07/01/24 14:27:55
>>759
どうかな、その記述が書かれるまでに213年正月の曹操の濡須侵攻を皮切りに、
翌214年に孫権が軍を進めて皖城を攻略し、215年に入り呂蒙二万、魯粛一万、
それとは別に孫権本隊が後方指揮を取りつつ荊州で劉備と争い、
同年合肥に号して10万の軍で攻め寄せ、さらに翌年曹操の儒須侵攻を受けてようやく講和。
南方の交州だのの支配を除いても連年軍事衝突を繰り返してる。
この辺りまではむしろ三国共に軍事に積極的だった気配がある。
それが三国鼎立あたりから国境線が確定してきたというか、閉塞感を感じる。