07/01/26 12:43:05 axm4/IcR0
本来なら、これで懸命に働けば借金は完済できるはずだった。しかしそうはならなかったのである。いつまで働いても、借金は完済できなかったのだ。
嫌気がさした島倉は知人の助けを借り、1981年に「コロムビア」(現・コロムビア ソングス)に移籍する。
この際、残っていた1億円の借金はコロムビアが肩代わりしたという。
面白いのは、この独立問題に関する細木数子のコメントである。
当初は、細木の方から独立を勧めたという話だった。『週刊平凡』(1980年5月8日号)の記事では、「光星龍」という名前で細木は取材に答えている。
「5月1日から島倉千代子は『ミュージック・オフィス』を離れて独立します」
細木が自ら作った挨拶状にはこう書かれていたという。
それを見た島倉千代子は、「私に何の相談もなく、どうして勝手に決めたんですか? 私は独立したくなんかないわ」と詰め寄ったそうだが、
細木は「だって3年前のあなたの破産事件のとき、将来この問題が解決したら独立すると約束したじゃないの」と答えたという。