/03(土) 15:48:38
>唐代にはいると、漢詩といえばまずはあふれるような春のよろこびを
>うたったもの、という気がするのですが、建安の作ではなんとなくそういったものが
>少ないような気がして、不思議なのですー。なぜだろう?(気のせい??)
>
>のんきに春をめでている時代ではなかったとか、詠物詩が発展してなかったとか
>いろいろ思うのですが、やっぱり三世紀は文学の拠点がかなり北部だからかなー? と
>なんとなく思ったのですー。南部のようなあざやかな春は、北部にはこないのかなーと……。

403:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 13:36:20
春はいつでもいいもんさw

404:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 13:56:50
>>397のメンツの幽霊と花見したいねぇw

405:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:02:06
>>401
陸機の<春詠>と聞いてry…アルェ
『鮑參軍集』にもほとんどが同じ<春詠>が載ってるぞー

節運同可悲 莫若春光甚 和風未及燠 遺涼清且凜


406:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:14:03
>>401-402
>>405
ワロスwwwww何事が起こった?www

407:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:37:53
>>397
久々に力作AAキター!
春だねぇw

408:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 14:46:35
>>406
鮑參軍のほうが後の人だねえ。

409:1(ry
07/03/21 17:04:07
>>405
ありーほんとだ! 自分は鮑照さんの本もってないのでわからないですが、
陸機たんの春詠は、上海古籍出版の芸文類聚の巻三の春の詩のとこにでてるのですねー。

1)>>401が陸機たんの作で、>>405は陸機たんリスペクトな鮑照さんの本歌どりだよ。
2)>>401は鮑照さんの作なんだけど、隋唐とかになって拾遺するときに、
 なんかまちがえて陸機たんのとこにも入れちゃったよ。しかも一文字書きまちがえた。

こんなところでせうか?w

410:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 18:12:13
>>409
もいっこ<咏老>も鮑照とかぶってますvv
“鮑參軍集卷之二”でググったらありました!

<代陸平原君子有所思行>なんてのもあるので
リスペクトもありかもですね

411:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 18:16:29
鮑照は陸機オタだったんだなw

412:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 18:37:19
王敦の亀みたいに
「大好きでいつも彼が口ずさんだいた詩v」
みたいな意味合いなんでね?

413:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 23:03:06
>>310で李斯の話が出たのでコレを。
>>1 蘇軾OK? じゃあ李白もだいじょぶですね

李白<行路難>三首其三
有耳莫洗潁川水 有口莫食首陽蕨
含光混世貴無名 何用孤高比雲月
吾観自古賢達人 功成不退皆損身
子胥既棄呉江上 屈原終投湘水浜
陸機雄才豈自保 李斯税駕苦不早
華亭鶴唳何可聞 上蔡蒼鷹何足道
君不見 呉中張翰称達生 秋風忽憶江東行
且楽生前一杯酒 何須身後千載名

[書き下し風味]
耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨
光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを
吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損(おと)す
子胥は既に棄てらる呉江の上(ほとり) 屈原は終に投ず湘水の浜
陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ
華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道(いう)に足らむ
君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く
且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須(もちひ)るや

潁川の水で耳を洗った許由の話は、ここでは玄晏先生(皇甫謐)の『高士傳』が
元ネタらしいです。

『史記』本傳に「蒼鷹」の文字はなく、『太平御覽』には入ってました

414:無名武将@お腹せっぷく
07/03/21 23:49:00
>>386
しかし中には鍾ヨウのような男もいるからなあ。ネタ多すぎだろ鍾ヨウ。
>>369
裴松之の所に荀彧が現れたら大変なことになりそうだw

415:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 12:33:53
>>409-410
だが少しリスペクト過ぎないか?w
パク(ry

416:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:01:45
まぁ、更には陳琳の遊覧詩の「節運時気舒、秋風涼且清」の
リスペクトなんですけどね^^^^^^;

417:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:03:54
「本歌取り」と言う言葉は、現代では死にました

418:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:08:56
>>409が本歌取りと言っているが…
まあ陳琳は兎も角、鮑照レベルの本歌取りを
現代で行なったら不味いだろうねw

419:無名武将@お腹せっぷく
07/03/22 13:45:23
>>393
北は麦、南は米って言うよね。

420:無名武将@お腹せっぷく
07/03/23 05:46:44
>>353
亀レスだけど、それの陸機バージョンの詳細キボン

421:無名武将@お腹せっぷく
07/03/23 11:17:25
>>420

『異苑』

晋清河陸機初入洛、次河南之偃師。
時人結陰、望道左若有民居、因往投宿、
見一年少、神姿端遠、置易投壺、与機言論、妙得玄微。
機心服其能、無以酹抗。
乃提緯古今、総験名実、此年少不甚欣解。
既暁便去、税驂逆旅、問逆旅嫗、
嫗曰「此東数十里無村落、止有山陽王家塚爾。」
機乃怪悵、還睇昨路、空野霾雲、拱木蔽日、
方知昨所遇者、信王弼也。
一説陸雲獨行、逗宿故人家。
夜暗迷路、莫知所従。
忽望草中有火光、雲時飢乏、因而詣前。
至一家牆院甚整、便寄宿、
見一年少可二十餘、豊姿甚嘉、論叙平生、不異于人。
尋共説老子、極有辞致。
雲出、臨別語云「我是山陽王輔嗣。」
雲出門廻望向処、止是一塚。
雲始謂俄頃已経三日、乃大怪悵。

422:無名武将@お腹せっぷく
07/03/23 12:18:22
gj!訳もおながいしますorz

423:1(ry
07/03/23 23:55:49
>>413
李白先生thxです!! すげーもりだくさんの詩ですねー(*´Д`)
唐宋の詩人のみなさんは、呉で周瑜や陸機を詩によむ人がたくさんいますおね。
行政上、南部にくる機会が多かったのでせうが……中世の人の古代ロマンだー。

>>421
Thxです!! Sugeeeeeeeeeee!! 六朝志怪(*´Д`)ハァハァハァハァハァハァ/ \ァ/ \ァ
陸機たんver.は異苑だったのですねー。異苑むずかしいから読んでな(ry orz orz orz
いちおうへた訳もうpしてみますが、むずかしくてたぶん盛大に間違ってる悪寒orz orz orz

>>421適当書き下しorz すみ括弧のなかを本気でフォローおねがいしますですorz orz orz)
晋の清河の陸機は初め入洛し、次に河南の偃師(えんし)に之(ゆ)く。
【時人の陰結するに、道の左に民居の若くの有るを望み、因りて往き投宿ずるに、
 一の年少の、神姿端遠するに見(まみ)えるに、投壺(とうこ)に易置し、機に言論を与うるに、
 妙を得て玄に微す。機は其の能に心服し、以って酹し抗う無き。
 乃ち古今の緯を提し、総じて名実を験し、此の年少の甚だ欣(よろこ)ぶを解さず。
 既に暁にして便(すなわ)ち去し、驂(そえうま)を税(と)きて逆に旅し、逆に旅して嫗に問うに、】
嫗は曰く、「此の東数十里に村落は無く、止(た)だ山陽に王家の塚の有る爾(のみ)。」
機は乃ち怪悵し、昨路を還りて睇(なが)めるに、空野に霾雲(ばいうん)し、
拱木(きょうぼく)が日を蔽い、方(まさ)に昨(きのう)知り遇う所の者は、王弼と信ずる也。
 一説には陸雲が獨り行き、故人の家に逗宿す。 夜の暗きに路に迷い、知り従う所莫(な)き。
忽(にわか)に草中に火の光るを望み、雲は時に飢乏し、因りて前に詣(いた)る。
一家の牆院の甚だ整うに至りて、寄宿を便ずるに、一(ひとり)の年少の二十餘可(ばかり)で、
豊姿の甚だ嘉く、論叙は平生とするも、人と異ならざるに見(まみ)える。
尋(つ)いで共に老子を説し、辞は極みに致り有る。
雲は出(い)で、別れに臨みて云い語らうに、「我は是の山陽の王輔嗣なり。」
雲は出でて門を廻りて向く処を望むと、止(た)だ是れ一塚なり。
雲は始めて俄頃(がけい)し已に三日が経ちぬと謂いて、乃ち大いに怪悵す。」

424:1(ry
07/03/23 23:58:23
>>421適当訳orz すみ括弧のなかはさっぱりわかりませんですたorz orz orz)
「晋の清河の陸機ははじめ洛陽に入り、ついで洛陽の東にある偃師に行きました。
【当時はとても暗かったので(?)、横道に人の家のようなものがあるのが見えたので、
 そこに行って泊まることにすると、ひとりのとても美しくきわだった姿の若者に会いました。、
 矢をつぼに投げいれて勝ったものが負けたものに酒をのませる遊びをして勝ったので(?)
 若者は陸機に思想を語りましたが、たいへんすばらしいものでした(?)。
 陸機はその才能に心服して、地をお酒できよめて聞き入りました(?)。
 その話は古今の緯書をしめし(?)、すべてが若者の名実をしめしているので(?)、
 この若者がなぜそんなによろこぶのか解りませんでした(?)。
 明け方になったのでそこを去り、馬車の馬を放って逆に道をたどり(?)、逆にたどっておばあさんに聞くと、】
おばあさんは、「この東の数十里には村落はなく、ただ山陽に王さんの家のお墓があるだけですよ」と言いました。
陸機はこれをふしぎで気の毒であると思い、きのうの道を戻りながらちらっと見てみると、
空と野原はまきあげられた砂でつちぐもり、ひとかかえもある木が日をおおったので、
きのう知りあった人はほんとうに王弼だったのだなぁとと信じました。

425:1(ry
07/03/23 23:59:24
 一説には、陸雲が一人ででかけて、むかしなじみの家に泊まりに行きました。
夜が暗くて道に迷い、どこにいるのかさっぱり分からなくなりました。
すると草がしげる中に火が光るのが見えたので、陸雲はお腹もすいていたので、
そっちへ行ってみました。一軒のかきねも建物もきれいな家についたので、
泊まっていくことにすると、ひとりの二十歳あまりで、容姿がとてもきれいで、
論説は古いものでしたが、人とちがっては見えない若者に会いました。
そしていっしょに老子について論じあい、教えの奥深くを極めるまで語りあいました。
陸雲が出発するときに、彼がお別れをして言うには、「私はこの山陽の王弼です」と言いました。
陸雲がそとに出て門からでてふりかえって見てみると、そこはただ一つのお墓でした。
陸雲ははっと気がつくとまたたくまに三日が経っていたと言い、大いにふしぎがって気の毒がりました。」

うあーんむずかしいorz orz orz orz orz(´;ω;`)

426:1(ry
07/03/24 00:00:13
これだけではなんなので、>>385さんのバイオレンス文官魯粛たんも捜神後記巻六からうpしておきますorz
>>385はほかのサイトさんからの引用らしいので、いちおうあらためてへた訳もしてみますorz。
(白文)
「王伯陽家在京口、宅東有大冢、相伝云是魯粛墓。伯陽婦、郗鑑兄女也、喪亡、王平其冢以葬。
後数年、伯陽白日在庁事、忽見一貴人、乗平肩輿、与侍従数百人、馬皆浴鉄、径来坐、謂伯陽曰、
我是魯子敬、安冢在此二百許年、君何故毀坏吾家。因顧左右、何不挙手、左右牽伯陽下床、
乃以刀環撃之数百而去。登時絶死、良久復蘇、被撃処皆発疽潰、尋便死。
一説王伯陽亡、其子営墓、得一漆棺、移至南岡、夜夢粛怒云、当殺汝父。尋復夢見伯陽云、
魯肅与吾争墓、若不如我不復得還。後於霊座褥上見血数升、疑魯粛之故也。墓今在長広橋東一里。」

(適当書き下しorz)
「京口(けいこう)に王伯陽の家在りて、宅の東に大きな冢が在り、相(あい)伝いて云く是れ魯粛の墓なりと。
伯陽の婦(つま)は、郗鑑(ちかん)の兄の女(むすめ)也(な)れど、喪亡(そうぼう)するに、
王は其の冢を平(たいら)げ以って葬る。数年の後、伯陽の白日に庁事(ちょうじ)に在るに、
忽(にわか)に一(ひとり)の貴人の、平肩輿(へいけんよ)に乗り、侍従の数百人を与(くみ)し、
馬は皆鉄を浴び、径(みち)を来て坐すに見(まみ)える。伯陽に謂いて曰く、我は是れ魯子敬なり、
此の二百年許(ばか)りを冢に安んじ在るに、君は何故に吾が家を毀坏(きはい)するか。
因りて左右を顧み、何ぞ手を挙げざると。左右は伯陽を下床に牽(ひ)き下ろし、
乃ち以って刀環で之を数百撃ちて去る。時に絶死と登(な)り、良久(ややひさし)くして復(ま)た蘇るも、
撃たれし処が皆疽潰を発し、尋(つ)いで便(すなわ)ち死す。
一説には王伯陽が亡くなり、其の子が墓を営むに、一つの漆棺を得て、南の岡に移し至るに、
夜に夢で粛が怒りて云うに、当(まさ)に汝の父を殺すべしと。尋いで復た伯陽の夢に見(まみ)え云うに、
魯肅と吾は墓を争い、我は復た得て還らざるを不如(しかず)が若(ごと)し。
後に霊座の褥の上に数升の血を見るに、魯粛の故と疑う也。墓は今は長広橋より東に一里に在す。」

427:1(ry
07/03/24 00:01:29
>>426適当訳orz)
「江蘇省鎮江県の京口に王伯陽の家があって、屋敷の東に大きな塚があり、
魯粛のお墓だと言い伝えられていました。伯陽の奥さんは、東晋の大物である郗鑑の兄の娘でしたが、
彼女がなくなったので、王さんはその塚をくずして平らにしてそこに彼女を葬りました。
数年後、伯陽が真昼間に役所で仕事をしていると、とつぜんひとりの貴人が、肩でかつぐ輿に乗り、
馬はみな鉄の蹄鉄をはめ(?)、道をこっちに来て対峙するのに会いました。
彼は伯陽に、「私は魯粛です。この二百年ほど塚で安らかにしていたのに、君はなぜ私の家を壊したのですか……」
と言いました。そして左右にひかえる者達にふりかえると「殺(や)っちまいな!」と言いました。
左右の者が伯陽を床にひきずりおろし、刀のつかの後ろにある丸いところで
数百発彼をボコボコにしてから去りました。そのとき彼は気絶してしまい、しばらくしてまた気がつきましたが、
撃たれたところがみなぐずぐずのはれものになり、まもなくして死んでしまいました。
一説には、王伯陽が亡くなったので、その子供がお墓をつくる際に、一基のうるしぬりの棺おけが出てきたので、
南の岡に移したところ、夜になって夢のなかで魯粛が怒って「君の父を殺してくれるわ……」と言い、
ついでまた伯陽が夢にでてきて、「魯粛と私はお墓を争っており、私は魯粛に勝てないのでどうやら墓に戻れぬ」
と言いました。後に王伯陽の霊をまつってあるところのしき布に数リットルの血が見つかり、
魯粛がやったと考えられました。お墓は今では長広橋から東に434.16mのところにあります。」

こえぇぇぇぇぇぇ!! オカルト&バイオレンスな狂児かこいいよ狂児ww
しかし不運な王さんとやらには、まことにご愁傷さまでありますorz。
郗鑑さんの娘さんが王羲之の奥さんなので、郗鑑さんのお兄さんの娘さんが亡くなるこの話は、
おそらく四世紀おわりごろの話ですおねー。魯粛さんは217年に没しているので、
たしかに魯粛さんが墓にはいってから、大体200年ぐらいたったころですねw。
なんか正史の魯粛さんは、こういうことを素でやりそうなふいんき(ryが行間からあふれているように思えますw。
なんかこの魯粛のお墓は、いまでも江蘇省にあるらしい……行ってみたいような怖ろしいようなwww

428:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 00:26:24
>>427
乙っス!

しかし流石は狂児ww
まぁ、そこにしびれる憧れるワケだがww

429:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 00:51:29
呉軍師スレで、周瑜より魯粛の墓の方が
人気があるなんて不思議だと言われていたが、
このエピソードがあるから大切にされてるんじゃねw

430:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 01:20:54
晋の「清河」の陸機?陸雲の間違い??

431:1(ry
07/03/24 01:33:36
>>428-429
あるあるwwwww

>>430
自分も平原じゃなくて清河かー? やっぱ王弼の幽霊にあったのは陸雲たん? と
おもったのですが、>>423-425が自分にはむずかしすぎて意味がよくわかんなすぎなので、
疑問点はぜんぶ放置しますたorz……文意がわかってからかんがえるですーorz orz orz。

432:1(ry
07/03/24 02:01:39
30分考えたけどやっぱ>>421ワカンネorz orz

ついでに>>427訂正ですーorz
「肩でかつぐ輿に乗り」と「馬はみな鉄の蹄鉄をはめ(?)」のあいだに「数百人の従者をしたがえ」ですorz。

しかし、王伯陽さんも奥さんが郗鑑の兄の娘さんだし、決して身分の低いひとではなかったのでせうに、
その王さんが貴人というのですから、魯粛って身分があったというか、お金持ちだったんだなーw。いいなあ(ry

433:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 03:26:55
>>421
>税驂逆旅、問逆旅嫗
俺もお手上げ・・・○| ̄|_ナンダコリャ・・・

434:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 05:10:22
冒頭の「晋清河陸機初入洛」なんだが、
晋書の陸機伝に「至太康末、与弟雲倶入洛」とあるので
本来の原文は「晋の陸雲と陸機の二人が初めて入洛した」という意味だったんじゃないか
それが何らかの原因で混乱して「晋清河陸機」になったんじゃないかと思う
そうすると後半の一説の冒頭が「一説陸雲獨行」となって
わざわざ陸雲が「獨行」したと強調しているのもすっきりする

つまり最初のエピソード
 陸機と陸雲の二人とも王弼の幽霊に遭った(でも主役は陸機)
2番目のエピソード
 王弼の幽霊と遭ったのは陸雲だけ
ということじゃないかと推測する

435:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 05:35:57
次河南之偃師
も「次」には「いたる」の意味があるので
「河南の偃師に次(いた)る」で
河南郡の偃師県にいたるということだと思う
ただし、太平広記巻318にこの話が省略引用されていて、そこでは
「次河南、行偃師」となっているので、それを踏まえると
「河南に次り、偃師に之く」
(洛陽のある)河南郡に至り、(更に洛陽の一歩手前の)偃師県に行く
と読むのかもしれん(ちょっと表現としてくどい気もするが)

いずれにしても洛陽に着いてから偃師に向かったのではなく
洛陽に向かう途中、というか洛陽につく少し前の出来事だと思う

436:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 10:09:08
>>427
正史の魯粛ならやりそうだwww

>>434-435
GJ!!!!続きキボンヌ…

437:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 14:32:45
時に久しく結陰し、道の左を望むに民居有るが若し、因って往きて投宿するに、

時人は自分の持っているテキストでは「時久」に作っている
「結陰」は、ググルと樹木が影を作るの用例が多く出るが
謝霊運の悲哉行に「檐上雲結陰」とあり、
また張衡の南都賦に「玄雲合而重陰」という例もあるので、
恐らく空が分厚い雲に覆われて道を進むのに支障をきたすほど
暗くなったというこじゃないか
ちなみに太平広記では「結陰」を「陰晦」に作っている

難しく考えずに単に日が暮れて暗くなったというだけかもしれんが

438:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 14:38:25
お疲れです!連載みたいで続きが楽しみw

439:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 15:58:38
置易投壺の置易がさっぱりわからん

調べているうちに、太平広記巻318の他に芸文類聚巻79神と太平御覧巻884鬼下と
水経注巻16穀水にこの文章が引用されていることがわかった

>>434で王弼に会ったのは陸機と陸雲の二人じゃないかと言ったが
現行本異苑以外は陸機のエピソードとして清河の文字も陸雲もでてこないので、
現行本異苑の「晋清河陸機」の清河は単なる誤字で陸雲は関係ないかも試練

>>437の結陰についての考察も、芸文類聚と太平御覧は「時夕」としているので
難しいことは考えずに、日が暮れて暗くなったということでよさげ

440:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 16:33:49
ワクテカして待ってます!
俺は漢文が読めないからそもそも理解できないのだが
>>421はそんなに難しい文章なのか。
>>423氏も>>439氏も乙。

441:無名武将@お腹せっぷく
07/03/24 23:16:28
訳の続きを期待しつつ、同時進行で…

>>427
URLリンク(kankouha.cool.ne.jp)
>1.魯粛墓遺祉 (鎮江)     ランクC、到達
>2.鎮江魯粛墓 (鎮江北固山)ランクC、到達
>3.岳陽魯粛墓 (岳陽)    ランクB、到達
>4.亀山魯粛墓 (武漢)    ランクC、到達

江蘇省鎮江県の墓ってこの1か2じゃね?
魯粛墓は愛されてるというより恐れられて大事にされてそうだなwwww

442:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:05:02
演義のお人好しな魯粛像はどっから出てきたんかねえw

443:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:26:06
>>442
孔明の地位を相対的に高めるためじゃね?
あと、魯粛の戦略は劉備にある程度の力を持たせて曹操に対抗させるってことだから、
蜀びいきの人間からしたら、「劉備や孔明のために何故か頑張ってくれるお人好し」に見えちゃうのかもな。
まぁ何はともあれ、狂児かこいいよ狂児という結論は動かんワケだが。

444:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:33:47
>>441
狂児の墓4つもあんのかwwwwwww

445:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:38:59
一年少を見る、神姿端遠たり、置易投壺(?)、機と言論するに、玄微を妙得す。
置易投壺はわからん。現行本異苑と太平広記以外のテキストには「置易投壺」の語が
無いので、無視してもとりあえずは問題なさげ
「与機言論、妙得玄微」は、類聚と御覧は「與機言玄門妙物」に作り、水経注は
「與機言玄」とする
どのテキストも「玄」の字を共通して使っているが、王弼は周知の通り老子の注釈を
作る等、玄学すなわち老荘思想に通暁していたわけで、「妙得玄微」は「深遠な道理
(=老荘思想)を会得していた」ということじゃなかろうか

機は其の能に心服し、以って酹抗する無し。
酹抗は、現行本異苑以外は「酬(詶)抗」に作る(水経注は酬折)
酹抗にするのは恐らく現行本異苑の誤字で、酬抗と解釈して
「陸機は彼の才能に心服し、異議をさしはさめなかった」ということだと思う

「無以酹抗」の後に、水経注には「前致一辯」(前(すす)みて一辯を致す?)という
一文があるが、これもどういう意味かちょっとわからん

446:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 01:43:20
訳の続きキター(AA略
乙です!!

>>440
難しいのもあるが、異苑に誤字が多いんだと思う…


447:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 12:15:21
>>441
文革でも狂児の墓は壊さなかったのかw

448:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 18:49:06
「置易投壺」は易(書物)と投壺(ゲームの道具)を置いていたってことじゃないかな。
王弼は易と老子の注を作ってるし、三国志の注には投壺が上手だったとあるので。
王弼といえば易と投壺っていうイメージだったのかも。

449:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 20:30:54
凄い、段々解読されて来たじゃまいか

>矢をつぼに投げいれて勝ったものが負けたものに酒をのませる遊び
投壷はこれで良いのかな。

450:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 20:55:43
投壷は>>449の通り矢を壷に投げ入れる遊び。
古代中国版ダーツみたいなもの
南陽両漢画像石にその様子が描かれてる。
中公文庫版「易の世界」加地伸行編の表示を見るといいよ
王弼は義理易を創始した夭逝の天才で当時何晏などから
「鬼才現る」「あなたがネ申か」と言われた人物だから
ネ申が好きな陸兄弟が今度もまたまた別のネ申に出会ったとさ
というような話と桃割れる


451:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 21:12:06
『礼記』に投壺篇があって、投壺の礼について解説してる。
内容はおおまかには>>449なんだけど、
『礼記』で解説するくらいだから由緒正しいゲームだったんじゃまいか。
魏の時代に、どんな感じでやってたのかわからないけど。

452:無名武将@お腹せっぷく
07/03/25 21:17:01
>>424のそのゲームと本が置いてあったってことかね


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