07/11/18 16:08:29 Qv4Prkn50
>>139
>>146
当時でも裁判モノ。
福澤が事故死したテストで乗っていたのはクローズド・ボディのトヨタ7と言われている。
(69年4月9日にクローズド・ボディのトヨタ7が実際に撮影されている。ただし、この際にはかなり小型なれどリアスポ有り。)
98年5月の日本GPにおいて日産勢が予選1,2番手を占めたのに対し、トヨタ7は最速の福澤ですら6番手、
決勝でもトヨタ勢はトラブルを頻発させ、最上位はトップから5周遅れの大坪善男の8位と惨敗していた。
これに対して>>66に出てくる河野が68年のル・マン24時間に出場したポルシェ908のボディ形状に驚嘆し、
帰国から2ヶ月後に急遽これを模倣してクローズド・ボディのトヨタ7を作らせたと言われている。
しかし、哀しいかな所詮はパクリの盗用多、ポルシェに付けられたウイングまでは模倣せず、
それどころか当時のレーシングカーがウイング代りに装着していたリアスポイラーさえ無かったと言われている。
福澤が日本人最高位の4位に入った68年の富士のCan-Amのオープン・ボディでさえリアスポイラーは存在しているが、
クローズド・ボディ化され翼断面形状になったマシンにリアスポやウイングを装着しなけでばどうなるか……。
風洞を用いずとも、その結果は我々の想像ですら難くないであろう。
河野が事故直後に磐田署の稲葉に対し「クルマに重要な企業秘密がある」として写真撮影を拒否したが、
レーシングカーなど走行中は撮影し放題の上、そもそも出走前の車検で主催者によって違反が無いか検査される。
もしトヨタに「企業機密」があったとすれば、それは事故を起こしたトヨタ7が欠陥車であったということ以外無いではないか。
また、福澤の死から5ヶ月後の富士1000kmではトヨタ7には巨大なリアスポイラーが装着されていた。
これ以降トヨタ7から巨大なリアスポイラーやウイングが消える事も無かった。
これこそが福澤幸雄の父、進太朗氏が主張する「クルマの欠陥」を裏付ける状況証拠とは言えないだろうか。