06/11/14 02:10:38 +67alMuW0
先日、孫が夜間外出しようとしたので、叱り付けて引き止めた。
真夜中の外出は非行化の第一歩である。
理由を訪ねてみると「プレイ・ステヱヰションだよ」という。
辞書で調べてみたところ、プレイ(pray)は「祈る」、ステヱヰション(station)は「駅」という意らしい。
「駅を祈る」とはどういうことだろうか?「駅で祈る」と解釈すると、各宿場(駅)ごと聖所を祈り歩く
お遍路や巡礼みたいなものであろうか。わざわざ横文字で言うところが今風である。
若者の間でこのようなものが密かにブームになっているとはこの国の未来は明るいと内心嬉しくなってしまった。
いずれにせよ子供の夜の一人歩きは危険だから私がついてゆくというと、
「おじいちゃんのほうが危ないよ」と言われてしまった。
孫が出て行ったあとテレビのニュースで少し映像が映っていた。なるほどこれでは私のような老人は危険である。
大晦日の成田山や川崎大師もかくやの人だかりであった。
若者の不信心化が進んで久しいと言われているが、まだまだ今の若者も捨てたものではないと、
私は思わずテレビの前で手を合わせて念仏を唱えてしまった。
翌朝孫が浮かない顔をして帰ってきた。
どうやら孫はご本尊の前まで辿り着くことができたものの、お目当ての「プレイ・ステヱヰション」
(限定の御札みたいなものだろうか)は目の前で売切れてしまったという。
だが孫は「次は本命の"任天堂"(どこかのお堂だろうか)があるから」とあっけらかんとしている。
若いのにこの信心深さ、わが孫ながら実に感心なことである。
63歳 僧職