07/12/26 11:29:38 6wwrq9Ms
「物語」を成立させる「舞台」ってのは
空っぽのハリボテの岩や緑のペンキを塗っただけのベニヤ板を
「これは本物の木や岩と同じものです」って演者とお客さんと約束事の中で成り立たせる場。
ハリボテの灰色の物体を「重たくて硬い岩」とお客さんが認識することで
怪物がヒーローに投げつけて「痛そう、怪我をしそう」とお客さんは感じる。
舞台の上でハリボテは岩でいられる。
演者がそう思って演じなければお客さんも「あれはただのハリボテ」だと感じる。
怪物ではなく何の力も理由もない子どもの役が軽々と岩を持ち上げてしまえば「舞台」も「劇」も成り立たなくなる。
生身の人間は何もしなくてもそこに存在していられる。
二次元の女の子は「ニセモノ」である。平面のベニヤ板の木と同じ。ハリボテの岩と同じ。
「舞台」の上だけの「ホンモノ」、約束事の中だけの「ホンモノ」
「ホンモノの岩は重くて硬い」という約束事と同じ
「ホンモノの水澤摩央は光一に一途な幼馴染のお姉ちゃん」でありその瞬間が最も魅力的であるように作られた人造物。
「ホンモノの岩」は現実にあり「ホンモノの水澤摩央」はキミキスファンの心の中にあり、そこにしか存在出来ない。
ポッと出のサックスが「光一だけに一途な幼馴染」を掻っ攫うのは「子どもが軽々と岩を持ち上げてしまう」ことと同じ。
「サックスのことを気にしているフランス帰りの転校生で同級生」は「ホンモノの水澤摩央」としては存在できない。
作り手がそう思っていようとお客さんがそれを「ホンモノの水澤摩央」だと認識できないから。
「声が同じ 姿が同じ ニセモノの水澤摩央」としてしか存在できない。