07/07/10 19:03:45 1dvEDJ2O0
>>519 ずっとアブドーラプッボルのターン 5
決勝で 1-0でサウジをかろうじてゼキであり優勝に成功する.もちろんこの過程での不公平な判定は言うまでもない.
そしてチォックバリは大会初優勝直後,わずか 88年大会までしても "犬さえ目をくれなかった"このアジアンカップの権威を高めるために無所労力するようになる.
-00年-
12ヶ国が参加した時代で,事実上チォックバリサッカーの全盛期だった.サウジを 4-1,ウズベクを 8-1で負かした後カタールと引き分けて組1位で組予選を軽やかにパスする.
この成績はインゾングヘズルばかりする.8強でイラクを破った後,準決勝で '宿命のライバル' チァングゲと3-2名勝負を演出した後決勝に進出する.
組予選とは違い競技(景気)始終苦戦したあげくサウジに1-0で勝利して優勝カップを引っつかむ.とにかくこの優勝はチォックバリアジアンカップ歴史上唯一に正当な勝負あげく得たことなので価値あったする.
-04年-
こんな醜い大会はサルダサルだ見た事がない.ワールドカップだったら大騷ぎ起こったが,大会が'アジアンカップ'だから皆静かだった
組予選でオマンに競技(景気)始終チョバルリにNakamuraの決勝ゴールで辛うじて勝って大会をスタートした日本は,タイに4-1逆転勝ちをおさめた後組予選最後の競技でイランに会う.
8強で韓国を避けるために終盤の 20余分間守備陣営でボールを回して 0-0 引き分けを演出する(03 U-20 世界大会でパク・ソンファのアメリカ戦見るドリー期を思い浮かべば良い).見えを張りながらよほど韓国が恐ろしかったみたいだ.
8強ではヨルダンの正当な得点が認められないあげく 2-2 引き分けを記録する.やがて突入したPK戦.日本はNakamuraとアレックスがぞくぞくミスして 0-2に引かれて行く.
すると急にチォックバリコーチ陣たちが暴れ狂って抗議し始める.どんな間違ったこともないのに訳もなく抗議する.PK戦は引き延びになる.
主審はコーチ陣を退場させて当然だったが,トングムオブゲもPK戦ゴールポストを反対側に変える.PK戦はまた始まる.PK戦結果は 4-3,日本の勝利だ.
4強で宿敵バーレーンと延長血闘をしたあげくに,バーレーン守備のゲサブジルを逃さないTamada Keijiの決勝ゴールで 4-3 勝利をおさめて決勝に進出する.
そしてその有名なNakadaKojiの 'ハンドボール' 決勝ゴールに負って三番目アジアンカップタイトルをつかむ.