06/12/05 17:38:16
ゲームヲタと漫画厨の夢の共演だな・・・
370:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 18:22:39
>>369
子は何が得意なの?
371:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 18:49:33
>>369-370
??
372:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 21:00:42
このスレ、周瑜が孫権軍No.1が確定してる感じだけど、呂蒙や陸遜は下確定?
373:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 21:04:03
>>371
「ゲームや漫画からの三国志好きを馬鹿にされているようですが先生はさぞ中国史にお詳しいのでしょうな」
かと思われます。
374:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 21:07:59
1周瑜>曹操
2呂蒙>関羽
3陸遜>劉備
4曹操>関羽≧劉備
1~4より周瑜>呂蒙≧陸遜と見た。
375:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 21:11:15
4だけは曹操≧劉備>関羽が正しいと思うが
376:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 21:50:44
でも劉備と関羽を比べるのはちょっと難しいな。
377:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 22:20:18
>>372
その辺は周瑜が生きてる時には皆周瑜より格下だったからそのイメージ定着しちゃってるのかもね。
私的には四人とも甲乙付け難いと思うけど。
378:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 22:27:57
私的には、リクソンはどうかわからないけどリョモウやロシュクはいろんな点でシュウユに負けている気ガス。シュウユは巴丘とかの赴任で民政の手腕も発揮してるわけだし。
379:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 22:42:28
敢えて格付けするなら
周瑜=魯粛≧陸遜>呂蒙
俺はこうなる
380:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 22:51:38
偽黒の指揮官考察があったなあ。
あれ最高。
381:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 22:57:40
これか。
URLリンク(www.geocities.co.jp)
382:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 22:59:11
軍人としての能力を加味すれば
頭脳は魯粛≧周瑜でも、総合でやっぱ周瑜>魯粛>呂蒙≧陸遜
383:無名武将@お腹せっぷく
06/12/05 23:05:16
>>380
あれ呉のやつやるって言ってたのにやってなくない?
384:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 00:07:21
>>382
頭脳は魯粛そこまでいいか?(←元金持ち)
発想は周瑜と互角だとは思うが・・・
ただその魯粛をスカウトしたのが周瑜なわけで(ry
やっぱ周瑜>陸遜>呂蒙=魯粛
陸遜は夷陵でよくやったと思う。
蜀との戦いであった以上に陸遜を臆病者よばわりする味方や自分の内面との戦いだったしな。
385:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 00:10:34
そうか。周瑜はスカウトマンとしての素質も高かったわけだな。
386:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 00:20:47
>>292
遅レスになるが、周家はその時点でも没落どころか三公トップの大尉になる周忠さんが生きてるから現役バリバリの名家ですな。
家柄を考えると逆に呂蒙が一番頑張ったなと思う。
387:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 00:27:08
>>386
禿同。しかも阿蒙よばわりされたら私的には絶対頑張れない。
388:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 01:28:07
>>385
周瑜が生きていれば、ホウ統も呉の武将として征蜀に
加わっていただろうに惜しいよね
389:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 02:25:35
呉はみんなが輝いているとおもいますた。
390:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 02:55:50
>>379
おっ!気が合いますな~
391:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 03:09:52
219年が魏の勢力を大きく減衰させる最大のチャンスだったことは言うまでもない。
だが呂蒙は敢えて長江を西に上った。
215年に一応の妥協を果たして折り合いが付いたのに、漁夫の利を魏に与えることは決して得策ではない。
その三人と比較する時、呂蒙の関羽討伐に於ける長期的視野の欠如を問題にすることがある。
だが当時の彼は明日死ぬかも分からぬ身であった。
それなのに明後日のことを考えて行動しろというのは余りにも無理な話ではなかろうか?
最後の力で宿敵を捕殺し、領土を倍増する。正に大丈夫の仕事である。
392:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 06:30:18
>>391
>だが当時の彼は明日死ぬかも分からぬ身であった。
それなのに明後日のことを考えて行動しろというのは余りにも無理な話ではなかろうか?
征蜀時の周(ry
393:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 07:23:51
>>391
最期の仕事に荊州攻略を選んだのは何故かと・・・
394:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 08:05:05
>>385
つか、当時の名士の仕事って大部分が人材紹介でしょ。
>>386
魯粛は超金持ちとはいえ家柄そのものは呂蒙と大差ないよ。
395:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 09:33:32
>>394
そこまで悪くはねーだろ
孫権に「曹操に降伏したら家柄のいい私の方が優遇される」
みたいなこと言ってるんだぞ
396:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 09:40:03
>>391
>その三人と比較する時、呂蒙の関羽討伐に於ける長期的視野の欠如
その3人って周瑜魯粛陸遜のことだよね?
陸遜って戦略レベルで何かしたっけ?
何やるにも諫言に留まって自分から案を出すことはほとんど無いと思うのだけど。
397:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 10:01:42
>>395
ありゃただの脅迫だろう。
第一、自分の事を言ったものじゃないかもしれない。
398:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 10:28:01
>>394
その「超金持ちだった」というのがある意味恵まれた家柄だけどね。下手な没落貴族よりはブルジョアの方が未来が開けてたりする。
魯粛は蜀でいうと糜竺に近い家柄だと思う。代々商人として金を蓄えてたタイプ。
豪族がなんで代々官僚を輩出し得るかといえば、コネもあるだろうけど教養を独占してたからって言われてる(当時識字率とかめっちゃ低い)。
貧乏人は本も買えない教師も雇えない→何時まで経っても貧乏。
399:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 11:53:37
孫権より金持ちは呉にはいない
400:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 12:24:56
魯粛って孫呉ファンの中ではどうなの。
劉備連れてきたり、荊州貸し出しちゃったり
彼の外交って赤壁で負ける可能性大な事考えると評価できるんだろうか?
周瑜が長生きして、魯粛が先走らなかったら天下二分って考えると悔しいんで。
401:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 12:31:07
赤壁で負けるようならそもそも荊州進出なんて不可能
天下二分なんて夢でしかない
また劉備と結んだお陰で赤壁戦後の荊州進出がスムーズにいった
天下二分を惜しむならなおのこと魯粛の独断をたかく評価するはずだが
402:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 12:51:29
そもそも常識的に考えて、1州を貸し出すなんてことがあり得るだろうか?
403:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 13:28:11
大体孫権は荊州にとっては侵略者
よく荊州南部を取った劉備が火事場泥棒みたいに言われるが、荊州側からすれば火事場泥棒は孫権たち
劉キから荊州刺史を受け継いだならまた別だろうが、牧位は劉備が名乗った
孫権は荊州においては名目的には劉備が支配者になってしまい、所有権を主張できないのだ
劉備は孫権を追い出そうとすることも出来たわけで、事を荒だてて曹操の介入を招いたり全てを失ったりするよりは、
「益州を取ったら返してもらう」
と一応は手形を取り、「貸してあげる」と(本来ならないはずの)自分の所有権をさりげなく主張して劉備に恩を売った
言い方を変えると、貸さなかったら荊州側(劉備)とその段階で軍事衝突していた可能性が高い
魯粛としては荊州において軍事的に完全に優位に立てる状態での再征服を狙い、同時に漸進的な返還交渉も進める、というところだったんだろう
404:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 14:10:57
>>403
それを踏まえて荊州に親呉勢力を作ったようにもみえるね。
劉備も反曹操のアピールしてるし手を組むのもありだろう、と。
ただこれをもとに北上したのかっていうと微妙だよなあ。
405:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 18:56:10
長文書く奴ウザイ
偉く見えるとでも思ってんのか?
406:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 18:58:23
思ってないだろうw考察したいだけだろw
407:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 19:27:07
この程度の分量で長文とか言ってるやつって文盲じゃね?
408:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 19:47:30
本人激怒小さいね
409: ◆PPS.TEm3VU
06/12/06 20:52:41
しゅうゆちゃんはばかですよね
410:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 21:39:10
哀れ無双厨には3行以上は長文なんだろ
ほっとけ
411:無名武将@お腹せっぷく
06/12/06 22:59:58
==============糸冬 了 ==========================
412:無名武将@お腹せっぷく
06/12/07 17:21:05
終了スレを乗っ取りましゅ。
魏 呉 蜀 他
曹操 真田弘幸 孫堅 反町隆史 劉備 竹野内豊 董卓 西田敏行
夏候惇 渡辺謙 孫策 もこみち 関羽 織田祐二 呂布 江口洋介
夏候淵 佐藤浩市 孫権 ウェンツ 張飛 香取慎吾 張角 柳葉敏郎
荀彧 中居正広 周瑜 玉木宏 諸葛亮 木村拓哉 袁紹 中井貴一
郭嘉 オダギリジョー 魯粛 吉岡秀隆 趙雲 長瀬智也 公孫サン 時任三郎
曹仁 田辺誠一 呂蒙 堂本剛 魏延 阿部寛 王允 稲垣吾郎
曹丕 藤原竜也 陸遜 山下智久 関平 二宮和也
曹稙 松本潤 諸葛謹 草薙剛 馬超 岡田准一
甄姫 沢尻エリカ 甘寧 坂口憲二 姜維 妻夫木聡
司馬懿 ユースケ 凌統 小池徹平
ドラマ化希望
413:無名武将@お腹せっぷく
06/12/07 17:26:04
そういや呂蒙だけが他の三者と面識があり言葉も交わしてるんだよな。
414:無名武将@お腹せっぷく
06/12/07 18:08:18
>>413
周瑜と陸遜て話してそうでも残ってないよね
415:無名武将@お腹せっぷく
06/12/07 19:25:30
周瑜が中央に居た頃は陸遜は南方に居たし、陸遜が中央に復帰した頃には周瑜は荊州方面の最前線に居るみたいな感じかな多分。
416:無名武将@お腹せっぷく
06/12/07 22:12:09
北方とかじゃリクソンはシュウユに可愛がられている副官で、シュウユの死後、その遺志をリョウトウと継ぐ、みたいな描かれ方をされていたけどやっぱフィクションなのかな。
417:無名武将@お腹せっぷく
06/12/07 22:53:51
フィクションだよ
418:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 00:11:28
>>400
劉備連れて来た事も荊州貸与も当時取り得る孫呉が独立独歩の道を行く為の最善手
419:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 02:24:06
陸家は呉越地方きっての豪族の一つで孫家よりも家柄がよく
孫権はかなり早い段階で陸遜を抱き込むために孫策の娘を使って姻戚にした
よって周瑜も陸遜と挨拶する機会くらいはその時にあったんじゃないか
その後、呉のためを思った実になる会話ができたかはわからんけど
420:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 11:45:22
つか、孫策が袁術の命令で陸氏一族をぶっ殺しまくって
最悪に悪化した関係を周瑜が修復した。
421:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 12:35:06
>陸氏一族をぶっ殺しまくって
?
422:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 12:41:33
いや、孫策が当時の陸氏を弾圧したのはわかるが、周瑜が修復したなんて初耳だぞ。
423:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 12:44:41
>>421
420じゃないが、孫策が袁術を頼ってた時、袁術が廬江太守・陸康(当時の陸家の当主)の討伐を
命じて、それを遂行した。
このせいで陸康含む一族の半分以上が死んで陸家は空中分解状態になったんだよ。
424:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 13:02:06
その上生き残りの一人である陸議(字:伯言)は
のちに孫権に仕えてから(詳細な時期は不明だが)「遜」と改名している
漢字の中に「孫」の文字が入っているとはいえ意味的にはそんなにいいもんじゃない
「忠」とか「謙」という名前もあるから悪いってわけでもないだろうけど…
ぶっちゃけ謀反の可能性を疑われないようにするために
彼は若い頃から相当苦労してたと思う
地方の賊討伐から経歴重ねた理由の一つもそれかもしれない
425:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 13:33:39
>>420
周瑜が修復、というよりは孫策との間にたって陸家と孫策の亀裂を戻そうととりなした、ぐらいじゃね?
426:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 13:44:12
つーか何故に周瑜が、孫家と陸家の仲を修復とかとりなしたとかになるんだか
427:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 14:20:12
張昭のほうがまだ分かる気がする
428:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 14:51:06
陸家潰しは、時系列でいえば張昭は孫策のところにもういた頃?
周瑜は丹陽のおじさんのところか居巣殿の頃?どの辺?
429:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 16:45:17
>>423
孫策が陸氏一族をぶっ殺しまくったわけじゃなくね?
430:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 22:32:00
>>429
孫策によって攻城戦を仕掛けられ城内では餓死者が続出
陸氏も例外ではなく一族郎党の大半が死亡
431:無名武将@お腹せっぷく
06/12/08 22:39:23
>>430
ソースは陸康伝じゃないのかな?
陸康伝だと陸康が死んだのが落城後でその後、離散し飢餓や災厄にあって半数が死亡だと思うんだけど…
432:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 00:14:52
程普は最長老だし、赤壁時にはシュウユと並んで
責任者だったし、面子に入っていないのはなぜ?
433:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 00:18:15
陸抗って孫策の孫にもあたるんだよね
434:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 00:26:55
程普は大好きだけどこの4人に程普入れると流石に浮くので勘弁して下さい
435:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 01:10:51
浮くっつーか、沈む…
436:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 02:15:56
>>435
ワラタwwwwwwwwwww
『周瑜 程普 魯粛 呂蒙 陸遜 呉の軍師を語るスレ』
ちょっと無理があるなw
437:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 04:57:21
てか、周瑜が生きてても益州は呉のものにはなってないんじゃね?
解決しなきゃならない問題が結構あるし、何より曹仁に時間が
かかったせいで魏にも余裕が生まれたし。むしろ、周瑜が
生きてても劉備が入蜀した可能性の方が高いきがする。
438:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 07:06:53
孫権が合肥にいかないでちゃんと周瑜を救援しに行ったらどうなったか?
439:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 08:52:23
皆演義で酷く描かれてるなw
440:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 10:50:02
>>434
気合入れて飲み会セッテイングしたのに4人にドタキャンされてそうだ・・・
441:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 11:22:30
演義
周瑜 : 諸葛亮出てこなければ名将。諸葛亮出てきたら二流。性格も小物。舐めんな羅貫中
魯粛 : OTL
呂蒙 : それなりに名将。でも何あの死に様。酷くね?
陸遜 : ガチで名将
正史
周瑜 : 頭良し、顔良し、性格良し、義理堅い、生き様かっこよすぎ。完璧すぎます。
魯粛 : 天下三分の計の真の立役者。演義のお人好しと比べると別人すぎます。誰てめぇw
呂蒙 : 三国志最大の努力家。彼の死の際の美談は泣かされます。全然呪いじゃないじゃん!
陸遜 : やっぱり名将。演義との差が一番少ないけど最後が切な過ぎ……
442:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 18:11:14
ただ、呂粛の演義と正史の共通点は天下二分をまんまと
三分に利用されたってことかな。案外、蜀からみた呂粛って
演義のあれで間違ってないんじゃない?周瑜も同じ感じじゃないのだろか
443:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 18:57:23
演義の周瑜は、諸葛亮に翻弄されて最後は憤死するような激情家に描かれているけど
それは諸葛亮の引き立て役にするためにそういう風に描かれているだけであって
実際は穏やかかつ冷静な人間だったらしい。
正直、正史の周瑜と演義の諸葛亮に対してヒスを起こす周瑜が結びつかない。
444:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 19:11:57
演義の陸遜は迷路で迷った以外は名将になってるね。
445:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 19:18:16
>>442
呂粛って誰?魯粛のこと?呂蒙と魯粛のこと?どっちにしろ分かりにくい。
446:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 20:42:09
>>442
間違ってる
お前も演義も
447:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 22:38:15
演義は創作物なんだから間違ってるも間違ってないもないだろ
448:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 23:04:26
問題は、演義を創作物だと気付いていない厨の側にある
449:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 23:33:50
魯粛と周瑜がやろうとしたことが当時の劉備達にとって都合が
よかったって解釈は間違ってないと思うぞ。
そういう観点から見れば蜀主観の演義での魯粛と周瑜の扱いは
当然と言えば当然なんじゃね?あくまでも蜀からみればの話だけど
450:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 23:34:48
演義でも演義の中にちゃんと書いてあることなら、
それについて正否を語り合ってもいいんじゃないか。
ただ広げるのは難しいかもしれないけど。
451:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 23:47:35
丁奉の不当評価のほうがひどい
呉の伊達男なんだから陳武よりは上にしてほしい。
大将軍、大司馬クラスなんだから周ユと比較されるべき。
452:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 23:52:34
演義では呉武将は当て馬扱いだからな
一切不当評価されてない武将の方が少ない
病死なのに蜀や魏の武将に殺されたことにされている武将も多いしな
453:無名武将@お腹せっぷく
06/12/09 23:54:00
丁奉って演義じゃ活躍してるほうだろ
そもそも陳武生存時に陳武より下なのは当たり前だ
454:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 00:24:29
>>451
…本当に演義読んだことあんの?張遼を射殺したとこから始まり後半の呉は殆どこいつの1人舞台だぞ…
むしろ正史では出世してからは大した結果残してないのに。
455:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 00:58:24
>大将軍、大司馬クラスなんだから周ユと比較されるべき
位階と能力は必ずしも一致するわけじゃないって何度言われれば…
456:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 01:10:21
そりゃあ周瑜が生きていた頃は、大将軍大司馬なんて孫権には命じられないしね。
457:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 01:27:51
解かるだろう、阿童
458:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 01:39:46
それは名ではあるまい
459:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 02:39:34
ば、 馬………
460:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 11:50:26
まーさん
461:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 22:11:59
最近コーエーも呉の人物の能力高くしすぎ。
正史でみると
甘寧、トウシュウ、陳武、周泰が武功が多い。
それ以外の武将も不当に80台にしやがって。
韓当とかタイシジとか下げてほしい。
462:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 22:26:50
>>461
ちょwwwwwwおまwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
463:無名武将@お腹せっぷく
06/12/10 23:12:28
>>461
まあ普通にスレ違いなんでしかるべき場所でやってください。
464:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 00:52:38
文学スレで宋代の同士ハケーン
蘇東坡先生と気が合いそうだ。
465:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 11:10:14
周瑜は昔から大人気なのか…
寿命以外に何か欠点はないものかチクソウw
466:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 12:56:14
息子の嫁さんが悪女。
467:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 13:00:12
嫁さんが恐妻。
468:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 15:40:13
>>467
それは演技が元の民間伝承では?
469:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 15:49:47
じゃあ、息子が不出来
470:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 15:55:11
>>468
確か三国志平話にそれらしいのがある、と聞いた気がする(伝聞情報)
471:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 16:07:54
不出来とかいう以前に早世。
こんなところだけ親父そっくり。
472:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 17:06:15
民間伝承では、小喬は開戦を決意せず
自分を曹操に渡そうとする周瑜に怒ってハサミを投げるんじゃなかった?
そして周瑜は開戦を決意と。
そしたら「開戦を決意せず~」のとこが既に演義の元?だから
小喬恐妻説も講談の類というか、民間伝承なのでは?
記憶だから違ったらゴメン
473:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 17:39:01
長男は父に似て外見も頭も良し、将来有望だったが(嘘かどうか知らないけど双頭の蛇エピソードまで存在)早世なところまで父に似てすぐ逝った。
次男はひねくれたエロリアンで最後は流刑オチ。娘はどこへ嫁いだんだっけ?
474:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 17:41:46
孫登
475:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 17:43:29
周瑜の弱点は息子だな!
・・・・本人じゃないじゃまいか('A`)
476:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 18:01:14
お前らホント周瑜好きだなwたまには呂蒙でも語ってやろうぜ。
とりあえず知勇兼備を絵に描いたような男だ。
477:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 19:24:00
でも絵に描くなら周瑜の方が映えるよね
478:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 19:24:31
.|::::::::::::::::
.6⌒|⌒| | 曹操はニ喬を狙っています。 |::::::::::::::::
ハァハァ [二二] | とても危機です。 .|::::::::::::::::
(#´Д`) < |::::::::::::::::
/´》 (》  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |::::::::::::::::
.( ) ゚ ゚)ヽ ドウ見テモ危険ナノハ貴様ノ方ダロガ… .|::::::::::::::::
.| \__.■□_ ∧ ∧ |::::::::::::::::
.| ||つ■O》 / ヽ / ヽ .|::::::::::::::::
./\_||■□||/ / `、___/ :::`、 ( ̄):::::::::::
/ | □■~\ / :::::\.( ̄):::::::::::
`ヽ_| |__\ ヽ .l ノ( 周瑜 :::: ( ̄):::::::::::
.| ) | ) | ⌒ -=・=- -=・=-:::::.( ̄)::::::::::
/ / / / .| \___/ ::::::::::::| ̄:::::::::::
/ / (___) ヽ \ / ::::::::::::::::|::::::::::::::::
(___) \  ̄ ::::::::::::/|::::::::::::::::
479:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 19:25:34
>>478
懐かしいな、おいw
480:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 19:34:54
呂蒙は単家の出なんだっけ?
481:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 19:42:50
周瑜単発スレじゃあんまり盛り上がらないのに
ここや1年か半年ぐらい前にたった周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜議論スレとかじゃ周瑜大人気だよなw
なんでだろテラフシギス
482:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 19:58:21
>>480
「貧しく賤しい家」出身らしいけど、お姉さんがちょっとした軍人に嫁いだ縁を頼って孫策軍入りを果たしてる。
483:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 20:01:57
>>481
単独スレだとネタが続かず落ちるが
四人もいると、適当に他の人物を語りつつ
「そういえばこの場面の周瑜はすごい」的な話が出来るから?と推測
484:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 21:29:02
しかし甘寧って呂蒙に何から何までお世話になりまくってるよな。
甘寧伝見てると呂蒙より年上とはとてもじゃないけど思えないってw
485:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 21:58:39
年上どころか1世代上だしな。20歳くらい離れてる。
486:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 22:15:33
料理人事件とか見るともう目から涙が(ry
487:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 23:30:55
甘寧が呂蒙にかけた迷惑とか呂蒙がしてあげたお世話とかはこんなもんか
・呂蒙、周瑜と一緒に甘寧を推薦
・呂蒙の進言により夷陵で窮地にたった甘寧を救出
・無闇な殺戮を好む甘寧に腹を立ててた孫権に対し呂蒙は甘寧を乱世に得難き名将と言ってフォロー
・淩統と甘寧の殺し合いに刀を持って間に入って殺し合いを止める
・料理人事件で料理人殺さないという約束を破った甘寧に腹を立てて
軍隊つれてぶっ殺そうとするも呂蒙母が止めたため呂蒙が折れて仲直り
488:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 23:34:23
甘寧ってつくづく面白い奴だなw
489:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 23:43:21
そこが甘寧のいいところじゃん。
490:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 23:44:17
でも結局料理人殺しちゃったんだよな。
呂蒙も苦労が絶えないな。
491:無名武将@お腹せっぷく
06/12/11 23:58:02
たまにキレる事あるけど呂蒙って良い人だよな
492:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 00:32:07
甘い寧日・・・名前負けにも程があるw
493:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 00:40:32
カンネイってそんなに酷い奴だったのか・・・・・
所詮中国人 所詮海賊か
494:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 00:41:08
そんな(ry
495:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 00:48:53
でも武勇抜群。
100人で曹軍50万に殴りこんで生還してきたりする。
496:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 00:55:25
にぃめんはお
497:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 00:58:52
海賊じゃないぉ。川賊だぉ。
498:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 07:46:41
甘寧の料理人頃しでヒドイのは、
その場で怒りに任せて殴り頃したとか斬り頃したならともかく
一度料理人が逃げ込んだ呂蒙の家で頃すんじゃねーぞと
釘さされたにもかかわらず、自分ちに連れ帰ったら
庭の木に縛り付けて弓矢で射頃したところだな
ひょっとしたら連れ帰ってから射頃すまでの間に
また料理人が何かしでかしたとか
もともと料理人のほうに、浅学で底辺出身の甘寧を見下すふいんき(何故かry
があったのかもしれんが
人に説得されて冷静さを取り戻したはずの人間が使用人を冷静に頃すってのは
命が軽い昔の倫理観の中でも、かなり人道にもとることだと思う
しかし賊時代はもうざっくざっくと男を頃し女を犯してたはずだから
周瑜も魯粛も呂蒙もそのへんの気性はわかってて重用したんだよな…
現代だとまるっきりヤクザ気質が残ってるままの奴を社の重役にしたというか
499:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 11:58:05
重役ではないような。
呂蒙の母も呂蒙に対して、「お前が甘寧を殺しても君主は何も言わないだろうけど」
みたいなこといってるし。
500:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 12:50:45
でも最後のころはカンネー呉の主力じゃん。合肥とか江陵とか。
501:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 12:52:16
次からは周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜 甘寧 呉の人々を語るスレ にしようなw
502:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 14:25:52
不良親父の甘寧と友人だった呂蒙は偉いなあ。
孫権に壁に穴空けるほど心配されてるし。
503:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 15:36:17
>>500
そうでもないと思うけど…合肥も江陵も凌統とかと殆ど変わらぬ活躍だし。
>>502
孫権に一番寵愛された武将かもね。
504:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 15:48:40
凌統の方が完璧超人かも
江陵戦とき何歳よあいつ
夭折したからかもしれんが伝に批判的な話まるで見えないし
505:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 15:58:48
父凌操が203年の黄祖討伐で死に、この時15だった凌統が後を継いで軍人デビュー。
江陵戦が208~209年にかけてだからちょうど20前後じゃないか?
ただ本人の伝に批判記事が載っちゃうのは相当な問題があった奴だけだと思うぞ。
甘寧・潘璋とかw
506:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 16:39:20
陳寿は魏はもちろん蜀も呉も穏当に書いてるからな
まあでも呉は、他二つに比べちょっと辛口めなのかな
507:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 17:53:24
唯一陳寿に関係なかった国でもあるしな。
508:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 17:56:23
潘璋の検索結果
URLリンク(search.yahoo.co.jp)
何故そこでジョコンヌが出てくるorz
509:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 18:28:57
わけわかんねい
510:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 20:49:56
>>508
これはワラタ
511:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 22:28:34
>>508
ゲキワロタwww
徐晃 ではありませんか?じゃねーよ。バヤ。
512:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 22:52:13
>>502
呂蒙も不良っていうか悪ガキだったから甘寧
お互い理解しあい、魅かれるところがあったのかも
孫策に側近に抜擢されなかったらヤクザ街道まっしぐら?
呂蒙は孫策・周瑜の戦いぶりを間近で見てきたのを最大限に
生かしていると思う。個人的には三国志の人物の中での成長率No1
2位3位は孫権・張飛あたりかな
513:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 22:57:13
呂蒙はもうちょっと評価されてもいいよね。
514:無名武将@お腹せっぷく
06/12/12 23:26:46
というか呉全員な。
515:無名武将@お腹せっぷく
06/12/13 00:16:05
周瑜は赤壁とか天下二分の壮大な戦略とかスケールのでかさが凄いと思わせるのに対し
呂蒙は調略とか関羽攻略で兵士の闘争心を奪うとか戦い方が巧いと思わせるよな。
516:無名武将@お腹せっぷく
06/12/13 02:53:15
>>508
これはウケタww
なんで徐晃なんて微妙にマイナーな名前がw
スクロールしてったら下でも 徐晃 ではありませんか? って聞かれてまたワロタw
517:うぃきより
06/12/14 23:38:16
揚州廬江郡の人。周氏はその人士の中から三公の一つである太尉を二名も出した実績を誇る江東屈指の名家。周郎の異名を持ち
(孫策は孫郎と呼ばれた)、若くして立派な風采を整えていた。またとても鋭い音感をもっており、
演奏を聴いていると、たとえ酔っ払っていても僅かな間違いを聞き取った。これより「音を間違えると周郎が振り向く」といわれた。
孫堅が兵を挙げると息子の孫策やその家族を周瑜の家の近くに住まわせた(揚州に居た孫策に周瑜が出会い、そこで仲良くなり周瑜が
家を用意し自分の家の隣に住まわせたという説もある)。そのとき周瑜は同じ年で有ったこともあり仲良くなり、「断金の交(金属を
断つほどの強い契り)」を結んだ。孫堅亡き後、袁術の元にいた孫策が江東(呉)へ軍を挙げると(194年)、周瑜もこれに付き添い、功績を挙げた。
孫策が亡くなった後、呉の家臣たちが後を継いだ孫権を仲間気分で扱うことに国家の危機を感じ、一番初めに孫権に臣下の礼をとり、他の者もそれに
ならったとされる。孫策は「内事は張昭に、外事は周瑜に任せよ」と遺言し、これより呉の大都督となり呉の軍隊をよく整備した。
518:うぃきより
06/12/14 23:41:11
『三国志』(正史)においては、周瑜は穏やかな性格の持ち主で度量も大きかったと記されている。また、人の心を掴むことが得意だったらしい。
その証拠として、赤壁の戦い時の周瑜と程普の関係がある。
程普は孫堅以来呉に使えてきた武勇と知略に優れた宿将であり、また呉の臣の中でも最年長で周りの者から「程公」と慕われていた呉きっての武将である。
しかし、この程普は自分よりかなり若輩でありながら高い位にいる周瑜のことを嫌っており、また周瑜の方も程普のことを好いてはおらず、
二人の犬猿の仲は呉の中で知らぬ者が居ないほど有名だった。孫権の信頼篤き重臣諸葛瑾はこの二人を赤壁の戦いの司令官とすることを孫権に図ったのである。
果たして周瑜は(諸葛瑾の案も借りて)上半身裸となり、鞭を背負って程普の元へ行き、跪いた(「刎頚の交わり」を模したもの)。驚いた程普は周瑜に上着を着せ
手を取って労わり、以後二人は親友の仲となった。後に孫権はこの周瑜が自らが遜って講和をした策を高く評価したという。
また、曹操や劉備は周瑜の才能を恐れ、曹操は家臣の蒋幹を使者として周瑜の引き抜きを図り、劉備は孫権に虚言を述べて、孫権と周瑜を離間させようと図ったほどである。
つまり、周瑜はそれほど彼らから危険人物と見なされていたのだ。これらを見てもわかるように、演義における周瑜は諸葛亮を引き立てるための虚像で、
実際の周瑜は知略・武略に優れ、誰からも慕われた人物だったのである。実際に、諸葛亮よりも早く天下を分けることを孫権に提案しているのである。
そして、それを実行に移す直前に死亡してしまうのだ。もしも周瑜があと一年長く生きていたら、後の中国の歴史は大きく変わっていただろうといわれている
519:うぃきより
06/12/14 23:42:17
『三国志演義』の周瑜は、赤壁の戦いの諸葛亮の功労を誇張しようという著者の創作で、激しやすい性格のために諸葛亮に翻弄される、損な役回りを負わされている。
赤壁の戦いでは曹操に降りるように孫権に進言しようとしていたが、交渉に来た諸葛亮の話で「曹操が自分と孫策の妻を欲しがっている」ということを聞かされると
怒り狂って曹操に戦うようにと孫権に進言し呉が曹操と対抗するきっかけを作った。その後諸葛亮と共に赤壁の戦いの策を練るが、諸葛亮に自分が立てた策を全て見透かされたうえ
諸葛亮の暗殺を考えている狭量な人物として描かれている。また、臨終の際に「天はこの世に周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮をも生んだのだ!」と嘆いており、
かませ犬的な扱いがはっきりしている。
なお京劇では周瑜は「美周郎」のあだ名の通り、二枚目が演じる役とされており、
眉目秀麗な英雄としてのイメージが定着している。
520:無名武将@お腹せっぷく
06/12/15 08:55:13
まあ蜀偏重&史実より物語重視の演義にしてみれば
諸葛亮にとっては司馬懿が宿命のライバルで周瑜は前座だからね…
むしろ民間伝承の中にはもっと悪質に周瑜をおとしめたものもあったそうで
あのレベルに抑えた羅漢中はマシかもしれない
超どうでもいいが、今『羅漢中』が一発変換できて
単語登録もしてないのに!とぶったまげたが
よく考えたら仏教かなにかの用語で『羅漢』て熟語があったっけな
521:無名武将@お腹せっぷく
06/12/15 11:02:52
羅貫中?羅漢中?
522:無名武将@お腹せっぷく
06/12/16 07:17:16
>>520
でも実際諸葛亮の方がすごかったんでしょ?
周瑜は戦いには強かったけど諸葛亮は軍師としても活躍したんだし。
523:無名武将@お腹せっぷく
06/12/16 07:45:58
>>522
諸葛亮→劉禅
かもしれないが、
周瑜 →孫権
でもある
524:無名武将@お腹せっぷく
06/12/16 14:38:27
孫権>>劉禅
だから諸葛亮のほうがすごいって意味か?
525:無名武将@お腹せっぷく
06/12/16 20:05:54
>>524
ちょwwwwそりゃ違うだろwwwww
526:無名武将@お腹せっぷく
06/12/16 20:38:23
羅漢仁王拳
527:無名武将@お腹せっぷく
06/12/16 20:57:19
周瑜「明日の件、夜九時までに電話して」
呂蒙「うん、夜九時までに電話する」
陸遜「お願いね」
呂蒙「魯粛にも電話するね」
魯粛「俺はいいよ・・・俺にかけると電話代かかっちゃうし」
周瑜「あ、そっか。魯粛はソフトバンクじゃないもんね」
魯粛「ごめん」
呂蒙「気にしなくていいよ」
陸遜「魯粛が悪いんじゃないし」
528:無名武将@お腹せっぷく
06/12/16 21:00:22
>>527
孫氏サイアクだな
529:無名武将@お腹せっぷく
06/12/17 03:05:54
ヨソウガイデス
530:無名武将@お腹せっぷく
06/12/18 00:05:29
陸遜に魯粛呼ばわりかw
531:無名武将@お腹せっぷく
06/12/18 15:07:46
なにげに周瑜イニシアティブ握ってるなw
532:無名武将@お腹せっぷく
06/12/18 16:34:31
北斗残悔拳
533:無名武将@お腹せっぷく
06/12/19 23:13:24
>>520
でも同じく講談の類によって周朗=色男のイメージが固まったとも言えるな。嫁さんと合わせてラブストーリーが映えるらしい。
534:無名武将@お腹せっぷく
06/12/20 19:45:04
>>520
あれ、正史に〔美周朗〕のニックネーム記載されてなかったっけ?
異様に過疎ってきたage
535:無名武将@お腹せっぷく
06/12/20 20:38:46
周瑜以下陸遜まで呉は軍師っていうより軍総司令官な位置だけど
孔明って劉備がいる時って後方担当で軍師として出ていたっけ?
方正の方が軍師っぽい。孔明って北伐でもほとんど勝ってないし。
むしろ内政の孔明がすばらしいんで軍師として周瑜以下の呉より上って納得いかない。
孔明こそ演義と正史の評価の違う奴だと思う。でも肉まんは好きだよ。
536:無名武将@お腹せっぷく
06/12/20 21:35:25
>>534
「周朗と呼ばれ親しまれてた」とか「優れた容貌だった」とかはあるけど、そのままズバリ「美周朗」はないと思う。
>>535
522も伝聞みたいだし良く知らないんでしょうからさらっと流せばいいよ。下手に絡んで変なのに居座られても嫌だし。
537:無名武将@お腹せっぷく
06/12/20 23:15:17
重箱の隅だが、郎だと思う。
538:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 12:09:53
>>535
劉備が益州を乗っ取った時の諸葛亮の官位は
「軍師将軍」
軍師してるよ
539:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 18:53:27
>>538
なら
「捕虜将軍」
の李典は捕虜でもしてたのですか?
「軍師」が軍参謀を指して使われるようになるのは三国志よりずっと後らしいよ。
540:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 19:08:52
じゃあ当時の軍師の意味は?
541:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 19:30:40
役職名の一つで、「新字源」によれば軍内部行政・司法を担当の高官。
と書くといかにも博識な感じだが、某ブログより勝手に拝借してるだけという…
542:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 20:41:13
俺漢字読めない><
備以諸葛亮為軍師中郎將,〔軍師,亦古將軍號。曹操初置軍師祭酒,
而備置軍師中郎將,皆以一時軍事創置官名也。然軍師祭酒止決軍謀,
中郎將則有兵柄。亮後又進軍師將軍。〕
543:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 21:37:46
軍師といえば周喩
544:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 21:42:39
>>542
どこの文か知らんが、軍師は軍謀を決めると書かれてるな
今の軍師と同じじゃないの?
545:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 22:09:56
>>539
「虜」には敵という意味もある。
多分捕虜将軍の「捕虜」は敵を捕らえるって意味だと思う。
546:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 22:18:49
「敵を捕う」の意だな
547:無名武将@お腹せっぷく
06/12/21 23:01:47
討虜、破虜などの将軍号もあるしな
548:無名武将@お腹せっぷく
06/12/22 00:20:03
捕虜将軍wwwwwwww
今年一番笑ったかもしれないw
549:無名武将@お腹せっぷく
06/12/22 00:35:24
どこらへんが面白かったんだ?
550:無名武将@お腹せっぷく
06/12/22 10:38:39
>>544
グーグル先生に聞いたところどうも資治通鑑に胡三省が付けた注釈の一部っぽい。俺は原本持ってないんで確認は出来ないが。
俺も漢文の教養はないけど、「軍師祭酒止決軍謀」は曹操が198年に初めて置いた「軍師祭酒(軍祭酒)」の説明で、
劉備が設置した軍師中郎將の説明は「中郎將則有兵柄」の方じゃないかと。
>>545
ようは現代日本とは違う用法で使われてるのだから、そんな修飾語句をもって「(現代の我々が言う)軍師だった」するのは無理があると。
551:無名武将@お腹せっぷく
06/12/22 18:38:06
・軍師,亦古將軍號。
→軍師、また古の将軍の号。
・曹操初置軍師祭酒,而備置軍師中郎將,皆以一時軍事創置官名也。
→曹操、初めて軍師祭酒を置き、而して備、軍師中郎将を置き、皆一時の軍事を以って官名を創置するなり。
・然軍師祭酒止決軍謀,中郎將則有兵柄。
→然れども軍師祭酒は軍謀を決っするに止まり、中郎将は則ち兵柄有り。
・亮後又進軍師將軍。
→亮、後に又軍師将軍に進む。
※「軍師祭酒は軍略だけで、軍師中郎将は兵を動かす権力もあるよ」ってことだね。
読み下しの間違い部分には目をつぶれ。
552:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 03:45:31
むむむ
553:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 04:47:45
>>552
言わないぞ。
554:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 12:03:20
何が 言わないぞ。 だ
555:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 14:05:47
はははこやつめ
556:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 18:07:55
板違いだ。
続きは中国英雄板でやれ。
557:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 20:08:59
周瑜の天下二分て劉備擁立なんですか?
558:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 21:02:26
>>557
「呉書見聞」という有名サイトでその説をぶち上げてるから有名だけど、他の考えも十分できると思うよ。
559:無名武将@お腹せっぷく
06/12/23 22:10:38
>>557
個人的には違うと思う
560:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 00:38:43
周瑜のヌード写真流出
スレリンク(warhis板:1-100番)
561:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 00:46:31
献帝に対抗して劉備皇帝ってことか
562:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 01:20:26
関張を左右として使い北に対抗するにはそれしかないだろうね。
ただそれをやると孫権の立場が浮く。
まあ所詮周瑜は後漢朝の家来に過ぎなかったということだろう。
その意味で孫権が信用できる絶対的な家来は魯粛、呂蒙の二人だけ。陸遜は微妙。
563:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 01:51:51
孫権の評価は周瑜が一番
魯粛は最下位
564:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 03:11:23
孫権の評価が高く一番頼りにしてたのは間違いなく周瑜だと思うが
孫権が最も配下として信用していたのは呂蒙だろうな。
565:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 03:32:35
周ユは孫権が子供の頃からの知り合いだし(義理の兄?)、孫策死亡時にもし周ユいなかったら最悪の場合あそこで呉は滅びてたから孫権はかなり周ユの事信頼してたと思うんだけどな。
演義じゃいろいろ違うけど史実じゃ孫権の母も周ユよりだったみたいだし。
566:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 04:54:58
そりゃ孫権個人としては人間関係含めて周瑜に勝る頼れる人はいないだろう
ただ、孫氏政権の主としては特別な背景を持たない呂蒙はとても気易いだろうな
567:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 07:31:19
問題はそのどちらも早死になんだよなあ…
孫家はブラック企業なのか…
568:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 09:10:06
つ[長江の貝の中の寄生虫]
つ[孫権腹黒]
(´・ω・`)?
569:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 09:18:48
>>568
上は伴野朗 の『呉・三国志4』
下は桐野作人の『三国志蒼竜伝―周瑜・中原制覇の軍略』か
570:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 09:37:11
孫権にとって呂蒙はあれだ、初めて部活で出来たなついてくる後輩みたいなもんか
571:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 10:27:16
>>562
まず関張を使うにはそれしかないと言うけど、実際にわざわざ皇帝に担ぎ上げずとも既に周瑜は張飛を借りて使っているし、
関羽も考えようによっては同様(劉備が南部4群を攻めてた説をとるなら)。これを目的に劉備を担ぎたかったするには動機が弱いかと。
しかも周瑜の主張の根幹は「関羽・張飛を部下にしたい」という人材獲得の希望ではなく
「劉備に基盤を与え、股肱の2人と一緒に行動させればいつか絶対に脅威となりうる」という危機の警鐘の方だろうし。
次に現に都に本物の皇帝が居て、漢王室の体裁が曲がりなりにも整えられたままにも関わらず、
何処の馬の骨ともわからない劉備を「これ皇帝だから」と担ぎ上げて本当にメリットあるのか疑問。
形骸化したとはいえ朝廷の権威は遠く呉の地ですら未だ厳然と作用していたし、
こんな文字通りの反逆行為を行えば、大義名分を失い人心は離れ曹操勢力を勢いづけることにしかならないだろう。
「曹操こそ漢室の逆賊なのだから孫家が取り除かなければならない」という周瑜の主張がオジャン。
近い過去に袁紹の劉虞奉戴もあっさり頓挫してるし、周瑜がこんな自爆まがいの策を取るとも俺には思えない。
人心を失えば袁術張りの末路を辿るのがオチ。
そもそもこの説って「劉備を奉戴しよう」という明確な意思表示は一切本文になく深読みの類なわけで、
面白い説だけど、どうしても根拠に乏しい。主張の立脚点からして周瑜の言葉の裏の、言ってしまえばただの憶測。
最後に「周瑜は後漢朝の家来に過ぎなかった」というのが一番違和感ある。何故そう思ったのか聞かせて欲しい。
この説が仮に事実だったとしても勝手に皇帝を担ぎ上げようという不逞のやから以外のなにものでもないし、
そうじゃなくても魯粛に「正直言って漢室そろそろ終わる。次は孫家が来るね」と語っているのをどう捉えているの?
572:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 16:41:05
まあ、劉関張は天下に名が轟いていたから、手に入れたかったというのはあるだろうな。
573:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 17:50:35
周瑜→天下取りしてぇ。益州取って涼州と手を組んで曹操と大戦争じゃ。
魯粛・孫権→堅実にいこう。とりあえず三国鼎立。
劉備一家→根拠地欲しいなー。具体的に言うと蜀。
ありゃ、周瑜だけ仲間はずれなのね。
574:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 19:02:11
周瑜・孫策→天下取りしてぇ。益州取って涼州と手を組んで曹操と大戦争じゃ。
魯粛・孫権→堅実にいこう。とりあえず三国鼎立。
劉備一家→根拠地欲しいなー。具体的に言うと蜀。
575:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 22:05:59
>>570
嬉しいよな。大事にしたくなるよな。
576:無名武将@お腹せっぷく
06/12/25 23:19:05
>>570
呂蒙は孫権が勉強しろと言って本当に猛勉強して
学者顔負けの頭の良さにになったり死んだ後に
もらった褒美とかほとんど返還するくらいの超忠臣だしな
後輩にこんなのがいたらまじ可愛がりそうww
577:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 00:06:22
秀吉に仕えた武将と比較すると
蜂須賀正勝=程普
竹中半兵衛=周ユ
黒田官兵衛=呂蒙
小早川隆景=魯シュク
蒲生氏郷 =陸遜
まあこんなとこだろう
578:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 00:14:29
>>574
まともな意味で周瑜は孫策が大好きだったんだろうな。
最後の頃の言動とか行動は、周瑜は孫策の夢を実現したかったように見える。
だから孫権と癒着は出来なかったわけで、それが結局いい方向に呉を導いた気ガス
579:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 00:19:08
周瑜と孫策、両方長生きしていたら面白かっただろうなと思うもんな。
580:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 00:23:55
夢に生き、夢に死ぬ。だよ周瑜は。゚(ノд`)゚。
581:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 01:55:09
孫策時代の呉はみんなして
「イケイケェーー!!ノーブレーキだァ!1か0だ!それ男だぁぜー!」
みたいな一種アホなノリだからなw張昭や周瑜もなんかぶっ壊れてるw
それが孫策が死んで、その弟の孫権の為に今度は自分の身を律して行動し始める
せつない
582:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 13:06:15
孫策の時は中原はまだ曹操と袁紹が争ってた
孫権の時は赤壁で降伏しても仕方がない情勢
583:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 16:12:55
赤壁でもイケイケな周瑜&魯粛。
584:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 19:41:08
赤壁でもヌケヌケな大喬&小喬。
585:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 21:56:04
そして赤壁でもアゲアゲな黄蓋
586:無名武将@お腹せっぷく
06/12/26 23:53:46
いつになったら百叩きくらった黄蓋を甘寧が見舞って見破るイベが
無双に採用されるんだろう
剣山頭の甘寧クビにして横光甘寧でも採用しなきゃ無理か
587:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 00:03:40
それ以前に周瑜が黄蓋を百叩きするシーンが無双に採用されるのはいつなんだろうか
588:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 00:13:06
あの周瑜にいくら叩かれても、あの黄蓋ならきっと痛くない。
589:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 04:29:43
>>587
3猛将のあれでは不満?
甘寧の見舞いイベは確かにほしい
590:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 05:36:25
話豚切って申し訳無いのですが、疑問があります。
何故周瑜は偏将軍止まりだったのでしょう?
周瑜くらいならもっと高い官職でも良いと思うのですが。
当時の孫権ではそれ以上の官職を与えるのは不可能だったとか、取り敢えず
偏将軍にしといて後から別の官職与えようとしたら周瑜が死んでしまったとか
何か考えられる理由があったら教えて頂きたいです。
それとも、偏将軍って実は凄いんでしょうか?
591:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 13:10:43
>>590
孫権の階級が低かったから
そんだけ
592:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 14:24:53
>>590
下から数えりゃ、それなりにはすごいと思うよ
将軍将軍って、現代の我々は単に一軍の指揮者という意味でほいほい使ってるけど
当時は官職としての「将軍号」を持たない武将だって沢山いたはずだしね
593:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 14:46:02
周瑜の家柄や名声、実力なら孫権以上の階級にいけたかもしれないけど
孫家を立ててる周瑜の性格からして孫権より高い階級は望まなかったんじゃないか?
594:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 14:59:03
>>593
オイオイ、孫権以上の階級を貰うって=孫権勢力を離れるってことだろ。孫権から官位を任じられるから勢力の一員となるわけで。
性格の問題じゃない。
595:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 20:11:19
孫権以上の階級を貰う
=孫権より上の地位( ・`ω・´)ノ
=呉は本日をもちましてこの周瑜が率いさせて頂きます(^ω^)
or曹操に孫権以上の位貰っちゃったよwww今日から魏に逝くぉwww
596:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 20:14:38
でも実質的には周瑜の方が孫権より権力あったかもね
水軍の総帥だし
597:無名武将@お腹せっぷく
06/12/27 20:22:08
呉は北からやってきた無頼や名士と地元豪族の連合政権だから皇帝権があまり強くない。
そういう点で東晋とよく似てる。
598:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:05:37
亀レスだけど
>>562
>その意味で孫権が信用できる絶対的な家来は魯粛、呂蒙の二人だけ。陸遜は微妙。
かなり主観入ってないか?
599:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:08:01
親族でも微妙、豪族は必要悪。
はっきり言って子飼い以外は全部信用出来ないお。
600:590
06/12/28 01:20:06
レス有難う御座いました。参考になりました。
601:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:27:29
>>599
だよな、ゲームとかじゃ呉って和気藹々な雰囲気で書かれてるけど実際ってものすごく腹黒さんだったんじゃ・・・
602:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:34:51
>>597
東晋は北の貴族と土着の豪族の間には越えられない壁がある
603:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:37:56
>>602
蜀の荊州閥と益州人の間の壁にも似てる
604:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:53:56
なんだかんだで二宮ではかなり豪族叩きして
孫皓時代の皇帝権はなかなかのものよ
605:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 01:55:33
皇帝や外戚が好き勝手できてるからなあ
606:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 09:04:12
>>604
彼の暴走も皇帝権の強化為と見るとまた面白い
どのみち最後の軍師はああなるんだろうけどさ…
607:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 14:26:44
なに軍師って
608:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 21:25:52
りっくんのまつろ?
609:無名武将@お腹せっぷく
06/12/28 23:20:26
スペシャルハリケーンミキサー
610:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 20:20:52
諸葛亮を『知 100』としたら、この4人はそれぞれどのくらいだろう?
611:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 21:29:16
ついでに呂布を『武 100』としたらそれぞれどのくらいだろう?
612:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 22:17:04
>>610
『知』が何を指すかにもよるんじゃね?
ついでに正史準拠か演義準拠かもな
613:無名武将@お腹せっぷく
06/12/29 22:47:33
正史準拠で。
難しいかもしれないけど、外交とか内政とか戦略とか全部含めて、っていうのはあれだから、戦略のみがいいかな・・・。
614:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 00:53:57
俺はロビンマスクと男の勝負がしたいんだ
byマンモスマン
615:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 00:59:11
子供時代に孫策と剣の腕が対等だったという民間伝承から、周瑜は武も結構高いと踏んでる俺がいるわけだが。
616:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 07:54:14
能力値とかなんだかは専用スレがあるわけでそっち行け
617:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 11:15:34
めよきうく
読気空
emoyikuk
←←←←←
618:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 17:39:04
>>610
とりあえず全員100は超えるわな
619:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 23:18:01
どうだろう。ロシュクとかは知はあまり高くなくてその分政治が高い気ガス
620:孔明廚
06/12/30 23:49:04
>>618
はぁぁ?!なんだと!お前なんか『知』が-15の癖に!
621:無名武将@お腹せっぷく
06/12/30 23:51:07
男性諸君、結婚すると不幸になる。幸せにして当たり前で感謝無し。都合の良い奴隷としてだけ感謝され、搾り取って用済みになればゴミ箱へポイ♪
女の外面は綺麗で清潔で良い人、内面はずるくて汚いため、口も悪い+薄情+嘘+女同士も上辺仲良し裏では悪口三昧
女の成分はA(性悪陰湿残忍+損得自己中感情)+B(良い女演技+体形+整形化粧+ファッション)
↑良い女演技は好きな男>>異次元>>男集団>他人の順に良くなる。年齢とともにBのメッキがはがれ内外ともに醜くなる(Aの良い女は極少数)
女は「人生の不良債権、北朝鮮、金メッキを施したゴキブリ」
男女は対等で平等。男が女を養ったり守る必要はない「見切れ!見切り千両!私不幸なの?嘘!泣いてます?演技!情けは不要!つけこまれるぞ」
女は社会的優遇、過剰な法的保護、仕事と家庭の二束のわらじを得て、女尊男卑~結婚しようとする君を彼女は陰で小馬鹿にしている事でしょう~
★結婚は保留し、沢山の女と自由に恋愛(sex)を楽しめ♪★避妊必須
★捨てた女は優しい真面目男が結婚(残飯処理)してくれるさw★
それでも結婚する君へ究極護身法→[夫婦財産契約登記]
夫婦財産契約により、自分の稼いだ財産はすべて自分の物
弱い者いじめは最低と言いつつ、赤ちゃんを殺す母親(そして無罪判決(笑
狙撃は女子のほうが強い。男はノイローゼになってやめてしまうが
女は何人殺してもノイローゼにならない。骨盤が安定しているため
ナチスの拷問で、女の拷問の残虐非道さを見て、拷問をしていた男達もひいたという
拷問しながら楽しそうに笑みをうかべていたそうだ。罪悪感や引け目が無い
・有史以前が女尊男卑の時代だったことを指摘したのは、スイスの学者バッハオーフィン
アマゾン女族の女王は、法律を定め、男達には卑しい奴隷の仕事を課した
男児が生まれたら、生き埋めにするか、脚と腕を不自由にして、戦えなくし奴隷とした
・王位継承権が女性にだけあった古代エジプトでは女性権力が非常に大きかった
・日本でも卑弥呼が女王
URLリンク(kr.img.dc.yahoo.com) ←女集団が女一人をリンチしている動画(執拗に蹴り続けながら皆楽しんでる 一部エロ有
女は虐げられてきた?父系社会など人類の歴史から見ればほんのわずかな期間に過ぎない。むしろ
622:無名武将@お腹せっぷく
06/12/31 02:29:28
>>620
「テストでマイナス点を取る方法」とかなんとかいうのを思い出した
623:無名武将@お腹せっぷく
06/12/31 14:14:23
>>618
禿同
>>622
kwsk 本気で気になるんだがw
624:無名武将@お腹せっぷく
07/01/02 18:44:12
げえっカンヌ!
625:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 06:36:15
諸葛謹
626:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 11:17:32
の驢馬
627:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 13:33:53
あの子は家を滅ぼすだろう…
628:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 18:05:58
諸葛珍
ってなんかいそうだな
629:無名武将@お腹せっぷく
07/01/04 23:45:20
なんか変な流れだな…こういう時は呂蒙の話題でも話そうじゃあないか。
630:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 00:53:30
呂蒙はいい子だよ。
孫策軍の将校だった鄧当の嫁の弟で、若い頃から孫策軍に入り浸っていた。
大人にバカにされて怒り殺傷沙汰になったのが孫策の耳に入って孫策の側近の一人になり、
鄧当が死んでその軍を継ぎ、孫策の死後も孫権に忠実に付き従います。
魯粛とは肩を抱き合う親友で本を読めと言われては従い、
獰猛すぎる甘寧の言動を諫めるくだりは穏和な性格が見てとれます。
陸遜と共に関羽を倒した時に呂蒙が施した「徳と免税による荊州の住民懐柔策」は、
呂蒙が常々考えていた呂蒙なりの「平和」を実戦したのではないかと思うわけです。
終わり。
631:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 01:08:20
周瑜も呂蒙も陸遜も軍師じゃねぇ!
632:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 05:17:06
んじゃ張悌
633:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 07:23:45
>>631
軍師は文官だけだと思ってるアフォですか?
というか魯粛も文官ではないのですが
上の方で「軍師将軍の称号」について云々があったけど
一般的な単語としては戦術参謀ができれば軍師ですよ
軍師は文官にしかなれないというなら
侍社会の日本には軍師が一人もいなかったことになるが…
634:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 08:29:11
戦術参謀の時点で周瑜はアウト
635:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 12:49:40
>>633
一般的な用語で言えば周瑜も呂蒙も陸遜も『軍師』じゃなく『司令官』だということでしょ。
周瑜の代表的事業である赤壁と江陵攻略(と征蜀未遂)について、戦略決定段階における孫権の参謀的役割もあったが、
メインは司令官として両作戦の総指揮をとり勝利に導いたことであり、そのことで『名将』として歴史に名を残してる。
呂蒙や陸遜も、それぞれ周瑜・魯粛や呂蒙の元で献策をしたこともあるけど、
呂蒙とはどういう人物か?と聞かれれば、それこそ『一般的』には「関羽から荊州を奪った呉の『名将』」であり、
陸遜は「夷陵で劉備を破った呉の若き(本当は大して若くないけど)『名将』」ということになる。
この他にも呂蒙の濡須や陸遜の石亭など、2人共指揮官として多くの成果を残しているわけで、
軍師と称するのには違和感を覚える人も居るんだろう。
その点魯粛は逆に、司令官としての経験が無いではないけど、魯粛の大一番は赤壁開戦に持ち込んだことや単刀附会みたいな
呉蜀同盟と天下三文策の推進にこそあるので、参謀的な役割での「軍師」にマッチするのかと。
…というか今まで誰も文官のぶの字も出してないのにいきなりどうしたんだ?と思わないでもない。
勝手に「軍師は文官のみだと相手は思ってる!」と決め付けてアホ呼ばわりとかするのは荒れそうなんで止めて欲しい。
636:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 12:53:54
周瑜は孫策下では軍師でも良くないか。
637:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 13:00:33
残念ながら孫策時代にどんな献策したのかとかが残ってないんだよな…
確認できることは後方都市の慰撫や物資の供給みたいな後方支援的働きと、
副将として従軍したり指揮官として別働隊を指揮したりするような上級将校的役割を任されてたことぐらい。
イメージ的には孫策総指揮の下周瑜が軍師というのが凄いシックリくるんだけど。
638:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 13:22:05
>>633がどうしてそこまで話しを飛躍させたのかわからない
639:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 13:33:55
孫策がいた時はでかい戦いはなかったもんな。
640:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 14:14:03
>>637
周瑜よりもむしろ二張の方が軍師っぽい
641:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 14:18:30
挙兵した頃は朱治や孫静あたりが参謀っぽかったりしたのかな
呉景はいまいち頼りない感じだが
642:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 23:40:43
周瑜は参謀とか軍師というよりも、全てをふくめた右腕とか懐刀っていうイメージが強いんだが・・・
643:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 23:44:39
史実を無視しまくってる無双だけど呉の描写は意外にも史実に忠実だと思った。
呂蒙は置いておいて、よく周瑜や陸遜に扇持たせなかったと思う。
644:無名武将@お腹せっぷく
07/01/05 23:48:17
稲葉山城を17人で乗っ取った竹中半兵衛は神
645:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 00:00:29
>>644
え?前からすごい事は聞いてたがそんなに凄いのか?
646:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 00:17:53
このスレいつもリョモウに始まりシュウユに終わるなw
647:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 03:50:14
>>643
扇とは何じゃらほい?
648:無名武将@お腹せっぷく
07/01/06 04:09:55
>>647
無双で諸葛亮や司馬懿が武器として使ってる羽扇のことじゃないかね
649:無名武将@お腹せっぷく
07/01/07 00:51:15
さすがに羽扇キャラには無理があるだろう。
つうか呉にはでかい扇持ちが二人もいるしな。
まあそんなことはどうでもいい。
650:647
07/01/08 01:28:01
>>648-649
Thxです! 三国無双のサイト見てきたwwwあれは武器になるのか?www
でも、蘇軾が赤壁懐古で 「遥想公瑾当年、小喬初嫁了、雄姿英発、羽扇綸巾、談笑間……」と
言ってるから、周瑜も羽扇を持ってたのかも……まあほんとにどうでもいいことなので失礼しますた。
651:無名武将@お腹せっぷく
07/01/08 16:15:32
羽扇は三国時代よりもっと後の発明
652:無名武将@お腹せっぷく
07/01/08 16:46:30
根拠は?
653:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 03:03:33
三国時代の遺跡から出土してないから
654:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 12:46:16
>>650
羽扇綸巾はいわゆる儒将の姿を表すときに使う表現だが、
後世ではまんま孔明の衣装様式となった。
あと蘇軾の時代に赤壁が二つがあって、
彼がこの詩を作ったときに訪れた場所は
三国の赤壁じゃないってのも結構有名な話。
655:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 18:56:43
陸遜が良く若年設定で描かれるのはどう思う?
1.都督リレーの最後、夷陵での抜擢などの若いイメージに合ってるので良い。
2.夷陵時の年齢(既に40近いおっさん)や60過ぎまで活躍し続けたイメージに合わないのでダメ。
656:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 19:03:06
>>655
夷陵では上手く活かしてると思う
ただ、爺さん好きなので晩年の苦労も描いて欲しいなあ
657:無名武将@お腹せっぷく
07/01/09 22:15:40
横光では別に陸遜青年っぽいわけではないよな。
肥三国志の影響とかって、どっかで聞いたけど。
658:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 02:47:20
>>654
なるほど、小喬も嫁いでからもう何年もたってるし、
赤壁懐古にうたわれているのは、東坡先生の想像した詩景のなかにある
「俺の思うところのかっこいい周瑜像(補正あり)」ですねw。
陸遜は、演義だとずーっと仕官したての書生風イメージが……京劇でも陸遜の役には髭がない
(京劇では、成人の男の役で髭がない=髭なしでも鑑賞に堪えうる若いイケメンの役らしい)。
でもそのせいで、今でも中国南部では陸遜は伝承とかでやたらと人気があるらしい。
659:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 03:20:36
俺の頭では横光陸遜がデフォ
これくらい威厳がないと呉の武闘派をおさえられるかってんだ
660:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 04:06:01
オッサンくさいだけのような気もするが同意
661:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 07:19:33
はぐれ刑事みたいな感じだったのかもしれない
662:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 07:35:42
映像技術がハリウッド並の三国志は見てみたいけど、
呂蒙って感じのムサそうな俳優はたくさん居てもうつくしー周喩は難しいね。
諸葛亮は病弱な身長180センチイケメン・・これはいけそうかな?
横光陸遜は服装鎧姿が異様にかわいい
アゴ紐が特に
663:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 08:36:25
>>662
考えてみると呂蒙の結核はあまり話に出てこないね
結核=吐血=美形は定番だと思うが。
先輩との差別化かな?
664:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 09:38:03
>>663
結核ってどこに書いてあった話し?
665:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 10:17:30
呂蒙好きの俺としては年を追うごとに姿を変化させたい
でかいガキ→筆が似合わない筋肉兄さん→やせ細った秀才
ってな感じで
666:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 17:41:58
>>665
じゃあ、貴乃花だな。知性的なイメージはないが。
667:無名武将@お腹せっぷく
07/01/10 21:03:05
>>666
親方なった時のやつれ具合は印象的だったね
リストラ対策にやたら部隊派手にしたこともあったし
結構派手好きなのかな?
思いついても中々出来ないと思う
668:無名武将@お腹せっぷく
07/01/11 08:56:07
>>666
ワロタw でもぴったりだ。
669:無名武将@お腹せっぷく
07/01/12 22:51:55
URLリンク(www.koutetsu-sangokushi.jp)
絶望した
670:無名武将@お腹せっぷく
07/01/13 23:16:14
ほっとくんだ
671:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 14:23:03
泣けるな…
呉はこの四人に焦点を当てて四部構成の作品にでも仕立てた方がウケルと思うのだが。
672:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 21:04:57
孫策生存時からの孫権視点の方が感動できるんだが
んでこのスレタイの4人を一人づつ孫権視点でピックアップして5部構成のがよくないか?
673:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 21:23:48
あげ
674:無名武将@お腹せっぷく
07/01/16 21:42:46
呉に限らず、映像関係ではトンデモ妄想三国志の方が受けるからって、
真面目な視点の三国志なんて作ってくんないんだろな…
人形劇でも見とくか
675:無名武将@お腹せっぷく
07/01/17 18:32:28
昔あった中国制作の三国志ドラマでも やっぱり呉って軽い扱いだったりする?
施績に関しての情報が調べにくい。 wikiにも載ってないし
676:無名武将@お腹せっぷく
07/01/19 18:11:26
>>675
施績について、本人の伝以外の記述(三国志内)
陳留王紀にて「施績は賊国の名臣ではあるが、(孫休死後の混乱から)猜疑心を抱いて主君から嫌悪されている」と評される。
胡質伝にて「施績・ショウ済らと共に長江・ワイ水一帯で名を知られた」と評される。
王昶伝にて、250年に王昶に打ち破られ、諸葛誕の反乱の際に王昶に足止めされたとされる。
孫休伝にて、263年に魏の蜀侵攻に関して軍をどのように動かすか検討するよう求められたされる。
孫皓伝にて、264年に丁奉と左右の大司馬に任じられ、269年の四月に死去したとある。
また弁亡論の中で「施績と范慎は威信の重さで人々に知られる」と評される
孫奐伝にて、孫壱らと共に諸葛融を攻めたとされる。
諸葛融伝では、孫壱・施績らを率いたのは施寛とされる。
孫和伝の註にて、太子派の一人として大都督施績の名が上がる。
鍾離牧伝の註にて、鍾離シュンが宜城・信陵に城を築いて防備を固めるべきと唐盛に進言するも、
施績・留平ら知略を備えた名将たちが、宜城・信陵を通過したのに城を作ろうと言ってないから(鍾離シュンの意見を)取り上げなかったとされる。
参考になれば。
677:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 00:34:33
三国志の時代、低い身分の出身者が出世するとなにかと足ひっぱる奴が多い。名士だの豪族だのの影響力は最近頻繁に耳にする。
そんな中で呂蒙を考えてみると、「元の儒学者でも及ばない」程書物を読み解くことで出自の不利を挽回したともとれることに気付いた。
司令官として磐石の人望も、呂蒙の努力の賜物の考えると感慨深い。
678:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 00:43:35
陸抗は孫策の孫
679:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 02:00:44
とりあえず軍師としての才能なら魯粛が一番上じゃないか?
周瑜の天下二分論ははっきし言って成功確立の極めて低いギャンブルだし、
呂蒙・陸遜が引っ掻き回したせいで魯粛の足を引っ張ってるような希ガス。
孫権も魯粛を一段下の評価をしてるけど、むしろこの評価が孫権の大局の
見えなさを表してると思うよ。
680:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 02:31:03
魯粛は荊州取り戻しに何度も失敗してる時点で
あまり高い評価は与えられん気がするんだが
681:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 03:27:45
最初の交渉で折半を勝ち取ったじゃないか。
682:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 05:33:10
>周瑜の天下二分論ははっきし言って成功確立の極めて低いギャンブル
これ、よくそう言われるけどさ、完全な成功は無理にしても
ある程度の戦果さへあげれば、その後の交渉を有利に進められたり
するんじゃないかな?
683:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 14:30:56
>>679
魯粛の天下三分がどういうものだか未だに良く分からんのだけど
wiki先生の言うとおり荊州とかを併合して天下二分を目指すものなら
呂蒙・陸遜の荊州取り戻しは魯粛戦略を引っ掻き回した行為じゃないと思うし
そもそも魯粛自身も劉備入蜀以後は荊州を思いっきり狙ってるんじゃないか?
684:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 14:35:26
今更周瑜の征蜀の成功率の高さを語っても新しい発見なんざないだろうからマンネリ気味の話題かな…
一応指摘しとけば当時の蜀は張魯との長期抗争状態にあって、国内では扈瑁の乱、続いて趙イの乱がおき、
ホウ義・李異ら手柄のある諸将は皆外部と結ぶ気配ありと言われる混乱状態。
さらに軍勢・防備の大部分は(高沛らの居る白水を初め)北方の張魯対策に割り振られてる中、
史実でも快進撃を続けた荊州方面から平素の備えを怠る劉璋目指して曹操を打ち破って意気揚がる精鋭軍団が一路成都を目指す。
これが「成功確立の極めて低いギャンブル」なら呉がとった他の作戦、
例えば「軍師としての才能なら一番上」の魯粛にはいったいどれだけ高い勝算をもつ作戦があったの?
「呂蒙・陸遜が引っ掻き回さない」状態での魯粛の公算ってどんな形?
685:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 20:52:28
魯粛の構想というのは曹操を破るのは難しいから江東の地盤を固めて荊州に
兵を進めて長江流域を制圧して自立するという奴
周瑜の二分論も呂蒙の荊州奪取もこの魯粛の構想に沿ってるわけだ
686:無名武将@お腹せっぷく
07/01/20 23:30:02
魯粛以前に孫策時代から張紘が提唱してる、呉の基本戦略ですな。
687:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 00:40:23
>684
劉備が入蜀する時点では呉は越の平定に明け暮れている状態、その状態で
荊州の平定に乗り出すほどの荊州人士に対するコネも少なく 統治の名目も
無く 越と同様に荊蛮に悩まされるのは明らか。旧劉表勢力は曹操の横槍で
常に不安定な状態が続くと思う。
そこから更に蜀を攻めるとなると時間的に曹操に先を越される確立が高くな
り長江上流を抑えられると圧倒的に不利。三国時代は早めに終わったろうね。
だから周瑜の天下二分論は当時の状況では極めて困難な状況だったと思う。
688:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:02:07
赤壁後から曹操が攻勢に動き出すまで結構間なかったっけ?
確かに荊州の守りは固めてはいたけど
689:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:11:23
曹操の関中侵攻が211年。
赤壁が208年なのでそこまで遅れているとはいえない。
690:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:15:23
687の続き
呉にとっての天下三分とは後の呉の崩壊につながった蜀の地域を、
友好的な勢力に支配させるってのが前提なのよね。(それにぴったし
当てはまるのが劉備だったわけで、魯粛の理解と呉の後押しが無け
れば諸葛亮の天下三分論もただの書生の戯言に過ぎないと思う。)
つまり>685 の言うような呂蒙の荊州奪取は蜀との友好関係を損
なう呉(と言うより魯粛か)の戦略としての天下三分論の真逆の行動で、
呉の存在そのものを危険にする行為だった思う。
これ以降、対魏の呉蜀の共同作戦が常にちぐはぐで、その不協和音
の状態のまま蜀は滅び、やがて呉も滅ぶ。
691:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:17:10
赤壁の後、曹操は明らかに兵力と勢いを失っていた
関中諸将から人質を取り彼等を抑えてから漢中を攻めようとしたが関中諸将の乱を招き、平定はしたものの兵力を損耗した
つまり赤壁後は曹操が荊州にも益州にもろくに動けない状態で、益州攻めの大チャンス
だから周瑜(孫権)も劉備も益州を攻めようと躍起だった
周瑜のプランも充分現実性はあった
最大の問題は劉備が邪魔すること
692:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:18:30
>>687
まず入ショクの段階で山越討伐に明け暮れてたの根拠は?
呉主伝をみても黄祖討伐以前に山越討伐関連の話題は集中してるし、入ショク前後はむしろ出てこない。
普通に考えれば山越問題が落ち着いたからこそ本格的に黄祖討伐に乗りだせたはず。
荊州にコネがないはずの呉が既に名士ホウ統などを配下に納めていたことは?
曹操が荊州情勢をそこまで不安定にさせるほどの扇動を行えるという根拠は?
そんなことできるなら当然史実においても実行してるよね?
693:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:25:39
>>687
>そこから更に蜀を攻めるとなると時間的に曹操に先を越される確立が高くなり
さすがは曹操。張魯を飛び越え蜀を制圧するなんて朝飯前ですね。
漢中を落とすこともできず多大な犠牲を払って結局引き上げた誰かとは比べ物にならないや!!
694:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:25:39
あのまま荊州方面からの侵攻を塞がれてた状態で
呉はどっから魏に侵攻できたの?
695:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:26:27
>>690
魯粛は元々長江流域全てを抑えることを目標としてた
それには上流の益州も含まれたはずで、魯粛もまた天下二分の考えだった
それが三分になるのは、劉備が荊州を抑えてしまったことと対曹操の駒としては有効だったためと思われる
魯粛も孫権も本質的には荊州は勿論益州も支配しようと考えており、呂蒙による荊州取りは魯粛のプランに反するものではなく、実際に魯粛は呂蒙の関羽攻めの策を聞き喜んでいる
696:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 01:31:43
>>690
そもそも魯粛自身が主導した荊州奪取はなんなんだ?
「これ以降、対魏の呉蜀の共同作戦が常にちぐはぐで」って、それまでは息のあった共同作戦を続けてたと思ってるのか?
219年の荊州奪取から、蜀が滅びたのは44年後の263年、呉が滅んだのは61年後の280年。「その状態のまま」随分長く続いたようで。
697:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 02:20:15
>692
手元にソースが無いが張温伝で出てくるはず。ずーっと山越に悩まされてる
けどこれから頑張るからって。これよりも10年以上後の話だと思うよ。
698:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 05:38:02
>>692
ホウ統が周瑜に仕えていたのは周瑜が南郡太守だったからだよ
別に呉に仕えていたわけじゃない
その証拠に南郡が劉備の支配下に入ったら劉備軍内に組み込まれているだろ
699:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 05:40:56
ということは別に南郡太守であればが誰でも良かったと
700:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 06:01:45
>>699
ホウ統伝をちゃんと読み返せばわかるだろうけど
ホウ統は周瑜が南郡太守になる前に郡の任命によって功曹になっている
時期は劉表政権か曹操南下後か定かにされてないが
当然曹仁が南郡にいた時も彼は南郡の役人を務めていただろう
上が曹操軍→孫権軍→劉備軍と変わっていっただけで
彼が南郡の功曹として南郡太守に仕えていたことに変わりは無い
701:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 08:53:11
>>690
長江ラインを固めて守るのに不利な徐州を捨て、
今以上に防御を硬くするというのが呂蒙の考えなわけだけど
その
>呉の存在そのものを危険にする行為だった思う。
というのは聞けば聞くほど意味不明だ。
分かりやすく説明してくれ。
702:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 12:48:17
>>697
張温伝で「山越の討伐さえ済めば曹丕と正面からことを構えるつもりだ(と諸葛亮に伝えてくれ」という言葉が出てくるし、
諸葛格など後年においても山越討伐は出てくるが、それは「入蜀段階で平定に明け暮れている状態」を意味しないだろ。
前にも述べたが国力をそちらに回さなければならないほど悩まされていたのは呉主伝にも残る200~206年で、
この間は実際黄祖討伐に赴くも国内の山越が蠢動したため撤退を余儀なくされてる。
しかし賀斉らの活躍もあり、国内の不安勢力掃討の意味ではこの時点で一段落ついており、
それが黄祖討伐の成功や赤壁の開戦を可能にした。
これ以後の山越討伐の話題は呉主伝に登場しなくなり、国力を注いだ治安事業から地方官による人員補充的なものになってくる。
その史跡は地方管理を任される部下の伝に「~~人を降伏させ、~~人を兵士として軍に編入した」という形でのみ残されるようになる。
国内を悩ます賊というより開発の余地あるフロンティアとして受け止められるようになっていく。
>>698
そもそも以前に官職に任命されていようと新しい支配者が気に入らないなら著名な名士は去る。他に幾らでも士官先があるのだから。
龐統は周瑜の死後その遺骸を届けに赴き、後に「貴方は以前周瑜の功曹であって~、主君が変われば現在の主君に云々~」
とあり、「呉に仕えていたわけで南郡に仕えていたわけじゃない」なんてどうして言える?単に周瑜死後に鞍替えしただけだろう。
現に劉備軍に行った時は従事兼県令として既に「彼は南郡の功曹として南郡太守に仕えて」居ない。
第一仮に龐統が南郡に仕えてるだけでその支配者に服従しているだけだとしても、呉の占領に対して
荊南で随一とも言える龐統ほどの名士が(全くコネ等に関係なく)黙って職務に励んでくれるなら、どっちにしろ荊州士人に対するコネなんてなくても支配は安定することになるだろ。
703:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 12:50:14
>>702の中段、
「呉に仕えていたわけで南郡に仕えていたわけじゃない」じゃなくて
「南郡に仕えていたわけで呉に仕えていたわけじゃない」の間違いだ。
704:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:17:03
いきなりですが、陸遜の正室ってダレ?孫策の娘は側室だった・・・よね?
705:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:19:15
>>704
無双腐女子じゃね?
706:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:24:02
腐女子が同人誌を書くにあたり情報が見つからないので教えてくれと申しております。
707:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:40:33
>>705
よく分かったね。
708:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 14:49:41
そもそも正式に正室と側室を立てて区別するなんて皇族の人間ぐらいなんじゃないの?
袁紹が庶子というくらいだから有力家は本流と区別してたのかもしれんが、嫡子の陸抗が孫策の外孫扱いなんだから当然孫策の娘が正妻扱いなんでしょ。
そもそも「孫策の娘は側室」って一体どこから?
709:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 15:04:08
>>708
嫡長子は伯、庶長子は孟とされるように、少なくともまともな知識人階級では嫡庶、正妻と妾の別ははっきりしていた
曹操の正妻丁氏が子が無くても正妻だったように
正妻の実家は大抵親戚付き合い近所付き合いもある同等の家だから、子が無くてもむげに扱うわけにもいかないのだ
むしろ「長子を生んだら正妻になる」ことがままある皇帝家の方が流動的
710:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 16:16:06
>>702
>そもそも以前に官職に任命されていようと新しい支配者が気に入らないなら著名な名士は去る。他に幾らでも士官先があるのだから
去らない人間もいる。それだけの話なんだけどな
>龐統は周瑜の死後その遺骸を届けに赴き、後に「貴方は以前周瑜の功曹であって~、主君が変われば現在の主君に云々~」
とあり、「呉に仕えていたわけで南郡に仕えていたわけじゃない」なんてどうして言える?単に周瑜死後に鞍替えしただけだろう
だから、上が勝手に変わっただけだろ
>現に劉備軍に行った時は従事兼県令として既に「彼は南郡の功曹として南郡太守に仕えて」居ない。
劉備は荊州牧なんだからホウ統を南郡の功曹から従事兼県令へすることは可能だろ
>第一仮に龐統が南郡に仕えてるだけでその支配者に服従しているだけだとしても、呉の占領に対して
荊南で随一とも言える龐統ほどの名士が(全くコネ等に関係なく)黙って職務に励んでくれるなら、どっちにしろ荊州士人に対するコネなんてなくても支配は安定することになるだろ
何をもってホウ統を荊南で随一の名士としているか知らんが
コネがあろうがなかろうが呉に荊州を抑えるだけの軍事力と権威(官位)があれば
荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない
実際蜀から荊州を奪った後、呉はうまく荊州を切り盛りしたじゃないか
潘シュン伝の注でも荊州の人士たちがたいした抵抗も無く下についたことが書かれている
実力で荊州を取って、さらに荊州牧の官位を持ったこの時の呉にはそれが可能だったと言うことだ
問題は周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか持っていなかったかってことだ
711:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 17:00:07
>>710
だからその「龐統が能動的に主君を(それ以前の誰か)→周瑜→劉備と変えたのではなく、支配者が変わったのに合わせて役所に勤め続けただけ」の根拠は?
周瑜が南郡を落とし、再編を行わずに役所をそのまま引き継いだという資料でもあったっけ?特に明言されてない部分をあえて
「いや、龐統は呉に仕えていたわけじゃないんだ」と断言できるのは何故?
特に「南郡に出仕し続けること≠呉に仕えること」を分けなければいけない理由と根拠は?
「龐統が荊南で随一ともいえる」としたのは司馬キから受けた度々の高評、
博巽の「半英雄」(文脈上褒め言葉なんだろう)、揚州の名門・大学者である陸績、虞翻らと並んで称され親交を結んでいることからも、
州を越えた付き合いのある名士の証左だろう(他にも諸葛亮など居るので随一は言いすぎだったかも知れないが、トップクラスと言って良いはず)
「荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない」っていうか既に従えてるじゃん。
その「荊州を抑えるには軍事力と権威が必要で」、「周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか疑わしい」とするならその根拠は?
そもそも>>687から「荊州南部全域の平定を目指してる」みたいな書き方に思えるが、当時の呉の支配地域は南郡・江夏とその周辺地域。
蛮族が多く住む武陵(武陵蛮・五渓蛮)を中心とした地域は劉備側の領内だし、
そもそも荊州人士に対する影響力と蛮族問題は別物だろうになんで>>687は「越と同様に荊蛮に悩まされるのは明らか」なんて言ってるの?
それとも>>698以後の人物は別人?
712:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 18:11:22
>>711
自分は687じゃないので687の主張の立証なんてできないよ
それは687自身にしてもらってくれ
>「龐統が能動的に主君を(それ以前の誰か)→周瑜→劉備と変えたのではなく、支配者が変わったのに合わせて役所に勤め続けただけ」の根拠は?
700で既に根拠は書いているんだがね…
どうも君が、周瑜が南郡に来る前からホウ統が郡の功曹であったとする明確な根拠がないといっているのか
周瑜が再編を行わずに役所をそのまま引き継いだという根拠がないといっているのかよくわからんのだけど?
前者ならホウ統伝に先に功曹就任が書かれてその後に周瑜の太守就任の話が来ているんだから
普通に読めば周瑜が太守になる前からホウ統は郡のだったとなるだろ
逆に周瑜が太守になってから功曹になったのにそこが史書の順番が違うってのはかなりおかしな話だ
後者なら周瑜着任前に功曹であったホウ統が、周瑜着任後も功曹を務めているんだから
ホウ統に関しては再編を行わなかった証明になるだろう
さらに「周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか」について
>当時の呉の支配地域は南郡・江夏とその周辺地域
だとわかっているなら、荊州の火種があることの否定はできないと思うぞ
713:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 19:44:37
劉備が龐統を免官しようとした時、魯粛がとりなしてるから劉備の版図となった地域の役人・人士は孫呉との話し合いでそのままスライドさせたんじゃねえか?そのまま
714:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 20:04:10
>>712
端的に言えば龐統が以前の職責を続投したことが、どうして「別に呉に仕えていたわけじゃない」のかわからない。
征服者が征服地の人士を元の職責で迎え入れたら「頭が変わっただけでその征服者に仕えているわけじゃない」となるのか?
俺は「龐統は(劉表→魏?)→呉→劉備と仕えた」と考えていて、その根拠が>>702の「貴方は以前周瑜の功曹であって~」とかだったりするわけだが、
何が「上が勝手に変わっただけだろ」なのが意味不明。
上が変わったっていっただけで劉表にも曹操にも孫権にも劉備にも仕えてないってことか?証明しろってのはその部分。
最後の三行は悪いがそれだけじゃ何を言いたいかわからない。どうもさっきから部分的な引用で話が逸れて行ってる気がするから、
貴方の>>710の
>コネがあろうがなかろうが呉に荊州を抑えるだけの軍事力と権威(官位)があれば
>荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない
>実際蜀から荊州を奪った後、呉はうまく荊州を切り盛りしたじゃないか
>潘シュン伝の注でも荊州の人士たちがたいした抵抗も無く下についたことが書かれている
>実力で荊州を取って、さらに荊州牧の官位を持ったこの時の呉にはそれが可能だったと言うことだ
>問題は周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか持っていなかったかってことだ
というのを>>711で俺なりに要約した以下の解釈が正しいというなら
『「荊州を抑えるには軍事力と権威が必要で」、「周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか疑わしい」とするならその根拠は?』
までまとめて答えてくれ。前の条件はそっちが主張してるもので、後ろのはそれを受けてのものだ。後ろだけ答えられても困る。
その「荊州の火種があることの否定はできない」も含めてね。
715:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 20:55:40
>>714
君は702において
>そもそも以前に官職に任命されていようと新しい支配者が気に入らないなら著名な名士は去る
と言っている。
それはホウ統がどの勢力に組するか選んでいると言っているように自分は読んだんだけどね
自分はホウ統は勢力ではなく南郡を治める資格のある人物に南郡の役人として仕えていると言うものだ
当然その資格があれば劉表にも曹操にも周瑜にも劉備にも仕えるだろう
ただし、その資格が無くなった人物についていくことは無い
そういう点で狭義的なつながりを結んでいないのはわかるだろ
少なくとも南郡の功曹を務めていたときのホウ統の行動はそうとしか取れない
だから710で>呉に荊州を抑えるだけの軍事力と権威(官位)があれば荊州人士を従えさせることは不可能なことじゃない
とも言ってるんだ
で、君が聞きたいって言う
>問題は周瑜生前時にそれだけのものを呉が持っていたか持っていなかったかってことだ
について君自身が>当時の呉の支配地域は南郡・江夏とその周辺地域
と言ってるだろう
呉は郡太守までしか荊州に対する支配権を持っていない
一方で劉備は荊州牧として(荊州南方に限定されるが)荊州の諸郡の支配権を持つ立場にある
呉が荊州で何らかのアクションを起こそうと思ったときに
劉備にとって不利益な行為であれば荊州牧の権限を持って邪魔をしてくる可能性が無いわけじゃないだろ
だから「荊州の火種があることの否定はできない」と言ってるんだ
そして、荊州人士を見た場合、ホウ統にしても呉だからと選んで仕えていると言うより
その権限があるから仕えていると言ったほうがいい状態である以上
荊州牧の劉備の意向と南郡太守の周瑜の意向がぶつかった時、どちらを尊重する人士が多いかを考えたら
より権限が広い劉備に動く数の方が多いんじゃないか?
だから南郡太守に仕える行為と呉に使える行為はイコールでは結べないんだよ
716:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 21:53:39
>>715
あんたキメエよ。
御託を並べて話すのは結構だが、
知識をひけらかすのは嫌われる元だぞ。
717:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 21:59:06
>>716
んなこといっちゃ何もできないぜw
でも、4都督スレなのにずれてるな。
718:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 22:36:22
>>715
>それはホウ統がどの勢力に組するか選んでいると言っているように自分は読んだんだけどね
別にそれで間違ってないけど。>>698の「ホウ統が周瑜に仕えていたのは周瑜が南郡太守だったからだよ。別に呉に仕えていたわけじゃない」
に対して「呉に仕えて、後に劉備に仕えただけだろ」って言ってる。これが絶対だとは言わないが、
孫権が南郡を支配した後に能動的に孫権に着くことを選び、さらに後に劉備に鞍替えすることを自ら選んだと考えても不都合はないはず。
>少なくとも南郡の功曹を務めていたときのホウ統の行動はそうとしか取れない。
この「そうとしか取れない」がわからない。別に適当に龐統が赤壁で勝利した孫権勢力を見込んだが、周瑜の死と共に見限って劉備に仕えたとか、
理由は幾らでも考えられるだろ。龐統が南郡の帰趨にのみ従ったと限定できるような記述はないじゃない。
しかもその龐統の動きの理由が「あくまで南郡を実力で押さえた人間に着く」だったと仮定し
また荊州人士全体に言えることだとさらに仮定したとして、荊州牧の資格は本来劉琮に、後に李立が任じられたと言われるが、
こちらに従っては居ない(カイ越らはこちらに従ったが)。圧倒的な軍事力・官位・権威などを誇る曹操陣営に。
ということは(前項の仮定を信じるなら)龐統は刺史の称号でもなく、情勢的な見通しでも軍事力でもなく、「南郡を実行支配している」ことを重視してるとなる。
貴方の仮定通りならむしろ必要なのは実効支配しているという事実になり、荊州牧の劉備の意向と南郡太守の周瑜の意向がぶつかった時、
南郡その他の人士は周瑜に従い、南部四郡その他は劉備に従うという至極穏当な結果に落ち着くね。
あとの問題は突然出てきた「劉備が呉に敵対的な行動をとるのか?」についてだけど、これは今までの流れと外れるのでよしておこう。
719:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 22:38:29
なんかキモイ奴らが討論するスレになったの?ここ。
720:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 22:38:34
>>716
俺は714だけど、議論してんだから御託を並べるしかないし、知識に頼らず妄想で語られた方が困るだろ。
721:無名武将@お腹せっぷく
07/01/21 23:10:01
世界史板で議論するとボロクソに論破されるから、こっちでやってんだよ、文句あっか
722:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 00:28:49
>>676 いやどうも。 朱然が好きだから施績についても知りたかったんですよ。
小男なのに強い武将ってどんな感じだったのかな~
723:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 02:45:37
本当にキモイ書き込みだな
自分で読み返して恥ずかしくならないのか?
724:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 07:21:55
荒れてきたな
725:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 07:55:17
>>ホウ統フリーク
周瑜とからめて語ってる以上俺は別にとめないが
一文を改行なしで書ききらないで、適当に改行入れて区切ってくれ
ここは掲示板なんだから
考察用に作られたサイトと同じ方法で記述してもただ読みにくいだけだ
他の奴が読みやすいかどうかより自分が書きなぐって一人で満足できるか
どうかの方が大事だというのならこのまま鬱陶しがられてろ
726:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 08:44:19
>>725
でもお前改行位置変だよ
下二行部分は書きなぐってのところで改行だろ
「できるかどうか」はこれで1つの慣用表現に近いから切ったらダメ
727:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 09:57:49
これはいい粗探しスッドレ
728:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 11:09:48
なんか書き込みしづらくなってきたな
729:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 16:21:06
軍師として一番スケールがでかく逝ってるのは魯粛君
孫権に
「漢王朝?どうでもいいって!そんな事よりあんたが皇帝になりなよ」
「曹操と戦えって、俺は曹操に使えても大守になれるけどあんたはやばいよ」
など吹き込んだのは魯粛
730:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 16:30:15
>>729
>「曹操と戦えって、俺は曹操に使えても大守になれるけどあんたはやばいよ」
でも、呉書見聞によると、これは大法螺らしいね。
731:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 17:48:05
劉曄つーコネがあるからホラでもなんでもない
732:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 19:42:39
魯粛は嘘つきまくり。
733:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 20:00:06
人間時にはハッタリもいるわな
ハッタリだけで一国の主になったような奴もいるしなw
734:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 20:49:16
魯粛って戦国時代の縦横家みたいな奴だよね
735:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 22:20:29
>>730
魯粛は家柄こそ確かに良くないが(恐らく商人出身)、先祖が金を唸るほど蓄えてたので、魯粛はそれを盛大にばら撒いて(おかげでキチガイ息子扱いだが)、
ちゃっかり名士層と親交を結んでる。蜀でいうと糜竺とかに近い。
勉学にもそれなりに励んでいたし、劉曄・周瑜など揚州名士との繋がりもあるから魯粛の言は大方間違いじゃないはず。
呉書見聞は魯粛についてちょっと過剰表現なとこがあると思うぞw(あそこが魯粛の再評価に大きく寄与してるのは確かだけど)
736:無名武将@お腹せっぷく
07/01/22 23:40:04
改行しようぜ。
737:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 00:41:13
改行を随分気にする人がいるけど、どこからが読みにくいのかわからんのだが…
俺の環境だと>>735とかは折り返しもなく表示されるし。どのくらいの長さから読みにくいわけ?
738:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 01:07:00
大体IEで書き込む時の窓よりちょっと長いくらいまでが限界
でないと環境次第で改行とかおかしくなる
739:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 01:12:46
>>737
俺ならこうだな↓
魯粛は家柄こそ確かに良くないが(恐らく商人出身)、先祖が金を唸るほど蓄えてたので、
魯粛はそれを盛大にばら撒いて(おかげでキチガイ息子扱いだが)、
ちゃっかり名士層と親交を結んでる。蜀でいうと糜竺とかに近い。
勉学にもそれなりに励んでいたし、
劉曄・周瑜など揚州名士との繋がりもあるから魯粛の言は大方間違いじゃないはず。
呉書見聞は魯粛についてちょっと過剰表現なとこがあると思うぞw
(あそこが魯粛の再評価に大きく寄与してるのは確かだけど)
740:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 01:24:16
WEBで文章晒す時は、できれば改行が適度にあるといい。
全角30文字とかどこかで見たが、その通りにしなくても
句読点を目安に、あまり長くなりすぎないように改行したらいいんじゃないの?
741:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 05:54:26
漢朝や曹操からすれば、魯粛の家柄なんて問題じゃないでしょう。
問題なのは魯粛の思想。
反曹操で漢朝不要論を唱えていた魯粛は、劉曄等でもかばいきれないと思う。
反曹操は、漢初のカイ通にならって犬は飼い主以外に吠えるものとできるが、
漢朝不要論は建前上、曹操も孫権も漢の臣である以上、明確な叛意でありかばいきれない。
742:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 12:37:33
>>740
同意。
ただ、掲示板だからよけいに改行がほしい感じなので、
個人の歴史考察サイトとかで論文を書く分には
左右にマージンとれば別に改行によけいな気を使わんでもいいと思う
ブログとかだとびっちり書いても幅が10cmぐらいしかないところもあるしな
743:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 12:49:22
もってまわった言い方をされると見る方はきつい
なるべく短いレスで書くようにしてくだちい
744:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 13:50:47
そう言いつつ曹操は漢を蔑ろにする発言をした夏侯惇とか許してるね
745:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 13:56:51
>>741
魯粛がおおっぴらに孫権の皇帝即位に触れたのは赤壁の後の会見の場が最初のはず。
魯粛の突然の宣言(多少は表現を濁してあったが)に一同唖然とし、孫権は手を打って喜んだ。
それまでは魯粛と孫権の2人だけの直接会談の時のみ。赤壁がなければ曹操が魯粛個人の思想など知る由もない。
ちなみに周瑜も「江南に帝王の気があり…」なんて言ってるが、これも魯粛以外には漏らしてないのだろう。
事実周瑜には曹操陣営の引き抜きがかかってる。
746:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 14:15:43
あんまり触れたくはないが、「2chのおやくそく」
頭のおかしな人には気をつけましょう
利用者が増えるに従って、頭のおかしな人もそれなりに出没するようになって来ています。
頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。
頭のおかしな人の判定基準
・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
・自分の感情だけ書く人
「あんたキメエよ。 御託を並べて話すのは結構だが、知識をひけらかすのは嫌われる元だぞ。」
「他の奴が読みやすいかどうかより自分が書きなぐって一人で満足できるか
どうかの方が大事だというのならこのまま鬱陶しがられてろ」
747:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 14:25:57
>>745
周瑜のは変節させて敵性勢力である孫権との間を裂き、味方に引き込むという計略の一環なわけだから
降服後に孫権に付随する形での魯粛の登用とは訳が違いますよ。
勿論、曹操が魯粛の思想を見抜く、又は魯粛の思想がばれること無ければ、
魯粛が登用されることはあるでしょうが、それでも孫権陣営の中で、
もっとも反曹操で、実際に工作を行っていた魯粛は、幕僚の中でも処罰の対象と成りやすい人物でしょう。
748:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 15:18:13
反曹については袁紹勢力の中でも激しく曹操を非難した陳琳が許され、
曹操を裏切って走った陳宮、畢諶、魏チュウを再び受け入れ…と受け入れた例も多く、
逆に侵略される以前に反曹の態度を取ったから降伏後処罰された例を俺は知らない。
近い例でいけば徐州虐殺くらいだろうか…
成公英なんかの例だと、「元の主への忠節から」と判断され好まれることも多い。
本心からだけじゃなく、度量の広さを示すためのアピールになるし。
漢室云々については曹操だってむしろ内心は「取ってかわろう」と思ってると思われるわけで、
隠した思想を見抜かれたところで気に入られこそすれマイナス要因になるとは思えん。
>>741も「建前上」とあるし、「公の場でこういう態度とられたら庇いきれない」が741の主張じゃなかったの?
だから「当時は孫権以外は知らないから問題ない」と書いたんだが。
ちなみに「曹操も孫権も漢の臣である以上~」とあるけど、実際には少なくとも孫権には処罰されてないね。
749:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 15:52:58
>>748
陳琳、陳宮、畢諶、魏チュウは降服じゃないよ。
成公英は韓遂を失ったから降服した。
魯粛の状況で、歴史上においての類似例は、
劉そう、張繍など、全て君臣共に許されている。
…
…
ごめん、確かに魯粛も許されるかも…
魯粛の発言の疑問点は、魯粛はOKで孫権はNGってとこだね。
750:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 17:06:45
魯粛の発言は「俺は許されるけど、アンタ殺されるよ」じゃなくて、
「俺は田舎帰ればツテもあるし、そこそこ出世して好きに生きられるけど、アンタは飼い殺しだよ」程度のものだと思う。
751:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 18:06:08
ところで周瑜がちょっと失敗した演奏者を睨むのって嫌がらせ?
752:無名武将@お腹せっぷく
07/01/23 18:20:04
>>751
振り返っただけで睨んだかどうかまでは定かではないけど、どっちにしろ演奏者にゃ嫌がらせ以外のなにものでもないなw
余談だけど、周瑜の一瞥が欲しい女官がワザと間違えたという民間伝承があるそうな。