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北川悠仁の両親が仏教系新興宗教「解脱会」及び神道系
「かむらがらのみち」の主催者であることは周知の通り。
悠仁の母親(年齢的には祖母?)の主催する「かむながら・・」も、
元を正せば夫和夫の「解脱会」の出身となる。
その母親(北川敬子)は信者の神仏分離の意見等を鑑み、また、
オウム事件の影響を半減するため(事件当時、オウム信者はしきりに「解脱」
という単語を発していたため)単独新興宗教を発足するに到った。
その際、新たな団体名を決めるにあたり、当時から修行
(オカルト的な神道修行)を受講させてきた教派神道禊教本宮
「身曾岐神社~山梨県小淵沢町所在」の坂田安儀宮司に「かむながらのみち」
と云う団体名を授かった。
以後、かむながら・・は身曾岐神社のいわゆる「講」として、機能してきた。
ところで、身曾岐神社(教派神道「禊教」)は、明治期の「国家神道」
政策に対抗し、一貫して教導職の主張をし、出雲大社教・御岳教・金教教など
に代表されるいわゆる教派神道13派のひとつであり、白川神祇伯王家
(歴代天皇に直接「神になる行」を教えてきた)の流れをくむ由緒正しい
神道教団であった。
この禊教の宮司(坂田安儀)がくせ者で、東京上野にあった神社が火事で
消失したのを期に、当時バブル絶頂期に、全国的にも熱心な信者の多かった
山梨県北巨摩郡小淵沢町上笹尾に、70億円超の借金をして現在の
「身曾岐神社」を建立した。
建造が終わる頃にはバブルは崩壊し、資金を調達していた「川崎リース」
も倒産、神社の敷地・建物自体が不良債権と化した。
その不良債権を買ってでてきたのが某暴力団のフロント企業であるENYA
建設(岐阜県)や、富士財団と称する埜本修率いるアウトロー集団である