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中国オリンピック代表ラトミール・デュイコビッチ(Ratomir Dujkovic)が、2006年11月のアジア大会グループEイラク戦を振り返った。
ドイツ大会でガーナをグループリーグ突破させたラトミール・デュイコビッチは、世界でもトップクラスの監督といえるだろう。
しかし、デュイコビッチのキャリアの中で、この活躍は珍しいものではない。元レッドスターベオグラードのGKは、1990年代半ばにベネズエラやミャンマーの代表を率い、2年間ガーナのブラックスターの監督を務めるなど、素晴らしい経歴を持つ。
しかし様々なオファーを断った彼は、中国オリンピック代表監督に就任して周囲を驚かせた。FIFAとのインタビューで中国という選択の真相と、2006年のドーハについて語った。
■FIFA: ガーナでの成功の後、中国を次の地に選んだ理由を教えてください。
「デュイコビッチ: 様々な国の代表で監督をし、地域大会や国際大会で業績を上げました。しかし、オリンピックに出場するユースを教えたことはありません。ですから、中国のオファーは自分にとって挑戦でした。
サッカーという世界で、選手でも指導者でも、挑戦し続けることが成長する唯一の方法です。この13億の人口を抱える国に無限の可能性があるのは誰もが知っていますし、それも魅力的でした。
サッカーは国中で愛されていますし、才能ある選手は無限に出てきます。私の経験と知識で、中国のサッカーを発展させられればと考えています」
■中国では多くの旧ユーゴスラビア出身の監督が活躍しています。ボラ・ミルティノビッチ(Bora Milutinovic)は、中国を始めてワールドカップに導きました。
彼らからオファーを受けるに当たってアドバイスはもらいましたか?
「ええ。ボラも含め、様々な人に質問しました。様々なヒントや貴重な情報をくれましたね」
■反応はどうでしたか?
「もちろん良いものでした。ですからここにいるのです。彼らの話を聞いて、中国での仕事は正しい選択肢だとわかりました」
■他のオファーを断っていますよね?
「ええ、カメルーンやカタールなどのサッカー協会がアプローチしてきましたが、中国オリンピック代表を選びました」