08/04/03 15:49:48 2Vpif05r0
ただし、こう書くとまた無駄な反論があるだろうからもう少し書いておくと
俺は「プロフェッショナルなレスリング」という意味で存在していた競技としてのプロ・レスリング
(それはおそらくヨーロッパでアマレスが整備されていくことに対して
新大陸側が抵抗したものとしての)が最初にあったと思う。
その名残はたとえばアメリカのカレッジスタイルなどに残っているんだろう。
それが勢力として所謂アマレスに完敗したり興行の要素が強くなるにつれて
取り決めのある、いわゆる「プロレス」に変化したのだと思う。
俺はプロレス文脈をほとんど理解してないから、格闘技側から見た推理でしかないんだけど。
もちろん英語的には両者の差異はないわけだけど、
日本語的に説明するとそういう質的変化が何処かであった。アメリカで。
それがヨーロッパにおいて主流になれなかった(もしくは取り込まれるのを拒否した)スタイル、
たとえば「キャッチ」みたいなものと結びつきつつ、幻想(と一定の技術)を保っていたと。
これはたとえば柔術と柔道の関係のようなものかもしれない。
で、一部のレスラーの中には「表面的にどうあれプロレスは本来、真剣に戦うための技術である」
というような思想(つまり「表面」としての興行と「本来」としての技術や志)が残っていて、
それが時たま、表面化することもあったんじゃないか。
日本におけるその最大の例がUWFというもので「表面的」なところと「本来」のところが
二極化して幻想だけではなく混乱も与えてしまった結果、今でもグダグダとヤオだのガチだの言う奴がいると。
しかしそれはある意味で間違った評価であって、最初からその二面性こそがこの「思想」の根幹だったのではないか。
だけど俺からすると「そもそも競技ではない」今のプロレスにおいては
真剣勝負かどうかっていうことも格闘技と同じようには扱えないわけで、
だからプロレスにおける「格闘技性」みたいなものは「真剣勝負かどうか」ではなく
技術レベルでの「真剣度」がどの程度あるのか、くらいの扱いしか出来ないと思う。
そして試合のほとんどをその「真剣度の高い」技術が占めているとすれば、
それを「ガチ」と言ってもいいんじゃないか、という風に思う。
たとえば喧嘩を「格闘技的」に考えるのと同じだってことなんだけど。