06/12/07 18:04:15 2sX37O1F0
二死ヲタ最低だな
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*爽やかな風貌とは裏腹に、意外と独裁的で冷酷な一面があり、意に沿わない選手は
徹底的に排除することもする。
その最たる例が[[仁志敏久]]を干した事である。第一次原政権下、原は今まで一番
だった仁志を二番に変える案を強行。仁志がこれに異を唱えたのが発端で仁志に対し
冷たく当たるようになり、慣れない二番に移された仁志は不振に陥りると八番にまわし、
その後すぐスタメンから外してしまう。
2006年第二次原政権になると、仁志に対する攻撃はエスカレート。仁志のポジションを
剥奪するために小坂獲得を働きかけ、その後獲得するや無条件でレギュラーを剥奪し、
完全に代打要因にしてしまった。同オフ仁志は自らの希望で横浜ベイスターズにトレード
にる。仁志は2006年の春先からトレードを考えていたと言っていたことから、原が監督に
就任した時にもう自分は使ってもらえないだろうという覚悟をしていたように考えられる。
皮肉にも憧れの選手であった原に巨人を追われるという結果になった。
仁志が二軍に落ちるとすぐに、用済みとばかりに不振の小坂をスタメン落ちさせ、その後、
一・二番の打線を幾度となく入れ替え後半になりやっと脇谷、鈴木の一・二番コンビに落ち
着く。ただこの過度な一・二番入れ替えが選手のリズムが狂わせ、中盤からの連敗続きの
原因となったとも言われる。普通に仁志と清水を使っていれば、ここまで連敗はしなかった
のではとの声もある。