07/02/27 11:20:03
>>65
>劉表
劉表が荊州に派遣されたとき、朝廷は董卓のものだったからな。
それに荊州は積極的に董卓に挑んできた袁術・孫堅の領地。
劉表の派遣はその力を削ぐ目的があったのだろう。
>袁術派諸侯
まあ、どちらかというと対立したのは袁紹派ってイメージだがな。
スレリンク(warhis板)
袁術はこのスレで語られてるけどバリバリの勤皇派だから。
董卓政権時代はかなり険悪だった袁術派諸侯との仲を、
李カクは見事回復してみせたってわけ。
>郭汜・樊稠の開府
あくまで個人的な見解だが、離間策ではないと思う。
折角勤皇派の袁術と結んだ李カク政権を瓦解させる理由が無いし。
そもそも袁術との結託といい、朝廷や名士たちは李カクを支持していた可能性が高いんだよね。
李カクは郭汜・樊稠より先に開府を許されてるわけだし。
だから、名士に支持されている李カクと武闘派の郭汜・樊稠の間には元から確執があったと俺は考えている。
(対馬騰戦のとき、樊稠が李カクの甥に「皆、李カクを殺したがっているんだぞ!」と怒鳴ってるな)
開府を許したのは朝廷や李カクによるご機嫌取りだったんじゃないかな。