06/12/13 04:25:39 vUUoTsWR0
May 19, 1998
ことばは かんじょうてきで ざんこくで ときにむりょくだ
それでも わたしたちはしんじている ことばのちからを
じゃーなりすとせんげん
May 19, 1998
ここはどこだろう。まっくらだ。ワタシがだれなのかもわからない。まわりには、
ワタシのようなものはいないようだ。これから、どうなるのだろうか。
てがかりは、とおいかすかなきおくにしかない。いつかどこかで、ふたつのものが
あわさってワタシというものがはじまったようなのだ。まだみてはいないが、
このそとには、せかいというひろいところがあるらしい。そこには、オトコという
いきものとオンナといういきものがいて、それがであってあたらしいいのちができる、
ときいたきおくがある。
ワタシは、ひにひにおおきくなってきた。せまいこのばしょではきゅうくつだ。
そろそろ、せかいのほうにうつるころなのだろうか。
「カッパ」といういきもののせかいでは、そとへのでぐちで、きかれるそうだ。
アクタガワリュウノスケさんによると、チチオヤが、ハハオヤのおなかにむかっていう。
「おまえは、このせかいへうまれてくるかどうか、よくかんがえたうえでへんじをしろ」。
「いやだ」といえば、でなくてもいいらしい。
あれあれっ、そとへおしだされそうだ。すごいあつりょくだ。だれも、でたいかどうか
きいてくれない。きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのも
ちょっとさびしい。
ついに、そとへでた。ひかりがまぶしい。あたらしいせかいのはじまりだ。からだに、
ちからがわいてくるようなきがした。ワタシをあのくらいところではぐくんでくれた
オンナのひとが、ワタシのハハオヤのハハオヤだとは、まだしらなかった。