08/03/05 19:54:55 Dk0YrIxU0
肉体が壊れだしたのは、シウバとやってから。
それまでは80キロ台の選手と戦っていて、連戦連勝だった。
というかさ、87キロの選手と普段100キロの選手を対戦させるのは危険だろう。
それで、二回目のシウバ戦で左肩を大怪我。1年にわたる長期欠場。復帰戦のミルコに眼窩底骨折を負わされる、再び長期欠場。それで復帰戦前に左膝の靭帯を損傷。
それ以降左ひざにもテーピングが巻かれるようになる。だけど、ジルアーゼンが噛ませ犬だったので勝つ。
その後、格下のニーノに頭突きを受け負ける。三回目のシウバ戦、失神KOで病院送り、本人の話によると記憶障害が出たとのこと。
思い返すと、39が一番輝いていたのはPRIDEの黎明期。
結局、会社が体格差のある相手と試合を組んだせいで、39の肉体が破壊された。
もうちょっと対戦カードに気をつけよと。
10キロ重い相手に上から押さえ込まれたら、絶対に逃げられないって。
2002年以降の39は背筋も凍ってしまうくらい、危ない倒され方をしていた。
前田日明氏は言っていた、DSEを批判すると同時に、39は格闘技が始まって競技化されていく過程の橋渡しだったと。そういう星の下に生まれてきた。
「あいつは格闘技でごはんが食べていける一番最初の世代のだったのに、なんであんなことになったんだろう。でも仕方ないよね。きっとそういう星の下に生まれてきたんだよ」
PRIDEがルールを破壊して選手の安全を疎かにしたのは間違いないと思う。
その犠牲者が彼。彼は格闘技界の最大の功労者であり、同時に犠牲者でもある。