06/09/07 08:42:46 RxdEiZ7P
劇的代表初ゴール我那覇ロスタイムV弾
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>代表3戦目で夢の初ゴール。ここまでの道のりは長かった。
>高い身体能力とシュート力を買われ、沖縄・宜野湾高から当時J2川崎入り。
>夢を持って“都会”に出た。
>だが気持ちが優しく自他共に認める人見知りな性格が、成長を妨げた。
>入団当時、練習でチームメートと接触すると「ごめん」と謝った。
>J2ではGKと1対1の場面でパスを出すことがあった。
>試合では活躍せず、練習場の麻生グランド(川崎市)では“活躍”するところから「ミスター麻生」という、
>屈辱的なニックネームをつけられた。
>沖縄の方言しか知らない我那覇は引きこもりがちになり、
>練習後は真っ先に家に帰っていた。
>プロ入り4年間でわずか7得点。才能はすぐに開花しなかった。
>ピッチ上ではFW出身の関塚隆監督(45)の指導で技術を磨いたが、
>精神的な強さを我那覇に植え付けたのは温子夫人(30)だった。
>02年に結婚した年上の温子夫人は「家に帰ってくるな!」と我那覇を一喝。
>「チームメートとプライベートでもうち解けるように。練習でも一番残ってやってこい、という意味です。
>あれで気持ちの面で強くなった」
▽食事 日本食と沖縄料理以外は苦手。
▽好きな言葉 「なんくるないさー」(沖縄弁でなんとかなるさ)