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【産経抄】2006年8月18日(金)
61年前の敗戦で日本は連合軍に武装解除され、陸海軍は実体も名称も消えてしまったが、
民間で名前に「軍」の字が残った団体がある。それは、故・正力松太郎氏が心血を注いだ読売
巨人軍だ。
▼今の巨人軍が軍隊のように強いかどうかは別にして、正力氏は文字通りの巨人だった。警察
官僚出身だが、読売新聞を日本有数の新聞に育て上げたばかりかテレビにいちはやく目をつけ、
日本テレビを立ち上げてメディア界に君臨、生前は「大正力」と呼ばれた。
▼そんな氏を「巧みに戦争責任韜晦(とうかい)」と書いた新聞がある。昭和20年11月4日付
の読売報知(現・読売)だ。当時は労働争議下で、編集局を労組が牛耳っていたとはいえ、「正力
氏が戦争に便乗せんとし、軍閥、官僚に積極的に協力した事実を知っている」とは激越だ。
▼正力氏は戦時中、内閣顧問など政府の要職に就いた。他紙も大同小異だったが、紙面には
「勝利への大道ひらく本土決戦」などといった見出しが躍り、戦後、いわゆるA級戦犯容疑者(不
起訴)として一時、巣鴨に収容された。
▼こんなことをあえて書いたのには理由がある。読売新聞が日本の戦争責任を問う「検証・戦争
責任」を1年間掲載、さきの大戦を「昭和戦争とする」と宣言しただけでなく、最終報告では4ページ
にわたり東条英機、近衛文麿といった当時の首相や軍幹部を名指しで弾劾しているからだ。ン?と
抄子は思う。
▼言論界でもうひとりA級戦犯容疑者(同)とされた徳富蘇峰の言動はとりあげながら、「正力」の
名はなかった。自分のことは棚に上げて、と小欄もたびたび叱責(しっせき)をいただくが、これも腑(ふ)
に落ちない。身内のこともきちんと検証されていたら大連載に深みが加わったのではと惜しまれるのだ。