07/02/17 15:33:11
>>366
1.呉が荊州国境地帯の増兵を行った結果蜀も急遽白帝付近の守備兵を増加、
高まった緊張を回避するために蜀から使者が送られ、両者兵を減らした。
多分365が言ってるのはコレ。
2.蜀が北伐時(諸葛亮・姜維)に呉は大差ない回数攻め込んでるし、普通に襄陽(荊州方面)の出兵も多く、
呉の三路侵攻の時、最も激しく攻め立て魏を苦しめたとされるのが朱然の襄陽(ハン城だったかな?)攻めだったように、
荊州方面からの侵攻に積極的だ。
「申し訳程度に合肥のほうに出ていって、ちょっと戦って撤退ってのはいただけない」とのことだが、根拠をお聞かせ願いたい。