07/06/26 20:21:30 nkQ+8sBC0
俺、30半ばのガタイ自慢のトルコ人!
大学時代は体育会所属!不慮の事故で半年前に和歌山県串本沖で遭難を初体験した。
二十歳そこそこの日本人な若造に「しっかりしろや」とブチ救助され、介抱されて手当てされ、よがりまくった後、
シクシクシクと灯台で涙垂らして、「可哀相な奴」と同情されながら治療を受けた。悲しかったしこころはサメザメだった。
いよいよもう駄目か。じきに体が冷たくなった。いつも俺は健康だが遭難して心身衰弱だから絶望しまくり!落ち着いてきた頃
に毛布をかけられアリガトウ連呼で焚き火しながら顔中サツマイモや卵食わされた。「アリガトウアリガトウアリガトウアリガトウ」「体力使うだろが!あんまり喋るな」
「アリガトウアリガトウアリガトウ」激励くらいながら茹でた卵を食べさせられた。十分に若造のでかくなった40センチもある鶏を摂食させられた。
「うぐっ」「もういいだろう、祖国に帰すぜ」船の上でよつん這いになって国旗高く掲げて、若造に涙曝して、「元気でなっ」と硬い握手を交わされ、
「アリガトウ!日本の皆さんの事は忘れないっす」と泣かされてやっと船を出航させてもらえた。「また会いたくなったら連絡くれよ」と命令されて夢中で手を振ったが
やがて介護の効き目で体が自由になり肩抱えられながら泣きまくった。「きっと きっと」と泣きつきながら、久しぶりに敬礼をやった。
「ほら!もう泣くなや!」「アリガトウ」怒号にも似た口調で若造に励まされまくった。やがて生き残った仲間と同時に帰還、その時あまりの歓喜にでかい声で
「あああ」と叫び、皇帝陛下に労われて敬礼させられた。そのあとは、自宅に戻り、妻と子に寄り添いながら親切な日本人のことを話して聞かせる俺がいた。
体育会野郎が完全に難民になった夜だった。「忘れないよ」と語り続けた。それから親日感情疼いてたまんねえ!今じゃ山田寅次郎の義捐金で感激する親日野郎っす!