07/11/16 22:16:44 lfuglqx2O
>>581
私は戦時の中、幼少時代をすごしました。 物心ついたときには母親はおらず、父は兵隊に取られ 祖父と2人田舎で暮らしていました。
家のすぐ脇には河が流れており、200mほど河を下ったところには 捕らえられた米兵を収容している建物がありました。
とある日のこと、私が芋を河で洗っていると誤って 手を放してしまいその芋を河に流してしまいました。
その芋はたまたま下流で水浴びをしていた米兵達によって 拾われました。
米兵は自分達に向かって流してくれたものだと思い 喜んで私に手を振って芋を持って帰りました。
きっとひどい扱いを受けていたのでしょう。
それから私は定期的に川下にいる米兵達に回りには 分からないように、野菜を河に流して渡すようになりました。
やがて戦果も悪化して日本軍が不利な状況になるにつれて 食糧事情は厳しいものとなりました。
もともと私と祖父の2人暮らしだったため食料で困ることは ありませんでしたが、米兵達に食料を分け与えることは 出来なくなりました。
申し訳ない気持ちになりながらもいつも食料を流している時間私はいつものように川岸まで行きました。
いつものように200m川下では米兵達が待っています。 近づくのは禁止されていたため当然話をすることも出来ません。
ジェスチャーで分け与える食料が無いことを伝えようと、 手を大きく振ってバツマークを作って食料が無いことを伝えます。
しかし上手く伝わらず米兵達は手を振り帰してきます。
そんな私が流す食料を楽しみにしている米兵に何もして上げられない無力な自分に腹がたち
河の水を蹴り上げると米兵も同じように真似をします。
今度は河の中で飛び上がってみるとやはり米兵達は 私の真似をします。 何とかしてあげたい。そう思いました。